第1話

文字数 945文字

私はあなたの目の前にいるのだけれど、あなたの前へ姿を見せることはほとんどないでしょう。
それがわたしの普段の役割ですから。

あなたは、私との出会いを、覚えていますか?
実は、私は、あなたが生まれた時から、ずっとそばにいました。
ひょっとするともう少し前からなのかもしれないけれど、どの時点で私たちが一緒にいたのかを、正しく考えるには難しくなりそうなのでやめておきましょう。
あなたが、赤ちゃんの頃、ほとんど覚えていないだろうけれど、私はよく、あなたの顔を撫でていました。あなたの親もそのことはよく覚えてくれていると思いますよ。夜に、私があなたと親しくしていると、あなたの親はすごく困った顔をしていました。

あなたが、どんどんと成長するにつれて、私があなたの前に姿を見せることは、どんどんと少なくなっていきました。
私が、覚えているのは、あなたが転んでしまった時。
あなたが大声で呼んだから、私はすぐに駆けつけました。
けれども、あなたの親もすぐに飛んできて、私を払い除けてしまうから、私はあなたのもとにそんなに長くは止まれませんでした。

大人になったあなたとは、滅多に会うことはなくなってしまいましたね。
一番最近あったのは、上司の長い長い退屈な話を聞いていた時でしょうか?
そういえば、覚えていますか、覚えていますよね?
あなたの大事な人が死んでしまった時のこと。
あなたは私をひさびさに導きました。私は急いで訪ねました。
あなたは胸に宿った抱えきれないものを、私にのせて、しばらくそのままでいましたね。
あなたは小さかった頃と同じように、私をしばらくそのままにしておきましたね。
「それも悪くないよ」と私はあなたに伝えたかったけれど、それは叶わないことでした。

けれど、最後にあなたに伝えたい。
私は、普段あなたの目の前にいます。もっと正しく言葉を選ぶなら、私は、普段あなたの目の表面にいます。あなたの目を守っています。それがいつもの私の役割。本当は、ひっそりと、流れ出ることなく、ここに居られたらいい。
それでも、あなたが、どうしても、こらえきれないほどにやりきれない気持ちになってしまったら、あなたの目からそっとこぼれ出て、その気持ちと一緒にどこかに去っていくのも私の役割。
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