第1話

文字数 1,318文字

静まり返った街を、残業を終えて急いで車を走らせていく。いつもと変わらずアクセルを踏む足とハンドルを握る両手に少しずつ力が入っていく。僕の宝物があのあたたかい家で待っているから。何よりも大切な妻と娘が僕の帰りを今か今かと待っている。

車を走らせていると程なくして家が見えてきた。あたたかい光がカーテンの隙間から漏れ出ている。(はや)る気持ちを抑えながら慎重に車を駐め、玄関へ急ぐ。ドアを開けると、妻と娘が出迎えてくれた。
「パパおかえりなさい!」
「おかえり、あなた。今日もお仕事お疲れ様。」
娘は僕が家に上がるなり僕の足にしがみついて嬉しそうににこにこしている。そんな光景を妻は一歩引いたところで愛おしそうに眺めている。
「幸せだなぁ_」
妻が呆れたように笑う。心のなかで言っていたつもりが、どうやら口に出してしまったらしい。僕も妻も声を上げて笑う。娘もつられて笑った。

「夕飯はもう食べたのか?」
「まだよ。この子ったら『皆で食べるの!』って聞かないで変なポーズであなたが帰って来るのを待ってたんだから。」
「変なポーズじゃないもん!パパが早く帰ってきますようにって、ね、ねん、ねり、」
娘はきっと「念力」と言いたいのだろう。今朝方、妻と娘がその話をしていた。娘は最近、難しい言葉も覚え始めた。娘は妻に似て頭が良い。
「『念力』ね。」
見かねた妻がこそっと耳打ちした。
「そう!パパが早く帰ってきますようにって念力を送ってたの!」
「そうかそうか、パパ嬉しいぞ。さあ、ご飯の時間だ。寝る前には絵本も読もうか。今日はなんの本がいい?」
「ペンギンさんの本がいい!」
なんて他愛もない会話をしながら、僕たちはリビングへ入って行った。

夕飯を済ませた娘は、僕の腕の中でうとうとしている。そろそろ寝る時間だ。絵本の準備をして、娘を寝室に運ぶ。妻が日中家事を済ませておいてくれているおかげで、夜はいつも娘と寝られる。今度の休日は僕が家事をしよう。
歯を磨いて寝室へ戻ると、娘が絵本を抱きしめて待っていた。絵本を受け取り、ページをめくる。今日のリクエストは『スージーの飛行訓練』。スージーという子ペンギンが夢を叶えていくシリーズ絵本だ。娘のお気に入りの絵本の一つでもある。

「_そして、空を飛べるようになったスージーは世界一周旅行を楽しみましたとさ。」
絵本を読み終え、娘に布団を掛けていると
「私ね、将来はママみたいな可愛くておうちのこと何でもできちゃうお嫁さんになって、パパみたいなお仕事を頑張ってるかっこいい人と結婚したいの。私の夢、叶うかなぁ。」
と娘が言った。妻と顔を見合わせてくすくすと笑う。妻も幸せそうな顔をしている。胸がじんわりとあたたかくなった。

答えようとしたとき妻が静かに、と合図をした。娘はもう既に寝息を立てている。
妻におやすみ、と小さく言った後、僕はベッドサイドのライトを消した。

_きっと叶うよ。だってあのスージーはペンギンだけど空を飛べるようになったんだ。君は何にでもなれるし、何でもできる。君は将来どんな人になるのかな。僕はいつでも君と君のお母さんが幸せであることを祈っているよ。

さっき娘に言えなかったことを考えているうちに、今日も僕の幸せに満ちた一日は終わっていく。
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