第1話 夜の道標

文字数 1,838文字

手探りで進んでも、見つからない出口がある。
毎日の繰り返しが嫌になっていた。
いや、正確に言うと繰り返しの中に変化はある。
朝に起きる。電車に乗る。職場まで歩く。
給料の出る仕事をする。給料の出ない仕事をする。
帰宅して、そして寝る。
その生活の最中で、時折人身事故に巻き込まれたり、給料の出ない仕事時間が増えたり。
変化といってもそれぐらいのルーティンワークだ。
そして今日もまた、いつもの帰り道を歩く。

*  *

「ぐっ……、くそ……っ、あのくそ上司が……」
すっかり夜が支配する時間帯の中、コンビニで買ったホットチキンをかじりながら歩く。
行儀が悪いとか、30手前になってとか、色々と思うところはあるが知るか。
なにせ私の家から職場までは遠いのだ。片道1時間半はざらに見ないといけない。仕事が終わる20時、昼ご飯を食べたのが12時。
8時間も何も食べていないのに、今更人目を気にしている場合ではないのだ。道だろうが電車だろうが、とにかく胃の中にカロリーの高い物を入れなければ、家に帰り着くことすらできやしない。
「くそっ、くそ……っ」
ぐわしっ、とホットチキンにかぶりつく。油が溢れて手を汚しかけるが、もう一度噛みつくように油ごと食えばなんとか手は汚さずに済んだ。問題は、食べたら食べた分だけ減ってしまい、哀しくなってくることだけか。
今日も散々な日だった。
第一に、仕事で分からないことがあった。
新しい企画を任されたは良いものを、何一つ初めての分野。会社としても初めてなのだから、資料も何もあったものではない。どれだけ調べようとしても、一人の力ではどん詰まりになった。
第二に、上司の機嫌が悪かった。
結局分からない仕事は分からないままで、それでも放置なんてできるわけもない。上司に分からないところを整理し、質問に行った。勿論上司が何もかも答えてくれるとまでは思わないが、他部署への紹介だったりと、何らかのきっかけを……と期待していたのは間違いない。
だがそれは私の淡い願望でしかなかった。
「俺を不快にさせた!」と一喝をした上司は駄々をこねる子供のように机を殴りつけ、その後も如何に私が無能であるかを怒鳴り続けた。
あぁ、もう一つ散々に付け加えるなら、うちは小さな会社ゆえにその日は私と上司しかおらず、止める人がいなかったことか。おかげで上司は自分の気が済むまで、散々に怒鳴り散らして一人だけ定時に帰ってしまった。
残された私がどうなったかだなんて――第三をあげずとも、大幅に定時をオーバーした今に帰宅していることが、全ての答えだ。
「……あ」
最後のひとかけらを口に入れてしまえば、元々それほど大きなチキンではない。すぐに空っぽの袋だけが残されて、少しの空腹はまぎれた。
けど、なくなってしまった後の空っぽの袋は、酷く悲しい。
「……っぐ、えぐっ、ひ……」
空っぽの袋を見ているだけで、なんだか涙が出てきた。
自分でもおかしいことは分かっている。
子供じゃないんだから、食べたらなくなってしまうことなんて当たり前だし、それが悲しくて泣けてくるなんてありえない。なんならこの年で、公衆の面前にも関わらず涙が溢れてくるなんて、「普通じゃない」。
あぁ、今の自分は普通じゃないんだな、と事実として認識する。
仕事仕事仕事で、その仕事もやりがいなんてない。上司には体のいいサンドバックにされて、家に帰り着いても寝てまた仕事。
やりたかったことも、好きだった物も思い出せない。
「ひっ、ぐ……、ぅ……」
あぁ、また涙が零れる。そうだ、上でも見ようか。
歌にだってあるじゃないか。上を向いていたら涙は零れない。零れない涙はないのと同じ。そう、泣かなければ明日だって頑張れる。
そう思って、たのに。
「あ……」
夜の最中は、真っ暗だと思っていた。
でも暗闇の中で、空だけは違った。
街灯があっても、星は確かにそこにある。綺麗に瞬くあの星はなんだろう。
青い星、赤い星、なんだか幾つもの小さな星が固まっているようなものだってある。
小学校の時に習ったことがあったっけ。
リゲル、プロキオン、シリウス、スバル。
どれが何の星で、なんて名前なんかは覚えていない。でも思いついた星の名前をかたっぱしから挙げて、ぼんやりと空を眺める。
暗闇の中でも、星はあった。
朝が来れば太陽に焼きつくされる星かもしれない。でも夜闇の中で、確かに輝く星が。
――転職、しよう。
思いついたきっかけはよく分からない。
でも暗闇からの道標に指し示されるように、星を見て、思ってしまった。
涙は零れた。

[Fin]
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