第1話心の戸を開けて

文字数 42,311文字


 多めに刷ったサークルの宣伝ビラを片手に、ウッドデッキの階段(正門)に並ぶ人の行列を駆け抜けた。オレンジのユニフォームのラガーマンたちが、体格の良い新入生に狙いを絞り、筋肉の話で盛り上がっている。テニスサークルは反対に、可愛い女の子しか声を掛けなかった。
 落研が、何故か動物の着ぐるみを着て、うまい棒の早食いをして新入生からの注目を集めている。とある女の子の日記の中からトランプのカードを出現させたマジックサークルのマジシャンが、周りから(特にラクロス部の女子)一斉に顰蹙を浴びている。サッカー部の打ったバトミントンの羽が丁度相撲部の一人の頭の上に乗っかって、その一部始終を見ていた人たちだけの間で小惑星(爆笑)が巻き起こっている。髪飾りを付けたようにチャーミングな姿になった彼は、気づかないまま回転する巨大なケバブの肉を削ぎ落とす作業に没頭していた。
 向かい側で大喜利大会をしていた野球部のピエロ姿の司会者が、それを見てアドリブを入れ、「こんなお相撲さんは嫌だ、どんなの?」というお題を出した。回答者達は全員揃って、「ちょんまげの上にバトミントンの羽が乗っている」か、そのイラストをフリップ(画用紙)に出したので、司会者は張り倒され、場は荒れに荒れた。最終的に両部の主将がそれぞれ前に出て、じゃんけんの三本勝負が行われることになった。世紀のこの戦いは二対二という最高のシチュエーションまで上り詰めて行くことになる。次の一手でこの勝敗が分けられようとしていた。レフリーと観客達の掛け声が自然と重なり、‘‘さぁーいしょーは”とみんなで叫んだその時、学部棟からトランペットの甲高い音色が鳴り渡り、続いて聞き覚えのあるエレキギターのソロのイントロが空中を切り裂いてここまで届いた。去年の文化祭で吹奏楽部と軽音楽部がコラボ公演した、「留年のブルース」が、今年の新歓の幕開けのファンファーレとなって、その始まりの時をその場にいる全員に気付かせてくれている。
 二〇一×年。四月一日。大学はお祭り騒ぎで大変にやかましく何もかもが目まぐるしく移り変わってしまうそんな時期だった。

 第一食堂を抜けた先に大きな構内案内板があり、その前に一人の男の子が立っている。青色のコートを細めの身体にぴったりと合わせ、季節とサイズに大分ずれのある茶色い皮手袋をした彼は、入学式で配られるパッションイエローのトートバックを右肩に掛けていて、それをしているとあの正門を素通りすることはまず不可能になる。なかなかの小柄で、手に食べかけのチョコレート。きっと生涯で一度も染めたことのない真っ直ぐなさらさらな髪をきれいに真ん中で分け、育ちの良さそうな凛々しい顔立ちをしている。お餅のように白いその青年は、僕が近づいても全く気付かないまま、食い入るように集中して看板内を見続けている。
 ネギを背負った迷える子羊。僕はそっと優しく声を掛けた。
「すいません、新入生ですか?」
「あぁ、はい」
 ニューカマー特有の鼻に掛かった高い声だ。目はまだ合っていない。彼の細い切れ目には、少し緊張と疑いがあって、左首筋がちくちくとその気配を感じ取った。
「今から学部のオリエンテーションだよね、学部ってどこ?」
「経済学部です」
 これは当たりだ。
「ならこの道まっすぐ行くと図書館あるから、その奥のガラス張りのホールでやってると思う、十一時からだよね?」
 オリエンテーションの会場は学部によって行われる場所が全て異なる、昨日学務に寄っておいて正解だった。経済学部ならここから大分遠いので、道案内という最高の流れに持っていくことが出来るのだ。伏し目がちな彼のおでこには同じ所にほくろが二つあり、僕は目を合わせられない代わりにずっとそこに視線を置いていた。ほくろからも、ちくちくと緊張の光線が発せられていたが、それでも目は離さなかった。
 その二つの点と同時にぺこっと頭が下がり、「すみませんわざわざ」と前髪も目元まで落ちていった。
 やっと落ち着きのある彼の声が聞けたような気がする。なかなかの美少年で、きっと彼はモテるタイプだろう。
 僕は現在、人見知りらしい彼のために、出来るだけ波動を下げないという努力を取り組んでいる。声を掛けた時からずっと水面下で足をばたつかせて一定の波動をキープさせていた。
 もちろん顔には出さずに。あくまでも水面下で。自分がまず良い状態であれば、おのずと道は開けてくれるはずだと僕なりにそう信じているのだ。
「良かったらホールまで一緒に行っていい?一応俺三年なんだけど、今、勧誘がてら新入生達案内してて」
 もちろん、道が開けてくれるというのは、創意工夫と真心と行動があってこそだということは言うまでもない。おのずとと、さっきは言ってしまったが、心技体の中で一番鍛えるのに易しいのは「体」とのことだ。身体を存分に使って行動して行くことは、「心」に辿り着くための貴重な初めの一歩になる。
「え、いいんですか?」ここでようやく、彼とばっちり目が合うことが出来た。

