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文字数 2,773文字
スーツ用の靴の底からでも、体育館の滑りやすさを感じる。
バスケットボール経験者なら誰でもわかる感覚だ。練習前の体育館の床は、埃が薄く膜を張ってサラサラしている。バスケに慣れてくると、バッシュの裏についた埃を手で拭くクセがついてくる。今考えると衛生的に良くないクセである。誰がどこを歩いてきたかわからない体育館の床などバイキンまみれだ。
真新しいバッシュを履いた2人に「モップ掛けをするぞ」と声をかけた。緑と黄色という趣味の悪いカラーリングのモップを2人に手渡した。
むっくんが仲間に加わって二週間が経った。今日はバレー部もバドミントン部も休みらしく、奇跡的に体育館を借りることができた。しかも全面である。普段は体育館をグリーン色の網で二面に分けて、二つの部活が使用している。こんな広い体育館を生徒2人で使うと考えると、なんだか勿体無い。オレンジ色の照明で照らされている体育館は、昼間の全校集会や始業式で来る時よりもクラシックな雰囲気を漂わせている。
モップ掛けだけでも汗だくになっている2人にボールを渡し、普段教室ではできないパスやシュートの練習をした。2人とも頭がいいためか飲み込みが早い。体育の授業でしっかりとスポーツの基礎を指導されていれば、体育や球技大会で悔しい思いをせずに済んだのではないだろうか。
しかしサトショーの運動神経の悪さは天才的だった。一向にレイアップができない。レイアップというのはバスケのシュートの基礎で、走りながらシュートを打つ方法だ。ドリブルでスピードを上げ、ボールを持って2歩ステップしてから、ゴールリングにボールをそっとくぐらせる。これが3歩ステップしてしまうとトラベリングになり、ボールの主導権は相手に握られてしまう。この2ステップのリズムを習得できないようだ。むっくんはいとも容易く習得してしまっているように、常人であれば何度かこなすうちに習得できる筈なのだ。
サトショーはゴールリングが近づくにつれて、慌てふためいて手足が棒のようになっている。私もレイアップを習得するのが遅かった。中学生最後の試合でもレイアップ中にトラベリングをしてしまう程ヘタクソだった。ちなみにバスケ経験者からすると、レイアップ中のトラベリングは凡ミス中の凡ミスだ。
中学生の頃の私にレイアップを指導するとしたら、何て声をかけただろうか。
「サトショー」ステージの端に座りながら手招きをした。返事をする余裕もないサトショーが近づいて来た。
「レイアップって、なんで2歩ステップすると思う?」
頭のいいサトショーにはわかるはずだ。しかもバスケのルールも熟知している。
「んー、あんまり考えたことなかった。たぶん、ドリブルのままゴールまで行ってもスピードが出せないからじゃないかな?ディフェンスに追いつかれない方がゴールできる確率が上がるしね。」
「その通りだ。じゃあ、2歩で目一杯スピードを上げてみろ。」
サトショーは納得のいった顔になった。蜘蛛の糸を掴んだようだ。
続けて『ややこしくてリズムが取りにくいそのステップは、スピードを上げる為のステップなんだ』と言おうとしたが、言葉が多くなっても混乱するだけだと思ってやめた。
このアドバイスのみでサトショーはレイアップを習得した。しかもかなりのスピードが出ている。レイアップだけを見ると、経験者集団と互角に戦えるような気がしてきた。
サトショーの指導で手一杯になっており、むっくんを放ったらかしにしていた。先程からやたらとゴールの網をボールが擦る音がする。シュートが全てゴールリングを潜っているからだ。まさに百発百中。むっくんはこの1〜2時間で誰からも指導を受けずにジャンプシュートを習得していた。『誰からも指導を受けていない』ので、見たことが無いシュートフォームをしている。身体を完全に横に向けて、肩に乗せたボールを腕で押し出している。フォロースルーは親指と人差し指の間あたりでスナップをかけている。丁度ダーツを打つような体の動きである。3Pラインの外から届いているという事は、下半身からの反動をうまくボールに伝えられている証拠だ。
普通は先輩やプロのバスケットボールプレイヤーのシュートフォームを真似る。代々受け継がれてきた一般的なシュートフォームは、果たしてベストな動きなのだろうか。スポーツマンは『皆このシュートフォームなのだから』と疑問に思うこともなく練習してきた。
