第4話 桜の下で空下と

文字数 1,805文字

 ブルーシートを持ってきてって言ったのに、グリーンのシート持ってこないでよ、という種の発言を誰一人としてしなかったので、私は嬉しくなって小躍りした。
 そんな私を止めてくれたのは当然松島だ。「私がゾンビになったり、狂ったりした時には、松島が私を殺してよね」と常日頃から口酸っぱく松島に言っている私は、下手をすると殺される可能性があった。
 ただし、松島は地頭がいいから、無用な殺生はしないはずだ。
「桜しか勝たん」
 花見を主催した空下美緒は、シートの中央に鎮座して、腕を組みながら桜を見上げている。
「でも、こんな優れた場所よく取れたね」
 村井由羽は桜の枝を見ながら言った。私がそういうことにしただけだ。枝ではなく桜の花びらを見ていたが真実だ。
「なんせ朝5時に来て場所取りしてるからな」
 松島と私は今日のために、前の一週間睡眠し続けた。これを冬眠と呼ぶ人もいるだろう。なんてったって多様性の時代だ。
「ちなみに私は今日朝1時に起きた」
 3人は驚いて私を見た。
「やっぱりみいこって変わってるわ」
「私は朝型だから」
「1時に起きて何をしてたの?」
「それが私にも分からないのよ」
「分からないことを分からないって認められるのはすごいよ。みいこってソクラテス本人なんだっけ?」
「一昨昨日までそうだった」
 この会話に意味はない。共に過ごし言葉を交わす今がかけがえないのだ。反対にかけがえあるものって一体何だろう。
 ここからはもっと意味がない。意味のなさに拍車がかかる。
 ないを言い換えると0。0よりもさらに0ってどういうことかと数学者に問われれば、私はこう答える。
「君の幸せを願ってる」
 そうしたら皆嬉しいはず。
 
 空下は全員分のお弁当を持参していた。空色のお弁当の包みは、彼女のアイデンティティなのかもしれない。姿を現したタッパーの中には唐揚げが詰まっている。それを全て鶏の唐揚げだと思った私たちは浅慮と言われてもやむなし。
 鶏の唐揚げ以外にも、タコの唐揚げ、マグロの唐揚げ、きのこの唐揚げも入っていた。空下は料理の種類で幅を持たせるのではなく、唐揚げという狭い枠組みの中で暴れていた。
 おにぎりは村井が握って用意してくれた。村井は他人が握ったおにぎりは食べられないらしい。だが、村井は逃げなかった。他人の握るおにぎりが食べられないのなら、私が握ればいい。その決意に3人は胸を打たれた。
「他の人が握ったサラダは食べられるんだけどね」
 村井は遠慮がちに微笑んだ。何を言ってるかは分からなかったが、きっと大丈夫だ。
「しかし、まあ桜がきれいなこと」
 空下が会話をリセットしてくれた。
 確かに去年も見たはずの桜なのに、色褪せない綺麗さだった。
「好きな花って聞かれた時なんて答える?」
 空下は足を投げ出しながら、難しい質問を投げかけた。私は好きな花はデンドロビウムと反射で答えるように特別な訓練をしているので問題ないのだが、誰しも好きな花があるわけではない。村井も松島も考え込んだ。
「私はアジサイが好き」
 村井は、6月にアジサイが咲くから毎年梅雨を乗り越えられるという風に思っているのかもしれない。たしかにそれは一理ある。
「私は梅の花かな」
 松島は桜を前にしながら、遠慮なく言い切った。今日は無礼講なのかな。桜も松島の物怖じしない姿勢に惚れ惚れしていた。
「空下は?」
「ううん、名前分かんないんだけど、クルクルしてる花」
「クルクルって見た目が?」
「見た目っていうか雰囲気」
 私の引き出しにある花はどれもクルクルしていなかった。
「カーネーション?」
 村井は脳内で無理やりカーネーションをクルクル回したようだ。何だか楽しそうで私も仲間に入りたくなってしまう。
「いや、違う。たしか3文字か4文字だった気がする」
「桜?」
「そんなわけないだろ」
 私に手厳しいのは松島の役割だ。
「思い出せないから、そんな花は最初からなかったんだろうね」
「暴論がすぎないか」
 空下は思い出すことをやめて、前を向こうとしていた。私はそんな空下に鮭のおにぎりを心から勧めた。
「あ、違うわ」
 おにぎりを口元まで運んだ状態で固まった空下が閃いたように言った。
「クルクルしてるのは好きな楽器の話だ」
「なんだ、そういうことか。クルクルしてる花って言われても、何もピンと来なかったからおかしいと思ったんだ」
 そうだとしてもクルクルしてる楽器って何だろう。
 楽器って全部クルクルしてないか?


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