第1話
文字数 1,858文字
扉を開けた先にいたその人は、座り込んだまま笑顔を浮かべた。
「あらキヨシくん、いらっしゃい」
「こんにちは、おばさん」
まだ虫の鳴き声が耳の奥で響いている。
ズボンのポケットが片方アイスが溶けたような感じになって、僕はそっと口を摘まんだ。
彼女、佐千子さんとは、親の仕事の関係上よく家に来させてもらっていた。そしてその娘の晴美とも、幼い頃はよく遊んだ。
「わざわざ来てくれてありがとう。勉強は大丈夫?」
「はい、先に済ませて来ました」
「そうなの・・・偉いわね。そういえば、晴美にもよく勉強を教えてくれていたわね」
佐千子さんは、「あの時はありがとう」と小さく振り返った。
案内された和室には、ここ最近の忙しさを感じさせる痕跡が残っていた。
「あなたの他にも小学校の時のお友達が何人か来てお線香をあげてくれたわ。けど、例の子たちはやっぱり来なかったわね」
小学校の頃、晴美は友達の多い女子だった。容姿は普通だったが、とにかく実直で、よく周りから頼られていた。
妙な噂が立つようになったのは、中学に上がってからだった。シマダという一学年上の不良と関係を持ってから、度々問題行動を起こすようになった。
それからというもの、僕を含め幼稚園の頃の友達とも誰一人遊ばなくなった。
「晴美と例の先輩って、どういう関係だったんですか?」
「そうね、お金を貸りてたみたい。なんでもその子が大きい病院の院長の息子さんらしくてね。あの子が欲しがってたものも買ってあげてたみたいだし」
「そうなんですか」
中学に上がってからの晴美は、容姿がすっかり変わって美人になっていた。化粧を覚え、体型も一足早く大人びて、小学校の時とは比べ物にならないほど注目の的だった。
僕は座布団に膝をつき、線香を手に取った。そしてすでにあげられている線香の間に火をつけて差し込み手を合わせた。
「ありがとう。きっとあの子も喜んでるわ」
帰り際、佐千子さんはお土産にお菓子の袋を持たせてくれた。そして僕の手をまじまじ見つめた。
「指、ケガしてたのね。ちょっと待って、いま絆創膏を」
「大丈夫です。ちょっと転んだだけなんで」
「あらそう」
失礼しますと家を後にした僕は、帰り道、
ポケットに手を突っ込んだ。
「ああそうだ。返すの忘れてた」
元々の用事を思いだし、僕はシマダの家に大急ぎで向かった。
すると遠くからこちらに向かって歩いてくる人影に気づいて、声をかける。
「シマダ先輩」
「あ? なんだお前」
「ちょっとこれ見てもらえますか?」
ポケットから取り出したものを手渡すと、シマダはそれをまじまじ見つめた。
「うわあ!」
悲鳴をあげ、それを地面に落とす。
「ひどいなあ、落とさないでくださいよ」
「無理に決まってんだろ! なんだよこれ」
「え、わかんないんですか? 彼氏なのに」
「はあ? 知るかよ。キメえつってんだよ」
汚物を見るような目で、地面に落ちたそれを見つめる。
最初の頃のような、激しい脈動は失せ、ただ醜くその姿を晒す。
「やっぱりダメなんだ。入れ物だけじゃ」
魂がないと、彼女は取り戻せない。
それも最も純真な頃の彼女は、
「先輩が奪ったんだ、晴美の心を」
「晴美っ!? お・・・俺は晴美を殺してない! 本当だ」
殺すなんて物騒な。晴美はまだそこにいる。
「先輩、じっとしててください」
ポケットから取り出したものをチラつかせると、先輩は血相を変えて叫んだ。
「なっ、やめろ・・・! 俺は殺してない!
なんでお前・・・いや、お前は」
握った獲物を突き出す直前、先輩は冷や汗を浮かべて口走った。
「知ってるぞお前のこと。晴美から聞いてた」
「・・・え?」
「昔は仲良かったみたいだけどな、途中からウザくなったって言ってたぜ。昔のことも全部水に流しそうとしてたのに、しつこく付きまとってくるってな」
晴美が、そんなことを。
「晴美はお前のことなんか好きでもなんでもなかったっつってたよ。この、ストー・・・かっ」
胸の奥深くまで突き刺した刃物は、シマダの心臓を魂ごと貫いた。
「ああ、やっぱりここにもいないのか」
切り口の隙間から中を覗いて、僕は呟く。
そして僕はあることに気づいた。
晴美は、誰の心の中にもいなかった。
あの頃の彼女は、ずっと僕の中にいた。
僕は地面に落ちた入れ物を拾いあげた。
「けど君の心に、僕は残っていなかった」
それはつまり、君にとって僕は心にも残らない存在だったということ。
それとも最後の僕は、君の心をえぐり出したあの場所に、ずっと残ったままなのかい?
