生活

文字数 1,589文字

 食事が苦痛になるなんてこと、予想もしなかった。
 母は病気になってから、食が細くなった。薬の副作用で吐き気がすごいし、味覚障害もある。でも体重が減ると治療ができないから、無理してでも食べるのだ。
 なるべく栄養のあるものを選んだり、味付けを工夫してみたりした。「おいしい」と母は言うけれど、箸は一向に進まない。前に「何を食べてもまずく感じる」と言っていた。
 母が食べきれなかった料理を私は食べる。正直、おいしいかどうかは私もわからない。母の背中をさすったときに、痩せたなと実感してどぎまぎした。そういう各種どぎまぎとか、他諸々の感情が、味蕾を邪魔する。だから、なるべくテレビをかけて、画面に集中して食事を摂るようにしている。贅沢な食べ方だ。
 そんな母が、お弁当を作ってくれる。眠れないからと言って、朝の早い時間には台所に、もうおかずが出来上がっている。こればかりは、テレビを眺めながら食べるわけにはいかない。昼休み、机の上でもくもくと食べる。慣れ親しんだ味。おいしいんだろうけど、おいしいんだけど、やっぱり感情が邪魔をして、味がよくわからないのだった。
 定年を迎えた父は週3で仕事をし、その他の日は家事をしている。今までほとんど家事を母に任せきりだったから、私も父も、母に怒られながら洗濯タグの見方や、ごみの分別、その他細々とした掃除や片づけを、やっとのことで覚えた。私と父が、このくらいでいいだろうと思って手を休めていると、母が腕まくりをして病床から起き上がってくる。私と父は慌てて押し戻す。母曰く、任せていられないんだそうだ。母が元気だった時、家はいつも綺麗だった。きっと私と父の目には見えない仕事の穴が、母の目には見えている。
 片づけといえば、ここ数年、母は断捨離に凝っていた。大事にしていたアンティークのレースだとか、家具だとか、ぬいぐるみだとかを次々売りに出し、アルバムの写真をすべて引っぺがしては、より大事なものだけを厳選していた。なんだか遺品整理みたいだ、と密かに思っていたのだけど、本人にはそのつもりだったのかもしれない。私が母の病気のことを知らされたのは、両親が病院で告げられた、ずっと後のことだったようだから。
 もしかしたら、余命とかも、宣告されているのかもしれない。私が知らされていないだけで。そんなことをふと、寝る前に考えては、目が冴えてしまう。そして、スマホの通知音を最大に上げて、部屋の扉を開け放しておく。母が呼んだらすぐ駆け付けられるように。
 母は、家の中で倒れたことがある。一度目の入院から帰ってきた日だった。最初は、両親が口論しているのだと思った。珍しいことでもないので、放っておいた。でも、どうやら様子がおかしい。駆け付けると、母は暑い、頭が痛い、と言って廊下に倒れたまま動けないでいた。そのうち、目を開けたまま失神してしまった。呼びかけても反応がない。私も父もパニックになって、救急車を呼ぼうとしたら、意識が戻った。病院に電話して、翌日もう一度診察してもらうことになった。水を飲ませて、ちゃんと寝付いた母を見届けてから、私も床に入った。泣いている場合ではないと思った。しっかりしなくては。でもどうやってしっかりすればいいのかわからなかったのだから、冷静になったつもりで、まだ混乱していたのだろう。
 一応覚悟はしている。いつそうなっても、対処できるように。ただ実際にできるかどうかは別として。
 母は今6度目の入院中。新型コロナウィルスの影響で、面会にも行けない。私にできるのは、母が家に帰って来た時、ちゃんとおかえりを言えるように家の中を綺麗に保つことだけだ。もし母がいなくなったら、ということを今は考えない。これから母と、父と、どう生活していくかということだけを考える。とりあえず掃除をして、洗濯をして、ご飯を食べて、私は母の帰りを待ってる。
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