書かれることのなかった遺書(1)

文字数 605文字

 遺書は書かれてはじめて遺「書」だ。
 だからぼくがそれを書かなければ、ミドリ、きみのためにも遺書は残さなかったことになる。
 そのほうがいいと、ぼくは思っているのだ。こうしてすぐにも貨物列車がやってこようとする線路に横たわり、満天の星空を見上げる今も。

 思えば、きみに出会ったときにはすでに、ぼくは異常なものに侵されていたのだ。分岐点を、けっして進んではイケないほうへと進んでしまっていたのだ。
 ぼくはあの時すでに、(コクーン)だったのだよ。
 気づかなかっただろうか、ぼくが立てるハリボテのような、あのポクリという繭とくゆうの音に。ぼくがきみの肩に手をおいたとき。

 おどろいて振り向いたきみは、ぼくが誰だかわかると(正確には、誰だか知らない人だと認識すると)、目を細めてぼくをニラんだ。
 だからきみは、ぼくが繭だと気づいてニラんだわけではなかった。
 ぼくはきみの顔がまさに自分好みのものだと目にするとウットリした。
 きみは怒っていた。それもそのハズだ。見知らぬ男の子がビキニ姿のきみの肩に触れたのだからね。

 あの時すでにぼくは繭だったが、その繭を支配していたのはあの時点ではぼく自身だった。だから、あの時きみに触れたのはぼく自身の意思であり、ぼく自身だった。たとえ繭だとはいえ。
 きみはぼくの手を振り払うこともできたが、そうしなかった。
 太陽はビーチを白く照射して、午後への階段をおりはじめるところだった。時を織りなして。
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