「いいんですか、いんですか、こんなに人を好きになっていいんですか」

 大学のメインストーリートはタイルの上に、ピンクの薄い桜の花びらを贅沢に散らばせて、まるで七五三の女の子のようにはさずがに見えなかったが、それぐらいに見違えて映る。ということを言いたい。僕のトリッキーなRADWIMPSの歌詞を使用した返答は、彼のツボに深く突き刺さったようで、雰囲気はかなり温かいものになっていた。彼は名前を優太といい、先日、北海道から東京に着いたばかりらしい。
 服装と言葉の使い方にまだ、多分、道産子の名残があり、田舎の気質か、地元のおばさんと話す時のような為人を見定めているような間合いが彼にはあることを薄々と感じていた。彼は初め、正門から入ろうとして、例のあの大群とお祭りばか騒ぎに戸惑い、諦めてわざわざ迂回して、「東通用門」というかなりマニアックな入り口からここまで辿り着いた。人が多すぎるところがまだだめなのだと恥ずかしそうに僕にそう吐露した。確かに、勧誘お断りロードも設けるべきかもしれない。
「マイノリティを甘くみちゃあいけないよ、君が離れたあの子の闇は、いつかあなたの重たい毒となり、絶対に注がれることになるんだ」とどこかのイギリスのバンドが歌っていて、僕は昔、感銘を受けたことがある。
 僕は中学の頃、新潟出身の先輩が散々聞かせてくれた、「雪掻きの恐ろしさを知ったら、誰もが雪を嫌いになる」という説をふと思い出し、真相を確かめるべく、彼にそのことについて、もののついでに尋ねてみると、「え、なんで洋平さん知ってるんですか?」とぐいっと顔をこちらに向け、細い切れ目を大きく真丸に見開いた彼は初めて僕の名前を呼んだ。
「洋平さん、出身どこですか?」
「静岡県」
 雪掻きに対する彼の鬱憤はそこから始まってしまう。自分から聞き始めた手前、僕はただただ肯いているしか術はなく、サークルの話などとてもではないが切り出せる状況ではなくなってしまった。
 彼曰く、自然摂理やその土地の風土風習に対して文句を言いたいという訳ではなく、余所者からの、つまり、雪国に住んだことのない人間からの、雪に対する幻想に対して不満があるということらしい。
「雪掻きあらずんば、雪あらずです」
 昭和の映画監督ばりに遠い渋い目をしながら重たいトーンでそう訴えた。
「雪もほっとけば汚いですからね、新雪の雪ばっか想像されても困りますよ。雪も片付けなきゃいけないんだから。埃も溜まったら掃除するでしょう?おんなじですよ。いいですよ都会の人は。珍しいから、雪が。そんなに降りませんからね。でも、後始末の作業を知らない奴らがキャピキャピ言ってんのが気に食わないんです」
 目も合わせられなかった内気な青年はもういまい。
「洋平さん、中でも一番やっかいなやつらって誰だかわかりますか?」
「やっかいなの?」
「はい、やっかいなやつら、です」
「やつらか。じゃあサンタさんではないんだ」
「あー、なるほど、、、」
 もの凄く嫌な間がここで空いてしまった。優太の顔はのっぺらぼうみたいになっている。
「ホワイトクリスマスに憧れるカップルっているじゃないですか」
「あー、あー!なるほどなるほど!なるほどね!」
 大袈裟なリアクションを取った。
「あれですよ。便所虫みたいな奴らってのは」
 便所虫みたいとまでは優太はさっきは言っていなかった。
 僕らは目的のホールまで辿り着いた。時間はまだかなり残されていて、何よりもまだサークルの話を一度もしていない。噴水が真ん中に見える芝生の広場(野音)で、自動販売機でミルクティーを二つ買い、ベンチに座ってもう少し話すことにした。
 鳩が二羽、どこからかやって来て、僕と優太の足を地面と同じようにその境なく、コミカルな動きで突っつき始める。彼らにとっては、僕たちのことも木やベンチとあまり変わりなく思えているかもしれない。それくらいに僕らは長閑な雰囲気を発していたのかもしれない。そういえば今日優太と初対面であることはすっかりともう忘れてしまっている。僕は友達はそんなに多い方ではなかったが、時々こういった人との出会いがあったのだ。
 ビラをそれとなく彼に手渡して、ミルクティーの蓋を開け、かちんと一緒に乾杯をした。
「え、、、?」 
 彼の顔がどんどんと暗く曇っていくのが僕には分かる。無理もない。これはいつものことだったが、それでもやはり僕のモチベーションはどうしてもここで一旦下がってしまいそうになった。どうしてだろう、どうしていつも、僕はこのポイントでつっかかってしまうのだろうか。どうしていつもここなのか。見た目か、雰囲気か、それとも、なんだろう、為人か、スムーズに受け入れられたことが、新歓をしていてまだ一度も訪れたことがなかった。これだけ頑張って新歓をしている人間なのに、その活動をしていると思われた事が一度たりとも経験がないのだ。一体、どこがだめなんだろう。
「英会話サークルなんですか、洋平さん」
 お決まりの返事はむなしくも僕の耳に慣れて来てしまっている。恐らく、見た目でも雰囲気でも為人でもなく、その活動をしていないというのがずばり答えなのだろう。僕はさっき、分からないという振りを分かってやったのだ。恥ずかしげもなく。そりゃあ、信じてもらえない、信じてもらえるわけがないよ。無責任じゃないか。いくら気持ちと考えがあって、言葉が綺麗であったとしても。
 E(English) S(Speaking) O(Organization). 通称、ESOというのが僕の所属するサークルだった。英会話サークル。男女共に健全に共存が出来そうで、インテリジェンスさも兼ね備えている。部員達の意識も高そうで、サークル選びに迷っている全ての君たちにおすすめすることの出来るESOの持つ看板のイメージには、丁度年頃の我々が抱きがちな理想の自分へのステップアップ、的な要素を満載に含んでいるかのようついつい錯覚をしてしまう。自分がもっと、今よりも立派な大人になっていけるような、魅力的な将来の絵が浮かんでは来ないかな? そうそう、でも、もう気付いてる人も多いと思うけど、真の姿は全然そんなものじゃない、理想と現実は、一旦脇に置いておいて、この美味そうな香りに釣られてやって来る新入生は毎年ほんとうにたくさんいたんだけど、実際にそういった人たちはあまり入部するまでには至らずに、真剣に英語を学びたい賢い君なら、とっくにTOEFLでも交換留学でも使って、あっという間に海外に飛んで行っちゃうだろう。このサークルでも、真面目に英語活動しているのは全体の約二割程度で、残りは大学での自分の居場所とか、憩いの場として参加しているのが大半なんだ。でもこれって、サークルの本質をズバッと突いてて、まさに本質を具現化したようなこのサークルは、ごくごく普通のサークルそのものなのである。別に誇れないけど、日夜勉強に努めなければならない僕たちにとっては必要なことかもしれないでしょう?実態がまるっきり同じものであるにもかかわらず、その色合いや放っている空気感は全く別の物になるから、サークルというものはいつでも面白いし、なんだろう、やめられない? 数あるその色合いたちの中から僕らのだけのカラーを見つけ、選び抜いてくれた君であれば、僕たちはいつでも心から歓迎するし、きっと君も、君のインナーチャイルドも楽しい思い出をたくさん作っていけると思うよ。
「英会話ってどんな活動してるんですか?」
 キタ。キタ。キタ。キタ。北大路欣也。
「俺はね、フットサル」
「詐欺じゃないですか」
 鳩が二羽、勢いよく飛び立っていった。
「詐欺ではない、詐欺ではない、お金とらないもん。ドラマとか、ディベートセクションってのがあって、英語劇したり、ディベートしてる人もいるし」
「へー、」
 優太の気が明らかに抜けたが、少し気だるそうな彼の方が僕は話していて楽で良かった。カッコつけてもどうせボロが出るだけし、これでもうカッコつけるタームは終了したのだ。鳩が足元にいても僕は好きなように振る舞うことなど出来やしない。これは大阪のおじいちゃんの血のせいだろう。あの人は、母親をあの人と言った満六歳の僕を平手で思いっきり殴った。戦争を経験し、父を亡くしている叔父は、とても高尚で厳しい人だった。僕が出会って来た中でも、あれほどの人をなかなか見たことはない。別に恨んではいない。むしろ感謝している。殴られたことなら、中学のバスケ部の顧問がよく振るっていたし、太刀の悪い暴力とそうでない暴力をそれで知ることが出来たからある意味で良かったのだ。水谷先生は、もちろん良い、指導者だった。僕たちの野球部の素晴らしい顧問だった。
「このビラに載ってるお花見ってなんですか?英語使うんですか?これ」
 やはり楽になった優太はリラックスして聴きたいことをそのまま僕に聞いてくれる。いいじゃないか、それはそれで。
「お花見は、お花見。明日新歓のイベントで新入生たち集めてお花見するの。一応予約制で、新歓の一発目は、なんかどの部活もサークルもお花見やるのよ。この辺桜めっちゃいっぱいあるじゃん」
「僕、行きたいです」
「うん、もう予約した」 
「ありがとうございます。楽しみだなぁ」
 サークルのビラを見ながら優太はそう言ってくれた。
 去年の山梨県で夏合宿をした際に撮った集合写真には、部員60名程が宿の前に並んで楽しそうに写っている。そのビラには、自動車免許の合宿パンフレットなんかと良く似ているが、天然物の恐らく本物の笑顔があった。仕事で笑っている者は、恐らく一人としていない。改めて自分で見てみても、良い写真だと思えるくらい、良い写真ではあった。
「めっちゃ楽しそうですね」
「楽しいよ、明日来てね。グループLINE、後で入って」
「はーい」
 優太とラインの交換をしてから、ぼちぼち彼を会場まで見送ることにした。
 ホールに入って行く間際、「洋平さーん、また明日ー」と今日一番の声量で、やや高めのテンションのまま彼は中に消えていった。あのテンションでは、会場では確実に浮くだろう。彼の大学生活の初日をどうにか無事に乗り越えられるように空に向かって僕なりにお祈りを一応しておいてあげた。新歓の時間をほとんど彼に費やしてしまったが、良い子に巡り会えたと思えたから別に構わない、出会いの質の方を僕はとって行きたい。友達も恋人も家族も、大切に出来る人がいれば少人数でもかまわない、その少ない人たちと大切な時間を紡いで行けば、僕にとって守りにもなってもらえる。そこからまた踏み出せれば良い。
 それ気付けたからそれを大切にすれば良いだけだ。
 目の前のメインストリート上に、僕と優太のような先輩と新入生という組み合わせがちらほらと目立ち始めて来ている。混む前で良かったと安堵のため息が思わず漏れてしまった。二年前の僕も、彼と同じように静岡から上京して、何もわからないままこのサークルと出会ったのだ。大体、サークルに入るかどうかなんて最初に声を掛けてくれた先輩のいる所とかフィーリングによるところが非常に大きい。このサークルがたとえ英会話でなかったとしても、僕はあの先輩がいなかったらきっと入部していないし、やはり全て人や出会いなのだ。比較的、僕はサークルにどっぷりと浸かるタイプの学生だったが、そうでなくても、何かしらのご縁や出会いの持つ意味みたいなものは、これに限らずに存在している、二十代の僕の人生はそれによりほとんど形成されて来ていた。そうやってこれまで生きてきたのだ。三十代になってもこれはあんまり変わらないんじゃないかって思う。部室に戻ることにした。もうそろそろ、他の部員達も約束の部室前の駐車場に戻って来る頃だった。今日の新歓は、このオリエンテーションの前のこの時間だけだったが、明日からより本格的なイベントが始まって来る。序章も序章。これからもっと気合を入れていかなければならない。
 メインストリートが混んでいたので裏道を使って僕は帰った。
 部室前の駐車場に戻ると他の部員たちはもうすでに集合していて、今日の新歓の出来やお気に入りの新入生の話でかなり盛り上がっている所だった。僕ともう一人の新歓担当、田中かおりと明日のお花見の確認事項と今日勧誘してきた新入生達のリストをまとめ、全体で締めの号令を掛けた後、そのまま解散させた。
 その後、三年だけで部室に戻り、最終ミーティングを取り行なった。
 文サ棟と呼ばれている僕らの部室はかなり荒れていて、吹奏楽部と共同で使用させてもらっているため、部室には楽譜や譜面台、古い楽器ケース等が所々に置かれており、僕らのサークルの私物も一部空いたスペースに置かせてもらっている。去年の英語劇でセット員たちが材料からすべて自作した、「美女と野獣」の舞台のセット(椅子、ソファ、タンス、ピアノ等)がそのままインテリアとして活用されていて、一貫性の一つも見当たらないカオスな世界がそこには広がっている。そのガラクタ達を横に寝かせながら椅子や物置として新たに活かしつつ、僕たち21人はそれぞれの席にリラックスして腰を下ろした。
「お疲れ様です。今の時点で、参加者38人集まってて、もう予定の人数余裕で超えてるんだけど、このまま予約制でもいいかな?」新歓のテンションを抑え切れない騒がしい中、制することなくそのまま放った。
 部室は21人が入るとパンパンな状態で、ほとんど空きのないむさ苦しさになっていたが、建物の中とは思えないくらいに風がヒューヒューと膝下を通り抜けてくれるのでフィフティーフィフティーといったところだ。自由に席についた部員達は、自然とそれぞれその性格やキャラクターに合ったもの同士でポジションに着き、その人間のタイプをありありと映し出しているように思えるが、ゲッターズ飯田先生の五星三心占いのタイプでみると実際はどうなってしまうのだろう。欲求が腹の底から込み上げて来たが自制してミーティングに集中することにした。部長の山岸健吾が、自分で買って持って来た中古の一人掛けソファに跨がり、スマートフォンで参加者リストを見つめながらみんなに向かって何かぼやいている。声と顔がとにかく大きなすでに腹の出ている二十二を目前にした彼は、父性的な落ち着きと知性を兼ね備える我らの大黒柱で、典型的な男性性型のリアリストだった。きっと彼は、自分の双子座の持つ性格性質というものを僕がいくら熱心に伝えても目もくれないだろう。こういうタイプの人間には、手相とか、四柱推命のような男性型の好戦的な強い占いの方が似合うし、精神性をあまり見ない生き方の方がある意味で気楽で生きやすいかもしれない。少なくとも二十一の彼はそうだった。とてもではないが紫微斗数や宿曜経の繊細さは理解できないだろう。そもそも、彼に占いの話をした所でまともに聞いてくれる姿を想像することさえ困難だった。
「でも明日って、当日参加絶対来るでしょ、他のイベントは予約制なの全然良いけど、明日は二日目だし。ちょっとやりすぎな気がする」
 副部長の松山愛美は、サークル内のご意見番的な存在で、サークル内の女性票を唯一牛耳る大変大きな権力を持つ。レディーファーストを言葉を発さずともぴりっとした緊張感を男に持たせることのできる彼女は、サークルの風紀をいつも正常な状態に保たせてくれる。貴重な空気清浄機のような存在だった。愛美がいると、何故かいつも僕の背筋はぴんと伸びた。
「でも、せめて優先とか、定員決めるくらいはやっとかん?38人だぜ?30でも来ればもう十分なのに」
 面倒くさそうに健吾が愛美に言った。
「定員は50人までとかにして、それまでは当日もおっけいにしちゃえばいいんじゃない? 当日、もっと絶対来るし、それ超えちゃったらもう、しょうがないよ」
 去年の新歓で、定員オーバーのトラブルがあり、SNS上でサークルがひどく叩かれた事があった。今年からグループラインを使って出来るだけ新歓対象は絞ろうという試みだったが、どうだろう、あんまりそういったものに気を取られ過ぎないほうがいい気はするが、確かに今日、グループに入ってくれた子はかなり縁が強いような気がする。「グループライン組は優先?」健吾があい姉に尋ねた。
「そそ、今日もう一回ラインで参加するかどうか聞いて、来れる子はもう確定にしちゃう」
「来ない子いたらどうしよう」
 かおりが愛美に質問した。
「来なかったらそれはそれで、いいじゃん、お金掛からずに済んだということで」
「おっけい、50で行こう」
 健吾がパチンと膝を手で打った。
「じゃ、50人として見積もると、お菓子と飲み物は上級除けばギリギリ間に合うと思う、みんなそれでいい?」僕がそう言うと、相方のかおりもうんうんと頷いてくれた。「飯食ってこーい」とタカシとマーシーが立ち上がって叫び、新歓のビラで作った紙ヒコーキを健吾の顔面に向かって投げ始める。紙ヒコーキが健吾の一人掛けソファの溝に刺さり、何個かはそのまま床に落下してしまった。健吾が黙ったままそれをゴミ箱に投げ捨て、また戻ってソファに座ってスマホを見ている。太々しい表情のまま、彼らに全く反応することなく、ハスキーなでかい声で、「はい、じゃあみんな、宜しく」とみんなに確認を取った。「りょうかーい」タカシとマーシーがソファの上で飛び跳ねながら、「50人、呼べばいい!50人、呼べばいい!」とうるさくしたので、今度は立ち上がり、二人の頭をバシバシと叩きながら健吾と二人は折り鶴を至近距離で投げ合っている。「鬼はー外、鬼はー外」三人はげらげらと笑った。
「明日のお花見、集合場所班ごとに違うから確認しといてね、上級生が32人参加だから、一人、二人くらい面倒見てあげてください」
 しっかり者のかおりがそう言って強制的にその場を終了させると、みんなだらだらと帰り支度をやり始めた。三人の折り鶴合戦はその後もしばらくの間続いていが、イベントの前夜祭としての効果は多少なりともあったかもしれない。士気を上げてくれたような気がする。健吾と僕はそのまま部室に残り、何の言葉を発することなく、疲れた身体と神経をソファの上で労り続けた。換気扇がうるさかったので、僕は切ってしまうと部室は急に静まり返った。気付いたら僕は、半分睡眠状態になり、夢のようなものが始まっていた。小さな赤鬼が僕の頭を小さな小槌で叩きながら、「金がかかる、金がかかる」と訴えかけるシーンから始まる夢だ。
 金が掛かる、金が掛かる、金が掛かるぞ〜♪ 金が掛かる掛かるぞ、金が掛かるぞ〜♪ 
 シンデレラのビビデバビデブーの音色だった。
 テニスサークルの新勧費は、一人当たり十万円するという噂がある。僕らのサークルの新歓費は一人当たり三千円だった。けれど夏合宿と冬合宿、クリパや入部金は勿論かかって、みんなそれぞれアルバイトや仕送りで生活をやりくりしながら、当たり前かもしれないがやっていたのだ。
 怖い赤鬼がだんだんと大きくなって、僕を見下ろしながら、声は夢だからか耳元で響くようにその歌を歌い続けた。僕は頭が痛くなってきた。目を閉じても、その響くような赤鬼の声はずっと逃してはくれないようだ。
 しかし、しばらくしてその夢は切り替わり、懐かしい思い出の、僕にとっては喜ばしい夢が始まってくれた。それでなんとか僕は救われた気持ちになれた。もちろん、今借りている奨学金が借金になり、衣食住と学費を親が払っていることを忘れてはいけないが、ここで一つ、夢を見ることも必要なことなのかもしれない。僕はとても甘い人間なのだ。
 前日の大雨で桜の花びらはほとんど散り、まだ重たそうな雲がしぶとくも残っている中、二年前、お花見という名のそのイベントは開催されていた。学校からすぐ近くの自然公園の一帯に、ブルーシートが張り巡らされ、シートの真ん中にお菓子やジュースが用意されたその会場に、新入生約四十名、上級生約三十名程が大きな一つの円になって座ている。新入生の方がやや多く、先輩が僕らの間に入って話を振ってくれたり、簡単な自己紹介を回してくれたりしながらなるべく早く打ち解けられよう取り計らってくれた。僕たちは同じ状況状態である者同士、もちろん様子は伺いながら、何となく不思議な一体感が流れていて親しみやすい空間だったことをよく覚えている。会の開催に先立ち、当時新歓担当の南山さんと朴さんが全体の前に立って注目を集め始めたので、皆一斉に会話を止めて前の方を向き直した。いよいよ始まるという期待と緊迫が相まり会場はぴたっと静寂に包まれた。そんな時だった。
「なんだ、お前ら」
 後方からその声は突然やって来た。ぱっと振り向くと黄ばんだタオルで顔面を覆う、一升瓶を片手に携えた中年風の男が立っていた。咄嗟にやばい、と思い先輩の方を振り向くと、「皆靴取って」という指示が聞こえて慌てて脱いだ靴を抱えながら女の先輩に言われるままに僕たちはブルーシートから離れた桜の木の下に避難した。男の先輩方はそのホームレス風の男に向かい、それを見て男が雄叫びを上げた。一升瓶を振り上げた。
 先輩の内の一人が男の背後に回り込み、南山さん達のいる方に合図を送ると、「捕らえろー」という号令で、後ろの先輩が男の両脇を抱き抱えた。まだ濡れている地面にそのまま男ごと倒れ込み、全員が一斉に取り掛かった。僕らの立っている位置からホームレスの姿は見えなくなった。騒然とした空気だけがその場には残されていた。周りからざわざわと声が漏れ始め、取り押さえている先輩の集団の様子は、まだ中で男が暴れているのか押さえ付ける力を解いたような動きはない。僕の隣にいた女の子が、「これって警察沙になるのかな?」と聞いて来たがとても答えられなかった。男を取り押さえる集団の動きがぴたっと止まり、ゆっくりと一人ずつその輪から離れ始めた。すたすたと黙ったまま表情も変えずに先輩方は僕らの居る桜の木の元へそのままやって来た。ブルーシートに戻るよう、僕らを促し始めた。南山さんの隣にいるもう一人の男がさっきの事件が起きたそのままの位置に立って、どこのタイミングで持って来たのか、拡声器を口元に当て、「驚かせてすいません!部長のアキです! 以後、お見知り置きを!」
 赤鬼が折り紙の鶴に乗って僕の目の前をくるくると飛び回っている。「懐かしい夢を見せてやった」と笑いながら今度は棍棒を振り回して僕の頭上をくるくる飛び回った。「いいかい?見せてやったんだからな、後始末くらいじぶんでやれよ」くるくる回った後、僕の鼻の穴に入って消えた。
「で、洋平は単位の方、大丈夫なの?」
 健吾は真っすぐに僕の両目を見つめながら、まだ寝起きの僕の顔を執拗に覗き込んでくる。頑なに、その視線を外そうとはしてくれなかった。僕はすっかりと諦めてソファから立ち上がり、思いっきり全身の筋肉を緩めて身体を捻った。背筋を伸ばしすためのストレッチをしながらとりあえずその視線を回避することを試みて成功した。目線を出来るだけ天井の方へ向け、眼球の周りの凝りも、ついでにほぐし切ってしまおう。
「おい」健吾と僕は同じ学科に在籍していたが、彼の方は学科内でも毎年成績上位者として表彰されるほどの学力で明日のお花見も、滋賀県で行われる学会のメンバーとして同行するための欠席だった。テストの期間はいつも彼の寮で僕は徹夜させてもらっている。「ドイツ語やっとけよ」「うん」
「明日ーいけなくてーごめんー」
 健吾の目は多分かなり疲れている。
「学会はしょうがないでしょ」
「俺らがもう三年だもんなー」
「早いね」
「あの代になりてーなー」
「洋平、ウィンブルドンズの新勧費知ってる?十万だってさ」

