第8話 香奈のヤキメシ

文字数 3,890文字

スカーレットはとても疲れていました。
無理もありません。
はるか遠く、別宇宙の別次元。それも異世界と呼ばれる「魔法使いの世界」からの旅路は、肉体的にも精神的にも過酷を極めるものでした。
転生経験者は後々にこう言います。
ー仮に眠っているだけだとしても、別次元の生涯をインプットさせられる行為は我が肉体に過度な負荷を与え、極度の疲労感に襲われるー
匿名。
ー転生先でのエピソード自体が夢うつつのようで不確かなものだったー
匿名。
ー転生乙ー
匿名。

ウエストポーチのお兄さんに潰されて意識を失ったスカーレットは、赤羽駅から救急車で曾我廼家医院へ運ばれました。
北区のはずれにあるこの病院は、昔馴染みの開業医で救急外来も受け付けています。町のお医者さんとして親しまれる病院の院長は、都立大学医学部同窓会の世話役として、各方面に顔が利く開業医界の重鎮でもありました。
曾我廼家はスカーレットを知っていました。
健康診断で問診をした際に、その流ちょうな日本語に感心したのと、彼女が務める赤羽しんぶん舎が発行する『あかばねじょし部』の密かな購読者でもあった為です。
そこの名誉会長とは大学時代の先輩・後輩の間柄でもありました。
曾我廼家は熱中症で目を回してしまったスカーレットを不憫に思い、というよりも先輩に恩義を売るつもりで特別に個室に移して点滴を施しました。

「わし以上に顔が利く松平さんに恩を売っときゃ、婿養子の出世の時期にえらい働きをしてくれますやろ。たかだかの事かもしれませんが、こういう積み重ねが大事やっちゅうわけでんがな」

誰に言うわけでもないセリフを心の中で呟きながら、曾我廼家は部屋を後にしました。
しばらくすると、一人の女性がドタバタと病室に転がり込んで泣き始めました。スカーレットの手をさすりながら、何やら呪文みたいな言葉を囁くゴックちゃんはベトナム人です。
同じ会社で研修生として働いています。
ふくよかで人懐こい丸顔ののゴックちゃんはとても純粋でした。
小麦色の肌をプルプル震わせながら泣いています。

「見知らぬ男に潰された」

としか聞かされていなかったゴックちゃんは、スカーレットがべっちゃんこになってしまったと勘違いしていました。
見るも無残に押しつぶされ、ミンチ肉みたいになった姿を想像していたゴックちゃんは、いつも通りの姿で眠るスカーレットに安心したのです。

「・・・オキゲンイカガデスか?・・・ヨカッタネ・・・ヨカッタネ・・・ゴックチャンデス・・・ヨカッタネ・・・」

そう言いながら大泣きするゴックちゃんの声に、スカーレットの瞼がピクリと反応しました。
あたたかな人の温もりを手のひらに感じながら、スカーレットは「心配してくれているのがレットだったら良いのに」と思っていました。
ところが、別世界での自我が覚醒を始ると乙女の期待は消失して現実だけが残されました。
転生先で最初に耳にする片言の日本語を目覚ましに代わりに、スカーレットの目に飛び込んだ光景は丸顔の女の子の涙顔でした。
瞬時に。

「誰?」

と、思いましたが無理もありません。
転生ホヤホヤのスカーレットにとっては初対面の相手なのです。
しかしインプリット・フォレストのおかげもあって、電気信号が直ちに脳内へと送リ込まれまたのでした。

病室=病気+原因=埼京線のウエストポーチ80kg
√(レット♾⑵)− 日本+日本語得意♡
丸顔ちゃんVSレット♾ヾ(๑╹◡╹)ノ"
仕事仲間=ゴックちゃん=仲良し=ベトナム♡=研修生=後輩(笑)
スカーレット=私=会社員=OL
+社畜ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3

スカーレットの脳内は多少ごちゃごちゃしていました。いかんせん、魔法使いの世界での記憶が消えていないので二重人格者さながらの心持ちです。
簡単に言うと、プリンセスとOLが頭の中で言い争いをしている。そんな感覚でした。

「オキタネヨカタネ〜アンシンシマシタア。ペッチャンコダッタハズダッタハズうー」

と、ゴックちゃんは言いました。
スカーレットも答えます。

「ワタシ、ペッチャンコヂャナイデスう。デンシャアツイし魔法・・・イイエ、マホウビンミタイニミッペイ。キブンワルカタ」

スカーレットはゴックちゃんの手を握り返して言いましたが、何処と無く棒読みみたいになってしまいました。
それを優しさと受け取ったゴックちゃんはまたおいおい泣いてしまいました。

「スカーレットセンパイ、ワラカスノモジョウズ。good job!」

「YES! good job!」

スカーレットが笑顔で言い返した時でした。
またもや脳内に電気信号が送られました。

お供が居ない?=ひねもす+タマオちゃん=逃げた?=消えた=どこ行った?
ひとりぼっち=いくらなんでも×ツラたん。・゜・(ノД`)・゜・。

です。
スカーレットはゴックちゃんに聞きました。

「ゴックちゃん。鳥見なかった? 白くてふわふわっとした2匹の鳥!」

「ヤキトリデスカ?」

ヤキトリ=焼いた鳥=鶏=・・・違う違う!

