第1話
文字数 2,315文字
ある日の昼下がり――。ぼくは独り、バスに揺られていた。
眼の前の横長い優先席には、若いお母さんが赤ん坊を抱っこして座っている。
可愛いもんだな――何より、頑是ない表情で眠りにつく、その寝顔がなんともいえず可愛い。
どのような夢を見ているのだろう。車窓からこぼれ落ちる陽光が、すやすやと眠る、その寝顔をやさしく照らしている。
この牧歌的な情景が、柄にもなく、ぼくを感傷的な気分にさせる。
かといって、とかく赤ん坊は一筋縄ではいかない。お腹が空いたり、オムツが不快になったりすると、ところかまわず、やたら大きな声で泣き出す。
そう思っていたら、はたして、この赤ん坊も、ぐずりはじめたではないか。
あら、まあ、どうしましょう――そういう感じで、浮かない眉をひそめて、お母さん、よしよしと赤ん坊をあやすのに躍起になる。
それが奏功したらしい。しばらくの間は、なんとか小康を保ってくれていた。だが――。
とうとう、この赤ん坊くん、本格的に、おぎゃおぎゃ、と声をあげて泣き出した。いや、そんな紋切り型の生やさしい泣き方ではない。それより、おむつが不快なのか、やけにご機嫌斜めに「フンギャフンギャ」と、号泣しはじめた。
満員の車内に一瞬、不穏な空気が立ち込める。
密閉された空間。それだけに、苛立ちが車内に充満し、乗客を、より不快な気分にさせている。
お母さんを、ぼくは目の端でのぞく。見ると、頬をこわばらせ、演歌歌手さながらに、唇だけを動かして、すいません、すいませんと乗客に首(こうべ)を垂れている。
チラ見のつもりが、知らぬ間に、ジッと目を凝らしていたらしい。ふと、目が合った。
その気まずさに、ぼくは一瞬、うろたえる。けれどすぐに平静を装う。その上で、気にしなくていいですよ、というふうに、小さくうなずいて見せた。
はあ……お母さんは青い顔して、ちょこんと首を垂れる。いかにもバツが悪そうに、か細い肩をすぼめて。
それとまたお母さんは、たびたび、こうべを挙げて、ちらりちらりと乗客の反応をうかがっている。よほど彼らの顔色が気になるとみえる。
ただ、そうしながらも、赤ん坊をあやす行為だけは忘れない。
ねぇ、泣き止んでよ。だって、みなさん、イヤな顔をしてるわよ。だから、お願いーーというような感じで。
といって、赤ん坊は大人の事情に、そう簡単には寄り添ってくれない。たとえ、それが母親であろうとも。いや、むしろ、気が置けない母親だからこそ、よけいに甘えてしまうのかもしれない。
なにしろ、その泣き声は、次第に、烈しさをいや増すばかり。それにつれ、乗客は、いやがうえにも不穏さを増していく。その分、お母さんのバツが悪そうなねこ背はいっそう丸くなる。
これには、さしもの他人のぼくもいたたまれなくなった。
大丈夫、赤ん坊は泣くのが仕事だよ――だから、そう声をかけて、その場をなんとか取り繕うとした。
でもぼくは、性来臆病な性分ときている。そこにもってきて、気恥ずかしさまでもが足し算される。
するともういけない。胸の鼓動は高まるし、ほっぺと耳たぶはことさら熱くなる……。なんのことはない、励ますつもりが、そのことばが唇からこぼれ落ちることは結局なかった。
それより、そのことばは、ぼくの中で右往左往するばかりであった。
そんなふうに、ぼくが躊躇している、まさにそのときーー。
「大丈夫。赤ん坊は泣くのが仕事だよ」
という声が、実際に、車内に轟いた。
思わずぼくは目を丸く見開いて、絶句。
それも無理はない。
現に、ぼくの心の声が車内に表白されたのだから。だとしたら、ぼくが、すっかりうろたえたとしても、なんら不思議はない。