 結局、お花見には48人の新入生達が参加して、部員を含めぴったり80人というかなりビックなイベントになっていた。当初の予定通り、第一回目のこのお花見のイベントに参加した子のほとんどが入部まで進み、約二週間の新歓の成果もあって個性あふれる顔ぶれが出揃ったのだか、例年よりも少し色合いが濃すぎる気もしなくもない。上級の僕らも、お花見を健吾不在の中なんとか成功を収めた後は、あまり力みすぎることもなくありのままの振る舞いが徐々に身に付いていた。本来のらしさが出せるまでになっていた。後輩のいる三年生の気分を、存分に味わっているような休息の日々が続いてくれた。僕と健吾は後輩の安田と共に授業終わりに学食に立ち寄った。
「結構入りましたね、馬鹿ばっか、嬉しいっすわ」
 安田は食堂のお茶の入ったコップを持ち、上機嫌に僕らに話した。バイク好きの彼は、竜司君という同じくバイク好きの一年生を新歓早々に捕まえていてツーリングセクションをサークル内に作るという野望を早くも達成させていた。恰幅の良い体系にさらに大きめのパーカーを着こなせる安田とは、学年と絡みの多さ上一番弟子に当たる間柄で、いつも僕のことを師匠と呼んでくる。呼ばれてはいたがそこに皮肉的な意味合いも含まれていることを彼は気付いてはいないのだろうか。彼のキャラクターと軽快さがそうは思わせない不思議な力となってついまんざらではない気にさせられてしまう。そこが彼の罪深さだった。緑のキャップを被った彼は、「なんか、僕らと洋平さんの代、足して二で割っ感じっすね」と笑いながらコップをこつんと置いた。
 四月終盤のこの時期の食堂は、新歓期特有の華やかな雰囲気をまだまだ残しており、周りには僕らと同じくサークルのメンツで授業終わりに駄弁りに来る連中で溢れていた。グループ率が圧倒的に高かったので、一人飯の人には少し気の毒だったかもしれない。
「今年は確かに頭おかしい奴多いわ、新歓イベントでもすでにキャラ立ってる奴いたし、本当、新歓担当がバカだとバカがよく釣れる」
 健吾はこの後塾のアルバイトを控えているため、薄手のリクルートスーツをジャケットまで羽織っている。彼は体型の割にスーツはよく似合っている。いや、この体型がこの貫禄を生むのかも知れない、いや、為人こそが貫禄を生むものだろう、いや、健吾に貫禄などあるはずがない。
「楽しいじゃん」
 健吾の集中攻撃を察した私は、臨機応変な態度を取り彼からの攻撃に備えた。
「まあ、でもたくさん入ってくれるのはありがたいっすよね、48人って結構入った方じゃないっすか」
「まあな、でも人が増えるとその分運営がしんどくなる。今年の一年は面倒見るの苦労しそうだわ、なんせ新歓担当があれだから」銀の時計を振らせながらふざけた様子で健吾はニヤッと笑って言った。
「でも馬鹿っていいじゃないですか」
 やっさんが健吾に乗っかって戦闘態勢に入っている。
「でも馬鹿だと話してて疲れるだろ?」
「でも馬鹿がいないと面白くなくないですか?」
「でも馬鹿だと話してて疲れるだろ?」
「でも、馬鹿がいないと馬鹿に出来ないじゃないですか」
「でも馬鹿だと話してて疲れるだろ?」
「でも、」
「もうやめようよ」
 優太が自動ドアから入って来るのが見えた。
「お、居たのかごめん」
「あ、洋平さんおはようございます。あ、優太」
 やっさんが手を挙げて優太をこちらに手招いた。優太は、他の友達と来ていて、その子達に何か言って、注文もなにもせず一人だけこっちにやって来た。
「お疲れ様です」
「お疲れ。優太もう授業ないの?友達大丈夫だった?」
「はい、もう終わりました。大丈夫です」
「優太さん、二限のミクロ経済のプリント持ってませんか?」
 わざとらしいようなすまなそうな顔をして安田が優太に向けて手を合わせた。
「あ、はい。取っときましたよ」
 優太がバックからクリアファイルを取り出してプリントを一枚安田に手渡した。
「そろそろエンタテのグループ決めないとな」
 健吾がエンタテの話を切り出した。
「うっわ、もうエンタテの時期っすか、今年はやばそうっすね、うっわ、俺のグループ誰になんだろ」
 安田が興奮した様子で言い、キャップを指でくるくる回し出す。
「今年は、確かに楽しみだわ」
 健吾も嬉しそうにまた銀の時計を軽く振らせた。
「エンタテってなんですか?」
「ちょっと待って、特に意味はないんだけど、優太って気になる子とかいないの?」
 僕は優太に尋ねた。
「え?」
「カナちゃんです」
 やっさんすかさず割って入り、優太は安田の頬をぺしっと軽く張った。強いて言うならって聞かれたから、と何かぶつぶつ言っていたが、否定はあまりしなかった。
「で、エンタテってなんなんですか」
 あまり焦らしてもかわいそうなので、そろそろ優太に説明することにしよう。エンタテとは、エンターテイメントの略であり、若いパワーをただただ放出する、余興のことである。このサークルに所属するものは誰しもが避けて通れない道であり、部員達の多くがこのエンタテを楽しみに、そして心待ちにしてこのサークルに参加しているのだ。なんだっていい、ほとばしる震えやハートのビートをそのまま全力でぶつけてしまえばいい、君の、君だけの、君にしか出来ない、その心の輝きを、いや魂の叫びか? やっさん、ちゃんと優太に説明してやってよ。優太の顔は、ぽかーんとした無色になりぱっくりと口を開けたまま、僕達三人の顔をまるで見たことのない原色でも見るかのように眺めている。
 
 二年前、三年生の引退パーティが終わって間もなく、さっそく就職活動が開始され先輩方は忙しそうにしている中、僕と健吾はアキさんの家に呼ばれて訪ねることになった。アキさんの家は大学生の一人暮らしにしてはやや広く、奥にアトリエがあり、入れてもらうと人の高さくらいある絵が立て掛けてあった。今度、どこかの個展に出展するらしい。辺りには絵具や雑巾が足の踏み場もないくらいに散らばっていた。
高校の美術室のかび臭さのような匂いが鼻の奥をつんと突き刺し、まだまだ途中だというアキさんの描いたその絵を、僕と健吾は出してもらったサイフォン式コーヒーメーカーで作られたコーヒーを音を立てながら飲んで見ていた。絵は、何を描いているか全く分からなかったが、素人の僕でも何かイマジネーションを掻き立てられるような感覚に陥り、心臓がきゅうとなるような鋭い感覚がもたらされるような気がしなくもなかった。これは、尊敬しているアキさんが作ったという脳の認識によるものなのか、純粋にその絵からくるものなのか数秒考えていたが、答えは明らかだった。美術館に何故人が足を運ぶのかを二十歳になった僕が初めて知るきっかけになった。「なんか分かんないけど、凄い」隣りの健吾が言った。僕らがまじまじと見ていたので、照れくさそうにしてアキさんはコーヒーを啜り、ドイツビールもあるわ。と言ってリビングに行き、ビールと生ハムと冷凍庫で凍らせたジョッキを持って来た。アキさんは、二つの凍ったジョッキにトクトクとビールを注ぎながら、「エンタテはね、ときめきに素直になることだね。コツは。あとは、魂の開放」とニタッと笑いながら並々に注がれたジョッキを僕らの顔にくっつけた。
 このサークルでは、様々なイベントが行われる度に、そのエンタテは行われていた。文化祭の最終日、夏合宿、引退パーティ等々、あらゆるイベントの盛り上げの場として位置付けされていたが、特に内容やルールに縛りは無く、面白ければ何でもあり、というかなりアバウトなもので、中でも新歓が終了して間もなく行われる新入生達による「新入生エンタテ大会」では、毎年多くの新入生が飛躍していった。最もエキサイティングな催しの一つだった。新入生はそれぞれ五つのグループに分けられ、二年生がその監督やアドバイス役として配置される。三週間前からその準備や制作に取り掛かるため、サークルきっての大きなイベントになっている。「エンタテはさ、糞しょうもないけど、割と凄いことやってると思うよ」すでに顔に赤みを帯びているアキさんの、窪んだほっぺたの笑窪がくっきりとしていて非常に可愛いらしい。アキさんは意外と酒に弱かった。「あれだけの人の前に立って、いくら身内って言っても、結構な人の前で自分達で考えて来たネタやって、それでみんなを笑わせたり滑ったりする経験って、ほんともうなかなかないよ。自分が面白いとか楽しいって思えないと出来ないじゃん、身内でも、まずそのときめき的なものが無いと無理だし、それが個性だったりもするし、で、自分が面白いって思えることと、身内のサークルの雰囲気とか感覚にその自分のやりたいもの織り交ぜてさ、そういうのって、身内のサークルでもあるじゃん」
 そう言って、コップのビールを一気に飲み干したアキさんはタモさんは凄いと何度か連呼した。アキさんの、珍しい饒舌な酔いに任せて放たれた言葉の意味を僕は頭の中で何度か繰り返し考えていた。隣に座っていた健吾が、「アキさんはそっちの道は行かないんですか?」と思い切ったように大きな声でアキさんに尋ねた。
「そっちって?」
「はい、なんか芸人とかタレントとか」
 健吾が言った。
「絵を描いてるじゃん」
 僕と健吾がアキさんの家に呼ばれたその年の終わりに、アキさんの描いた絵は名前が英語のどこかのアート展で大賞を取った。そのセレモニーにサークルのみんなで出席し、タキシード姿のアキさんは、満面の笑みを浮かべながら、「ありがとう、お前らも俺の感性に影響を与えてくれた恩人だ」と全員の背中をバシバシ叩きながら回った。その後のスピーチでアキさんは、「今まで生きていく中で触れたもの、全部が僕の感性を養ってくれました。小さい頃聞いていた父の弾くトロンボーンも、中学の頃死ぬほど好きだった子にフラれたことも、友達と話すくだらない下ネタも、おいしい飯も、全部です」とニタッと笑ってお辞儀したアキさんに、惜しみない拍手が会場から溢れ、その鳴りやまない拍手に向かい、何回も何回もぺこぺこお辞儀するアキさんは、僕が見て来たアキさんの中でも一番かっこ良い姿で拍手する手が止まらなくなった。

