第1話

文字数 6,945文字

プロローグ

冬が明け、蛹(さなぎ)からモンシロチョウが顔を覗かせる。
私の体の上でいくつもの命が生まれてゆく。
暖かい風に花の甘い匂いが乗せられ、ふわりと全身を包み込む。
––––あれから何年経っただろうか。
––––みんなは今元気にしているだろうか。
老いを知らない私の体は時間の概念を忘れてしまった。
綺麗な白髪のおばあさんが、青年に車椅子を押してもらっている。
近くまでくると、しわくちゃになった右手を私の体に当てた。
なにを言っているのかはわからない。
でも確かに、私に何かを伝えようとしている。
懐かしいような、まるで何年も運命を共にしたような感覚がする。
私も何か伝えたくて、ざわざわと葉を揺らした。
おばあさんは、一瞬驚いた。
しかし、すぐこちらを見上げて、微笑んだ。
『ありがとう。』そう言われた気がした。


今日は高校の入学式だ。
買ってからあまり袖を通していない真っ白なシャツはまだすこしぎこちない。
紺色のブレザーを羽織り、赤色の華やかなリボンを首に巻くと、一気にそれらしくなった。
この学校を気に入ったのも、このふりふりとしたかわいらしいリボンに一目惚れしたからであった。
憧れていた制服を着れるのがうれしくて、何度も鏡に映る自分の姿を味わっていると、あっという間にもう出なくてはいけない時間になっていた。
玄関先で幼馴染のあっくんを待たせている。
前髪が決まらないが適当な折り合いをつけることにし、急いで靴を履いた。
「行ってくる!」
玄関で見送ってくれる両親に手を振り、学校へ向かった。
家から学校までは自転車に乗れば10分ほどで着く。
坂を上がって校門が見えると、あとは住宅街にしては広すぎる道を、一直線に進むだけだ。ここは、両端に桜の木が植えられており、春にはきれいな桜色でいっぱいになるので、私はこの道をとても気に入っている。
入学式が一通り終わると、最後にクラスが発表された。
全部で7組あり、私は2組。幼馴染のあっくんも同じクラスだった。

家に帰ると、佐々木彩(ささきあや)は真っ先に行宮(いきみや)神社に向かった。
鳥居をくぐり、今にも抜け押してしまいそうなほど古くなった30段ほどの石畳の階段を駆け上がった。
上がり終えると、正面には大きな拝殿(はいでん)が構えており、何度見ても圧倒される。
彩は慣れた足取りで、拝殿を抜けて神社の奥へ進むと、双生樹(そうせいじゅ)に手を当てて話し始めた。
「花、入学式行ってきたよ!」
「聞いてよ、またあっくんとおんなじクラスだったんだ」彩は笑いながら言った。
「え、そうなの?」
「私たちあっくんとずっと一緒だね」佐々木花(ささきはな)もつられて笑った。
「明日は花の番だから、部活紹介ちゃんと見てきてね」
「うん、もちろん」
「じゃあ、また明日ね。報告楽しみにしてる」そう言うと、彩は神社を後にした。

––––今日は、部活動紹介です。部員の皆さんは新入生に自分達の部活の魅力をアピールしましょう!––––
新入生は学校の体育館に適当に座らされた。
舞台の上でそれぞれの部活の人たちは、劇をやったり、紙芝居をしたりと色々な方法で楽しい部活だとアピールし、私たちを勧誘しようとしていた。

––––続いては、バレー部です!––––
バレー部は他の部活とは違う、異質の雰囲気を出しており、部長1人だけ舞台にあがった。
部長は淡々と、部活の内容、活動日など説明していった。
どうやら、この学校のバレー部は関東屈指の強豪校だという。
中でも監督は、元女子バレー日本代表のコーチをしていたほどでその腕は全国でも3本の指に入るらしい。
運動神経があまり良くない花は、絶対に入りたくないなと思った。
それと同時に、『彩が好きそう…。』とも思った。