スカーレットは起き上がって驚きました。
なんと上下真っ赤っかのジャージに着替えさせられていたのです。
鏡を見てあまりのダサさに再度気を失いかけた時、バッタンバッタンと近付く足音が通路から聞こえて来ました。
スカーレットは警戒心を露わにゴックちゃんの背後に隠れてしまいました。

騒がしい足音は病室の前でピタリと止んで、扉がゆっくりと開き始めました。
一段と寒い廊下からの冷気が室内に流れて来ます。
病院の外では蝉がけたたましく鳴いています。
ゴックちゃんもスカーレットも、ゴクリと生唾を呑み込みました。
真夏の盛り、病室に現れる幽霊といった怪奇現象が脳裏をかすめたからです。
ぬぅーっと伸びる白い腕は恐怖を助長させるに相応しく、ゴックちゃんは慌ててスマホのカメラを起動させました。

「セ・ン・パ・イ・・・?」

かすれ気味の力のない声がします。
マッシュショートボブの前髪の隙間から、くりくりのお目々がジィーっとスカーレットとゴックちゃんを見つめています。
ぶるぶるのおちょぼ口は、痙攣しながら何かを訴えているようでした。
すうっと病室内に侵入する、マニッシュなカーキ色のパンツから見える足先。
ヒールは控え目の紺色です。
インナーのオフホワイトのキャミソールは大胆さを印象付けて、さらりと纏った白のジャケットは、洗練された知的なイメージを与えていました。
そんなゴックちゃんと同じくらいの背丈の女性は、しばらく立ち尽くしたまま動きません。
スカーレットの脳内のシナプスは大活躍ですが、これぞといった情報は得られませんでした。

誰=? 女=? 幽霊=Σ(゚д゚lll)
Σ(゚д゚lll)
∑(゚Д゚)
((((;゚Д゚)))))))

スカーレットのモヤモヤが取れかけた時、オフィスカジュアルの女性は両手を突き出しながらふたり目掛けて突進して来たのでした。

「せんばあーい」

その舌ったらずな声は病室内に響き渡りました。
私はひとりぼっちじゃなかったと、危うく声に出してしまいそうになったスカーレットは、抱きついてきたオフィスカジュアルの女性(90%タマオちゃん)の髪の毛の匂いをクンクンと嗅いでいました。
3人で輪になって、互いの背中に手をあてがってくるくると回る姿は、魔法使いの世界にある水車クルクルを思い出させます。
スカーレットは思い切って言ってみました。

「ああ、タマオちゃん・・・タマオちゃん・・・」

「無事でよかったです先輩・・・みんなも心配してますよ・・・良かったです先輩・・・」

「タマオちゃんタマオちゃん、ああタマオちゃん・・・」

「たまおですよたまおですよぉぉぉぉお、安心してくださいせんぱあ~い・・・」

スカーレットの嗅覚は最大限の能力を発揮していました。
髪の毛からは間違いなく羽毛の香りがしたのです、それは体温ほやほやのマシュマロみたいなシマエナガの匂いでした。
ゴックちゃんもスマホを持ったまま喜んで、くるくると一緒に回っていました。まるでメリーゴーランドのようです。
とても可愛らしい人間の女の子に転生したタマオちゃんのインプリットが「無」なのはどうしてだろうとスカーレットは思っていましたが、同時期に転生したのですから当然です。

「タマオちゃん会いたかったよ。ああタマオちゃん。ひねもすはどこ?」

「なんですかひねもすって?」

「ひね・・・えええっ?」

「えっ?」

「ひねもす・・・」

「ひね・・・あ。飛彦さん?」

スカーレットはハッとしました。
タマオちゃんは安全かつ不可逆的に記憶の刷り込みが成功しているのです。
今現在肉体として存在しているこの世界。
瞬時に創り上げられた偽の記録を基に、様々な関係性は既に構築完了だとスカーレットは感じ取りました。

「コンドイキマショ。ワタシモツレテッテクダサイ。インスタバエスル」

「えへへへへへへ。ゴックちゃんも行こうね~」

「イキマスヨ~」

「えへへへへへへへ。先輩もぉ」

とても長いことくるくる回っていた3人は、目を回して床に転がってしまいました。
けれどスカーレットは安心しました。
舌ったらずな声と癖のある笑い声に、タマオちゃんの面影がみえたからです。
脳内に走る電気信号も完璧な数式を表していました。

オフィスカジュアルの女性=100%タマオちゃん。





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