第1話

文字数 1,541文字

「この世界の終焉にさ、君は何を見る?」



静かに、静寂がその浸食を進める空の下。今日という日もまた、あともう少しで、この世界が終わりを迎えようとしていた。やわらかく、後ろの壁を這う蔦に風が吹き込んで、サワサワと音をたてている。誰もいない、駅のプラットホーム。電灯が、その僅かな明かりを、ポツポツと灯して並んでいる。まるで風と僕たちだけが、この世界に存在しているようだった。やがて、囁き声程に吹いていた風も落ち着いて、更なる静寂が広がっていく。そんな時。静かな、静かなこの世界の水面に、1滴、黒のインクが静かに落ちて、波紋が伝わった。隣からふと、その言葉が聞こえてきた。



かじかんで震えている手に、思わず息を吐く。吐く息は白く、すぐに暗い虚空へと消えていった。凛とした空気が、辺り一面に冷め冷めとした色を落として、視界を濃い蒼へと染め上げている。凍え切ったこの世界で、月だけがよりいっそう、その美しさをましていた。



―この世界の終焉。僕たちが生きているこの小さな世界は、24時間ごとにその景色を次々と変えていく。日々という時間が刻々と、僕たちの世界を正確に刻んでゆく。1日の始まりと共に日が昇り、終わりと共に月が昇る。僕たちは、日々自分の時間を生きている様でいて、そうではない。ただ決められた手帳の上を、太陽と共に始めて、月と入れ替わるようにして終えているにすぎないのだ。全ての日の枠の中に、その手帳には、太陽がこの世界に光をもたらし、月が静寂をもたらすことが書き込まれている。ページは何枚にもわたっており、この書き込みがいつなくなっているかなんて、きっと、誰にも分からない。



空を見上げた。澄み切った暗い群青色の空気の下、三日月はその本来の色を取り戻していた。細く、細くなっても、月はその内に秘める強さを忘れることなく輝いている。どうしてなのだろうか。あれほどに線の細い三日月に、僕たちは何故これほどまでに荘厳さを感じるのだろう。世界が闇に消えていく中、月だけがその圧倒的な存在を放って、僕たちが手を伸ばしても到底届きそうもない、遠い所で光を放つ。こんな月でさえも、決められた手帳の上をただ動いているだけに過ぎないと、そう言うのだろうか。だとすると、この世界の片隅で、ただあの月に圧倒されている僕たちは、何なのだ。こんな時、あまりにも、自分はちっぽけな存在なのだと自覚する。ちっぽけな僕たちは、この決められた予定にこれからも付き従って行くしかないのだろう。この世界の終わりが来る、そんな時まで。



 ただ、興味がある。この世界の終焉に見える景色は、一体どんなものなのだろう。数時間前に見た、揺れる電車の窓から見えた美しい夕焼けが、僕の頭に強烈に焼き付いていて、離れない。黒く陰になった川や田んぼ、橋、建物。その上には、濃く赤橙に染まった空が広がっていた。まるで世界が炎に包まれているような、そんな色だった。



この世界の終焉がいつ起こるか、なんて分かるはずもない。開いた手帳を眺めて、時たまペンで書き加える、ただ神のみぞ知る、ということだろう。僕たちが抱える、この無限に広がる空虚を胸に、欲望という名の武器を片手に、人間が起こす禍が先か、はたまた神による裁きが先か。僕たちがどんな結末を迎えるか、それを知る時には、僕たちはもうこの世にいないだろう。どんな結末になってもいい。どんな結末でもいい、ただ。ただこの世で見える最後の景色、その景色は、僕たちが最後に見る景色は、あの夕焼けのようがいい。世界の終焉に、ふと、僕たちの小さな、小さな世界の終わりを示す、あの夕焼けを見れたなら、刹那に日常を感じれる。ただその瞬間があることを、ただそれだけを切に願って、僕はそっと目を閉じた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み