––––最後に、軽音部の方お願いします!––––
「えーと、軽音部2年の竹内光(ひかる)です。」
「とりあえず演奏するので、いいなと思ったら入部してください。」
すらっとしていて、色白で、綺麗に染められた金髪が目のあたりまで長くなっている。
前髪の影から、時折見える眼は何を考えているのか、蝶のようにヒラヒラとふいにどこかに消えてしまいそうで、花は光にいつの間にか引き込まれていた。
「あの人、超絶イケメンじゃね。スタイルいいし、花が好きそう」
隣であっくんがからかってくる。こいつに図星を言い当てられた恥ずかしさと悔しさで、いますぐにでも顔面を蹴り飛ばしてやりたかったが、周りの人がいるのでなんとか堪(こら)えた。
そうこうしている間に準備が整い、舞台は暗転した。最初はギターから始まり、次にベース、ドラムと高校生らしい爽快なサウンドが体育館中に鳴り響いた。
携帯で音楽を毎日聴いていた花だが、生の演奏を聴いたのは初めてだった。
胸の中から音楽が自分の体を押し上げてくる感覚に、花はすっかり魅了されてしまった。


「どうだった、部活。なんかいいのありそうだった?」
「…軽音部かな。」
「いいじゃん、軽音部!そこにしようよ」
「でも…彩はバレー部がいいでしょ?」
「あそこ、すごく強いんだって。彩、昔からバレー好きだったし、だから…」
「いいって。たしかにすごく魅力的だけど、軽音なら私も興味あるし、なによりそれが一番平等じゃん」
「で、でも…また私のわがまま聞いてもらっちゃてるし…」
「いいの、私たちは1人になりきれない、中途半端な存在なの。」
「だから、足幅を合わせて歩いて行かなきゃいけないの…。」
花は何も返せなかった。
「ごめんごめん、暗い話はもう終わり!さっそく明日、軽音部行ってみますかー」

その帰り道、花は『私たちは中途半端な存在なの。』という彩の言葉を反芻(はんすう)していた。
ほんとうは、彩はバレーをやりたかったんだろうな…
でも、私の番になったらみんなに私たちのことバレちゃうし。
花は、ボロボロになって部屋に置かれていたバレーボールを思い出した。
「彩もやりたいことあるのに私のせいで、ごめんね…」
思わず口からこぼれ落ちた。
すると、栓が抜けたようにポロポロと涙がこぼれた。
自分に対する不甲斐なさ、彩に対する申し訳なさで胸がいっぱいになった。

家に帰ると、涙で真っ赤になった私の目をみて、お母さんは少し驚いたようだったが、事情を察したのか、優しく微笑み、あたたかい紅茶とクッキーを出してくれた。
言いたくても言えない。
気持ち悪くて吐き出したいのに、喉から声がうまく出せない。
長い沈黙が続いた。
お母さんは何も言わなかった。ひたすら私が喋り出すのを待ってくれた。
「私たちって、中途半端なのかな」
ようやくそう言い出すと、また涙がこぼれ落ちた。
しばらくして、落ち着いた?と、お母さんは優しい笑顔で問いかけると、花はうん。と言った。

「お母さんはどんな形であれ、こうやって今の間だけでも、目の前にちゃんと2人が存在していることが、とっても幸せなの。」
そう言うと、お母さんは私を抱きしめて泣いた。



今月で妊娠7週目を迎える香織(かおり)のお腹はまだそこまで大きくないが、この時期の妊婦は、本格的につわりが辛くなってくる。
直樹(なおき)はだんだんと、少しではあるが体調が悪くなっていく香織を心配して、以前、自治体に母子手帳と一緒にもらった妊婦であることを周りに教えてくれるマタニティーマークを、   香織にわかりやすいところに付けるよう勧めた。
しかし、まだお腹が大きくなっていないのにそれをつけるのは他の妊婦さんに申し訳ないので嫌だ。と香織は言うので、直樹は持ち歩くだけでもいいからと無理矢理持たせた。

今日は、体調が良く、つわりも落ち着いているからと香織から散歩の提案をしてきたので、直樹は快諾した。
二人の住んでいるアパートは、東京都の緑化キャンペーンの対象であったため、すぐ近くに、全面芝生の大きな公園ができたばかりだった。
二人は、そこでちょっとしたピクニックをすることにし、いつもやってくれてるからと昼食は直樹がサンドイッチを用意することにした。
その間、香織は何度も、本当に手伝わなくていいの?と訊いてくるので、その度に直樹は大丈夫だよ。と答えた。
公園に着くと、平日の昼間ということもあり、人はまばらだった。
2人は、日陰のある大きな木の下に座ることにした。
今朝作ったサンドイッチは香織が作るほど形は綺麗ではなかったが、学生時代に飲食店でバイトをしていたおかげか味は悪くなかった。
食事を終えた二人は、芝生の上に寝転がった。
ここの芝生はとても気持ちいので、すぐにでも寝れそうだった。
「ねえ、なおくん。この子たちの名前は何にする?」と、香織は訊いた。
「そうだね、彩と花はどうかな。」
「周りの人たちに彩りを与えるような人になって欲しいという願いを込めて、彩(あや)。」
「花のように、いるだけでみんなが優しい気持ちになるような人になって欲しいと言う願いを込めて、花(はな)。」
どうかな?といった表情で香織を見つめた。
「とってもいい名前だね。」
「早く生まれてきてほしいな」
直樹は杪夏(びょうか)のまだ暖かい風を感じながら雲ひとつなく青く澄んでいる空を見上げて言った。
まるで、僕たちのようにどこまでも青く、幸せな未来が待っていると直樹は信じて疑わなかった。それが、儚い夢に過ぎなかったと思い知らされるまでは––––。

