1章 1-1 おいであそばせランドリー 

文字数 3,170文字

 
 ごろンごろ、ゴろンロ、ガタガタがタガた、さっさッ、、、。 ぴぃーピーぴー。
今にも壊れそうな洗濯機が合図をくれた。容量を遙かに越えた、溜めに溜めた洗濯物に終止符を打つ鶯のような鳴き声。地面に根を張ってしまっていた体を軽やかに起こし、洗濯物を迎え行く。ようやくこの部屋の惨状をおさらばなのだ。この6畳の宇宙からようやく地球へ帰還できる。曇天の怪しい天気だが、それ以上に自分の心は晴れやかだった。ようやくようやくと思い洗濯物をカゴに移そうとすると、

 「なんか濡れすぎじゃない」

 明らかに濡れすぎている洗濯物に一気に俺の心は曇っていた。この洗濯機は近くのリサイクルショップで4年前に1万円くらいで買った年代物だから、おしゃれ着洗いなんてリッチな機能はない。ただ寿命はいつきてもおかしくなかった。諦めと平均寿命を超え生きながらえた事に対する感心とリスペクト。しかしそれらを脅かすほどの沈みそうな心。一応まだ延命できるかもと最後まで患者に手を尽くす名医かのように、今着ているヨレヨレの寝巻きを脱ぎ、中に入れ、電源オンにするとこの世のものではない、まるで近くでウルトラマンとゴジラが戦っているかのようなとんでもない怒号と地鳴りが家中に響き始めた。やばいやばいと、慌てて洗濯機の電源をオフにする。

 「ご愁傷様です」

 全てを尽くし力尽きた医者が遺族にかける言葉かのように口から滑り出た、パンツ一丁だが。時間を確認しようと変態名医を演じたままスマホを手に取ると、アプリから通知がきていた。

 「やっぱり降るんじゃん」

 思わず声が出るほど急に中途半端な現実に引き戻された。かろうじて残った医者を頼りにこの洗濯機の死因を探る。恐らく死因は過食による喉詰まり。最後にいっぱい食べて死んだのなら幸せだろうと、もはや医者なのか戦場で死んだ兵士を見送る隊長なのか分からない言葉が心を埋め尽くす。自分が無理やり食わせたにも関わらずに何故こんなことを思えるのかとぞっとすることができないほど、今は呆れと怒りに体が震えていたことに気づいた。医者軍曹は一瞬で死に宇宙飛行士へと引き戻されたのだ。宇宙からの帰還は失敗した。正確に言えば地球に帰還はできたが、帰る家が無くなり、気持ちだけが宇宙をに取り残され絶望している状況。こうなってしまえば捨てられた子犬だ。さっきまで英雄の凱旋に鶯が鳴いてくれてたはずなのに。ただそんな事はどうでもいい。ただただ洗濯物が片付かなかったという事実だけでもう一杯いっぱいだ。「はああー」と深いため息で怒りと呆れを吐き出した途端、ぽっぽつ、と雨が降り始めた。俺の代弁者であり仇。どうやら天気との賭けには大負けしたようだ。多分十万くらいすられた。それでもなんとか俺の今の気持ちを表現しようとしてくれるお節介な代弁者。とりあえず雨は通り雨だとなんとなく感じた。通り過ぎたらコインランドリーにでも行こうとせっかく起きた体を地面に還し、ダラダラとソシャゲをし始めた。

