第2話 疑惑の氷解

文字数 1,771文字

慣れてきたせいか、男の行動は大胆になっていく。警備員の類がいないのを良い事に、柵のない所から敷地内へと忍び込んだ。防犯カメラの有無などは全く確かめない。

バタン!

そのとき突然非常口のドアが開き、ガッシリとした数名の警備員らしき者たちが、男めがけて突進してきた。男は慌てて踵を返すが後の祭り。抵抗する間もなく捕まり、施設の中へと連行される。

応接室のような所に軟禁された男は、この先に起こる事態を予測して心が締め付けられた。これから自分はどうなるんだ。そして妻は……。彼女はこんな得体のしれない施設に、何をしに来たんだろうかという疑問が男の脳みそを掻き回す。

しばらくすると、いかにも責任者という風体をした四十代の男性が現れた。そして男と対峙するようにソファに腰かけ穏やかな声で話しかける。

「あなたは一体どなたですか? こちらへは何の御用で……。私どもとしては事を荒立てたくはないので、正直にお話して頂けないでしょうか」

男はすっかり観念して、というよりも開き直って全てを正直に話した。そしてたまたま持っていた運転免許証を示し身分も証明した。

「そうですか……。わかりました。今、奥様にお知らせします。少しの間、お待ち下さい」

「所長、よろしいのですか?」

男性の隣に立っていた、二十代の女性秘書が口を挟む。

「あぁ、仕方ないだろう。ここまで来ては」

所長と呼ばれた男性は女性と共に退室し、部屋には男と警備員だけが残された。そして十数分も経った頃だろうか、再び所長が戻って来た時には傍らに男の妻を同伴していた。

「あなた……」

男の妻は、何とも情けない顔をしてうつむき加減に呟く。まるで親に秘密で出かけたクラブにでも押しかけられたような顔つきだ。

「お前、大丈夫なのか? 一体何をしにここへ!?」

男はたまらず妻を詰問した。

「まぁ、まぁ、ご主人。落ち着いて下さい。これから全てをお話します。最初に申し上げておきますが、奥様には一切の非はありません。そこはどうかご承知おき下さい」

所長は静かに話し始める。

「奥様はご主人と結婚する前、ある施設に職を得ていました。そこは大学の研究所で特定のウイルスを培養していたのです。ところが建物内で事故があり、ウイルスが漏れてしまいました」

所長は努めて淡々と語る。

「研究所に居た多くの人間が感染しました。ただ他人に感染はしないし、毒性のあるものではなかった事、また政府の秘密研究という理由で世間に公表はされませんでした」

「そ、そんな……」

男が妻を見あげる。目をそらす妻。

「そこで一年間、感染者を隔離した上で社会に戻ってもらったのです。ただ遺伝子に直接働きかけるウイルスなので、後になってどういう疾患をもたらすかもわかりません。

そこで感染者の皆さんには三年に一回、必ず検査に来て頂いているのです。そしてウイルスの力を抑える薬の投与をしてもらっています」

一気に話し終え、所長は無機質な溜息をついた。

「なんで、話してくれなかったんだ」

男が懇願するような口調で妻に尋ねる。

「だって、将来どうなるかわからない体なのに、あなたと結婚してしまった。いけない事とはわかっていたけれど、一目見た時、運命の人だと感じてしまったのよ。だからどうしても言えなかった。

だけどあなたを騙し続けているように思えてしまって……、話そう話そうと思っている内に今まで……」

妻は両掌に顔を伏せ嗚咽を漏らした。

「それで、それで妻は大丈夫なんでしょうか?」

男は所長に問いただす。

「検査の結果は明日の朝にならないと分かりません。それを見て薬の処方を考えます。

どうでしょう、職員用の宿泊施設しかありませんが、今夜はこちらにお泊りになって奥様と良く話し合ってみては……」

男は所長の厚意に甘え、二人部屋を用意してもらい妻とゆっくりと話をした。もとより男には妻を責める気など毛頭なく、互いの労をねぎらう結果となった。

その晩、二人は早めにベッドに入る。緊張から一気に解き放たれたせいか、男が早々に眠気を催したためだ。

翌日、所長から問題なしとの検査結果を聞き、二人はより一層絆を深めて病院施設を後にした。

玄関で夫婦を見送る所長と秘書。

「まぁ、やれやれだね。何年かに一ぺんはこういう事がある。君も慣れて起きたまえ」

所長が踵を返す。

「あの夫、信じたでしょうか……?」

秘書が心配そうに所長の顔を見た。


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