【完結】告白

「別にさぁ、いいって。それをお節介って言うねん」
「まぁまぁ、そう言わんと。何事も練習あるのみやろ。好きな子、あの、吉川さんか。前髪パッツンの。あの子はモテるで」

　ゴールデンウィークも終わって、クラス替えにも慣れてきたころ、桜井智彦(さくらいともひこ)は吉川ゆみ子のことが気になっていた。高校二年生にもなれば、付き合っているカップルの一組や二組はいる。中学時代はクラス替えのない少人数の学校だったこともあり、好きな子ができてもその後のこと、つまりフラれた時のことを考えると告白なんてできなかったのだ。

　高校一年生からは、地元の大きな高校になった。電車で通学してくる他エリアの同級生もできて交友関係も少しは広がった。このお節介友達、田野井(たのい)は二年生に進級してもそのまま同じクラスになった。

「おいおい、まだ迷ってるんかいな、と思ってここに連れてきたんや」
　桜井は部活をサボって、田野井の言うがままにに連れてこられたのだった。
「で、ここはアレ？ボーリング場の裏側？」
「そうそう、楽園ボウルの裏や」
「って、こんなところで何するねん」
　桜井は怪訝そうに田野井に言った。
「この、壁のＬ字の奥側はな、ほら通り道になってるやろ。ここ。人通りもないし丁度ええわ」
　さらに桜井は怪訝そうに田野井を見た。
「だから何が丁度いい？」
「壁打ちや」
　得意げに田野井は桜井に言った。
「壁打(かべう)ちって、あのテニスのアレ？」
「まぁ、最近はな、一人で自分の考えをぶつけて、壁にな。で、自分の意見や想いを整理するってことなんや。」

　田野井は、どこで仕入れてきた情報なのか、手振りを交えて続けた。どこかの胡散くさいセミナーの登壇者のようだった。
「で、この壁に向かってゆみ子ちゃんの想いをぶつけてみるんや」
「おい、軽々しくゆみ子ちゃって言うなや。」
「別に、桜井の彼女ちゃうやろ。今は。所有欲が漏れ出てるな。それじゃぁ、もてまへんで。兄さん」

　田野井のお調子者の性格はどちらかというとクラスメイトからは嫌がられている。桜井も最初は田野井に好感は持っていなかったが、模試へ行く電車で会って、試験会場を一緒に探しているうちに仲良くなってしまった。この「しまった」というところがポイントだ。

　それからは田野井と一緒に昼ごはんを食べるようになり、体育でも準備体操のペアとなり、化学の実験でも同じ班だ。ただこいつは気持ちのいい男なのだ。お節介なのが玉にキズだが、悪気があってのことじゃない。
「でさ、ここで吉川を想って、壁に向かって何か言えばいいってことなんか？」
「その通り！やっと趣旨が分かったようやな。ほな、俺は用事あるから先に帰るわ」
「おい、田野井っ！」
　田野井はさすが陸上部短距離専門だけあって、足の速いこと。あっという間に、壁の入口の交差点を越えて、豆粒ぐらいになっていた。

「やれやれっ。で、ばかばかしいなぁ。こんなことしても、何になるねん。」
桜井は壁に手をついた。壁の奥からコツコツと音がするのが聞こえた。
「ん？壁から音？」
　桜井は壁を再び、ドンっと手を当ててみた。
「ひとり壁ドンってやつやな。」
　今度は壁からは音はしなかった。壁とおでこがくっつきそうなくらいに近づいていたので、壁から顔を離した。そのとき、今まで気づかなかったがグレー色の壁には、何かペンで落書きがたくさん書かれていた。

　『智子と純一、ここで恋が実りました。壁様、ありがとう』とか、『奈央と裕太つきあってます。壁様、ありがとう』とか、『祥子＆剛だいすき、壁様、ありがとう』といった具体だった。壁の模様に見えていたものがやたらめったら落書きだった。集合恐怖症だと発狂しそうなくらいだった。

　どれも、最後に「壁様、ありがとう」と書かれていた。そんなにご利益があるのか。ここは縁結びの壁なのか。十七年地元に住んできて、この楽園ボウルも家族や友達とも何度も来たが、この壁のことは知らなかった。

