第1話
文字数 2,000文字
「涼一さん、涼一さんじゃないですか」
Mテレビ局の廊下で振り返ると、今や有名俳優になった北条透がいた。五年ぶりだった。
「ちょうど良かった。どうやって連絡を取ろうかと思っていたんですよ」
俺はあいつの意図がわからず、黙っていた。
「折り入って話したいことがあるんです。あと一時間で今日の撮りだめが終わるので、それまで待っていただけませんか。場所は、私のマネージャーがご案内します」
思ってもみなかった態度に、俺は反応が遅れた。それを承諾ととった透は、マネージャーをその場に残して、早足で去って行った。
透のマネージャーは、俺を小綺麗な割烹の奥の座敷に案内して、「ビールでも飲んでお待ちください」と言って帰って行った。
俺は、手酌でビールを飲みながら、五年前を思い出していた。
透は俺の三歳下だった。同じ劇団で苦楽を共にした。俺たちは兄弟のように仲が良かった。それぞれのアルバイトが終わった後、稽古に全力投球し、そのあと居酒屋で夢を語る毎日だった。
五年前、Mテレビから、単発もののドラマの主演の話が、俺たちの劇団にも舞い込んだ。新鮮味を出すために、無名の俳優を使いたいという話だった。俺と透は色めき立った。
団員たちはみな、演出家の前でのオーディションを受けた。噂では、候補は、俺と透に絞られたようだった。俺には、自分が選ばれるという確信があった。
ところが、ふたを開けると、選ばれたのは透の方だった。俺は荒れて、鬱憤を透にぶつけた。透にも俺に対する遠慮が生まれ、二人の距離はあっという間に広がってしまった。
あいつは、劇団を辞めて、テレビや映画を主戦場にしていった。辞めたくて辞めたわけではなかった。俺がいるので、劇団に居づらかったんだろう。それというのも、俺は、主役に選ばれなかったことに対する腹いせもあって、舞台にこだわり、団員に劇団への忠誠を要求したからだ。「舞台にこそ、芸術の女神が宿る」が俺の口癖だった。劇団より、テレビや映画を優先する団員を罵倒し続けた。
そんな俺にも、最近テレビや映画から脇役に、という声がかかり、劇団の赤字を埋めるために、そういう仕事を引き受けるようになった。そういう訳で、あいつに会ったのは五年ぶりだったのだ。
約束通り、一時間後に透はやって来た。
「涼一さん、お会いしたかったんですが、劇団を通すときっと断られると思い、涼一さんのスケジュールを聞いて、今日Mテレビ局でお待ちしていたというわけです。
涼一さん、五年前は、突然劇団を辞めてすみませんでした」
透から謝って来た。そうなると、こちらも昔の関係に戻ってしまう。
「もう、昔の話はいいよ。それより最近の仕事はどうだ」
当たり障りのない話題に変えた。そのあとは、劇団員の近況についてのとめどない話が続いた。
待たされていた間、心の中で、俺は計算していた。何のために、透は俺との席を設けたのか。おそらく、昔、後足で砂をかけるようにして劇団を辞めたことを詫びて、俺との関係を修復し、演劇界に残っている、透自身の悪い噂を払拭したいんだろう。手みやげ代わりに、俺に、テレビのちょい役をあてがうつもりだろう。そうしたら、話だけは聞いて、断ってやろう。あいつの世話にだけはなりたくない。
しかし、なかなか話を切り出さない。先ほどから何度も、テーブルに置いた自分のスマホを見ているだけだ。
しびれを切らせて、俺は口調を強めた。
「さっきから、スマホばかり見て失礼じゃないか。用事がないなら、俺は帰る。勘定してくれ」
「すみません。実は訳があって……」
透のスマホが震えた。
「涼一さん、ちょっと待ってください」
透は電話に出て、「奥の座敷にいます。すぐ来てください」と早口で言った。
やがて現れたのは、Mテレビのプロデューサーとディレクターだった。
二人は、俺に頭を下げて頼んで来た。
「高柳涼一さん、どうぞ、北条透さんの代役を引き受けてください」
寝耳に水の話だった。二人の話によると、一か月後に迫った、Mテレビ開局四十周年記念の舞台「蜘蛛の巣城」の主役を務める透に、胃の腫瘍が見つかり、手術を優先させるため、透は降りるが、その代役を務めることができるのは、透が実力をよく知っている俺しかいない、とのことだった。
「涼一さん、お願いです。この二ヶ月、みんなで努力してきたんです。これを中止させたくない、成功させたいんです。僕の代役を頼めるのは、涼一さんだけです」
透は俺を買っていてくれたんだ。五年前にあんなにひどいことをした、この俺を。
俺は、その場でその申し出を引き受け、同時に二人の友情も復活した。
ただ、その友情は半年も続かなかった。透はすい臓がんで亡くなった。あのとき自分の余命を知っていても、おくびにも出さずに、代役を頼んで来た透は、一生かかっても俺には越えられない、正真正銘の役者だった。
