第1話
文字数 2,502文字
「波左間 くん、髪の毛くれない?」
放課後の教室で、クラスメイトの女子からそう言われた。突然の出来事だった。
発言の気持ち悪さよりも、突拍子のなさの方が気がかりだった。
僕の髪は白い。白髪 ではなく、白髪 。黒髪の持ち主であるみんなは、電気の下では天使の輪っかを作る。けれど、僕はもともとが白いから、上から電気で照らされても、微妙に光るだけ。
僕がお父さんに抱きかかえられてお風呂に入っている小さいころの写真を見ると、その写真に映っている僕は真っ黒な髪をしている。だから、生まれつき白髪 だったわけではなくて、いつの間にか真っ白になってしまったのだ。
僕がその変化に気づいていないということは、髪の毛は、日に日に、黒から白へと変色していったのだろう。
毎日写真でも撮っていたら変化がわかって面白かっただろうけど、自分が白髪 になっていることにも気が付かないんだから、写真など何もない。周りの人には、ただの白髪 の人という風にしか見えないだろう。
僕の髪を見て、みんなはおしゃれだとかカッコイイとかいうけど、望んで白髪 なわけじゃないから困る。
事情を知らない人からは白い目で見られるし、事情を説明しても白々しい反応をされるのがつらい。
どうしても信じてくれない人には、髪以外の毛を見てもらうようにしている。世の中おしゃれな人は多いけど、ムダ毛まで染める人はいないから、
つまるところ、僕は自分の毛の色で相当悩んでいるのだった。
そんな僕に髪をくれ、だと?
僕は、当然、怒った。人が気にしている問題に手を付けられたらそりゃ怒る。龍が首の下のうろこを触れられるのを嫌がって烈火の如く怒るように、僕は髪について触れられたくない。
けど、まずは我慢だと思った。僕は、目に怒りが宿ってしまわないように気をつけながら、女子に拒否の意思表示をした。
「いやだよ。ハゲちゃうじゃん。髪の毛って抜いたらもう生えてこないんだよ?」
「ええ、知ってるわ」
彼女は、周知の事実を語る僕を、見下すように答えた。
どうしてこんなに高圧的になれるのか、わからない。
今、彼女は僕にお願いをする側で、もし僕の髪を欲しているのなら、少なくとも持ち主の機嫌を損なわないようにするべきなんじゃないか。
それなのに、彼女は、僕の言葉を無視した。僕の怒りの感情はみるみると立ち昇り、臨界点をはるかに超え、オーバーフローを起こし、むしろ彼女に対して不可思議な親しみを感させた。怒ったところで彼女は何とも思わないだろう。だったら、この異常な要求をしてくる女のことを知ろうと思い至ったのだ。
だから逆に考えれば、もし、目の前の女子が、僕に自分を認識させるためにさっきのような返事をしたのなら、彼女は人間関係の天才だと思う。
「それで、私は、あなたの髪がほしいのだけれど」
彼女は、なお、僕に髪の催促をした。
左手を腰にあて、左足に重心を掛けて、僕の眼前に立っている。彼女は左足から右足へと重心をずらし、重心の移動に伴って髪が少し揺れた。彼女は腰をはるかに超えるぐらい、髪を伸ばしていた。
「どうして僕の髪が欲しいの? 君に比べて、僕は何の手入れもしてないし、長くもないから売ることもできないよ」
「売りはしないわ。あなたの髪がきれいだからよ。ただそれだけ」
「きれいだから?」
「そうよ。……ちょっと触るわね」
彼女は、僕に一方的に宣言をすると、僕の頭に手を伸ばした。
僕は身じろぎ一つできなかった。
女子の手が、僕の額の上ぐらいから髪と髪の間を分け入ってくる。一本一本確かめるように、僕の頭皮とそこから生えている白髪をなぞり、そして頭頂部にたどり着いたかと思うと、頭から手を放した。
彼女の手が離れてから、僕はやっと何かを言うことができるようになった。
「ちょっと! 勝手に触るのやめてよ!」
「だから先に言ったじゃない、触るわよって」
彼女は、一言いえばそれで済むと思っているのだろうか。僕に髪の毛を一本くれと言った時と同じ表情でいた。
当然でしょ?