驚いて、慌てて、声がしたほうに、一瞥(いちべつ)をくれる。
見れば、ほど近くに、同年代の男性。その彼が、満面の笑みを浮かべて、お母さんに、うん、うん、と大きくうなずいて見せている。
これで一気に、潮目が変わった。車内の空気は、彼の、このことばとともに、今までの微妙さを失くし、にわかに安堵したような調子を帯びてゆるんだ。
くわえて、お母さんのこわばっていた頬も、ゆるんだ。その表情のまま、彼女は、肩でひとつ息をつき、それから、男性に向かって、ことさら丁寧に、何度も何度もお辞儀した。しかもそれと同時に、赤ん坊の泣き声も、不思議と、止んでいた。
にしても、たいしたもんだなぁ――男性の、この勇気ある行動に、ぼくは思わず、舌を巻く。
とてもじゃないが、ぼくなどは勇気がないので、どうしても、気恥ずかしさが先に立つ。したがって、心の中で励ますのがせいいっぱい。
ぼくにも、彼のような勇気が少しでもあればなぁ――それが、なんともうらやましくて、けれど、そういうふうに思っている自分がとてもあさましくて、ちょっぴり自己嫌悪。
帰宅すると、さっそく、この車内でのあらましを、ぼくはつつみかくさず、奥さんに披露した。
それを聞いた奥さんは、「その気持ちだけで十分よ」と微笑んで、つづけて言った。
「ほら、だって、一人でも多くの人があなたと同じ気持ちになって、お互いの善意を保ちつづける信念と勇気を持てたら、現在(いま)、世界で生じているややこしい軋轢(あつれき)も少しは減ってくれるんじゃないかなあって、あたし思うの」
奥さんはそこでことばを切って、どう? という目配せをぼくにした。
ご、ごもっとも。
間髪を入れず、ぼくはうなずく。そして、奥さん、ありがとう、と告げようとした。
けれど、やっぱり、気恥ずかしくて、またしても、そのことばは心のい中でつぶやくのがせいいっぱいだった……。
眼の前の横長い優先席には、若いお母さんが赤ん坊を抱っこして座っている。
可愛いもんだな――何より、頑是ない表情で眠りにつく、その寝顔がなんともいえず可愛い。
どのような夢を見ているのだろう。車窓からこぼれ落ちる陽光が、すやすやと眠る、その寝顔をやさしく照らしている。
この牧歌的な情景が、柄にもなく、ぼくを感傷的な気分にさせる。
かといって、とかく赤ん坊は一筋縄ではいかない。お腹が空いたり、オムツが不快になったりすると、ところかまわず、やたら大きな声で泣き出す。
そう思っていたら、はたして、この赤ん坊も、ぐずりはじめたではないか。
あら、まあ、どうしましょう――そういう感じで、浮かない眉をひそめて、お母さん、よしよしと赤ん坊をあやすのに躍起になる。
それが奏功したらしい。しばらくの間は、なんとか小康を保ってくれていた。だが――。
とうとう、この赤ん坊くん、本格的に、おぎゃおぎゃ、と声をあげて泣き出した。いや、そんな紋切り型の生やさしい泣き方ではない。それより、おむつが不快なのか、やけにご機嫌斜めに「フンギャフンギャ」と、号泣しはじめた。
満員の車内に一瞬、不穏な空気が立ち込める。
密閉された空間。それだけに、苛立ちが車内に充満し、乗客を、より不快な気分にさせている。
お母さんを、ぼくは目の端でのぞく。見ると、頬をこわばらせ、演歌歌手さながらに、唇だけを動かして、すいません、すいませんと乗客に首(こうべ)を垂れている。
チラ見のつもりが、知らぬ間に、ジッと目を凝らしていたらしい。ふと、目が合った。
その気まずさに、ぼくは一瞬、うろたえる。けれどすぐに平静を装う。その上で、気にしなくていいですよ、というふうに、小さくうなずいて見せた。
