家族なんて別に

文字数 1,490文字

「響け! ユーフォニアム」で吹奏楽に青春を傾ける高校生を、「君と漕ぐ」でカヌー部の高校生の青春をえがいた武田綾乃の新作は、母親との関係に疲弊した大学生の生活だった。
 浪費家の母親との二人暮らしで学費と生活費のために日々アルバイトに明け暮れる大学生の宮田陽彩(ひいろ)と、生活のために母親に売春を強いられた過去を持つ江永(みやび)。この二人の女子大生の共同生活を軸に、クラスメイトの木村のエピソードを挟んでストーリーは展開する。

 本作のテーマは親子の愛、家族の愛であるが、愛の素晴らしさや大切さをえがいた作品ではない。物語の中の江上の言葉「警戒した方がいいよ。親なんて、結局は他人なんだから」が作品のテーマを暗示している。

 娘に売春を強要する母親と殺人容疑で逃亡中の父親を両親に持つ江上は、宮田の前に現れたときから親に対する愛情や信頼をまったく持っていない。いっぽうの宮田は母親への愛情があるので、家事とアルバイトに体力と時間をつぎ込んで母親と暮らす。しかしある日、母親の裏切りの露見をきっかけに宮田は家を飛び出して、江上との同居を始める。

 読者が容易に理解しやすいのはクラスメイトの木村のケースであろう。彼女の母親は過干渉で過保護である。木村はその母親の庇護のもとで自分らしさや自由を模索して、宇宙(コスモ)様と名乗る中年女性の宗教団体に嵌っていく。
 宮田と江上はこの団体に乗り込んで木村を引っ張り出すのだが、宇宙様と対峙したときの二人の様子はまるで違っている。宇宙様の包容力に宮田はいくらかの心地よさを感じるのだが、江上は冷めた感情で宇宙様の話に取り合わない。母親の呪縛から逃げてきた宮田と江上であるが、二人が母親から受けた傷の深さの違いが明白に現れる場面である。

 江上は人間嫌いではないし、他人を信用しないわけではない。人付き合いが苦手な宮田よりも社交性があり、数人の男との同棲経験もある。だが江上は知っているのだ。愛を他人に求めるのはエゴであり、自己満足に過ぎないことを。他人の愛に自分自身よりも価値がないことを。(いびつ)ながらも母親との間に愛を通わせていた宮田との違いがそこにある。
 江上は両親を憎んではいない。むしろ無関心である。江上が求めるものは物理的な温もりであり、空間を埋めてくれるものだ。少なくとも今の江上にとって、その空間は心のスペースを意味していない。心の空間を埋める存在をこの先の人生で彼女が欲するようになるかは、この物語からは読み取れない。

 そんな江上との同居で、宮田の母親への気持ちにも変化が訪れる。物語の前半で彼女は公衆電話で母親に「私ね、多分、このままだとお母さんを殺しちゃう。だから、一緒にいないほうがいい」と告げて家を出る。このときの宮田には母親への愛情がみてとれる。愛あるが故に、一緒にいると苦しかったのだ。
 だが物語の終盤で母親と再会した宮田は、「愛してるわ、陽彩」と言い寄る母親にこう言い放つ。
「私、家族辞めるよ」
 彼女は自立への一歩を踏み出すのである。

 家族なら愛があるのか。家族なら愛さなければいけないのか。
 江上との共同生活を経た宮田陽彩の答えは「NO」であった。

 宮田と江上の態度に「若いからまだわからないのだ」「歳を取ればわかるようになる」と言いたくなる人もいるだろう。そんな人に対して、二人はこう言うに違いない。
「あなたこそ家族の何がわかるんですか」と。

 親との関係に悩んでいる人、家族の呪縛に苦しんでいる人に、この作品をぜひ読んでもらいたい。
「家族なんて大したもんじゃないんだよ。捨ててもいいんだよ」
 宮田と江上はそう言って、背中をそっと押してくれるだろう。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み