「この間また男の子入ったから、全部で今49人いるのね、大体一グループ10人ずつくらいかな」
 新歓ノートと表紙に書かれたノートを開きながら、かおりが言った。部室の中は相変わらずいろいろなもので溢れていたが、二人だけでいると案外広く、机とソファもあるのでそれなりに快適だった。夕方を少し過ぎた時間だったが、部屋の蛍光灯の光が強すぎるせいで、外の暗さが妙に際立っていた。細身で色白な「大和撫子」という言葉がぴったりのかおりは、珍しく髪を上げていて、とても良く似合っている。 
「10人か、すごいな」
 自分らの頃は5,6人だったな、と思い出した。「グループリーダー、なんか凄いことになったんだけど」とかおりからノートを受け取り、グループ編成と書かれたそのページを見ると、明らかに偏りのあるメンツが連なっていた。*グループリーダー* 池田、小林(夢)、白井、小泉、安田
「パワーバランス悪いな」
「うん、だから班員で調整しないと」
 このグループ分けはエンタテ大会のためということにもなっていたが、実際には一年を通してあらゆる活動でこのグループの括りで活動することになる。かなり重要度の高い人事を僕達二人に任されていたが、所詮サークル事と言えども、部員らの性格や相性や事情を加味して行く作業はやっていてとても面白い。グループの編成は、時間とルールを守らないこのサークルでも割と厳粛に公正と行われていたのだが、それとなく優太とカナちゃんを同じグループに僕は書き込み、一番弟子がグループリーダーに立候補したことも加点して、「竜司君、やっさんのとこどうかな」とかおりに聞いた。
「え、でも安田が連れてきたんでしょ?」
 グループリーダーとあまり近い人をいっしょにすることは暗黙のタブーだった。
「うん、だから竜司もやっさんが良いだろうし、あの子ちょっと派手だからやっさんくらいがちょうど良くない?」
 先日、Twitterに上がっていたやっさんとツーリングに行った写真の中の竜司君の姿を思い出した。竜人君の場合は兼サーもかなりしているのでそもそもあまりサークルに参加するタイプではない。それでも新歓イベントには毎回参加してくれたし、安田のモチベーションもかなり上がるはずだった。かなりエゴだがこの采配はきっと僕にしか出来なかった。
「うん、まあ分かるけど、ちょっとやりすぎな気がする」
 不満げにかおりにそう言われた。当然といえば当然だった。
「さすがにやりすぎか」
 珍しいかおりの反論には、強気の姿勢は一瞬でへこたれてしまう。彼女はそれから、ノートをずっと睨みつけるように眺めていたが、実際にノートを見ているか分からない目をして座ったまま動かなくなった。直に立ち上がり、うーんと考え込む素振りをして腕を組んだ、狭い部室の端から端を行ったり来たり往復をし始めた。立ち止まった。
「安田のグループ以外、イメージ湧かないね」
 と言ってくれた。それから、
「竜司君あんまり来ないだろうし、他のグループリーダーじゃ扱いが難しそう」
「ありがとうございます」
 それからはとっと進めることができた。来週のグループ発表までには何とか間に合いそうだ。部室を後にしようとすると、急に彼女に、「安田大好きだね」とぼそっと言われ、返す言葉が浮かばなかった。かおりはさっさと荷物をまとめてしまい、バイト行ってくると長い髪を揺らせながら僕の前を通過して行った。

 電磁波解析Ⅱと表紙に書かれたノートに何も考えることなく書き写して行く。隣に座っている健吾は、生意気にも眼鏡を掛け、タブレット式のノートパソコンを机の上に構えながら、涼しい顔をして、黒板とノートとタブレットを行ったり来たりしていたが、実際に優秀な人のする手慣れた素早い動作は、僕に惨めさと多少苛立たしさを感じさせ、そう感じてしまう自分にさらなる惨めさと腹立たしさを募らせ、という無限のループと闘いながら必死になって書き写していると教授の先生がその呪文を一通り書き終え、学籍名簿に目を落としたので慌てて僕は身を構えた。
「えー、じゃあ、、、、学籍番号176の、、、山岸君かな、いるかな?」
「はい」
 教授に当てられた隣の健吾が手を挙げて返事をした。何故か、僕の方が緊張して来て、成績上位者の彼を心配してしまったがその心配もほどなく空しく散っていった。
「うん、いるね。じゃ、これから特殊相対性理論に移りますがぁ、えぇーと、、まずは、特殊相対性理論の基本原理を挙げてもらえるかな?」
「あ、はい。相対、、と光速、、です。」
「うん。そうそう。じゃあ◉× ︎・はどうなる?」
「卍卍卍卍卍です。」
「、、、、、、時における、、、、、、、は?」
「☆△◆▽です」
「うん、いいねぇ。ありがとう」
 教授からおっけいをもらい、恐らく全ての質問に完璧に答えた健吾は、何食わぬ顔で再び椅子に掛けた。普段サークルでふざけ倒している彼の分かってはいたが成績上位者な一面を改めて見せ付けられた僕は、しばらくの間そのすました横顔をただただ羨望の眼差しで見つめているしかなかった。僕があまりにも見すぎていたせいか、彼はその視線に気付き、「なんだよ、分かったか?」と聞いてきたので、「0ですだけ聞き取れた」と答えると、プッと彼は笑い、またパソコンを叩き始めたので、僕も前を向いて、残りの呪文をノートに書き写した。四限の講義が終わると皆そそくさと教室を後にし、あっという間に教室の中にいる人達は消えてしまった。90分間の激闘を終えた自分の右腕を労り、疲れた首を回して大きく伸びをしている所に、隣の健吾が、「洋平今日もう帰る?」と聞いて来たので、
「バイトの時間まで何もない」と答えると、「ならエンタテの準備見に行こう」と誘われ、僕達は経営棟の空き教室でエンタテの準備に励む後輩達を見に教室を後にした。
 先日、公開したばかりのエンタテグループの一、二年生が、エンタテの準備という名のお楽しみ会のようなノリで賑わっている廊下に着くと、201と書かれた教室のドアの前に健吾と立った。ドアノブを掴み、そおっとゆっくりと開けた途端、思わず二人して二度見してしまった。広めの教室の隅に、何枚も重ねられた段ボールが立てられていて、そこから顔を出している優太と目が合った。
「あ!洋平さん!健吾さん!」
 優太も気付いてその段ボールの中から出ようとしていたが、二年の上級生らがそれを押え、「優太ダメ、隠れろ隠れろ」と彼をその段ボールの中に再び押し込んだ。よく分からない光景を開口一番目の当たりにし、「なんだあれ、ここ小林のグループだよな?」という健吾のセリフに黙って僕も頷いただけだったが、そんな僕らを見て、二年生のエリカが、「すいません、ちょっと二人とも廊下で話しませんか?」と言われるままに教室を出ると、真っ先に健吾が口を開いた。
「何だあれ!何?何で隠すんだよ」
 健吾と全く同感の僕も、エリカに同じく熱い視線を向ける。僕と健吾のその視線を宥めるようにしてエリカが、「えーと、今ちょっと秘密なんです、洋平さんと健吾さん先見ちゃったら詰まんないじゃないですか」といたずらするように笑った。「秘密かよ、気になるわ。何あの段ボール」健吾が言った。  
「あれ関係ないですよ。ただの更衣室です」
「更衣室」僕と健吾の声が重なった。
「更衣室って、何、どういうこと?」
「もう、更衣室ですよだから、衣装とかも考えてるんです」
「衣装。すげぇーな、今年は、てか、もはやあの段ボールの方が面白そうじゃね」
「はいはいはい、分かりましたから、もういいじゃないですか、他のグループのとこ行ってくださいよ」
 煙たがるように我々の背中を押し出しながらエリカはそう言いい、再び教室に戻ろうとしたが、急に彼女は振り向いて、
「あ、でも洋平さん、優太このグループにしてくれてありがとうございました。あの子めっちゃ面白い」
「イケメンだけど闇があるからね」
「そうそれ、イケメンなのにめっちゃ闇深いあの子」
 エリカが笑って手を叩いた。健吾が何だそれと言ってぽりぽり頬を掻いた。
「雪掻きの話とか聞いた?」
 そう尋ねると、長めの茶色く染めた髪を揺らしながらうんうんと頷き、「あれは最高です」と言って笑った。
「雪掻きって何?」
「今度優太に聞いてみな」
「やっさんのグループの部屋、隣ですよ」とドアから顔だけ出してエリカがお楽しみと言ってドアを閉めた。
 僕と健吾はやっさんのグループのいる部屋を少しだけ外から覗き、やっさんと竜斗が戯れていることを確認してから、他のグループもちらほらと見に行った。どこもなかなか盛り上がっているようだったので、邪魔にならぬよう外へ抜け出し、ベンチで自動販売機の紙パックの野菜ジュースを飲みながら休憩した。
「今年はやばいな」
 健吾が膝を突き上げた。後二秒、健吾が言うのを遅らせていたら、僕の言うセリフだった。
「エンタテってこんなんだっけ」
 残りのジュースを飲み切ってしまい、抑えきれない高揚感で声が上がってしまった。
「やべ、超楽しみだわ」
「エリカがもう先輩やってるよ」
「そうか、洋平のグループやっさんとエリカいたのか、やべえメンツ」
「景介もいてさ」
「景介(笑) あいつまだプロボクサー目指してんのかな」
「分かんない、やめちゃったし」
「そっか」
 そう言って健吾はうーんと言ってあくびした。それから、「回るねえ、時代は回ってく」と言って、紙パックに刺さったストローをくるくるいじり始めた。
「回るねぇ」と僕もそう言った。
 
 第三十六回、新入生エンタテ大会当日は、快晴の太陽が光輝く、まさにエンタテ日和のようなコンディションでの開催となった。四限の講義を終え、さっそく健吾と予約しておいた公民館に着くと、三年の上級生はすでに集まっていて、すぐに会場のセッティングに移った。ステージ前に客席となるパイプ椅子を何列か並べ、簡単な飾り付けと、今年から雰囲気を出すために導入されることになった演目台には、各グループ名とエンタテの題名が表記され、みるみるうちに会場は、ちょっとした演歌歌手でも登場して来そうな立派なステージとなって行った。
 仕上げに健吾が、「第三十六回新入生エンタテ大会」と毛筆で書かれた段幕を脚立に登って掲げ上げ、開催の準備は例年以上に思っていたよりもずっと立派に整って行った。
「立派、立派、いい感じ、いい感じ」
 本日の司会のあい姉もご満悦している、みんなのテンションも高まっていた。会場に主役の一年生たちが入場し、うわぁだとかガチだなぁという声が飛び交う中、それぞれが席に着き始めると、「小林グループ、もう準備入って」というあい姉の声で小林グループのメンバーたちがぞろぞろとステージ横のパーテーションの中に消えて行った。優太の姿もそこにあったが、かなり集中に徹しているようで、一度もこちらを見ることなく真っ直ぐにそのまま仕切りの中へ入って行った。
「いきなり小林んとこか」
 会場のパイプ椅子に腰を掛けた健吾は抑え切れない様子で軋ませる音がとてもうるさい。
「あの段ボールの更衣室、ネタに出ないかな」
「あれ出して欲しいよな」
 健吾と喋っていると、カーテンの奥から小林グループの円陣する怒声が聞こえてきた。
「この俺のグループに入っといてぇ、、、普通のエンタテでいいと思ってるやつぁ、、、いねぇーーーだろぉーーなぁーーー」「うぉぉおおおーーーーー」
「モテたいとかぁーーー、カッコ付けたいだけならぁーーー消えろぉ、バァカヤロォーーーー」
「うううおおぉぉぉーーーーーー」
「行ってこい、、タコカス野郎どもぉーーーーーーーーー」
「うううううおおおおおぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーー」
「なんちゅう円陣だよ」
 健吾が手を叩いて笑った。会場の士気もグンと高まった。
「まもなく開演致します」
 あい姉の声が会場全体に響き渡り、一斉に拍手が広がって行った、いよいよ、今宵、エンタテ大会の新たな歴史の一ページが幕を開ける。
(ある所に、ホワイトクリスマスに憧れる、一組のカップルがおったそうじゃ)
 マイクのナレーション音だった、それと同時にステージ袖のカーテンの中から男女の二人組が手を繋いで現れた。
 その途端、客席手前左の一部女子達の塊がざわざわし始め、え、え、え、と言う声がその集団から聞こえて来た。ステージ上の二人が何やらそわそわした様子で何もすることなくただただ俯きながらもじもじ立っている。いかがわしいその会場の雰囲気は、血気盛んな若者達の敏感なアンテナをピンッと奮い立たせる。
「え、、、これ、ガチなやつじゃね?」
 健吾が言った次の瞬間、エンタテ大会しょっぱなにカマされたカップルの発表サプライズに、会場から火が付いたような喚き声があふれ返した。
「まっじか!!!」「えええええええーーーー」「うそだーーーーーーーーーーーーー」「カナちゃん!!!」「ふざけんな」「ガチじゃん」
 
