目覚まし時計と共に働く猫

文字数 1,186文字

目覚まし時計が鳴る三十分前、吾は奈々子殿のベッドから飛び降りる。
吾は猫の子、この世に生まれて早数年が経つ。

吾にはおぼろげながら、人間の時の記憶がある。
かの撤退作戦の最中、吾は何者かに襲われた。
背中に受けた一撃は痛みを感じる間もない。
吾を呼びかける誰かの声が戦場に響く。

遠くに消えていく声は朝を告げる声に変わる。
鶏と似ても似つかない奇妙な声で、吾は目覚めた。

それが目覚まし時計氏との出会いだ。
目覚まし時計氏によれば、背中の傷から病原体が入り込み、吾は猫になってしまったというのだ。

正直、何を言っているのかまるで分らなかった。
あのまま死ぬことができれば、それでよかったというのに。

しかし、目覚まし時計氏はかく語る。

「お主からは死をも拒む強い思いを感じた。
今一度、猫になってすべてをやり直してはどうだ。
そうすれば、悲願も叶うじゃろ」

「しかし、こんな姿で何ができるというのです」

「何もできなくていいのだ。それが猫だからな」

そういって、目覚まし時計氏は朝を告げた。
吾の主である少女、奈々子殿は目を覚ました。

あれ以来、目覚まし時計氏は口を利くことはなくなった。時を刻み、朝を告げる。たまに叩いてみるが、何も反応がない。
幻覚か何かだったのだろうか。

しかし、吾は猫である。それだけはまちがいない。

目覚まし時計氏はああ言っていたが、何もしなくていい理由はない。
せめて、奈々子殿が快適に過ごせるようにしなければならない。
台所まで下りて行って、好みの菓子を探す。
チョコレートが好きなようで、いつもつまんでいる。

いかに静かにテーブルにのぼり、雑多に放り込まれたかごの中から目当ての物を探すか。
この三十分間が勝負の分かれ目だ。

猫の目は色の判別がつかない。慎重かつ素早く選ばなければならない。
菓子を仕分けながらかごを漁って、ようやく見つけた。
気づかれないように台所を抜け出し、部屋に戻る。

数年も猫をやっていれば、気配を消して動くことなど朝飯前である。
チョコレートを持ち帰り、奈々子殿に頭突きをする。
爪でひっかくわけにもいかないので、やむを得ずそのようにしている。

「……ぶーちゃんおはよ~」

目覚まし時計が部屋に響いた。
そのまま抱きかかえ、腹のあたりに顔をうずめる。
深呼吸を数回して、ようやく起き上がる。

奈々子殿によれば、吾の体から一日分の栄養を得ているらしい。
猫でしか得られない栄養があるといって、毎朝必ず吾の体に吸い付く。
猫を吸うだけで活力を得られるようになるとは、人間の進化には驚くばかりだ。

「あ~、勝手にチョコレートを持ってきちゃったのね~」

吾が持ってきたチョコレートを受け取って、口に放りこむ。
奈々子殿と共に階下へ降りて、玄関へ向かう。

「じゃーね、ぶーちゃん。行ってきます~」

今日も戦場へ行く姿を見届ける。
吾は猫であるゆえに、共に外出することはできない。
家の帰りを待つことしかできないのである。

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