 ソシャゲを開くとログインボーナスが来た。無料でキャラが引けるらしい。確か週の初めにそんなものくれたなこのゲームと思いながら、久しぶりに開いたゲームで無料のガチャを引こうとうきうきしているとボックスがパンパンだった。ここでも整理整頓かよと、また壊れた怒りが体を奮い立たせ、地面に還し根を張りかけていたこの体を引きちぎり、洗濯機にこの怒りのありったけをぶつけさせようとする。それでも何とか狂いそうな情緒を押さえつけながら、ボックスを整理する。何を売ろうかと迷う間もなく、何も考えずに一番最初に目に入ったキャラを売り払った。画面から35000という数字が出た瞬間、頭が真っ白になった。何で売ったのだろうか、信じられない。このゲームを始めてもう5年くらい経つだろう。昔はとてつもなくやり込んでおり、よくユーザーの中で100位以内には食い込んでいた。今となっては当時の熱は落ち着いたが、それでも時々アプリのタイトルが目に入った時には開き、2時間くらい遊ぶほどにはこのゲームに対する思い入れがある。そんな思い入れのある好きなゲームの初期キャラはとてつもなく自分にとって大切なはずだった。それをあろう事か何も考えずに、氷上で優雅に踊るチャイコフスキーかのような指どりで売り払ったのだ。何で売れないように鍵をしなかったのか、激しい後悔とそこはかとなく来る怒りで情緒が今にも狂いそうになる。先程まで鍋蓋で押さえつけていた気持ちが蒸し返しきた。さあ、もういいだろうと洗濯機の元へと向かう準備をする。体を起こし、身を任せ向かおうとするとスマホから愉快な電子音が鳴り始めた。
「あ、まじで」
 怒りで自分が見えなくなりそうな中、防衛本能が働いたのだろう。いつの間にかガチャを引いていた。すると画面からこのゲームで現在NO.1のキャラが出てきたのだ。先程の怒りはどこへやら。嬉しさのあまり育成に没頭していると、いつの間にか雨はあがっていた。


 カーテンの隙間から暗澹の光がスマホの光へと溶け込んでいく。その光はあまりにも眩しく、俺のスマホを全てを飲み込んでいく。もうこんな時間かとふと我に返った。気づくとあれから六時間くらい経っていた。そこまで時間が経つと洗濯機に対する憤りは鎮火されていた。もう今日はいいかと思ったが、あのびしょびしょの洗濯物が俺を呼んでいるような気がした。流石にコインランドリーに持っていこうと重い腰をあげ、服の元へ向かった。カゴを覗くとじめったい洗濯物達がこちらを覗き返してきた。早く乾かしてほしいのだろう。少し憐れだなと捨てられている仔犬を見るような目を向けながら、なけなしの金をはたいてもう一度洗ってやろうと急に優しくなった自分にとんでもないほどの自尊心を覚えた。洗濯機を横目に見ながら。さあさあと美容室で髪を洗う場所へと誘導する代官山の美容師のように、優しく丁寧に、コインランドリーへと彼らを誘導した。
 コインランドリーまで大体うちから700メートルくらいだろう。外に出ると街の光はとっくに静けさを取り戻し、自然の元に帰れると歓喜を挙げているが、それを邪魔するかのように帰宅する人々が文明へと引き戻している。必死な綱引きを冷ややかな横目で颯爽と街を駆け抜ける。恰もこの街の住人ではないストレンジャーな態度が凄くかっこいいと、行き交う人々が拍手喝采を送っているような気がした。やはり先程の役者が抜けきれていない。一度気づいてしまった魂に取り返しはつかないし歳も取らない。そうだ、役者になろうと急に無謀なまでの意気込みと果てしない未來の可能性に気づいた瞬間だった。この余韻にいつまでも浸っていたいと魂を撫でまわせしているとコインランドリーの看板が見えてきた。すると視えたその瞬間自分の右腕は猛烈な重さに襲われた。「重っ」と思わず得体の知れない纏わりついた何かを地面に叩きつけるとそこには洗濯物がばら撒かれていた。

「はあああーー」

 人通りの中にもかかわらず思わず大きなため息が零れた。本日2回目の溜息。しかも先程より大きい。芽生えた魂はあっけなく歳を取り、また現実が押し寄せてきた。目の前でバラバラの死体のように散らばっているこいつらをどうしようか。先程まで抱いていた遙かなる尊い気持ちを今すぐに返してほしい。リアリティをここでは求めていないのに。6秒ほどフリーズした後流石に拾おうと、社会性に媚びた自分が怒りと呆れと共に戻ってきた。感情に全てを任せこの死体を叩きつけ、踏みにじって放置しても良かった。それでもそれをも凌駕するほどに人目が集まるのはこっ恥ずかしい。やっぱり役者は無理なんだなと少し早歩きで、洗濯物を睨みつけながらコインランドリーへと向かった。憐れな仔犬は番犬へと変わっていたのだった。

 
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