というような顔つきで突っ立っている。
「だとしても、駄目だって! 第一、汚いよ。佐藤さんの手が汚れちゃうよ」
僕はその時になって初めて、眼前の女子の苗字が佐藤であることを思い出し、より強く文句を言うためにその名を使った。名前を呼ばれると人は無関心ではいられなくなる。そんなことを以前どこかで聞いたことがあった。
「そんなことは気にしないわ。……やっぱり、あなたの髪はきれいだったわ。白髪とは違って、根元までしっかりと――ほら」
佐藤さんは僕の髪を見つめながら、愛おしそうに眼を細めた。そして、彼女の手に残っていた僕の白髪を一本つまんだ。
佐藤さんは金箔でも取り扱うように丁寧に僕の抜け毛を扱った。
透かして見たり、ひらひらと振ってみたりしている。
僕はもしかしたら馬鹿にされているのかもしれないと思ったけど、現に佐藤さんの熱心さを目の当たりにしているから、その熱意を持ったまなざしを強く否定することもできない。
真剣なまなざしの佐藤さんに対し、僕は緩慢な視線を向けていたけれど、あることに気がついた。
「そういえば、それも僕の髪だよね。それをあげるからさ、これからは必要な用事のとき意外は来ないでよ」
僕としては、僕の人生に二度と関与してくるな、と伝えたつもりだった。しかし、佐藤さんは、
「ええ」
と素っ気ない返事をしただけだった。
わかったのか、わからなかったのかも、よくわからない反応だった。
その反応を見て、今まで忘れていた怒りが沸々と僕の感情の奥底で煮えてきた。
本人の目の前で抜け毛を観察するという所業に対する心理的代償を、要求しようとしたけど、これ以上関係すると、ろくなことがないという本能の導きに従って、僕は佐藤さんのもとから遠ざかった。
佐藤さんは最後に、
「ありがとう。感謝してるわ」
と言った。
「……えっと、別に」
僕は、その時初めて、佐藤さんが僕の好みの顔立ちだということに気がついた。
こんな腹立たしさを抱えながらも、女の人の顔立ちを見逃さない僕の卑しさが嫌な感じだった。
放課後の教室で、クラスメイトの女子からそう言われた。突然の出来事だった。
発言の気持ち悪さよりも、突拍子のなさの方が気がかりだった。
僕の髪は白い。
僕がお父さんに抱きかかえられてお風呂に入っている小さいころの写真を見ると、その写真に映っている僕は真っ黒な髪をしている。だから、生まれつき
僕がその変化に気づいていないということは、髪の毛は、日に日に、黒から白へと変色していったのだろう。
毎日写真でも撮っていたら変化がわかって面白かっただろうけど、自分が
僕の髪を見て、みんなはおしゃれだとかカッコイイとかいうけど、望んで
事情を知らない人からは白い目で見られるし、事情を説明しても白々しい反応をされるのがつらい。
どうしても信じてくれない人には、髪以外の毛を見てもらうようにしている。世の中おしゃれな人は多いけど、ムダ毛まで染める人はいないから、
そこらへん
見るとやっと納得してくれる。つまるところ、僕は自分の毛の色で相当悩んでいるのだった。
そんな僕に髪をくれ、だと?