はあ……お母さんは青い顔して、ちょこんと首を垂れる。いかにもバツが悪そうに、か細い肩をすぼめて。
それとまたお母さんは、たびたび、こうべを挙げて、ちらりちらりと乗客の反応をうかがっている。よほど彼らの顔色が気になるとみえる。
ただ、そうしながらも、赤ん坊をあやす行為だけは忘れない。
ねぇ、泣き止んでよ。だって、みなさん、イヤな顔をしてるわよ。だから、お願いーーというような感じで。
といって、赤ん坊は大人の事情に、そう簡単には寄り添ってくれない。たとえ、それが母親であろうとも。いや、むしろ、気が置けない母親だからこそ、よけいに甘えてしまうのかもしれない。
なにしろ、その泣き声は、次第に、烈しさをいや増すばかり。それにつれ、乗客は、いやがうえにも不穏さを増していく。その分、お母さんのバツが悪そうなねこ背はいっそう丸くなる。
これには、さしもの他人のぼくもいたたまれなくなった。
大丈夫、赤ん坊は泣くのが仕事だよ――だから、そう声をかけて、その場をなんとか取り繕うとした。
でもぼくは、性来臆病な性分ときている。そこにもってきて、気恥ずかしさまでもが足し算される。
するともういけない。胸の鼓動は高まるし、ほっぺと耳たぶはことさら熱くなる……。なんのことはない、励ますつもりが、そのことばが唇からこぼれ落ちることは結局なかった。
それより、そのことばは、ぼくの中で右往左往するばかりであった。
そんなふうに、ぼくが躊躇している、まさにそのときーー。
「大丈夫。赤ん坊は泣くのが仕事だよ」
という声が、実際に、車内に轟いた。
思わずぼくは目を丸く見開いて、絶句。
それも無理はない。
現に、ぼくの心の声が車内に表白されたのだから。だとしたら、ぼくが、すっかりうろたえたとしても、なんら不思議はない。
驚いて、慌てて、声がしたほうに、一瞥(いちべつ)をくれる。
見れば、ほど近くに、同年代の男性。その彼が、満面の笑みを浮かべて、お母さんに、うん、うん、と大きくうなずいて見せている。
これで一気に、潮目が変わった。車内の空気は、彼の、このことばとともに、今までの微妙さを失くし、にわかに安堵したような調子を帯びてゆるんだ。
くわえて、お母さんのこわばっていた頬も、ゆるんだ。その表情のまま、彼女は、肩でひとつ息をつき、それから、男性に向かって、ことさら丁寧に、何度も何度もお辞儀した。しかもそれと同時に、赤ん坊の泣き声も、不思議と、止んでいた。
にしても、たいしたもんだなぁ――男性の、この勇気ある行動に、ぼくは思わず、舌を巻く。
とてもじゃないが、ぼくなどは勇気がないので、どうしても、気恥ずかしさが先に立つ。したがって、心の中で励ますのがせいいっぱい。
ぼくにも、彼のような勇気が少しでもあればなぁ――それが、なんともうらやましくて、けれど、そういうふうに思っている自分がとてもあさましくて、ちょっぴり自己嫌悪。
帰宅すると、さっそく、この車内でのあらましを、ぼくはつつみかくさず、奥さんに披露した。
それを聞いた奥さんは、「その気持ちだけで十分よ」と微笑んで、つづけて言った。
「ほら、だって、一人でも多くの人があなたと同じ気持ちになって、お互いの善意を保ちつづける信念と勇気を持てたら、現在(いま)、世界で生じているややこしい軋轢(あつれき)も少しは減ってくれるんじゃないかなあって、あたし思うの」
奥さんはそこでことばを切って、どう? という目配せをぼくにした。
ご、ごもっとも。
間髪を入れず、ぼくはうなずく。そして、奥さん、ありがとう、と告げようとした。
けれど、やっぱり、気恥ずかしくて、またしても、そのことばは心のい中でつぶやくのがせいいっぱいだった……。