しかし手先が器用なむっくんは、ゼロから自分なりのシュートフォームを編み出した。この動きが運動学的に理にかなっているのかわからないが、最も自分の体型や関節の動きに合ったものを創造したのだろう。天才だ。
「むっくん、すごいじゃないか!スリーポイントシュートが百発百中だぞ!」
「先生、ジャンプシュートってこれでいいんですか?左手は添えるだけって言ってたから、こんな感じかなと思うんですけど。」
むっくんは話しながらもう一本スリーポイントシュートを決めた。いや、むっくんが立ってるのはスリーポイントラインよりもセンターラインに近い位置だ。これがどれだけすごい事か、この2人はわかっているのだろうか。
「むっくん。でもその動きだと、ボールを持ってからシュートを打ち始めるまでに時間がかかるよ。」サトショーがもっともな事を言った。
「いや、その動きで練習し続けろ。シュートモーションに入りやすいようにチームでフォローすればいいんだ。」
1日の練習でかなり収穫があったと満足気に片付けを始めたその時だった。
滑りが悪くて重いはずの体育館のドアが勢い良く開いた。
「おお!サトショー!お前本当にバスケ部に入ったのか!」
ガハハハと下品な笑い方をしながら問題児が体育館に入ってきた。"シャツ出し"をして裾を捲り上げている。制服の着こなしがだらし無いうえに、外靴を履いている。なぜ外履靴なのだ?一旦下校したが野暮用を思い出して学校に戻ってきたのだろうか。土足のまま体育館まで来る理由はわからない。
「あ!バンジョー!来てくれたんだね!」
サトショーが呼び捨てで読んでいるこの生徒は坂東丈治。サトショーと同様に、フルネームを略してバンジョーと呼ばれている。私の担任のクラスメイトである為、この子のことは良く知っている。荒々しいが男気があり、みんなを引っ張っていく番長のような性格だ。『バンチョー』と呼ばれても良いような気もするが、『バンジョー』と呼ばれたいらしい。
「先生、おれバスケ部に入るよ。バスケ大嫌いだけど。サトショーからのお願いだからな。バスケ部に入って、バスケをぶち壊すわ!」
言っている意味はわからないけど面白い。この子もアンスポーツマンだ。スポーツマンは土足で体育館に入り込み、ギャアギャア騒ぎ立てたりしない。
バスケットボール経験者なら誰でもわかる感覚だ。練習前の体育館の床は、埃が薄く膜を張ってサラサラしている。バスケに慣れてくると、バッシュの裏についた埃を手で拭くクセがついてくる。今考えると衛生的に良くないクセである。誰がどこを歩いてきたかわからない体育館の床などバイキンまみれだ。
真新しいバッシュを履いた2人に「モップ掛けをするぞ」と声をかけた。緑と黄色という趣味の悪いカラーリングのモップを2人に手渡した。
むっくんが仲間に加わって二週間が経った。今日はバレー部もバドミントン部も休みらしく、奇跡的に体育館を借りることができた。しかも全面である。普段は体育館をグリーン色の網で二面に分けて、二つの部活が使用している。こんな広い体育館を生徒2人で使うと考えると、なんだか勿体無い。オレンジ色の照明で照らされている体育館は、昼間の全校集会や始業式で来る時よりもクラシックな雰囲気を漂わせている。
モップ掛けだけでも汗だくになっている2人にボールを渡し、普段教室ではできないパスやシュートの練習をした。2人とも頭がいいためか飲み込みが早い。体育の授業でしっかりとスポーツの基礎を指導されていれば、体育や球技大会で悔しい思いをせずに済んだのではないだろうか。
しかしサトショーの運動神経の悪さは天才的だった。一向にレイアップができない。レイアップというのはバスケのシュートの基礎で、走りながらシュートを打つ方法だ。ドリブルでスピードを上げ、ボールを持って2歩ステップしてから、ゴールリングにボールをそっとくぐらせる。これが3歩ステップしてしまうとトラベリングになり、ボールの主導権は相手に握られてしまう。この2ステップのリズムを習得できないようだ。むっくんはいとも容易く習得してしまっているように、常人であれば何度かこなすうちに習得できる筈なのだ。
サトショーはゴールリングが近づくにつれて、慌てふためいて手足が棒のようになっている。私もレイアップを習得するのが遅かった。中学生最後の試合でもレイアップ中にトラベリングをしてしまう程ヘタクソだった。ちなみにバスケ経験者からすると、レイアップ中のトラベリングは凡ミス中の凡ミスだ。