 舞台上の、照れた様子で立っている女の子を見た、
 うわっと思うのと同時に頼むっと心の中で叫びながら、ステージ上に立つ男の子を見ると背が高い。明らかにイケメン風のその男の子は、何度か見たことある顔だったが、やはり優太ではなかった。
「うっわー、まじか。まだ五月だぞ、けしからねぇな全く、けしからん!すげえな、おい、え、あれ?」
 気付いた健吾が固まったまま僕の顔を見た、僕も健吾に向かい、無言で首を縦に振った。
「タカ君さ、もう一回あの、告白の時の言葉言ってほしいなぁ、カナ」
 カナちゃんが隣のおそらくタカ君であろう男の子の腕を取り、甘えた声でしぐれながら言った。彼女の丁度良い芝居臭さが、会場全体の卑猥な笑いを一撃でかっさらって行った。
「えーと、あっうん、もし俺が付き合おうって言ったら付き合う?」
 歓声の上がる中、僕は優太の顔を思い浮かべた、彼は今、一体どんな顔をしているだろう。
「ありがとっ、嬉しい。タカ君、カナね、今年のクリスマスはホワイトクリスマスが良いと思ってたけど、タカ君とこうしていられるなら雪が降らなくても、全然大丈夫だよっ」
「うん、俺もカナとこうしてたら大丈夫っ!でもごめんね、僕の力じゃ雪を降らせることは出来ないや」
 タカ君がセリフを言い切るのと同時に、袖から赤い人型の何かが現れた。
「ジングルベーーーー―ル!!!!!」
 白いひげを携え、サンタクロースの格好をした優太だった。信じられないくらい表情というものが無い微妙なのっぺら顔をしてステージ上上手に客席を真っ直ぐに睨みつける優太が立っていた。
「おやおやぁ、こんな所にぃ、素敵なカップルがぁ、くぅーいるではないか、ほっほっほっ」
 引きつった顔のサンタが言った。会場は再び、荒れに荒れた。
「あ!サンタさんだ!サンタさん!サンタさん!カナたちのために雪を降らせてくださいませんか、カナ達のお祝いに、ホワイトクリスマスをこしらえてくれませんか?」
「ほっほっほっほ。お安いぃ、御用だよ、そんなことは、いくよ、そーーーーれいっ」くよ、そーーーーれいっ」
 サンタは右手を挙げ、パチンッと指を鳴らした。その途端、ステージ両端から、虫取り網が顔を現し、ひっくり返した網の中から白い紙吹雪がゆらゆらと舞い、ステージ上は一挙に手作り感満載のホワイトクリスマスになって行った。
「まあ!素敵!」
「うわーあ!」
 その雪が散って行く中、幸せそうな二人は寄り添い合い、それはそれは信じられない奇跡であったそうじゃ、とナレーションが入りそうな雰囲気に包まれたその瞬間、いつの間にやらステージ袖にはけていたサンタがおもちゃの赤と青のスコップを2本持って来て、再び舞台上に姿を現した。
「ほっほっほっほ、二人とも!君たちにもう一つプレゼントを持ってきた!ほれいっ、このスコップで降り積もった雪を片付けてくれたまえよ!」
 にっこりとしたサンタが、持って来た二本のスコップをカップルの足元へ滑らせた。
「えっ?何ですかこれは、、、」カナちゃんが言った。
「え?雪掻きすんの?何これ?」タカ君も言った。
「あたりまえじゃろう、雪を降らせてもらっておいて、後片付けもないなんて、あるまぁーーーい」
 語尾もおかしくなるほど、サンタの目はイッていた。
「ほれいっ!さっさと雪掻きをするのじゃっ!雪はのぅ、雪はのぅ、積もると死ぬほど重いんじゃっーーーーーーー!!!」
 サンタは右手を挙げ、パチンッと指を鳴ら
 語尾もおかしくなるほど、サンタの目はイッていた。
「ほれいっ!さっさと雪掻きをするのじゃっ!雪はのぅ、雪はのぅ、積もると死ぬほど重いんじゃっーーーーーーー!!!」
 おもちゃのスコップをまたステージ袖からサンタは持って来てカップルに投げ付けるという行為を繰り返した。サンタは鬼の形相でカップルおよび会場全体の我々にも雪掻きのフォームや土の付いた雪の汚さを熱弁し、「腰を使え!」だとか、「雪掻きから人生を学べ!」「雪掻きさぼり泥棒の始まり」というエンタテ大会史に名を残す名言を連発し、カナちゃんとタカ君の悲鳴と共に、会場の低俗な笑いをかっさらって行ったのであった。
 その後、この雪掻きサンタ事件は、伝説のエンタテとして語り継がれ、優太は雪掻きサンタという異名とキレたら怖いというレッテルを手にすることとなって行くのであった。
 小林グループのエンタテが終了すると、ぐったりとなった僕と健吾は、しばらく一言も発することなく肺と喉を休めことにだけ集中した。
「あの、可愛かった優太は」
「もういないな」
 と健吾が続いた。健吾もまだ立ち直れない様子で、背中をどっかりと椅子の背もたれに預けていた。
「スコップのあたり、あれガチかな」
 僕の感じていた、一抹の疑問を健吾に投げかける。
「あ、洋平も思った?タカ君とカナちゃんの反応ガチっぽかったもんな。だとしたら、優太」
 彼のキャパを見込んで新歓出来たことを、心から光栄に僕は思う。
 その後、各グループレベルの高い、卑猥なエンタテが繰り広げられたが、観客の投票により、小林グループがダントツの優勝となった。この大会には団体の順位ともう一つ、個人のMVP賞なるものがあり、今回のMVP賞は韓国から来た交換留学生のミンソ君が取っていった。オレンジ色のジャージを纏い、ドラゴンボールの悟空の必殺技をする恰好で、「カァ、ムゥ、サァ、ハムニィ、、ダッー」と叫びながら手のひらを客勢い良く突き出す、という何故面白いのか良く分からない謎の勢いにより、会場みんなで笑い転げてしまったため、彼が記念すべき第三十六回エンタテMVP賞となった。
 でもやはり、今回の大会での優太の活躍は、皆の忘れられない思い出として、皆の心の内に強く焼き付けられ、どうしても思い出すキツイ記憶になって残り続けましたとさ。
 アキさん、あなたの愛したエンタテで、あの可愛かった一人の少年の魂がどうやら解き放たれたようです。あれは果たして、彼のときめきなのでしょうか。一体、なんの意味があったのでしょう、僕にはまだ、アキさんの境地にまでは辿り着けそうにありません。ただただ、このしょうもなさすぎるエンタテの、謎に秘められた巨大過ぎるパワーに、驚かされるばかりなのです。と心の中でそう呟いた。
 エンタテ大会が終わってからは、あっという間に時間は過ぎ、季節は夏を迎えようとしていた。すっかりと大学にも慣れ始めた新入生たちが増えたためか、四月からの華やかだった大学の雰囲気はだんだんと落ち着きを取り戻し、山を切り崩して建てられたこの大学らしい平凡で穏やかな空気が心地よかった。壊滅的な単位数を誇る僕は、三年春季の授業を上限いっぱいまで申請していたため大学一年生のような日々を過ごしていた。テスト期間ほとんど健吾と一緒に過ごし、成績優秀者の生活様式からすべてを吸収しようと試みたのである。浪人時代よりもはるかに単位につながるテストに向けて勉強することに費やした。本来の学生像に戻りつつあった。今までの成績の悪さの理由は、三年目の今、痛感することになった。
「終わったーーー」
 地獄のテスト期間の最終科目が終了し、晴れて僕の夏休みがスタートした。
「お疲れい」
 ポロシャツにチノパンの健吾はやはり父親的な服装がよく似合う。
「あ、師匠お疲れ様です」
「お疲れだな。最後の問題と解けた?」
「モーメント法、でしょうか?」
「お!うん。おっけいおっけい」
あたかも、もうすでに答えを知っているという自信に満ちた彼の顔にはイラっと来たが、成績上位者からのお墨付きは大きかった。
「よかったあ」
一安心付けたところでカバンの中からスマホを取り出しテスト中に電源を落としていたスマホを付けた。「なつやすみだーうーし、今日この後どうしようか」健吾が言った。
「うん、俺も今日なんもないけど、やっさんとかもうひまだよね」
そう僕が言うと大気中だったスマホの電源が入り、画面上にやっさんからのラインのめっせーじが 一挙に上がってきた。「あ、人狼してるって、やっさん」
「いくか」
「健吾さ、さきシェムシェム行っててくんない?俺ちょっと学務寄ってくる」
「おっけい。先行って待ってるなじゃあ」
学務室がある学生センター立ち寄った僕はそのあとやっさんたちが人狼をしているという大学ないのシェムシェムと呼ばれるカフェへ向かった。大学の建築学科の学生が内装を手掛けたそのシェムシェムは大学内のカフェにしてはこぎれいで雰囲気もいいため学生たちから人気のだったが、そうなるとさわがしくはどうしてもなってしまう。
 僕がつくと、健吾もすでにみんなと混ざっていてやっさんのほかに優太とエリカも含め計八にんで人狼を楽しんだ。
「だだーーーん」という音がスマホの人狼アプリで鳴り響いた。
「優太ジャッジメーントゥ」
「またぼくのまけですか」 
「優太分かりやすいもん」
「優太弱いよ!分かりやすいもん」
 エリカとやっさんが手を叩いて笑った。
「もっと腰入れろって、泥棒の始まりだぞ」
「健吾さん、もうそれ、やめてください」
「お前なぁ、人狼下手だからカナちゃんも駄目」 
「やめてくださいっ!もうマジでキレますよ!」
「うわー!キレるって!優太がキレる!」
「おいっスコップ隠せ!スコップをーーー!」
「、、、、、、」
 人様の前では決して見せることの出来ない身内でのやりとりは、周りにさえ迷惑をかけなければ、みんなで楽しむ分には良いものではある、と僕はその時思った。
 人狼をやり込み、疲れて果ててみんな休憩をしていると、やっさんが分かりやすくニタニタしながら話し掛けてきた。
「洋平さん、俺、来週、竜斗とUSJ行くんすよね」スマホを片手に持ち、すり寄ってくるようにして彼が言った。
「えっ?いいなー。ハリーポッターの乗るの?」
「それですっ!テスト期間、ハリーポッター全部見直したんすよ俺」
 やっさんらしかった。
「なるほどね。そっか、お土産たのむなっ」
「え?洋平さんも来ないっすか?」
 驚いた顔をして彼は言った。
「あ、ごめん、俺、今日夜行で一回実家戻るわ」
「あー。まじすかっ、分かりました」
「ごめんな」
「しゃーないっす。竜斗とバタービール飲んできますわ。お土産よろしくおねがいしますっ」
 手をひらひらとさせ、何度も首を縦に振って彼は言った。
「おう、楽しんでな。じゃあ、おれそろそろ荷造りとかあるから、行こっかな」
 そう言って席を立ち、みんなにじゃあと言ってそのカフェを後にした。外に出ると、日はだいぶ落ちており、夏だったが、吹いた風が半袖でむき出しになった肌を撫でて、少し寒かった。荷造りと気持ちを少し落ち着かせようと、僕は小走りで家まで帰っていった。
 荷造りを終えて当日の便に乗り込んだ僕は、周りの乗客が寝静まる中、カーテンを開け、外の景色を眺めていた。街灯と街からの灯りが、動くバスにより角度を変え、その表情も変えた。景色からのその灯りを頼りに、手元の紙を照らして見ていた。奨学金配布停止と書かれた通知書類は学務からのものでこれは親にもいずれ届く、親不孝であることに変わりはないが、通知書で発覚する最悪の親不孝を防ぐために僕は今夜行バスに乗っているのだ。紙から目線を外し、また外の風景を眺めた。何か良い弁明を考えてようとしたが、それも止め、無理やり目を瞑って眠った。バスに揺られながら、そのまま僕はいつも通り眠りに就いた。
 早朝に実家に着いた。一人暮らしをしている母のマンションは古く、ペットを飼うことを許されているそのマンションのエレベーターは、犬や猫の獣の匂いが充満している。家にの前に着いて、インターフォンを押すと介護の仕事をしている母はすでに起きており、ジャージを着ていて、短くした髪をさらにヘアピンで留めていた。
「おかえり。何か食べる?」と言い、母はさっさと朝食をこしらえた。焼きたてのトーストを齧り、いつもの薄口の野菜スープを噛みながら飲んでいると、「洋平、今年は単位大丈夫?」と先に聞かれてしまったので、奨学金配布停止の紙をバックから取り出して机の上に乗せた。
「ごめんなさい」
 母はその紙を見ると、「あちゃー、やっちゃったねー」と頭をぽりぽりと掻き「でも、卒業はちゃんとしてくださいね」と軽め口調で言ってくれた。
 母がそんな感じで言うことは分かってはいたが、ごめんなさいと顔を合わせて言わなければならないと思ってエンタテ大会後にすぐ来たのだ。母は、僕のやり方に口出ししたことは、今まで一度として無い、母の反応に、何の返す言葉もない自分はもう落胆するしかないのかもしれない。スープを出来るだけ音を立てずにおとなしく食事をとった。母が仕事で出ていくと僕はしばらくの間、自分の部屋でぼーっと並べられた昔の写真立てをしばらく眺めていたが、立ち上り、もう一つの実家へ向かい玄関を出た。
 父と弟の住む、もう一つの実家へ向かった。
 中学一年まで住んでいたその立派な一軒家には、昔と比べて色は少し落ちてしまったが、花壇にはたくさんの花が植えられていて、その彩に満ちた花たちもあってか、家は大分きれいに見えた。向かいに花好きのおばあちゃんがいるのだ。弟はまだ寝ていたため、父とリビングで話すことにした。父と二人っきりで話すのは、記憶上これが初めてのことだった。
「もう確定なのか?」
 父の癖である、髪を摘まみながらそう父は尋ねた。
「うん」
 それを聞くと、父は湯呑のお茶を啜った。
「うん、そうか。お母さんはお金大丈夫なのか?」
 と父は聞いた。
「大丈夫かは分からないんだけど、うん、一応大学は行かせてもらってる。申し訳ないけど」
「そうか」
 しばらくの間、父は湯呑のお茶を啜ってタバコを吸った。
「向こうはどうだ?人多いだろ」
「うん、多いね」
「そうか、お父さんも昔、あっちで住んでたけど、田舎もんの方が多いじゃんな、あっちは。みんな地方から来るもんで」
「うん、それはほんとに間違いないと思う」
 父は「だよなぁ」と呟きいて、「今日は夜、なんかあるのか?」と聞いてきた。
「あ、うん。中学の野球部のみんなと会う」
 そっかと小さく言った父は、徐にタンスの方へ向かい、中から封筒を一枚取り出した。
 ボーナス入ったからと言って、髪を摘まみながら、封筒を僕に手渡した。
「いや、ごめん、今日はもらえないよ。留年の報告で来たのに」
 いいから、もらっとけと言って、父は僕の胸の前に、その封筒を差し出した。珍しく頑なに父にそう言われ、結局、僕は受け取ってしまった。
「困ったら、お父さんに言えよ、お母さんも大変だろうから、シュンの連絡先分かるよな?」
 封筒を、うしろのポケットの中にしまった。後でしっかり鞄の中に入れないといけない。夜から集まりがあるため、それまでおばあちゃんの家に居させてもらった。


