バス停の傍で見たものは。

文字数 1,378文字

 

 僕は、恋をした――。

 いや……違う。それは、恋と呼べるかどうかも分からない、その程度の感情。
 ただ、その少女の後ろ姿を見ているだけなのだから。
 

 僕は、その少女の顔を知らない。見たことがない。見るのはいつも、後ろ姿だけ。
 背中の半ばくらいまで伸ばした艶やかな黒い髪。背は僕のを基準にすれば、百六十センチメートルくらい。制服から出た部分――カバンを持った両手や、スカートから覗く足元を見ると、色白で細身の華奢な子なんだろう。
 同じ高校の制服を着ているんだから、同じ高校の生徒であるはずなのに、僕は彼女の顔を知らない。クラスも、そして名前も――。

 でも、いつしか後ろ姿を見ただけで、彼女だ――と分かるようになった。何て言えばいいのか……。
 カバンを持つ、その後ろ姿の雰囲気で、彼女と分かる。
 楚々と歩く、チェック柄のスカートからスラリと伸びたその足で、靴で、彼女と分かる。
 そんな感じ。


 七時四十七分発のバスを待っていると、必ず七時四十三分頃に、彼女がバス停を通り掛かる。僕はクラブ活動のために早い時間に高校へ行くから、このバスを使うけど、彼女は徒歩で学校に行く。徒歩なら、そのくらいの時間にこのバス停付近を通り掛からないと遅刻するからだ。
 そして毎日、彼女はこの時間に通り掛かる。雨の日だろうと風の日だろうと、学校がある日なら変わらずに、だ。
 だったら、このバス停で、七時四十三分頃に通り掛かる彼女を見ればいい。僕は、そう考えた。その時に、彼女の顔を見ればいい――と。
 ただ、それだけなのに、気が付けばいつも、彼女はもうバス停を通り過ぎている。

 毎日毎日、何度やっても、そう。
 もうすぐ、彼女が来る。そう思って、ずっと見ていたはずなのに、気が付けば、見るのは何故かいつも、彼女の後ろ姿――。

 今日も今日とて、彼女はすでに、このバス停から遠ざかっていくところだった。でも、彼女が通った瞬間の記憶が、僕にはない。その瞬間だけが、記憶から抜け落ちたかのよう。
 そんなことが、もう半年くらい続いている。

 さっさと声を掛けちまえ! 走って追い掛ければいいだろう――なんて声が聞こえてきそうだけど、それが出来るなら、とっくに、最初からやっている。
 それが出来ないからこそ、後ろ姿を見ているだけなんだってことも、もちろん分かっている。

 自分に勇気がないことも――。
 当然ながら、このままじゃ、卒業するまで何も変わらない、ってことも――。
 

 そして、とうとう僕は、意を決した。
 彼女に告白する――と決心したんだ。

 前を通り過ぎた彼女に、僕は呼び止めるように、手を伸ばした。けれど――。

 届かなかった。彼女が離れていく。
 僕は近付こうとするのに、前に進めない。足が動かない。とうとう、彼女が遠く離れていくのを、何も出来ずに見ているだけだった。

 翌日――。

 僕は、今度は()()()()()()()()()()、言おう――と、彼女の進路を遮るように立ち塞がった。

「あ、あの……」

 言い淀む僕をよそに、彼女は――。

「え……⁉」

 僕の身体を、擦り抜けた――。

「え……⁉」

 驚いて立ちすくむ僕の身体を――小さな男の子が擦り抜けて行った。

 いつから、そこにあったのか。バス停の近くの電柱の根元に、枯れた花束が置かれていた。
 それに気付いた時、僕はやっと思い出した。

 僕は――。

 1年前に――死んだんだ。


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