仲直りのチキンドリア

文字数 1,704文字

   
「これは何かしら?」
 彼の部屋でカーペットの上に落ちていた細長い物体。最初は糸くずか何かだと思ったが、指でつまんでみたら髪の毛の感触だった。
「私には、ロングヘアーに見えるんだけど?」
 長さ的に考えて、男性ではなく女性の髪のはず。
 でも私の髪型はベリーショートだ。子供の頃は、母親に言われるがまま伸ばしていたけれど、大学入学を機にバッサリ切って、今の髪型を続けている。
 だから彼の部屋で見つけた髪の毛は、明らかに私のものではなかった。

「……」
 テーブルの向かい側に座る彼は、困ったような顔になっている。
 別に返答に詰まったわけではなく、私の態度に対する反応なのだろう。彼の表情を見てようやく、自分が眉間にしわを寄せていることに気が付いた。自分でも嫌になるが、いったん口から出た言葉の勢いは止まらない。
「女の子がこの部屋に来たの?」
「うん。ゼミの友だち。うちで宅飲みだった」
 私と彼は、サークルで知り合って付き合い始めたカップルであり、学年は同じだが学部は別々。
 私は自分のことをペラペラ喋るタイプなので、彼が知らない友人も一方的に話題に出すけれど、彼はそういうことはしない。だから私は、彼のゼミの交友関係については全く知らなかった。
 そもそも彼は無口な人間であり、サークル内でも「何を考えているのかわかりにくい」と言われていたほどだ。「だからこそミステリアスで素敵」と思ったのは私くらいであり、おかげで恋のライバルも一切なかったわけだが……。

「ただ、それだけなんだけど。ごめん」
 彼が謝罪の言葉を口にする。
 聞く人によっては誤解しそうな発言だ。具体的な説明もなく「ごめん」では、まるで浮気を謝っているみたいではないか。
 しかし、彼が隠れて浮気するような人間でないことくらい、とっくに私は理解している。おそらく彼としては、私が気を悪くしたと思って、その原因になったのを謝っているのだろう。
 髪の毛なんて見当たらない程度まできちんと掃除しておけばよかったとか、女性を部屋にあげる予定もあらかじめ伝えておけばよかったとか、そんなことを考えているに違いない。

「あなたは悪くないんだから、謝らないでよ。宅飲みってことは、女の子が一人で来たわけじゃないんでしょ?」
 彼氏のプライベートを拘束するような、嫉妬深い恋人にはなりたくない。でも今の私は(はた)から見ればそんな態度、いや実際に私の中には少し、そんな気持ちもあるのだろう。
「うん。野郎三人と、女の子が二人」
「わかった。じゃあ、この件は終わり」
 そう言い切って、私は立ち上がった。
 ついテーブルの上にバンと勢いよく手をついてしまったし、表情も険しいままだ。これでは言葉とは裏腹に「まだ怒っています」という態度に見えるかもしれない。

「……」
 口には出さないものの、彼の視線は「どこへ行く?」と尋ねていた。
 今日は泊まりの予定だったのに、私の気が変わって帰ってしまう。そんな可能性を思い浮かべたのだろう。
「夕飯の材料、買ってくる。ただそれだけよ!」

 そして一時間後。
 私の表情は相変わらずだったけれど、彼はテーブルの上に並んだ料理を見て、目を輝かせていた。
「ありがとう。わざわざ俺の好物を……」
 今日のメインディッシュはチキンドリア。ちょうど私が初めてこの部屋に泊まった日に作ったのと同じ料理だ。
 あの時は、彼はとても感激してくれた。
「ドリアって、冷凍食品とか外食だけじゃなくて、自分で作れるものなのか!」
「チキンピラフの手作りだけでもありがたいのに、さらに一手間かけてドリアにするなんて!」
 などと、珍しく口数も多くなったくらいだ。

 当時の幸せな気分を思い出すと、それだけで口元にニヤニヤ笑いが浮かびそうになるが、あえてそれは隠したまま、私は落ち着いた声で告げた。
「勘違いしないでよ。あなたのためじゃないわ。私が食べたくなったから作っただけ」
 自分で言っていて、少し恥ずかしくなる。これではまるで、漫画やアニメに出てくる、記号化されたツンデレヒロインのセリフではないか。
 でも、これで仲直りの意志は伝わるはず。だから良しとしておこう。



(「仲直りのチキンドリア」完)
   
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