「あらキヨシくん、いらっしゃい」
「こんにちは、おばさん」
まだ虫の鳴き声が耳の奥で響いている。
ズボンのポケットが片方アイスが溶けたような感じになって、僕はそっと口を摘まんだ。
彼女、佐千子さんとは、親の仕事の関係上よく家に来させてもらっていた。そしてその娘の晴美とも、幼い頃はよく遊んだ。
「わざわざ来てくれてありがとう。勉強は大丈夫?」
「はい、先に済ませて来ました」
「そうなの・・・偉いわね。そういえば、晴美にもよく勉強を教えてくれていたわね」
佐千子さんは、「あの時はありがとう」と小さく振り返った。
案内された和室には、ここ最近の忙しさを感じさせる痕跡が残っていた。
「あなたの他にも小学校の時のお友達が何人か来てお線香をあげてくれたわ。けど、例の子たちはやっぱり来なかったわね」
小学校の頃、晴美は友達の多い女子だった。容姿は普通だったが、とにかく実直で、よく周りから頼られていた。
妙な噂が立つようになったのは、中学に上がってからだった。シマダという一学年上の不良と関係を持ってから、度々問題行動を起こすようになった。
それからというもの、僕を含め幼稚園の頃の友達とも誰一人遊ばなくなった。
「晴美と例の先輩って、どういう関係だったんですか?」
「そうね、お金を貸りてたみたい。なんでもその子が大きい病院の院長の息子さんらしくてね。あの子が欲しがってたものも買ってあげてたみたいだし」
「そうなんですか」
中学に上がってからの晴美は、容姿がすっかり変わって美人になっていた。化粧を覚え、体型も一足早く大人びて、小学校の時とは比べ物にならないほど注目の的だった。
僕は座布団に膝をつき、線香を手に取った。そしてすでにあげられている線香の間に火をつけて差し込み手を合わせた。
「ありがとう。きっとあの子も喜んでるわ」
帰り際、佐千子さんはお土産にお菓子の袋を持たせてくれた。そして僕の手をまじまじ見つめた。
「指、ケガしてたのね。ちょっと待って、いま絆創膏を」
「大丈夫です。ちょっと転んだだけなんで」
「あらそう」
失礼しますと家を後にした僕は、帰り道、
ポケットに手を突っ込んだ。
「ああそうだ。返すの忘れてた」
元々の用事を思いだし、僕はシマダの家に大急ぎで向かった。
すると遠くからこちらに向かって歩いてくる人影に気づいて、声をかける。
「シマダ先輩」
「あ? なんだお前」
「ちょっとこれ見てもらえますか?」
ポケットから取り出したものを手渡すと、シマダはそれをまじまじ見つめた。
「うわあ!」
悲鳴をあげ、それを地面に落とす。
「ひどいなあ、落とさないでくださいよ」
「無理に決まってんだろ! なんだよこれ」
「え、わかんないんですか? 彼氏なのに」
「はあ? 知るかよ。キメえつってんだよ」
汚物を見るような目で、地面に落ちたそれを見つめる。
最初の頃のような、激しい脈動は失せ、ただ醜くその姿を晒す。
「やっぱりダメなんだ。入れ物だけじゃ」
魂がないと、彼女は取り戻せない。
それも最も純真な頃の彼女は、
「先輩が奪ったんだ、晴美の心を」
「晴美っ!? お・・・俺は晴美を殺してない! 本当だ」
殺すなんて物騒な。晴美はまだそこにいる。
「先輩、じっとしててください」
ポケットから取り出したものをチラつかせると、先輩は血相を変えて叫んだ。
「なっ、やめろ・・・! 俺は殺してない!
なんでお前・・・いや、お前は」
握った獲物を突き出す直前、先輩は冷や汗を浮かべて口走った。
「知ってるぞお前のこと。晴美から聞いてた」
「・・・え?」
「昔は仲良かったみたいだけどな、途中からウザくなったって言ってたぜ。昔のことも全部水に流しそうとしてたのに、しつこく付きまとってくるってな」
晴美が、そんなことを。
「晴美はお前のことなんか好きでもなんでもなかったっつってたよ。この、ストー・・・かっ」
胸の奥深くまで突き刺した刃物は、シマダの心臓を魂ごと貫いた。
「ああ、やっぱりここにもいないのか」
切り口の隙間から中を覗いて、僕は呟く。
そして僕はあることに気づいた。
晴美は、誰の心の中にもいなかった。
あの頃の彼女は、ずっと僕の中にいた。
僕は地面に落ちた入れ物を拾いあげた。
「けど君の心に、僕は残っていなかった」
それはつまり、君にとって僕は心にも残らない存在だったということ。
それとも最後の僕は、君の心をえぐり出したあの場所に、ずっと残ったままなのかい?