　スマホにLIMEが来ていた。田野井からだ。

『壁打ちは、必ずやれよ。相手の名前をしっかりと言って、自分の名前も。で、最後に壁様、ありがとうって言うんだぞ。言わないと、お前、壁様からバチを喰らうから。』

　あいつはLIMEだとなぜか標準語だ。コテコテ京都市内のはんなり京都弁じゃぁなくなるのが不思議。さて、どうしたものか。『壁様、ありがとう』っていう落書きが不気味だし、あいつの言ってた『バチ』ってのも気になる。

「あぁぁ、どうしたもんかなぁ」
　桜井は、思わず声に出していた。思ったことを突然声にしてしまう、桜井はこのクセのせいで、いわゆる強めの独り言のせいで、友達ができにくかったのだ。
　壁がドンと音を立てた。桜井は驚いてスマホを落としかけた。
「なんやねんな。なんか、怖いな。わかりました、わかりましたよ。言いますとも」
　桜井はすぅうっと深呼吸した。息を吐き出す勢いで
「桜井智彦は吉川ゆみ子のことが好きです！付き合ってください！！壁様、ありがとう！」

　相当大きな声だった。いくらＬ字に奥まっているからって、通りに出れば小学生たちが自転車で通っているような道だ。桜井は、スマホを取り出して、田野井にLIMEを送った。
『壁に言ったから。吉川のこと。俺も帰るからな』

　桜井は通りに向かって歩き、田野井が走っていった交差点まで同じように全速力で駆けて行った。

　翌日の放課後、吉川が桜井を呼び出した。吉川から桜井に告白してきたのだった。桜井は、本当にこんなことがあるのかと半信半疑ながらも、信じた方がいいことなので、疑う気持ちをどこかに捨て去っていた。
　桜井は家に帰ってから、田野井にLIMEを送った。
『マジで、吉川から付き合って欲しいって言われたわ。なんかわからんけど、ありがとうな、田野井』

　田野井はLIMEをみながらつぶやいた。
「こいつLIMEの時の方が京都弁強めやな」
同時に、田野井は吉川ゆみ子に電話をかけた。
「吉川、オレオレ。あのな、このあとやけど、あとで、ちゃんと壁のラクガキ消しとくから。」
「わかってるって、ありがとう。田野井くん。一晩で筆跡変えてあそこまで書けるってすごいよね。私も消すの手伝うよ」

　ゆみ子はあの日壁の反対側で桜井の告白を聴いていたのだ。田野井からの提案で、こんな手の込んだ告白劇を受け入れたのだった。桜井が壁に向かって告白しそうでなかなかしない時に、じれったく感じ壁をコツコツしたのは他でもないゆみ子だった。

　ゆみ子は田野井に感謝した。田野井とは中学時代からの同級生で、桜井のことが好きなのがバレてからはよく相談に乗ってくれた。桜井のことを相談しているうちに、田野井と付き合ってしまえばいいかなと思っていたが、田野井は桜井のことが好きだったので、いわば私たちは恋のライバルだったのだ。田野井が身を引く形で、彼は男同士の友情のカタチで桜井と付き合っていくことを決心したのだった。
「いいって、俺一人で消せるから。特殊な洗剤で手が荒れても困るやろ。任せとき」
　田野井はゆみ子の申し出を断った。
「ありがとう、田野井くん。こんど三人でお茶でもしようよ。ね、おごるから。」
「おおきに、気持ちだけもらっとくわ。恋のお邪魔はしない主義やねん。」

　田野井はそっけなく電話を切った。不思議と吉川に嫉妬心はなかった。リビングから母の声がする。
「光、ごはんやでぇ」
　食事の時間を守らないと、母の機嫌が悪くなる。
「すぐ行くぅ」

　田野井は慌ててテーブルにつき、夕食をすませた。夕食をとったあとは、塾に忘れ物を取りに行くと言って家を出た。例の壁に向かっていったのだ。
　通販で買った洗浄液を直接スプレーするとみるみる仕込んだ「壁様、ありがとう」の文字が消えていった。スポンジに持ってきたペットボトルの水をしみこませてゴシゴシとこする。

　壁がいつも通りのくすんだままになった。ふたりの名前を残して。
ともひこ＆ひかり、いつも一緒に。壁様、ありがとう

　田野井は自転車に乗り、ゆっくりとこぎ出していった。小さく小さく壁の下の誰にも気づかれなさそうなところに書かれた二人の名前は、いつしかあせて、消えていった。
　　　　　　　　　　　　　　　（おわり）