第1話

文字数 1,975文字

「面白い話がある。いつものカフェに来てくれ」
 柏木さんは電話越しにそう言った。映画館の目の前で何を見るか決めあぐねていたところだった。それ以上は何も教えてくれなかったので、仕方なくカフェに向かうと柏木さんは店の奥テーブル席に座っていた。
 柏木さんの向かいには痩せた男が座っている。年のほどは丁度ぼくたちと同じくらいだろうか。目に掛かりそうな前髪は、手入れが行き届いていないようだった。着ているシャツは至るところにシワができて弛んでいる。
「やあ坂口君。思ったより早く来たな。こちらは蓮見さんだ」
 蓮見と呼ばれた男は、少し腰を上げて小さく会釈をした。猫背のせいで気がつかなかったが、かなり背が高そうだった。
「どうも、坂口です。それで柏木さん、面白い話って?」
「幽霊屋敷だ。蓮見さんが幽霊屋敷の話をしてくれるそうだ。それでは蓮見さん、お願いします」
 彼女に促されると、彼は「友人の話なのですが」と前置きをして話し始めた。
「友人の名前は仮に津田としておきます。彼とは大学で知り合ったのですが、彼は怪談だとかいわゆるオカルト的なものが好きなやつでした。その中でも彼はずっと『幽霊屋敷に住みたい』と言っていました。理由は教えてくれませんでしたが、会うたびにそういう話を聞かされました。それである時、彼は『幽霊屋敷に住めることになった』と連絡してきたのです。いつもの話ならそこまで興味を持って聞くことはなかったのですが、この時だけは面白そうだと思ったのです。だから、数日後に近所の居酒屋で会う約束を取り付けました」
 話始めてからの蓮見さんは姿勢も良くなり、目も大きく見開いていた。ぼくには彼が正気なのか、狂気なのかよくわからなかった。
「居酒屋であった津田はいつも以上に饒舌でした。今までは教えてくれなかった幽霊屋敷に住みたい理由、魅力などを話してくれたのです。彼は私に尋ねました。どこの街にも一つくらい幽霊屋敷と呼ばれるものがある。君の故郷にもあったのではないかと」
「蓮実さんの故郷にはあったんですか?」
 柏木さんがそう口を挟んだ。
「ええ。屋敷なんて大層なものではありませんでしたが、通学路に子どもたちの間では有名な幽霊屋敷がありました。確か夜中に人の話し声がするだとか、人魂を見たとか、ありきたりな噂がある空き家でした。それでそう津田に言いました。すると、彼は俺の街にもそういうものがあったと言いました。また、朽ちていく屋敷とともに静かに時を過ごすものたちが羨ましかったとも。」
「住めることになったというのは?」
「どうやら津田は行く先々で幽霊屋敷に住みたいと言っていたようなのです。それで、それを聞いたある人が曰くつきの屋敷の買い手が見つからないからと、彼に話を持ちかけた。もちろん彼は即座に屋敷を購入しました。破格の値段だったそうです。彼は言っていました。俺だって幽霊が怖いと思う時はある。でもそれは相手を知らないから怖いんだ。だから、幽霊屋敷で彼らの仲間に入りたい。首を吊って屋敷が朽ち果てるまで静かにそこに居たいと」
 休日の午後だというのに、客はぼくたち以外にいないようであった。壁にかけられた電波時計がカチカチと音を鳴らしていた。
「彼のこと止めなかったんですか?」
「どうしてですか?」
「いや、だって彼死のうとしているんですよね。いいんですか?」
「幽霊屋敷に住むことは彼の夢なんです。それを止めるわけありませんよ」
 そう言う蓮実さんの目は爛々と輝いていた。
「それに彼も場所までは教えてくれませんでした。連絡ももうつきません」
「興味深い話をありがとうございました」
 いつもとは別人の如く柏木さんは丁寧にお礼をした。
「こちらこそ話を聞いていただいてありがとうございました。津田もきっと喜んでいます。それでは私はこの辺でお先に失礼します」
 蓮見さんがお辞儀をして去っていったあとも、ぼくたちは黙っていた。そのうち柏木さんがフライドポテトを頼むと、止まっていた空気が流れ出したようだった。
「あの話って蓮見さん自身の話なんじゃないかな。なんとなくだけど」
 フライドポテトを頬張る彼女はあまりぼくの言ったことを気にしていないようだった。しばらく口をもぐもぐさせたあと彼女は返答した。
「そうだとしてももうどうしようも無い。それに面白い話だった。死んだものたちを知るために、自分も死ぬなんて」
 彼女は珍しく何か考え込んでいるようであった。髪の毛を人差し指でくるくる弄りながら、うんうん唸っている。
「死んだら時間は止まるのかなあ。死者は過去に住むのかなあ」
 そんなことをボソボソ言っているのが聞こえた。
 ケチャップの匂いと考え込む柏木さんを置いて、ぼくは店を後にした。見たい映画が決まったからであった。

 
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