ピクニックに行ってから1週間後のことだった。
直樹が仕事から帰ってくると、玄関から廊下越しに部屋が散乱しているのがわかった。
香織は普段から小綺麗にしている性格なので、直樹をますます動揺させた。
「香織!どこにいるの?」
直樹は部屋に土足のまま上がった。
すると、真っ暗になった部屋で明かりも付けず、香織は部屋の隅でうずくまって泣いていた。
香織の手にはくしゃくしゃになったエコー検査の写真が握られていた。
「双子は産めないんだって」
うずくまったまま香織はそう告げた。
直樹は、ずしんと胸の奥に重い塊が落ちた感覚がした。
「ど…、どこで検査してもらったの?」
「手違いだよきっと…、今度は大きいところに検査しに行こう」
直樹はすぐ上司に電話し、事情を説明すると、仕事のことは心配しなくていいから行ってこい。と快く受け入れてくれた。

2人は、都内でも有名な産婦人科に行くことにした。
そこの先生がとても優しく、説明も詳しくしてくれると評判らしい。
目的の産婦人科までは香織の体調を考えてタクシーで行くことにした。
1時間ほどで到着し、一般的な病院のイメージとは違い、こじんまりとした真っ白できれいな一軒家には『市川産婦人科』と書かれていた。
中に入ると、暖色系の間接照明が使用されていてとても落ち着いており、いい雰囲気だった。
受付を済まし、30分ほどすると診察室に案内された。
先生は噂通り、とても優しそうな笑顔の中年女性で、丸メガネがとてもよく似合っていた。
先生は香織を横に寝かせ、レジで使うバーコードを読み取る機械のようなものを香織のお腹に当て、モニターに映るお腹の中の映像を2人に見せながら、説明を始めた。

「お母様…残念ですが、赤ちゃんの2人のうち1人は既に亡くなってしまっていますね」

改めて聞かされると2人は、今度は正確にどん底に突き落とされた感覚がした。

先生は説明を加えた。
「これはバニシングツインという現象ですね。双子の1人がお腹の中から消えてしまう現象です。妊娠初期の6〜8週目に起こりやすいんですよね…」
「お母様に何か問題があったわけではないですから、どうか自分を責めないでくださいね」と、先生は言った。
どうやら、今回は双子の妊娠の中でも1%以下の一絨毛膜一羊膜型であったらしい。
これは、1つの胎盤を胎児2人で共有しているので栄養供給に不均衡が生じやすくなり、片方の胎児が成長しきれずに亡くなってしまったのだ。
「生まれるはずだった子はどこに行ってしまったのですか…?」
すっかり1人になってしまったお腹の映像を見ながら香織は訊いた。
「通常は亡くなった胎児は子宮に吸収されます。ですが、ごく稀に身体の一部や遺伝子情報が残った胎児に引き継がれる可能性があります。」と、先生は答えた。
––––ありがとうございました。2人はそう先生に一礼し、病院を後にした。

家に帰ると、2人はとても料理する気分じゃない。と、コンビニで弁当を買って食べた。
永遠とも言える長い沈黙の中で、直樹は言った。
「まだ、1人いるじゃないか。残された子は、こんな俺たちを見てどう思う?いつまでも落ち込んでちゃダメだ。」と、言うと、香織はそうだね。とだけ返した。

一夜明けて、香織の様子を確かめに彼女の寝室に向かうと、姿がなかった。
まさか…、と思って、急いでリビングに向かったが、 香織は朝の支度をしていた。
「おはよう」
香織は、笑顔でそう言った。
昨日の香織はもういなかった。
残された子に全力を尽くそうと、必死で前を向いているのだ。
そんな香織の姿をみると、涙が止まらなくなった。
なんで泣いてるの?と香織は笑いながら言ったが、直樹につられて2人で泣いた。