 中学校の頃の野球部のメンツで、久しぶりに集まった。12人が、地元で御用達のいつもの居酒屋にいつも通り集った。僕と同世代のみなは、僕以外全員、すでに働いているか内定をもらっているかのどちらかで、浪人をして、留年までする僕は、みんなより社会に出るのが遅れることはとっくに確定している。そのことを考えたが、もう忘れることにした。みんなに僕が留年したことを伝えると、ゲラゲラと笑われ、小一時間程いじられたが、「でもいいな、まだ学生やれて」という一人の言葉に、全員が揃って頷き始めた時、何となくそれも分かるような気がして、とりあえず梅酒をロックで飲み続けた。
 地元の駅付近のデパートの一画は、地方特有の一本道を超えてしまえばガラガラという状態だったが、地元を離れ三年がたった今、こうして立ってみると、こぎれいな建物や立派なビルも多く建っており、割と栄えているように思えてしまう。先日の野球部の飲み会で、当時から一番長い時間を過ごしてきた濱谷という男に、彼女の誕生日プレゼント選びに付き合ってほしいと頼まれ、僕の規制の最終日は、”男とショッピングをする”ということになった。待ち合わせの時計台の下でスマホをいじりながら彼を待っていると、スーツ姿の少し汗をかいた彼が走りながら駆け寄ってきた。
「わりい、遅れた」
 大学まで12年間、野球を続けてきたがたいの良い厚い胸板の彼にスーツはびったり馴染んでいた、健吾とはまた違うタイプの似合い方だった。来年の四月から、彼は地元の信用金庫で働くことが決まっていた。今日は内定者の懇親会があったそうだ。
「疲れたぁ」
 ネクタイを緩めてボタンを一つだけ外した。
「もうそんなのあるんだね。やっぱり社会人って早いわ」
「お偉いさんたちと飲んで来たよ」
「今日はどこ行くの?」
「マイケル、今日勝負だから」
 にたっと濱谷は笑うと色が黒いので真っ白いはがとても目立つ。マイケルとは何かわからなかったが、とりあえず彼に従って僕らはセンター街に向かった。デパートの中のマイケルなんとかという明らかに値の張りそうなブランドショップの前で彼は足を止めた。「ここだよぉ」高そうなバックの並ぶ店内へ何の躊躇もなく彼は足を踏み入れていく。あまり慣れない僕は気合を入れて飛び込むように自動ドアを潜り抜け、なんとなく呼吸を浅くして歩いた。上品そうな女の店員が濱谷を見て嬉しそうに近づいてきて、「先日、お客様がご覧になっていたものです」と言って、ピンクとグレーのバックをディスプレイからガラス台の上に移動させ、綺麗なお辞儀をしていつの間にかいなくなった。「これだ。これ、」濱谷はそう言ってしばらく眺めた。「洋平さ、これどっちがいいと思う?」彼に尋ねられた。以前彼から見せてもらったかわいらしい、信用できそうな優しい目をした彼女の顔を思い出し、
「グレーは絶対喜ぶと思うけど、ピンクは多分、自分じゃなかなか買えないと思うから、今回は僕はピンクで」
「おぉ、いいねえ。俺もそう思ってた」
 濱谷はピンクを付ける女の子が好きなのだ。
 さっきの店員さんにバックを掛けてもらい、最終確認を二人でした後、濱谷はピンクのバックを購入した。
 無事に買い物を終え、その足でラーメン屋にも立ち寄った。
「やべー、まじで買っちゃった」
 メンマを食べながら嬉しそうに彼は包装してもらった紙袋を見ながら僕に話掛ける。
「でも洋平のアドバイスありがたかったわプレゼントって相手の好み考えるのはもちろんだけどさ、自分の好みも入れないとうそじゃん」と言って、残りのラーメンのスープを啜った。「自分が良いと思えるものをあげて、それで相手が喜んでくれたら、それが最高じゃね?人間なんてみんな食わず嫌いなんだから、普段いつもしてそうなバッグあげてもそんなん、自分で買えばいいし、プレゼントなんだからちょっと相手が普段買わなそうだけど、してたら絶対に似合うものを外から見てる俺とかがそれに気づけばそれをあげて、相手が新しい発見してくれたら、それが本望だろ。はい、めんまあげる」そう言って、スープをしっかりと染み込ませためんまを彼はレンゲで掬い、僕のラーメンの器の中に入れた。その器の中に沈んでいくめんまを見つめ、
「はまじ、俺はめんまのうまさは分ってる。ここに新しい発見は無いと思うんだけど、」
 という僕の言葉にニタリとした彼は「今回のは、敢えてだ」とまたニタッと言った。
 それから彼は徐にスマホを眺め始め、「バラの本数に意味あんの知ってる?」と僕に聞いた。
「なんか聞いたことある、“真実の愛”とかでしょ?」
「そう、ちょっとこれ見てみ」
と言って彼はスマホで”バラの本数に隠された意味”というページを僕に見せてくれた。
「えっ、こんなにあるんだ、すげえ」
「な、臭いけど悪くないよな、こういうの」
「うん、悪くない」
「面白くね?一本だと“あなただけ、ONLY YOU!”だぜ」
「うん19本の“忍耐と期待”も気になる」
「忍耐と期待(笑)まあでも、21だな、本数的にもちょうどいい、やっぱ“真実の愛”だろ」
 と言って彼は再び、椅子にどっかりと戻った。
「え?バラもあげるの?」と驚いて彼に尋ねると、彼は何の気なさそうに「最初に、この前長野行った時買った、信州限定のカントリーマーム、ごめん金なくてっつってあげて、途中でこれが本命のプレゼントだっつって21本バラあげて、最後にこのバッグ」と言って、さっき買ったばかりのバッグの入った袋を彼はかざした。おどけたような照れの混じった彼の得意げなその顔は、昔、中学生だった頃のものと何一つ変っていなかった。
「21本バラをあげるのがミソだ、このバラだったら本当に本命感出せるから、最後のバックは絶対に驚く」と笑いながら彼は言った。
彼の喜ばせたいが伝わってきた僕は、彼から、自分のやってきたサークルと同じ雰囲気を感じ、少し嬉しく思った。ただ、彼はしっかりと内定をもらい、来年には社会に出ていく事実と、留年し、親のお金を借りて生活していくことの決定的な違いも、同時に僕は思い知らされることとなった。
 その後、濱谷に車で家まで送ってもらい、荷物を取ってからまた再び、駅まで乗せて行ってもらった。別れの際、彼から「学生楽しんどけ」という言葉を放たれ、「もう単位は落とさない」という約束を交わした。帰りの新幹線の中で大学に入り初めて授業への意欲が沸いていたが、今はまだ夏休みで、この気持ちが秋学期が始まるのと同時に消え失せぬよう、少し気を張りながら、新幹線の揺れと共に、僕は東京までの帰路に就いた。

 この六年後に濱谷はその彼女と結婚することになる。大学を辞めてボロボロになった僕に彼は結婚のスピーチを任せてくれたのだ。僕がどれだけ他の土地の風に慣れても、彼と会える自分自身を僕は取り切って生きて行きたい。そういった人たちを取り切れる自分になって行きたい。

