新たな幕開け
文字数 1,475文字
ベランダに住み着いた鳩がうるさくて目覚めた。ショボショボする目で枕元に転がっているスマホを見る。普段起きるより30分早い時間が示されていた。
「2度寝、するにも微妙な時間だな」
俺は呟いて自分の頭を掻く。おかしな感触にその手が止まった。
人差し指から小指にかけてふわふわと絡み付く絹糸のような触感。
ドクン、と俺の心臓が高鳴った。
慌てて深呼吸をする。落ち着け、まだ、そうだと決まった訳じゃない。落ち着いて動くんだ。
俺はゆっくりとベッドから立ちあがると、洗面台に向かった。一人暮らしの我が家に鏡はその一つだけ。
恐る恐る鏡を見た俺は、あまりのことに息をのみ、すぐに雄叫びを上げた。
今が早朝であることなど忘れ、俺はその場でタップダンスをするように跳ねる。心の奥底から溢れ出す喜びは両手でガッツポーズしたぐらいで表現しきれるもんじゃない。
喜びの舞を踊り疲れた頃、俺は改めて鏡を見た。そこに映っているのは黒々とした髪型の俺。しまりなく笑う自分の表情に何度も頷く。
辛かった育毛の日々が走馬灯のように思い返された。時間にして20年。
高校を卒業した辺りからじわりじわりと後退しはじめた前髪。追いかけるようにして薄くなった頭頂部。そういう家系だから諦めなさいとおでこを輝かせながら気遣う父親の顔。周囲の視線を気にせず食べつづけたワカメやヒジキ。
清水の舞台から飛び降りるような気持ちで買った育毛剤、セルフヘッドスパ、そんじょそこらの女子より丁寧に行ってきたブラッシング。その努力が今、実ったのだ。
喜びを噛み締める俺に、頭上から声が降ってきた。
「あの、喜んでるところごめんな。俺の身に何が起きたのか教えてくれるか?」
声の主を探してキョロキョロと視線を動かしながら俺は再び頭を掻いた。ズルリ。嫌な触感に背筋が凍った。
見たくないと思いながら、頭を掻いていた手を目の前に持ってくる。ごっそりと抜けた髪の束が手の中にあった。
「嘘だ」
俺は絶望に満ちた声を上げる。天国から地獄とはこのことだった。すぐに抜けてしまうなら、何故……。いるかどうかも分からない神を恨む気持ちが沸き起こった。
「あの、大丈夫か?」
手の平の毛が小刻みに奮え、そこから声がする。ショックのあまりに幻聴幻覚の類を俺は感じているのか。
「俺、あの、えっと、トラックに轢かれて目が覚めたらここに居たんだが」
その言葉に俺はピンと来た。
「お前、転生者か?」
確かウェブ小説でそのような設定が流行っていたような気がする。
「そう……なんでしょうか?」
心なしかツヤを失った様子の抜け毛。「これからどうすれば……」
途方に暮れた様子に俺は思わず、提案していた。
「とりあえず、一緒に暮らさないか?」
これまで俺は頑なにカツラだけは避けてきた。何としても地毛を生やすことにこだわって生きていた。そんな俺に毛の方が飛び込んで来るなんて、運命だとしか思えない。
「えっと、名前は……」
俺がそう尋ねるも、毛は自分の名前を覚えてないという。
「名前がないんじゃ何かと不便だな……毛、じゃ安直過ぎるか。け……K!お前は今日からKだ」
俺はKと名付けたそれを再び頭に乗せた。
「お世話になって良いんでしょうか?」
頭の上でKが不安げな声を出す。小刻みな振動が頭皮に伝わってくすぐったい。
「安心しろ。俺は、毛のスペシャリストだ」
俺は鏡を見てKのポジションを整える。
人生の転換期とは時として思いも寄らない形で起きるものだ。俺はこれから起こるであろう数々の冒険に思いを馳せ、意気揚々と家のドアを開いた。
「2度寝、するにも微妙な時間だな」
俺は呟いて自分の頭を掻く。おかしな感触にその手が止まった。
人差し指から小指にかけてふわふわと絡み付く絹糸のような触感。
ドクン、と俺の心臓が高鳴った。
慌てて深呼吸をする。落ち着け、まだ、そうだと決まった訳じゃない。落ち着いて動くんだ。
俺はゆっくりとベッドから立ちあがると、洗面台に向かった。一人暮らしの我が家に鏡はその一つだけ。
恐る恐る鏡を見た俺は、あまりのことに息をのみ、すぐに雄叫びを上げた。
今が早朝であることなど忘れ、俺はその場でタップダンスをするように跳ねる。心の奥底から溢れ出す喜びは両手でガッツポーズしたぐらいで表現しきれるもんじゃない。
喜びの舞を踊り疲れた頃、俺は改めて鏡を見た。そこに映っているのは黒々とした髪型の俺。しまりなく笑う自分の表情に何度も頷く。
辛かった育毛の日々が走馬灯のように思い返された。時間にして20年。
高校を卒業した辺りからじわりじわりと後退しはじめた前髪。追いかけるようにして薄くなった頭頂部。そういう家系だから諦めなさいとおでこを輝かせながら気遣う父親の顔。周囲の視線を気にせず食べつづけたワカメやヒジキ。
清水の舞台から飛び降りるような気持ちで買った育毛剤、セルフヘッドスパ、そんじょそこらの女子より丁寧に行ってきたブラッシング。その努力が今、実ったのだ。
喜びを噛み締める俺に、頭上から声が降ってきた。
「あの、喜んでるところごめんな。俺の身に何が起きたのか教えてくれるか?」
声の主を探してキョロキョロと視線を動かしながら俺は再び頭を掻いた。ズルリ。嫌な触感に背筋が凍った。
見たくないと思いながら、頭を掻いていた手を目の前に持ってくる。ごっそりと抜けた髪の束が手の中にあった。
「嘘だ」
俺は絶望に満ちた声を上げる。天国から地獄とはこのことだった。すぐに抜けてしまうなら、何故……。いるかどうかも分からない神を恨む気持ちが沸き起こった。
「あの、大丈夫か?」
手の平の毛が小刻みに奮え、そこから声がする。ショックのあまりに幻聴幻覚の類を俺は感じているのか。
「俺、あの、えっと、トラックに轢かれて目が覚めたらここに居たんだが」
その言葉に俺はピンと来た。
「お前、転生者か?」
確かウェブ小説でそのような設定が流行っていたような気がする。
「そう……なんでしょうか?」
心なしかツヤを失った様子の抜け毛。「これからどうすれば……」
途方に暮れた様子に俺は思わず、提案していた。
「とりあえず、一緒に暮らさないか?」
これまで俺は頑なにカツラだけは避けてきた。何としても地毛を生やすことにこだわって生きていた。そんな俺に毛の方が飛び込んで来るなんて、運命だとしか思えない。
「えっと、名前は……」
俺がそう尋ねるも、毛は自分の名前を覚えてないという。
「名前がないんじゃ何かと不便だな……毛、じゃ安直過ぎるか。け……K!お前は今日からKだ」
俺はKと名付けたそれを再び頭に乗せた。
「お世話になって良いんでしょうか?」
頭の上でKが不安げな声を出す。小刻みな振動が頭皮に伝わってくすぐったい。
「安心しろ。俺は、毛のスペシャリストだ」
俺は鏡を見てKのポジションを整える。
人生の転換期とは時として思いも寄らない形で起きるものだ。俺はこれから起こるであろう数々の冒険に思いを馳せ、意気揚々と家のドアを開いた。