正直モノの村 1

文字数 3,894文字

僕は両手を握り締め、手のひらへ向け親指で固く残りの四本指を押し当てる事で、凍ってゆく指先を外気に触れさせない様にする。 
また作った2つの拳を脇の部分に押し当て、少しでも自分の体温で暖を取ろうと努めた。
寒い事は寒いが、まだ耐えらえない程ではない。
歩いていれば足から熱された血液が生まれ、心臓を通して身体中へ循環する。
すると徐々に火照ってゆく自身の体に、僅かばかり安堵した。
早く上着が欲しいな。
唯一湧いた物欲を背負って、一歩また一歩と硬い土の上を歩く。
僕は革靴と砂を用いて、ジャッ、ジャッと地面から一定の間隔で音を鳴らす。
この音が僕の歩くスピード。このリズムを保てている内は、疲労していないという事だ。
月明かりは美しく、今も僕を優しく照らしてくれている。
本当はまたツキと喋りたいけど、まぁあの子の役割を邪魔する訳にはいかない。
第一、ツキのおかげで僕は今こうやって暗闇の中を歩けているのだ。
感謝しないとな。

一向に変わる事の無い景色。しかし遠くの方から僕が砂を踏み締める以外の音が、微かに聞こえた気がした。
その音を聞き逃さないよう、僕は一度足を止める。
大きく吐かれた息は外気で冷却され、煙の様に白く暗闇に漂った。
目を瞑り、耳が拾う音に集中する。
スー、ハー、スー、ハー、という僕の呼吸音の間に、ドン、ドンと太鼓の音らしきリズムが混じっている。
間違いない。誰か居る。
僕は思わず歓喜の声を上げそうになった。
正直、この状況を夢だと言い切るには、もう自信が持てなくなっていたのだ。
皮膚を撫でる寒さ。歩くたびにサイズの合っていない革靴が締め付けてくる痛覚。心臓の鼓動の音。そのどれもが余りに現実で、否応無く夢でない事を知らせて来るから。
やっと誰かがいた。
それだけの事で、僕の心は幸福で満たされた。
早足で僕は音の方へ向かい、そこに居るであろう人物へ必死に呼びかける。

「おーい!誰か!誰かいますか!?おーい!」

僕の呼び掛けに反応してくれたのか、聞こえていた太鼓の音がピタリと止んだ。
良かった。居る。そこに絶対人がいる。
僕は息を切らしながら、ますます足の回転速度を上げた。
僅かに見える人影。1人、いや2人か?
何でも良い、とにかく目の前の人物達に会いたい。
その一心でただ走る。
すると向こうからこちらの方へ歩いて来ているのか、徐々に人影が大きくなり、僕の目は2人の輪郭を捉え始めた。

「わ、ほんとに誰かいたよ」

「だろ?やっぱり俺が正しかったじゃん」

「悪かったよ。でもさー、やっぱ確信が持てるまでは、あんまり言葉にしない方がいいよ?」

「いや〜、俺は自分の感覚に絶対の自信を持っちゃってるからな」

「全く、気をつけてくれよ?」

仲良さげに会話する白い半被を着た2人。長らくの付き合いなのだろうか。たわいないやり取りから漂う親しげな空気感は、2人が気のおけない仲である事を分からせた。

「おじさん、一体どこから来たんだい?」

緑色の髪をした小柄な少年が僕に尋ねる。
髪型はマッシュで目元が隠れているが、時々吹く風が前髪を揺らし、エメラルドの瞳が見えた。
背中には身の丈と同じぐらいの太鼓を背負っている。
音を奏でていた主はこの子だろう。

息を切らしながら、僕は答える。

「実は、ずっと向こうから歩いて来たんだ。道中誰も居ないから不安だったよ。悪いんだけど君達、ここが何処か教えてもらえるかな?」

すると僕の返答に怪訝な顔を浮かべる2人。
なんだ?何か変な事を言ってしまったのだろうか?

「おじさん。ずっと向こうからって、本当に?」

今度は緑色の髪の子ではなく、隣にいた金髪の青年が喋った。
この青年。身長は大きく、煌めく長髪を後ろに括り、目は碧眼と言う、どこからどうとっても美青年といった様相で、僕は圧倒された。
流れる汗すら輝いているではないか。
なんて、見惚れている場合ではない。質問に答えなければ。

「そうずっと向こう…」

そう言って後ろを振り向くと、驚きの余り僕は言葉を失った。
僕の真後ろは広大な海に遮られており、その先に目を凝らしてみても陸なんて見えない。
いや、海と言っても潮の香りがしない為、ただの水かもしれないが、それでもこの途方もない水量を表す名称を、僕は海としか知らない。
そしてもっと言うなら、この陸地そのものが浮島の様になっている様で、ぐるりと香りのしない海に囲まれているのだ。
軽いめまいがして、僕はうずくまり手で顔を覆った。
なんなんだこれは。夢なのか、現実なのか。本当に訳が分からない。

「おじさん?」

緑色の髪の子が僕の背中をさすってくれる。
その優しさに感謝を覚え、また希望も持てた。
そうだ。これが夢でも現実でも、僕以外の存在に会えた。それだけで今は幸運としようじゃないか。

「ご、ごめんね。ありがとう。ずっと向こうから歩いて来たのは本当なんだけど、この景色を見る限り信じて貰えないかな。そう言えばまだ名前を聞いていなかったね。僕の名前はコウって言うんだ。君達は?」