 東京に戻るとすぐ、サークルの夏合宿が始まった。夏合宿と言っても、ほとんどただのお楽しみ旅行と変わらないものだったが、やはり、僕らの代でする最後の夏合宿はそれなりに思い入れがあった。親に留年の話をした直後で後ろめたさもあったが、実際に夏合宿に行くと僕はすっかり楽しんでしまっていた。夏合宿の最終日の夜は、三年生がみんなの前に立ち、一人ずつ思い思いにスピーチをする機会が与えられ、毎年湿っぽい雰囲気になるのだが、僕らの代は、その幼稚さもあってか、ふざけてみせたり、変なパフォーマンスをしたりする者も多く、とてもとは言えないほど湿っぽい空気とはならなかった。スピーチの最後は、部長の健吾が「かっこつけてもぼろが出るだけだ!」と叫び、「安心してください!穿いてますから!」と言いながら、ズボンを思いっきり下げ、また引っ張り上げるというのを何回も高速で繰り返し「いや、穿いてない穿いてない!」とみんなに突っ込まれながら、最近テレビでやっている芸人のネタを組み合わせアレンジするという最低な手法でみんなの笑いを取っていたが、照れ隠し半分、本音半分の彼の「かっこつけてもぼろ出るだけ」というその言葉は、僕らの代そのものを映しているように思えて、少しおかしかった。かっこ付けることの出来ない、照れ隠しで、ふざけ通した僕らの代らしい夏合宿は、そのようにして幕を閉じた。
 夏合宿を終え秋学期が始まると、授業終わりにシェムシェムで後輩たちが集まり、一年生達は来年のグループリーダー決めと、二年生達は来年の部長や新歓担当などのスタッフ決めで忙しそうにしていた。
 そのシェムシェムを授業終わりの帰り道に通り過ぎようとした際、ガラス張りのその奥にいた優太と目が合い、僕に気付いた優太が慌てながら外に出てきた。
「お疲れ様です」笑顔で彼は言った。
「お疲れ、リーダー決まりそう?」と僕は尋ねた。
「はい。もう大分決まってますよ」
「おー、いいね。優太リーダーやるんでしょ?」
「あ、聞きましたか?僕もう決定しましたよ」にっこりと彼は言った。
「まじか、良かったじゃん。がんばってな」と僕は言い、それから「でも単位だけは絶対に落とすなよ。サークルやり過ぎて単位落とす奴が一番ダセーから」とつい、強く言っていた。それを聞いた優太が笑った。
「いや、洋平さんだけには言われたくありませんよ。僕、春学期フル単です」
笑って彼は言った。
「そっか、がんばってな」
 少しおどけながらそう言いい、彼と別れた。優太といい、健吾といい、僕の周りはみんなしっかりしているなと改めて思い知らされた。
 週末の夜、僕をこのサークルに勧誘した二つ上の先輩達が作った、社会人のフットサルチームのする練習会に参加させてもらった。都内のビルの最上階にコートがあり、町の夜景を見渡せるそのフットサル場は、普段は料金が高すぎて使えなかったが、すでに一年目となった上級生達の社会人の力によって僕も初めてそのコートでプレーすることが出来た。今年、社会に出た先輩達は、まだ一年目であるということもあるにせよ、ユニフォームを着て、同期のみんなと楽しそうに話す姿は僕がサークルの時に見たものとほとんど変わってないようだった。
「お前、留年かよ、新歓担当として恥を知れ!」
その代の新歓担当の南山さんが冗談とも本気ともとれる顔をして言った。「やめなよ南」と、周りの女の先輩達もくすくすと笑った。
「すいません。やっちゃいました」
 頭を下げながら言った。
「オメェッ、まだ学生かっ!コノヤロウッ!」
「痛い!たかとさん髭痛い!離してください!」
「うらましいじゃねぇか、ほれっ!髭サンドペーパー!」
「痛い!」
「たかと、止めてやれよ」
 南山さんが笑ってそう言い、場は収まった。
「羨ましいぞ!洋平!」
 髭を擦り付けてきた、たかとさんが睨みながら言った。
「はい!」
「まあまあ、ったくこのサークルはほんと頭おかしいだろ。アキもバルセロナだし」
 南山さんがゴールキーパー用のグローブを外しながら、やれやれというように言った。
「えっ?アキさん今、バルセロナいるんですか?仕事は?」
「何してるかは知らん」
 南山さんがキッパリと言った。
「そうですか、まあ、アキさんらしいですね」と僕が言うと南山さんは「まあな」といい奥の方にあるゴールに向かってボールを蹴った。
 二時間の練習を終え、みんなで更衣室着替えている時、社会人となった先輩達の会社での話で盛り上がった。社会人一年目のリアルな会社でのエピソードトークは、聞いていてとても刺激的で面白く、華やかな面と闇の面どちらのことも聞けた分、僕は考えさせられたことも多かったが、やはり、それは魅力的に思えた。話の途中に何回か当時のサークルでの思い出話を先輩達が楽しそうに話す姿を見て、くだらないサークルでの日々を本当にくだらなかったと笑って言える先輩達を本当に羨ましく思った。
 帰りの際、南山さんに「洋平、やっちまったもんはしょーがねーんだから、反省したらもう忘れろ」と言われ。それは本当にありがたかった。南山さんの言う通り、もちろん反省はした上で、これからの留年による孤独にも打ち克つためにも、僕はいつまでも気を沈ませていても仕方がないか、と思いこれからは前を向いて行こうと決めた。ここで立ち止まっていても、その分、僕の挽回の機会は遅れてしまう。自分の言い訳としても、合理的な立ち直しの考え方とも思えるその言葉に救われた思いになった僕は、少しだけ希望のようなものが見えたような気がしていた。
 竜司君が辞めたということを知らされたのはそんな時だった。その知らせはやっさんからだった。フットサルが終わり、南山さんの車で送ってもらう途中、やっさんからLINEが入った。「りゅーじが辞めちゃいました」というメッセージの末尾に、おどけたLINEのスタンプを載せた彼の気を思い、「そっか、やっさん海行かない?」という返事をすぐに返した。「行きましょう」という返事がすぐに来たため、南山さんに家まで送ってもらってすぐ僕はシャワーを浴びた。やっさんが家までバイクで来てくれたので、その後ろに乗せてもらい、彼といつも行く少し離れた海までバイクを走らせた。沿岸沿いの国道の、なだらかにカーブを描いた一本道に、やっさんが丁寧にハンドルを合わせていく。
 対岸に見える町の夜景と強い潮の風が吹き、寒さもあって、僕はしっかりと彼の迷彩柄のミリタリーコートにしがみつきながら、彼の大きい背中とそこから伝わる熱を感じていた。潮の匂いに鼻が慣れ、顔が寒さで硬くなる頃、やっさんは堤防のあるスペースに青のSRを止めて、僕達は近くのコンビニで温かい缶コーヒーを買った。
 堤防に二人で腰を掛けるとやっさんが「ここで今の彼女に告ったんすよ」と言った。「やっさん、それ三回」と僕が言うと、まじすか、すいませんと彼は笑い、さぶっと言って缶コーヒーを両手で覆いながら、小刻みに振った。潮の匂いがまた鼻に付いた。それからやっさんは遠くを見るようにして、「りゅーじ、俺とは良かったんすけどね、やっぱうちのサークルっぽくはなかったすからね。彼は」と言って缶コーヒーを啜った。
 彼の言ったセリフは痛いほど僕には分かるような気がした。部員60人を超える僕のサークルでは、その人数のせいもあってか何かとモラル的なものにうるさい傾向があった。エンタテというモラルとは正反対の活動もあったが、その分、みんなとの雰囲気を大切にしたり、暴力的なものを嫌う傾向があった。僕はその中にいつも世の中と同じ雰囲気を感じていた。奇抜で協調性というものが周りよりかは足りていなかった竜司君が辞めたことは、正直、少し予想はしてしまっていた。だからこそ、仲の良い安田とも一緒の方が良いだろうとも思ってはいたし、安田もそれを望んでいた。
 僕は温もりを失ってしまった缶コーヒーを開けて、一口飲んだ。そんな時に、僕はいつ
かのアキさんがエンタテについて語っていた事を思い出した。あれはエンタテについての
ことだったが、今回のこの竜司君の件と、僕の中では同じもののように思えた。確か、世の中に擦り合わせていくだっただろうか。そんな考えの中に浸っていると、隣のやっさんが、「りゅーじ、俺とはこれからも遊びたいんですって」と小石を海へ投げながら言った。トポンッという音がした。
「うん、そうだろうね。別に間違ってはない」と僕も小石を海へ投げた。
「そうっすね、間違ってはないっす。サークルですもんね」と言って、やっさんがすたっと立ち上がった。僕は彼と同じ気持ちであるような気がしてならなかった。竜司君は間違ってはいなかった。サークルの雰囲気が合わないなら辞めればいい、そんなことは当たり前だった。
 僕達がやっているのはサークだった。社会性も、責任も、賃金も出ない、学生が集まっただけのサークルだった。
 僕もやっさんの隣に立ち上がると、目の前に広がる海を眺めた。海のきらきらが動く波と複雑に折り合い、夜の海の幻想感が漂う中、やっさんの横顔をちらっと見た。
「部長がんばって、来年」
「ややこしいですからね、このサークルは」
「ややこしいのは間違いないわ、留年とかやめてな」
「絶対ないっす」
 彼は即答した。それから彼は、
「糞ですねー、サークルの部長とか」と言い、小石を拾ってまた海に向かって投げた。
「糞だよなー、新歓担当とか」僕も石を投げた。
 それから僕達はいい加減寒さにも耐えられなくなったので、またバイクで帰ることにした。帰りの道は来た時よりもあっという間に思えたが、それはおそらくバイクのスピードが速かったからではなく、感覚によるものだったと思うのだが、取り合えず家に着いた僕はやっさんにお礼を言った。
「ありがと、遅くにごめんね」
「いや、むしろすいませんわざわざ海まで行ってもらって」
「こちらこそ、じゃあ、またね。明日学校で会えるかも」
「お疲れです。あ、洋平さん来月末の土曜日。二年生と三年生で飲み会しましょうよ、二年はちゃんと二十歳超えたメンツしか呼ばないんで。俺、幹事やります」
「来月か、うん、いいよ。行きたい」
 そう言って彼と別れた。僕も、このサークルにいるのも後二か月程だった。十二月の引退パーティーが近づいてきていることに気付いた僕は、何だか良く分からない気持ちになり、明日の一限の授業のために、そなまますぐに眠りに就いた。
 十一月になると大学には、就活生のためのセミナーの広告や看板がちらほらと見え始め、僕の同期も本格的にではなくとも少しずつ就活に向けての情報交換や勉強会をやり始めていた。理系の僕の周りの人達は、どこの研究室がどの分野の就職に強いかや、コアタイムは何時間あるのか等、みな忙しそうにしている。相変わらず授業とバイトに追われていた来年も三年生をする僕は、みなの雰囲気とは異なる、遠くの別のどこかにいるような気持ちになり、まだ同期が大学にいるというのにすでに孤独な寂しさを感じていた。アホだったがやはり感じてしまう。このツケはできるだけ早く一個ずつ返して行くしかないのだ。
 やっさんが幹事をしてくれるという飲み会は、LINEのグループがもう作られ、一週間前の今から、みんなすでに盛り上がっているようだった。研究室選びや就活で忙しい同期達も、そろそろみんなで集まりたいというのと、引退パーティー用のお別れのムービーを撮る、という大きな意味を持つこととなったその会は、僕にとっても本当に助かるものだった。その日、四限の授業を終えた僕は、生協の横に立てられた「就活フェア」という看板が目に入り、生協の書店コーナーと書かれたスペースで様々な種類の就職用の教本が並べられているのを物色した。その中の、企業図鑑という大きな分厚い本を手に取り、ぱらぱらとめくってみた。その本には様々な業種が色分けされていて、あらゆる分野のランキングが載っていて面白かった。子育てしやすい会社というものもあった。会社というものにほとんど知識のない僕は、少し勉強でもしてみようと思いその本を購入した。思ったより値段はしたが、悪い買い物では無い。早く帰ってその本を読みたくなっていた。周りに触発された所もあったかもしれない。
 帰り道に、たまたまエリカと出会した。
「あ、洋平さん」
「お疲れ、もう帰り?」
「はい、もう帰りますよ。それ何買ったんですか?」
 僕の手に提げていた袋を見て、エリカにさっそく言われてしまった。「うん、ちょっと買ってみた」と僕は平静を装って答えた。
「え、洋平さん、いらなくないですか、今年はまだ、、、(笑)」
「分かった、分かってるから」とたまらず言うと、ウケると言ってまた笑れた。さすがに見られたくなかったが、見られてしまったからにはもう笑われてもしょうがなかった。逆に僕も笑えて来て散々に笑いつくした後、彼女は、「あ、あと洋平さん、新歓担当の引継ぎ今度お願いしますね」と言った。完全に忘れ切っていた。「あっそうだ来週とかでいい?」と僕が言うと「はい」と彼女が笑って目を擦った。僕のグループにいたエリカも、来年、新歓担当だ。「留年するなよ」と言ってエリカと別れた。
 その後、少し忘れかけていた企業図鑑への興味が再び湧いてきた僕は、急いで家まで帰った。原付に乗って大学を出てすぐの、近道のバス停の道を横切ろうとしたその時、背後からパトカーのけたたましいサイレン音が鳴り響いた。はっとした僕は、ブレーキを思いっきり掛けた。
「原付のお兄さん、ちょっと止まって」若い警官に言われ、僕は原付を道路の端へ止めた。
「ここさ、バス専用なんだ。ここの学生さんだよね?知らなかった?」と若い警官はすぐ隣にある僕の通う大学を指しながら深く帽子を被ったまま言った。
「はい。すいません、近道しようとして」
「近道か。んーでも、駄目だよやっぱり、ルールだからさ。気持ちは分かるけど」と言って僕の原付のナンバープレートを何かに書き写している「じゃあ、後日、反則金の支払いの手紙、家に届くと思うから。七日以内で。ルールだからね」
 と言った。
 家に着いた僕は、しばらくの間企業図鑑をぱらぱらとめくっていた。端から端までめくって読んでいった。出来るだけ、本に払ったお金の元を取れるように目に焼き付けるように読んでみた。反則金がいくらなのかは分からなかったが、来週の飲み会代も、お金はあんまりない。父からもらった封筒から一枚抜いて財布にしまった。
 僕達の代行きつけの天国と書いて、てんくにと読む居酒屋に着くと、二、三年生を合わせた30人が、全体として最後の天国での会に、胸を弾ませていた。フローリングに座布団が引かれ、低いテーブルが並んだだけのその会場は、僕らくらいのサークルの飲み会の会場にはうってつけの雰囲気だった。
 健吾が先日、引退パーティー用のムービーを撮るために買ったという、新品のビデオカメラを構えながら、「今日は撮るぞ!」と意気込みを見せていた。
 みんなが席に着き、やっさんが前に立つと、周りから、よっ部長という声が上がり、
入口のドアの横で、みんなを撮影していた健吾が「次期な!まだ俺だ部長は!」と叫んだ。すでに、会場はお祭り騒ぎだった。
「えー、今日は!三年生と最後に!馬鹿な思いで作りに開きました!最後にぶっ放しましょー!乾杯―――!」
「乾杯―――!」
 飲み会の開始と共に、辺りでコールが飛び交い始めた。
「やっさーん!来年はお前に任せたー!」
「けんごさーーーん!」