中学生の頃の私にレイアップを指導するとしたら、何て声をかけただろうか。
「サトショー」ステージの端に座りながら手招きをした。返事をする余裕もないサトショーが近づいて来た。
「レイアップって、なんで2歩ステップすると思う?」
頭のいいサトショーにはわかるはずだ。しかもバスケのルールも熟知している。
「んー、あんまり考えたことなかった。たぶん、ドリブルのままゴールまで行ってもスピードが出せないからじゃないかな?ディフェンスに追いつかれない方がゴールできる確率が上がるしね。」
「その通りだ。じゃあ、2歩で目一杯スピードを上げてみろ。」
サトショーは納得のいった顔になった。蜘蛛の糸を掴んだようだ。
続けて『ややこしくてリズムが取りにくいそのステップは、スピードを上げる為のステップなんだ』と言おうとしたが、言葉が多くなっても混乱するだけだと思ってやめた。
このアドバイスのみでサトショーはレイアップを習得した。しかもかなりのスピードが出ている。レイアップだけを見ると、経験者集団と互角に戦えるような気がしてきた。
サトショーの指導で手一杯になっており、むっくんを放ったらかしにしていた。先程からやたらとゴールの網をボールが擦る音がする。シュートが全てゴールリングを潜っているからだ。まさに百発百中。むっくんはこの1〜2時間で誰からも指導を受けずにジャンプシュートを習得していた。『誰からも指導を受けていない』ので、見たことが無いシュートフォームをしている。身体を完全に横に向けて、肩に乗せたボールを腕で押し出している。フォロースルーは親指と人差し指の間あたりでスナップをかけている。丁度ダーツを打つような体の動きである。3Pラインの外から届いているという事は、下半身からの反動をうまくボールに伝えられている証拠だ。
普通は先輩やプロのバスケットボールプレイヤーのシュートフォームを真似る。代々受け継がれてきた一般的なシュートフォームは、果たしてベストな動きなのだろうか。スポーツマンは『皆このシュートフォームなのだから』と疑問に思うこともなく練習してきた。
しかし手先が器用なむっくんは、ゼロから自分なりのシュートフォームを編み出した。この動きが運動学的に理にかなっているのかわからないが、最も自分の体型や関節の動きに合ったものを創造したのだろう。天才だ。
「むっくん、すごいじゃないか!スリーポイントシュートが百発百中だぞ!」
「先生、ジャンプシュートってこれでいいんですか?左手は添えるだけって言ってたから、こんな感じかなと思うんですけど。」
むっくんは話しながらもう一本スリーポイントシュートを決めた。いや、むっくんが立ってるのはスリーポイントラインよりもセンターラインに近い位置だ。これがどれだけすごい事か、この2人はわかっているのだろうか。
「むっくん。でもその動きだと、ボールを持ってからシュートを打ち始めるまでに時間がかかるよ。」サトショーがもっともな事を言った。
「いや、その動きで練習し続けろ。シュートモーションに入りやすいようにチームでフォローすればいいんだ。」
1日の練習でかなり収穫があったと満足気に片付けを始めたその時だった。
滑りが悪くて重いはずの体育館のドアが勢い良く開いた。
「おお!サトショー!お前本当にバスケ部に入ったのか!」
ガハハハと下品な笑い方をしながら問題児が体育館に入ってきた。"シャツ出し"をして裾を捲り上げている。制服の着こなしがだらし無いうえに、外靴を履いている。なぜ外履靴なのだ?一旦下校したが野暮用を思い出して学校に戻ってきたのだろうか。土足のまま体育館まで来る理由はわからない。
「あ!バンジョー!来てくれたんだね!」
サトショーが呼び捨てで読んでいるこの生徒は坂東丈治。サトショーと同様に、フルネームを略してバンジョーと呼ばれている。私の担任のクラスメイトである為、この子のことは良く知っている。荒々しいが男気があり、みんなを引っ張っていく番長のような性格だ。『バンチョー』と呼ばれても良いような気もするが、『バンジョー』と呼ばれたいらしい。
「先生、おれバスケ部に入るよ。バスケ大嫌いだけど。サトショーからのお願いだからな。バスケ部に入って、バスケをぶち壊すわ!」
言っている意味はわからないけど面白い。この子もアンスポーツマンだ。スポーツマンは土足で体育館に入り込み、ギャアギャア騒ぎ立てたりしない。