僕は、当然、怒った。人が気にしている問題に手を付けられたらそりゃ怒る。龍が首の下のうろこを触れられるのを嫌がって烈火の如く怒るように、僕は髪について触れられたくない。
けど、まずは我慢だと思った。僕は、目に怒りが宿ってしまわないように気をつけながら、女子に拒否の意思表示をした。
「いやだよ。ハゲちゃうじゃん。髪の毛って抜いたらもう生えてこないんだよ?」
「ええ、知ってるわ」
彼女は、周知の事実を語る僕を、見下すように答えた。
どうしてこんなに高圧的になれるのか、わからない。
今、彼女は僕にお願いをする側で、もし僕の髪を欲しているのなら、少なくとも持ち主の機嫌を損なわないようにするべきなんじゃないか。
それなのに、彼女は、僕の言葉を無視した。僕の怒りの感情はみるみると立ち昇り、臨界点をはるかに超え、オーバーフローを起こし、むしろ彼女に対して不可思議な親しみを感させた。怒ったところで彼女は何とも思わないだろう。だったら、この異常な要求をしてくる女のことを知ろうと思い至ったのだ。
だから逆に考えれば、もし、目の前の女子が、僕に自分を認識させるためにさっきのような返事をしたのなら、彼女は人間関係の天才だと思う。
「それで、私は、あなたの髪がほしいのだけれど」
彼女は、なお、僕に髪の催促をした。
左手を腰にあて、左足に重心を掛けて、僕の眼前に立っている。彼女は左足から右足へと重心をずらし、重心の移動に伴って髪が少し揺れた。彼女は腰をはるかに超えるぐらい、髪を伸ばしていた。
「どうして僕の髪が欲しいの? 君に比べて、僕は何の手入れもしてないし、長くもないから売ることもできないよ」
「売りはしないわ。あなたの髪がきれいだからよ。ただそれだけ」
「きれいだから?」
「そうよ。……ちょっと触るわね」
彼女は、僕に一方的に宣言をすると、僕の頭に手を伸ばした。
僕は身じろぎ一つできなかった。
女子の手が、僕の額の上ぐらいから髪と髪の間を分け入ってくる。一本一本確かめるように、僕の頭皮とそこから生えている白髪をなぞり、そして頭頂部にたどり着いたかと思うと、頭から手を放した。
彼女の手が離れてから、僕はやっと何かを言うことができるようになった。
「ちょっと! 勝手に触るのやめてよ!」
「だから先に言ったじゃない、触るわよって」
彼女は、一言いえばそれで済むと思っているのだろうか。僕に髪の毛を一本くれと言った時と同じ表情でいた。
当然でしょ?
というような顔つきで突っ立っている。
「だとしても、駄目だって! 第一、汚いよ。佐藤さんの手が汚れちゃうよ」
僕はその時になって初めて、眼前の女子の苗字が佐藤であることを思い出し、より強く文句を言うためにその名を使った。名前を呼ばれると人は無関心ではいられなくなる。そんなことを以前どこかで聞いたことがあった。
「そんなことは気にしないわ。……やっぱり、あなたの髪はきれいだったわ。白髪とは違って、根元までしっかりと――ほら」
佐藤さんは僕の髪を見つめながら、愛おしそうに眼を細めた。そして、彼女の手に残っていた僕の白髪を一本つまんだ。
佐藤さんは金箔でも取り扱うように丁寧に僕の抜け毛を扱った。
透かして見たり、ひらひらと振ってみたりしている。
僕はもしかしたら馬鹿にされているのかもしれないと思ったけど、現に佐藤さんの熱心さを目の当たりにしているから、その熱意を持ったまなざしを強く否定することもできない。
真剣なまなざしの佐藤さんに対し、僕は緩慢な視線を向けていたけれど、あることに気がついた。
「そういえば、それも僕の髪だよね。それをあげるからさ、これからは必要な用事のとき意外は来ないでよ」
僕としては、僕の人生に二度と関与してくるな、と伝えたつもりだった。しかし、佐藤さんは、
「ええ」
と素っ気ない返事をしただけだった。
わかったのか、わからなかったのかも、よくわからない反応だった。
その反応を見て、今まで忘れていた怒りが沸々と僕の感情の奥底で煮えてきた。
本人の目の前で抜け毛を観察するという所業に対する心理的代償を、要求しようとしたけど、これ以上関係すると、ろくなことがないという本能の導きに従って、僕は佐藤さんのもとから遠ざかった。
佐藤さんは最後に、
「ありがとう。感謝してるわ」
と言った。
「……えっと、別に」
僕は、その時初めて、佐藤さんが僕の好みの顔立ちだということに気がついた。
こんな腹立たしさを抱えながらも、女の人の顔立ちを見逃さない僕の卑しさが嫌な感じだった。