第1話

文字数 984文字

 ロッカールームは苦手だ。煌びやかなドレスから普段着になるのを見られると、プライベートまでも他人の目にさらされているみたい。だから、お店には一番初めに来るし、帰るのは一番最後にしている。営業が終わったら、きらきらと輝く女の子たちを見送って、非常階段のドアを開ける。持ってきた煙草の箱から一本取りだして、手早く火をつける。はじめは身が竦むくらい暗く感じた繁華街の裏通りに突き出たこの踊り場も、喧騒から距離がある分静かで、今は心地よい。揺らめきながら上がっていく煙が、月まで届きそうだなと思う。
 仕事には慣れてきた方だと思う。学費と生活費のために、居酒屋とコンビニを掛け持ちする生活に疲れて、夜の世界に踏み込んだのは三か月前のことだ。何軒か試して雰囲気に馴染めたのがこの店で、他人の事を詮索しないところが気に入っている。
 駐車場の向こうのビルの階段に、ほうっと明かりが灯って消えた。あとに残ったのは蛍のような小さな光で、一瞬強くなってからすっと弧を描いて弱まる。あの人だ。私は煙草を口元に運びながら目を凝らす。表通りのネオンでうっすらとシルエットが見えた。いつものスーツ姿だった。咥えられた時だけ照らされる横顔と、整えられた髪型のシルエット。どこかの店の黒服か、それともバーテンダーか、彼は決まってこの時間に現れる。
 彼の存在に気づいたのは、煙草の種類を変えたことがきっかけだった。決まって三本吸っていた私は、ここの滞在時間が少しだけ伸びて、そこに彼がやってきたのだった。私の最後の一本と、彼の最初の一本の吸い始めと吸い終わりのタイミングがぴったり同じで、全く別の方向を見ているのに変なのと印象的だった。それから何度も出くわすけれど、決まってお互い最後と最初の一本だけ一緒になる。
 煙草を吸っている間、私たちの視線が合うことはない。彼は決まって、表通りの車やまばらな人通りを見ている。こんな細い裏道で切り取られた景色なんてたいして面白くないだろうにと思うけれど、柵に凭れてくゆらす彼の姿を見るのは嫌いじゃなかった。光が当たるところとは価値観も善悪も少しずつ基準が違う場所にいることを、彼も感じているのだろうか。
 手元の煙草が短くなっていることに気づいて火を消すのと、彼が闇の中に消えるのは同時だった。
 肺に溜まった煙と交換に夜の空気を吸い込む。明日もまた頑張れる気がした。
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