 皆が地理尻になり、混沌と化していくその会場は、最後の天国での飲み会を本当に楽しみ尽くしたいという皆の気合で凄まじかった。開始10分も経たない内に、すでに出来上がった健吾が、みんなからの一言メッセージを撮りに回り始めた。
「木田!この三年間どうだったー!」
「最高じぇーーい」
「滑舌悪くて聞こえねーよ!」
「タノっち!宇宙工学は楽しかったですかー?」
「いや、宇宙だから、楽しいとかはな、」 
「まじめかっおまえ!」
「なつき!タバコの吸いすぎは、、、、おい!吹きかけんな!」
 僕らの代の部長はやはり、彼がふさわしかった。
 一時間程経つと、さすがにみな落ち着き出し、それぞれのテーブル毎で、雑談や思い出話に転じていった。僕のテーブルを挟んで向かいにいたあい姉が、顔を赤らめてテーブルに肘を突きだした。
「やっさんがんばってねぇ、来年、部長ぉ」と隣のやっさんの肩を叩き、うだりながら彼女は言った。
「はい。あい姉、お世話になりました。ほんと」
「何でよ、全然お世話なんか掛かってないからっ」
「いや、あい姉には陰でいろいろ、お世話になってますから」
「何、陰って」と言ってあい姉は笑った。
「でも、竜司君、残念だったね。安田かわいがってたでしょ?あの子」
「あー、はい。そうっすね」やっさんがビールを飲み込んで言った。
「ねえ、竜司っていつ辞めたんだっけ?」
 とやっさんの向かいに座っていたヌイが言った。
「あ、確かに、いつの間にか辞めてたもんね、あの子」
 あい姉も言った。
「あー、そうっすね。夏合宿は来たんですけど、それから全
 然来なくなっちゃったんで、実際、辞めたのは秋頃ですね」
「え、夏合宿いたっけ?全然知らんかった」
「ヌイひどい、それは」
「でも、あの子無理よね、ガキ過ぎなかった?」ヌイが言った。
「うーん、まっ、ガキっていうか協調性が無かったよねあの子は」
「あの子の新入生エンタテのバイクのネタマニアックすぎてあたし全然分からんかった」
「あーあったね、そんなの。バイクの事故あるある」
「そうそれっ!分からんくない?あんなの」ヌイとあい姉が笑った。
「いやーあれは、俺も言ったんすけどね、、伝わりにくくないか、って」やっさんが困ったように笑い、またビールを飲んでいた。やっさんのその顔を見ていると、だんだんと胸が痛くなってきた。
「ってかあの子ずるくない?新歓費とかあるのに、一年の最初の一番良いとこだけ来て、金は返して欲しくない?」
 新歓費は自分達が先輩から新歓してもらった分しか取っていない。それは、新歓を始める前から、全体で確認もしていた。
「でも辞めたからいいっしょ、もううちら引退だし」
「まっそっか、もう終わりだしね」
「うん。そろそろちゃんとしないと」
「ねっ、おふざけは終わり!」
 二人笑い声が響き、耳の後ろに纏わりついていった。周りの混沌と混ざり、何も考えることが出来なくなった僕は、目の前にあるジョッキを一気に流し込んだ。
 様子に気付き、やっさんが「洋平さん大丈夫ですか?」と寄って来たのが見えた、そんな中、やっさんの横から酔っぱらった健吾が僕に近づいて「洋平!親の金で風俗行く気分はどうですか?」とカメラを向けた。いつもの健吾の軽めのノリだった。
「洋平さん!親の金で、デリヘル呼んだ話してくださいよ!」
 健吾にやっさんが乗っかっていった、いつものやっさんと健吾の軽めのノリだった。二人のいつもの、ちょっとしたノリだった。「やめろよ」立ち上がった。ビールが倒れた、女子達の声が響いた。「誰の金だと思ってんだよ」二年前、アキさんの代に憧れて、僕はこのサークルに入部をした。アキさんは、このサークルを心地の良い居場所だとよく笑いながら話してくれたのを覚えている。目標は無いんだよ。このサークルは、敢えて言うなら、楽しむってことだけで、ほんと糞だと思うんだけどさ、でも、世の中と本当はあんまり違いはないんだと思うんだよね。もちろん甘いんだけどさ、こんなに若い人達が集まってんだから、何もないわけないと思うんだよね。グループリーダーとかさ、ほんとすごくって、自分のグループの後輩達が、俺のグループで楽しめてるかとかを、どきどきしながら考えたりするのって、すごくね?思いすぎたら気持ち悪いけどさ、サークルだし 別にサークルに限ってではないけど、バイトとかでも何でもいいんだけど、せっかく学べるもんあったら学んじゃえばいいんだよ、どんなに、一般に、くだらないと言われている物からであっても   ただ、親にはね、感謝しなくちゃ。俺らが今生活出来てんのは、全部親のおかげだから。学費もあるし、勉強は、嘘でもしないとな 別に、サークルを絶対的に美化してる訳ではない。基本的には糞だから。でも、俺は本当に良かったと思ってる。学べたから。とーちゃんと、かーちゃんには、遊んでばっかいて悪いけど、四年間で卒業出来ただけ、勘弁して欲しいな、これから働くからさ」
「インターンでもいいし、バイトでもいい、もちろん、嘘じゃない。学業が一番。自分が良いと思えることとか、ときめくものとか、社会に出る前に、最後に、やっときたい。単位はもちろん、取った上でさ」
 てんくにの外に出ていた。冷たい風に当たって、気持ちは随分と静まっていた。せっかくのやっさんが企画し、大切なお金を払って出た会を僕は壊してしまった。ヌイとあい姉は何も間違っていないし、その通りだと今思う。幼稚な空想に囚われているのは、僕の方だ。しっかりと、自分の立場と現状をわきまえて将来を見通せる人が、正しかった。
「洋平さん」
 やっさんがてんくにから出て来た。
「ごめんなさい」
 先に、謝られてしまった。
「ごめん。俺が悪い、本当にごめん」
「いや、僕が言っちゃいけないこと言いました。ごめんなさい」
 どこまでも気を遣ってくれ、本当に申し訳なく思った。
「ごめんな。みんな大丈夫?健吾は」
「健吾さん、酔っ払いすぎて泣いてますよ、よーへいごめんって叫びながら」
「まじか。申し訳ない」
「戻りましょ。みんな心配してるんで」
「うん」
 やっさんに引っ張られ、てんくにへ戻った。
 てんくにに戻り、僕はみんなに向かい謝罪をした。最後のみんなの思い出を台無しにしてしまったことを、謝って、頭を下げた。てんくにを出ようとした際、水を無茶苦茶に飲み、復活した健吾が、てんくにを出てすぐ横にある空き地にみんなで集まろうと言ったので、僕達はその空地へ移動した。さきの一件のせいもあってか、皆の酔いは殆ど醒めていた。その空き地で皆で輪を作り、本日の主催者であるやっさんに一本締めで締めてもらった。二年生は先に帰ってもらい、三年生だけで残った、少し、嫌な空気が流れた後、健吾が口火を切った。「えっと、まず、ほんとにごめんなさい」健吾がそう言って頭を下げた。
「ごめん私も、竜司のこと、ちょっと言い過ぎた、洋平、嫌だったと思う」あい姉が言った。ヌイも頭を下げた。
「いや、本当に。ごめんなさい。僕が最悪だった」
「うん。ごめんな。で、ここまでやっちゃったからには、確実に引退パーティーを盛り上げなければならいから、洋平、今日のはその振りにしない?」
「振りにしても良いの?」
 吹っ切ってそう言ってしまっていた。みんなが、笑ってくれていた。「フリだろ!フリだろ!」と本田と葉原が奇声を上げた。
「よっしゃあ!俺らの代の最後!最高の引退パーティーで飾るぞー!!!」健吾が叫んだ。
「うおおおおおおおおーーーーーーーーーーーーー!!!」
 夜の空き地に、迷惑な雄たけびが、鳴り響いてしまった。
それからの二週間、僕達は最高のフィナーレを飾るべく、毎日、講義を終えると部室に集まり、準備に掛かった。引退パーティーのエンディングムービーを任された僕は、パソコン作業なので家でも出来たが、部室の隅で、皆と一緒に、カタカタとパソコンを打つ日々を送っていた。
「出来た、間に合った」
 引退パーティーの二日前のことだった。
「え、出来た?見たい見たい」かおりが僕のパソコンを覗いた。かおりが見始めたので、他の作業をしていたみんなも集まってきて、パソコンの周りを囲んだ。
「うん、いいんじゃないこれで、うちららしくて」あい姉が言ってくれたので安心した。
「最後ぐらい、かっこ付けてぼろでも出すか」と健吾も言った。
「やるぞ!やるぞ!」と奇声が上がった。
「カーテンとドア締めて来る」僕が言うと、みんな立ち上がった。 
「よし、じゃあ、リハーサルやろう」
 健吾の号令で、みんなが一斉に覆面を被った。
 引退パーティーの会場は、駅近のビルの中にあるカラオケボックスのパーティー会場で行われた。プロジェクターとエンタテが出来るステージがあるのが決め手となったその会場は、僕らには十分すぎる程立派で、先に会場入りして飾り付けをする。踏み入れた途端、その豪華すぎる雰囲気に全員胸を弾ませた。
「すっげえ」全員、会場を満喫し始める。
「タカシ、ミラーボールある」
「まーしー付けて」
 まーしーがミラーボールのスイッチを付ける、ボールが回転し始め、
 途端に会場はムーディーな雰囲気に包まれた。
 まーしーが奇声を上げ、みんながはしゃぎ出した。
「おい!もう時間あんまないから準備やるぞ」
 タキシード姿の健吾がそう言って場を締め、みんで準備に移った。
「一、二年生準備おっけいでーす」
 あい姉の掛け声が響いた。
 みんなでアーチを作り、定位置に着くと、全ての準備が整った。
「入場です!」
 ドレスアップした部員達が会場に入ると、雰囲気はさらに華やかなものになった。
 健吾の作ったオープニングムービーを最初に流し、フリータイムを40分ほど取った後に、学年ごとによるエンタテが行われた。一年生のエンタテに出た優太は、新たな汗かきおじさんというキャラへ挑戦し、滑っていたが、その志は、見ていて感心させられた。普段大人しかった一年生の細身の男の子が、汚い言葉で会場のみんなに向かい良く分からない不満をさらけ出し、その日一番の歓声を浴びていた。新たな、スターを生み出したそのエンタテで、僕らの代も、三年間秘密兵器として隠しておいたはやむ君バズーカーというネタを最後に披露し、僕らの代でする最後のエンタテは、無事に、成功を収めていった。
 会もいよいよ終盤に近づき、僕の作ったエンディングムービーが流れる時がきた。
 隣の健吾と目を合わせ、みんなの準備を確認すると、皆からの「おっけい」の言葉を受け、僕は照明をオフにした。急に暗くなり、どよめきを見せた会場に、プロジェクターが光り出した。暗闇の中に光る、そのプロジェクターにみんなの視線が集まり、BGMと共に、今年一年間のこのサークルでの写真が、季節を追って流れていった。サンタの恰好をしている優太と僕の、ツーショットも流れてきた。
 時間が経ってから見る、その写真は、今こうしてみると、やっぱりどうしても愛おしかった。何年か経った後、僕は、この、今の自分を、どのようにして思い出すのだろう。どのようにしたら、あの頃は良かったな、と笑って言えることが出来るだろう。その答えを、どうしても知りたく思った。様々な思い出が流されていき、十二月の、最後の思い出の写真が終わっていった。
 野暮だったが、思い出の詰まったそのムービーに、会場から拍手が沸き起こり、みんなのすすり泣く音が聞こえていた。温かいその会場の雰囲気は、いつまでもそんな時が続いていくような気がした、そんな時だった。「ギャハハハハ」プロジェクターがまた光だし、けたたましい笑い声が会場に響いた。その途端、会場全体の視線が、再び光を放つプロジェクターに注がれた。「ってかあの子ずるくない?新歓費とかあるのに、一年の最初の一番良いとこだけ来て、金は返して欲しくない?」
 真っ白い映像を映しただけのプロジェクターから、音声だけが鳴り続けた。
「でも辞めたからいいっしょ、もううちら引退だし」
「まっそっか、もう終わりだしね」
「そろそろちゃんとしないと」
「ねっ、おふざけは終わり!」
「キャハハハハハハ」
 てんくにでのあの会話が会場に鳴り渡り、混乱を隠せない会場の雰囲気は、さっきのまでの温かかったものと、全く異なるものになってしまっていた。やっさんももう、何も言わず、ただステージのプロジェクターを見つめていた。最後のセリフが、プロジェクターから虚しく響き、会場は静寂に包まれていった。凍ってしまった会場の部員が、その気まずくなった雰囲気を、どの様に受け取るべきか伺い始めた時、「出たな、怪人、サークルの闇怪獣」ステージの袖から赤い物体が飛び出した。
「留年ブルー」「副部長ピンク」「まーしーイエロー」「滑舌グリーン」「煙草パープル」「ゆかちゃんオレンジ」「熊本スカイブルー」「シーサーグレー」「貧乳ショッキングピンク」「野村證券レインボー」「コンサルタントトロピカル」「はやむブラウン」「巨乳アクアマリン」「MAX無色」「ハッチブラック」「たこ焼きサーモンピンク」「顎と髭ペパーミント」「浅草オリーブグリーン」「実家がサマーウォーズホワイト」「卓球ボルドー」「アッチガーゴイル」
「顔面レッド」
 総勢21色がステージに出揃った。21体のエネルギーを凝縮し、最大限のパワーを出力するため、皆、一斉にポーズを取った。
「喰らえ!正義の!カー、ムー、サー、ハムニ、、、」
 みんなが揃った。「ダァーーーーーーーーーーーーーーー!」21人のカムサハムニダ波が、そのプロジェクターを目がけ、ぶち抜き、貫いた。爆発音が鳴り響き、そのプロジェクターに、今まで本当にありがとうございましたの文字が現れた。冷え切っていた会場から、やっと笑い声が溢れ出し、その鳴りやまない拍手の中、部長レッドがマイクを取ってステージの中央に立った。
「驚かせたなあ!もう安心してくれ!これで怪人サークルの闇怪獣はいなくなった」
 歓声が上がり。息を吹き返したやっさんが、これ見よがしに、必死になって盛り上げようとしてくれている。部長レッドが再び、マイクを口元に当てた。
「だが、これは紛れもなく俺達の本音だ」
 少し、会場に嫌な空気が流れても、後輩たちは声を張って盛り上げてくれている。
「この闇を、お前らに見られたからには、俺達はもう、ここにはいられない、やすだ」
 部長レッドに呼ばれ、やっさんが声を上げた。
「お前、来年、このサークルの部長をやるようだな、この闇はな、一年もたたないうちにどんどんとでっかくなっていって、お前も、部員達をも苦しめていく、お前にそんな大役務まるんかい」
 スーツの袖でごしごし顔を拭きながら、輝いた目の安田はまっすぐ顔を上げた。
「最高のサークルにします」
 彼のしっかりとした声が会場に響き渡った。部長レッドもうんうんと彼の言葉にしっかりと頷いて返した。
「よし、よかろう、お前にこのサークルを任せる」
「が、しかし、やっぱりちょっと不安だと思うから、特別に、来年、臨時講師としてお前らを見守る先生を一人紹介してやる。特別だぞ。ブルー前へ」
健吾からマイクを受け取った。みんなのいる前を向いた。
「来年もよろしく」
 先輩も後輩も同期も素敵な人しかこのサークルにはいない。
 僕はあの頃の僕とはもう違う。けれど、どれだけ過去を忘却のマントで覆い隠しても、あの時を経てきたのが僕なのだ。
 
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