第1話

文字数 1,942文字

「おにぎりくらい作れ」

 プール教室へのお迎えが終わり、おなかがすいたとぐずる息子のために、コンビニでおにぎりを手に取ったとき。
 その言葉が自分に向けられたものだとは、すぐにはわからなかった。
 顔を上げると横に老人が立っていて、その乾いた風貌と横柄な態度はかつての上司を思い出した。仕事のミスを注意するように、やせた体躯とちぐはぐな重い声がまた同じセリフをくり返す。
「おにぎりくらい作れ」
 老人は不愉快そうに鼻をフンッと鳴らすと、自分はタバコをレジで買って、そのままコンビニを出て行った。
 私はショックで、その場から動けなかった。
 気をゆるめると泣いちゃいそうだった。
「ママ〜、おなかすいたあ」
 プール教室で張り切りすぎた息子が私のスカートを引っ張り、ハッと我に帰る。
「ご、ごめんね。ママ、仕事忙しくておにぎり作れなくて……」
「いいよお。ママいつもがんばってるもん」
 息子の優しさに涙腺崩壊しそうになりながら、レジで会計をすると、若い女性店員が「気にすることないですよ、あんなジジイ」とつぶやいた。
 一部始終を見ていたらしい。
 ヒヤリとしたが、「おにぎりくらい作れって、何様なんですかね」と続き、私の味方だとわかってホッとした。
「あの……いつもは作るんですけど、炎天下で腐るのが怖くて……」
 言い訳がましいだろうかと思ったが、女性店員は「ですよね」と大きくうなずいてくれた。

 その夜。
<ジジイ、育児中のママにまさかの暴言!「おにぎりくらい作れ」って何様だゴラ>
#ツナマヨおにぎり
#おにぎりくらい作れ

レジではげましてくれた店員さんは、マンガ家の卵だったらしい。
あのやりとりをエッセイマンガにしてSNSにアップしていて、あっという間に1万いいねついていた。トレンドのおすすめに上がっていたのだ。
マンガを拡大して何度も読む。
意地悪そうな老人が「おにぎりくらい作れ」と子連れママを罵倒していて、まさにあのシーンだ。
マンガの反響は大きく、反応は過激だった。

>じゃあおまえが作れ!
>ほんとむかつくこういうジジイ
>女性が作るのが当然というのは時代錯誤です。今ではほとんどの家庭が共働きではないですか

見る間にリプもふえてバズっている。
そして翌朝のニュースに取り上げられたのをきっかけに、一気に炎上した。
女性蔑視発言として、昼のニュースでも夜のニュースでも話題になった。「おにぎりくらい作れ」の老人に対するヘイトはどんどん広まっていき、過激になっていく。
 なんだか、自分の知らないところで自分の体験が世間を騒がしている。
 話が次第に大きく転がっていって、怖くなった。

>このジジイ、まだこのコンビニ利用しているのかな
>万千葉駅のローンンだよ、この制服
>シネ、シネ、シネ!

 ご丁寧にも、アカウントのアイコンはローンンの制服で、地元を本拠地とするスポーツチームのエンブレムがついている。それで特定されたらしい。
 私は恐ろしくて、ふるえが止まらなくなった。
 怖い。もう二度とあのコンビニには行かないようにしよう。

>このママ、かわいそう!
>バズってるから見てるんじゃない?
>みんなのエールが、ママに届け〜!
>万千葉駅、プール、幼稚園帰りで検索かければヒットするんじゃない?

 私は急いで自分のSNSから、プールと幼稚園に関する記事を消去した。何年もやっているSNSなので、さかのぼって消去する作業は地獄のように大変だった。

 やばい。

 どうしよう、このマンガがあの老人の目にとまったら。

 あのジジイは、正確にはこう言ったのだ。

「添加物健康被害研究家なら、コンビニなんて利用せず、自分でおにぎりくらい作れ」

 私は自然派ママとして人気の動画配信者だ。添加物健康被害研究家の肩書きで活動していて、サロンや動画に課金してくれるファンもたくさんいる「無添加・オーガニック・添加物健康被害研究家 ふわりママ」だ。
 一番の敵はコンビニ。だってコンビニのパンは、保存料と防腐剤のおかげで半年たっても腐らない。だからコンビニの添加物まみれの食品を食べ続けた体は死後も腐敗しない。
 そんなコンビニ食品を徹底批判している私がおにぎりを買っているのを見て、あのジジイは「自分でおにぎりくらい作れ」と言ったのだ。
「死体が腐らないわけないだろうが。だいたい、市販の食品が腐りにくいのは雑菌が少ないからだ。それは企業努力の賜物だ。そんなこともわからんのか」とも。

 まさか、あんなジジイが「ふわりママ」を知っているとは思わなかった。
 どうしよう、あのジジイがこの炎上に気づいたら。
 いや、盛り上がってるネット民があのジジイを特定したら。
 そして、ジジイが私のことを話したら。
 ……私は社会的に抹殺されてしまう。
 どうしよう。どうしよう。どうしよう。
 
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