「僕の名前はリョクハ」

緑色の髪の少年がペコリとお辞儀をする。

「俺の名前はトウって言うんだ。よろしくなおじさん」

そう言って金髪の青年が手を差し出し、握手を求めてきた。
その手を握り、自分以外の温もりが手のひらから痺れる様に流れてくる。
あったかい。なんてあったかいんだろう。
大きく、でも華奢で細長い指先を僕は眺めながら、ありがとうと無意識に呟いてしまう。

「おじさんさ、どこか行く先があって歩いてたの?」

リョクハ君が僕の顔を覗き込む様にしてそう言う。
この質問は、まさに渡りに船だった。

「いや、それがなんでここに居るのかわからない状態で。正直に言えば、自分自身の事も、何も分からないんだ」

「マジかよ、そりゃ大変だなおじさん」

トウ君が僕の肩を叩く。その力が見た目から想像出来ないほど強くて、僕は目を丸くさせた。正直ちょっと痛い。

「おじさんさ、もしよければウチの村に来る?」

リョクハ君が恐る恐る聞いてきた。
ああ、さっきから君は何て僕の気持ちを汲んだ事を言ってくれるんだ。
おじさん抱きしめたくなるよ。

「嬉しいけど、本当にいいのかい?」

「もちろん!でも今お祭りの準備中で、もしかしたらその準備を手伝ってもらう事になるかもしれないけど」

「なんだそんな事か。是非手伝わせて!村に招待してくれるんだ。僕に出来る事なら何でもするよ!」

「お?そんな安請け合いして大丈夫か?」

トウ君がニカッと笑った。
クシャっと目いっぱいに笑った表情もイケメンで、おお、美男子は凄いなと感心する。

「じゃあおじさん、一緒に行こうか。少し歩くけど構わない?」

「全然大丈夫だよリョクハ君。案内お願いね」

少し照れた様子で頭を掻くリョクハ君。
歩き出そうとした時、そうそうと言って僕へ言葉を続けた。

「僕たちの住む村は一つだけ掟があって。おじさんにも守ってもらわなきゃならないんだ」

「勿論だよ。どんな掟?」

「決して嘘を吐かない事。これだけだよ」

想像してたよりずっと簡単な掟で、僕はほっとした。
守りきれないぐらい沢山あったらどうしようかと思ったよ。

「わかった。絶対嘘は吐かないよ。約束する」

「よかった、じゃあ行こっか!」

ニコッと笑ってリョクハ君は元気よく手を振りながら先へ進んだ。

「なあ、本当にいいのか?おじさん」

横からトウ君が不憫そうな顔で僕を見下ろす。

「いいのかって、何がだい?」

「いや、うちの村に来る事さ。あんたが思ってるよりずっと、村の掟を守るのは難しくて厳しいぜ?」

その声音は、先ほどの明るい調子からは打って変わって、暗い影を感じてしまった。

「大丈夫だよ。僕が嘘を言わなきゃいけない事なんて無いし、第一行くところがないんだ。そんな僕を受け入れてくれるなんて、感謝の気持ちしかないよ」

「そっか、ならいいんだけどさ」

少し強い風が僕達の間を通り過ぎ、ビュウ、と耳の中の空洞を音で揺らす。
トウくんの括った髪が後ろになびいて、キラキラと光った。
月光と相まって、この世ならざる美貌を彼は醸し出している。

「さっきさ、おじさんずっと向こうから歩いて来たって言っただろ?」

「うん、言ったけど」

「でも後ろには道は無かったじゃん」

そう、僕の来た道は綺麗さっぱり消え去って、代わりに暗く香りのしない海になっていたのだ。

「そうなんだよね、ほんとびっくり」

「あれさ」

僕の言葉を遮り、トウ君は強い口調で続けた。

「俺たちの住む村の中じゃ、嘘を吐いたって見なされて殺されるから」

「え」

マ、マジで?
背中から冷たい汗が一筋垂れたのを確かに感じた。
初めて、身体的寒さではなく、精神的悪寒により震える。

「だから、本当に気をつけてね。俺おじさんの事、殺したくないからさ」

寂しげに笑うトウくんの表情は蠱惑的だったけど、そんな事気にしてられないぐらい、僕は激しく後悔していた。
もしかして、僕はとんでもない所に向かうんじゃ。

「2人とも〜何してるの?早く行くよ〜!」

少し離れた位置でリョクハ君が軽く飛び跳ねながら僕たちを呼ぶ。

「すぐ行くよ!」

そう言ってトウ君は、まるで金の立て髪を持った白馬が走る様に美しく疾走した。

「おじさんも早くー!」

全力で逃げだしたかったが、今ここで逃げたら村へ行くという約束を破った嘘つきとして殺されてしまうのでは無いかと思い、引き攣った笑みを浮かべて、僕もトウ君の後を追う。

僕はこの先どうなってしまうのだろうか。
夢ならば、早く覚めてくれ。お願いだから。
そんな僕の願いをケタケタ笑う様に、サイズの合ってない革靴がぎゅうっと足を締め付け、痛みで教えてくる。
これは現実なんだぞと。
僕は自分の足元に目で悪態をつきながら、どんどん離されてゆく2人の距離を必死に詰めた。
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