(了)
Mテレビ局の廊下で振り返ると、今や有名俳優になった北条透がいた。五年ぶりだった。
「ちょうど良かった。どうやって連絡を取ろうかと思っていたんですよ」
俺はあいつの意図がわからず、黙っていた。
「折り入って話したいことがあるんです。あと一時間で今日の撮りだめが終わるので、それまで待っていただけませんか。場所は、私のマネージャーがご案内します」
思ってもみなかった態度に、俺は反応が遅れた。それを承諾ととった透は、マネージャーをその場に残して、早足で去って行った。
透のマネージャーは、俺を小綺麗な割烹の奥の座敷に案内して、「ビールでも飲んでお待ちください」と言って帰って行った。
俺は、手酌でビールを飲みながら、五年前を思い出していた。
透は俺の三歳下だった。同じ劇団で苦楽を共にした。俺たちは兄弟のように仲が良かった。それぞれのアルバイトが終わった後、稽古に全力投球し、そのあと居酒屋で夢を語る毎日だった。
五年前、Mテレビから、単発もののドラマの主演の話が、俺たちの劇団にも舞い込んだ。新鮮味を出すために、無名の俳優を使いたいという話だった。俺と透は色めき立った。
団員たちはみな、演出家の前でのオーディションを受けた。噂では、候補は、俺と透に絞られたようだった。俺には、自分が選ばれるという確信があった。
ところが、ふたを開けると、選ばれたのは透の方だった。俺は荒れて、鬱憤を透にぶつけた。透にも俺に対する遠慮が生まれ、二人の距離はあっという間に広がってしまった。
あいつは、劇団を辞めて、テレビや映画を主戦場にしていった。辞めたくて辞めたわけではなかった。俺がいるので、劇団に居づらかったんだろう。それというのも、俺は、主役に選ばれなかったことに対する腹いせもあって、舞台にこだわり、団員に劇団への忠誠を要求したからだ。「舞台にこそ、芸術の女神が宿る」が俺の口癖だった。劇団より、テレビや映画を優先する団員を罵倒し続けた。
そんな俺にも、最近テレビや映画から脇役に、という声がかかり、劇団の赤字を埋めるために、そういう仕事を引き受けるようになった。そういう訳で、あいつに会ったのは五年ぶりだったのだ。
約束通り、一時間後に透はやって来た。
「涼一さん、お会いしたかったんですが、劇団を通すときっと断られると思い、涼一さんのスケジュールを聞いて、今日Mテレビ局でお待ちしていたというわけです。
涼一さん、五年前は、突然劇団を辞めてすみませんでした」
透から謝って来た。そうなると、こちらも昔の関係に戻ってしまう。
「もう、昔の話はいいよ。それより最近の仕事はどうだ」
当たり障りのない話題に変えた。そのあとは、劇団員の近況についてのとめどない話が続いた。
待たされていた間、心の中で、俺は計算していた。何のために、透は俺との席を設けたのか。おそらく、昔、後足で砂をかけるようにして劇団を辞めたことを詫びて、俺との関係を修復し、演劇界に残っている、透自身の悪い噂を払拭したいんだろう。手みやげ代わりに、俺に、テレビのちょい役をあてがうつもりだろう。そうしたら、話だけは聞いて、断ってやろう。あいつの世話にだけはなりたくない。
しかし、なかなか話を切り出さない。先ほどから何度も、テーブルに置いた自分のスマホを見ているだけだ。
しびれを切らせて、俺は口調を強めた。
「さっきから、スマホばかり見て失礼じゃないか。用事がないなら、俺は帰る。勘定してくれ」
「すみません。実は訳があって……」
透のスマホが震えた。
「涼一さん、ちょっと待ってください」
透は電話に出て、「奥の座敷にいます。すぐ来てください」と早口で言った。
やがて現れたのは、Mテレビのプロデューサーとディレクターだった。
二人は、俺に頭を下げて頼んで来た。
「高柳涼一さん、どうぞ、北条透さんの代役を引き受けてください」
寝耳に水の話だった。二人の話によると、一か月後に迫った、Mテレビ開局四十周年記念の舞台「蜘蛛の巣城」の主役を務める透に、胃の腫瘍が見つかり、手術を優先させるため、透は降りるが、その代役を務めることができるのは、透が実力をよく知っている俺しかいない、とのことだった。
「涼一さん、お願いです。この二ヶ月、みんなで努力してきたんです。これを中止させたくない、成功させたいんです。僕の代役を頼めるのは、涼一さんだけです」
透は俺を買っていてくれたんだ。五年前にあんなにひどいことをした、この俺を。
俺は、その場でその申し出を引き受け、同時に二人の友情も復活した。
ただ、その友情は半年も続かなかった。透はすい臓がんで亡くなった。あのとき自分の余命を知っていても、おくびにも出さずに、代役を頼んで来た透は、一生かかっても俺には越えられない、正真正銘の役者だった。
(了)