文字数 1,945文字

 最近では少ないようですが、私が通っていた小学校には理科を専任とする先生がいました。
 当時の理科を担当していた塩野先生は少し変わっていて、アクが強いというか児童たちからも好き嫌いの分かれるような先生でした。
 授業から外れて雑談をすることもしばしばで、安室奈美恵が二十歳で結婚すると断言し、クラスのみんなで笑ったことも。
 ちなみに、当時の安室奈美恵は人気絶頂でアムラーブームの真っただ中でした。その翌年に先生が言った通りになり、とても驚いたことを今でも覚えています。

 そんな塩野先生は、怪談や超常現象が好きでした。
 自分でも色々と調べていたようで、授業の合間に話を聞かせてくれたりしました。
 夜中に二宮金次郎の像が動く話や、理科室の人体模型が歩く話は笑って否定していた先生が、真面目な顔でこう言ったことがあります。
「この学校で、注意した方がいい場所がある」と。

 そこがどこなのか、理由も含めて最後まで教えてくれませんでした。
 ただ、特別教室であるということだけ。
 それが四年生のときの話です。


 五年生になってクラス替えがあり、新しい友達と始まった学校生活――そんなある日のこと。

          *

 この日は国語の授業として、図書室へ行って読書をすることになりました。
 担任の横田先生は「鍵は開いているはずだから」と、児童たちと一緒に教室を出て図書室へ向かったものの、いざ入ろうとすると扉に鍵が掛かっているようで開きません。
 扉をノックしたものの中からは応答もなく、横田先生は職員室へ鍵を取りに行きました。

 この小学校は回廊式になっていて、図書室と職員室は対角線に位置しています。
 先生が戻ってくるまで四、五分は掛かるでしょう。
 それまでの間、子どもたちだけで図書室の前に集まっていました。
 図書室は長方形の平面形状をしていて、短辺側に入り口があります。室に入ると手前に書架がいくつも並び、奥の方が読書スペースになっています。
 入り口の横には水飲み場があり、その上には天井から六十センチほどの高さで換気用の窓が取り付けられていました。

「あそこから中を覗けるんじゃない?」
 待っているのに飽きた佐藤君が、誰にともなく言いだしました。
「覗いてみようか?」
 私と鹿野(かの)君、佐藤君の三人が水飲み場の流しに足を掛けて窓から中を覗いてみることになりました。


 図書室は電気が消えていて薄暗く、手前にある書架の間はよく見えません。
 そんな中で、鹿野君が声をあげました。
「あそこに誰かいるよ!」
「えっ、どこ?」
「中に誰かいるなら、開けてもらおうよ」
 そう言って、最初に佐藤君が流しから飛び降りました。

 鹿野君が「ほら、あそこ」と言う声を聞きながら、私は並んでいる書架を順に見ていきました。
 すると、書架の上に手が伸びているのが見えます。
「本当だ」
 そう言って、私も流しから降りました。
 様子を見ていた子たちが、扉を叩きながら「すいませーん、開けてくださーい」と大きな声を出しています。

 でも、中から扉が開く気配はありません。
 おかしいね、と口々に言っていると――。



 異変は既に起きていました。
 鹿野君が降りてこず、流し台の上に立って窓枠を掴んだままです。
「どうしたの? 降りておいでよ」
 私が呼び掛けると、鹿野君は慌てたように声をあげました。

「降りられないんだよ……体が動かないんだ!」

 扉を叩いて中に呼びかける子、窓にへばりついている鹿野君を見て慌てる子、図書室前の廊下が騒がしくなったところへ、横田先生が鍵を持って戻ってきました。
「はい、みんなどいて」
 事情を知らない横田先生は図書室の鍵を開けて中に入り、照明を点けます。
 それと同時に、鹿野君が驚いた表情で流し台の上から降りてきました。

「大丈夫?」
「わからない。急に動けるようになった……」



 図書室の中には誰もいませんでした。

          *

 結局、図書室の中に

を見たのは鹿野君と私の二人だけだったので、見間違えだろうということになりました。

 後になってよく考えてみれば、二メートル近い高さがある書架の上に手が伸びるなんて小学生では無理でしょう。
 私も鹿野君もみんなに反論はせず、すぐにこのことも忘れられていきました。


 でも、あの日に見た映像は、今でも脳裏にはっきりと浮かびます。


 私が見たのは子どもの手でした。





 あなたの通う学校でも、鍵の掛かった図書室で

がこっそりと本を読んでいるかもしれません。
 決して彼らの邪魔をしないように……。
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