––––それから三ヶ月後、無事出産することができた。名前は、彩花(あやか)。
本来、2人が生まれてきたら、最初に出てきた方が彩、後に出てきた方が花。と、決めていたので、合わせて彩花と名づけた。
彩花は、よく泣く日と泣かない日の区別がはっきりしすぎてる子だった。
しかし、毎日交互にそんな状態が続くのが少し気になったので、香織は彩花を連れて、小児科に足を運ぶことにした。
だが、どこに行っても、ああ、そのくらいの年頃だとよくあることですから。と、一蹴(いっしゅう)されてしまうので、香織も腹が立ち、もう病院は頼らない。と決め、香織は行宮神社のおばあちゃんを訪ねてみることにした。
なんでも、このおばあちゃんの言うことはいつも当たるので、前から困ったことがあると香織はここを訪ねるようにしている。
行宮神社は、双子の聖地と呼ばれており、「双生樹」と呼ばれる2つの大木が祀られている。 その木は全長40メートルくらいで、全く同じ形の樹が左右対称に向かい合って生えている。香織たちはお腹の中にいる子供が双子だとわかったとき縁起がいいからと、ここの近くに引っ越してきたのだ。

行宮神社の鳥居をくぐると、おばあちゃんは落ち葉の履き掃除をしていた。
「おばあちゃん、久しぶり」と、香織はおばあちゃんに声をかけた。
「おお、元気そうじゃな、無事生まれたのかい?」
「う…、うん。」と、気まずそうに香織は答えた。
「あれ、そういえば、双子と言っていたじゃろう?」
「そ、それがね…もう1人はお腹の中で死んじゃったの。」
まさかな…。おばあちゃんはそうつぶやくと、そこでまってなさい。と言って奥にある社務所に走って行ってしまった。
数分すると、おばあちゃんは木の枝を持ってきて戻ってきた。
「ほれ、お嬢ちゃん。これ握ってみい」と、息を切らせながら言い、彩花に握らせた。
すると、樹の枝からみるみると、葉がついていき、数秒ほどで木の枝は緑の葉でいっぱいになった。
「––––え?」
香織は何が起きたのかまったく理解できなかった。
「やはり、精霊に選ばれた子じゃったか!」
おばあちゃんは、三嘆(さんたん)した。
「ど…、どういうこと?」
香織は頭がパンクしそうだった。
「精霊は普通、1000年に1度、魂が入れ替わると言われているんじゃよ。しかし、双生樹の精霊だけは、もともと双子として生まれてくる子供を選び、わざと1つの体に2つの魂を宿す。そして、成人になるまで交互に入れ替えさせ、どちらが器として優れているか、自分達に決めさせるのじゃよ」

「––––じゃあ、この体には彩と花の2人の魂があって、20歳までにどちらがこの先、人間として生きていくか、精霊として生きていくか、本人たちで決めなきゃいけないってこと…?」
「そうじゃ」
おばあちゃんは、ついてきなさい。と双生樹と呼ばれる大きな樹のふもとまで案内してくれた。

「この樹のふもとでは精霊の魂にふさわしいと選ばれた人間が唯一、電話で話すときのように直接自分に内在する魂と会話できるのじゃよ」
「彩と花は自分の心の中では会話できないの?」
「無理なんじゃよ。」
「片方の魂が顕在しているときは、もう片方の魂はいわば気絶状態なんじゃ。それゆえ、片方の記憶はもう片方にはまったくないんじゃ。」
「幸いにも、嬢ちゃんたちの魂の入れ代わりは特別なことがなければ、1日ごとと決まっているようじゃの」
そして、その子が物心ついたら、毎日この樹の下に来させなさい。互いの記憶をうまく交換させるのじゃよ。と付け加えると、おばあちゃんは、また明日も来なさい。と言ってどこかに行ってしまった。

家に帰って、私は、彩と花どちらも精霊の候補として選ばれたということ、20歳までにどちらがこの先、人間として生きていくか精霊として生きていくか、本人たちで決めなきゃいけないこと––––。
正直、現実離れしているこの話を、全て直樹に打ち明けた。
信じてくれないことを承知で話したが、意外にも、直樹は香織がそんな真面目な顔をして嘘をつくはずない。とすんなりと受け入れてくれた。
それから私たちは、彩と花が20歳までせめて普通の学校生活を送れるようにと、このことは絶対、誰にも言わないようにしようと決めた。


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