第1話
文字数 1,909文字
「起きろ。起きろって」
頬をペチペチ叩かれながら呼びかけられて、少女は重たい瞼を持ち上げた。
「ん……あ、あの、ハロウィン……ですか?」
「は? まだ寝ぼけてんのか?」
男は不機嫌そうな顔で答えた。
「でも、それ……」
少女はゆっくりと、男の背中から生えている、一対の黒い翼を指さした。
「これか? コスプレじゃねえよ。ほら」
鼻で笑うと、男は少女を両腕で抱えたまま、翼をバサバサと羽ばたかせた。
少女は口を開け、目をまんまるに見開いた。
「言っておくが、俺はコスプレでも吸血鬼でもないからな。悪魔ってやつだ」
「あくま……?」
「おう」
「えっと……何かご用でしょうか?」
きょとんとする少女に見せるかのように、男は大きな溜息をついて項垂れた。
「お前さん、自分がどうなるところか忘れたのか? ほら、あれ見てみ?」
男が顎で指し示した先には、助手席のドアが開け放たれたミニバンが鎮座していた。ドアの縁には、目張りの役目を終えたガムテープがベロンと垂れ下がっている。
「あっ……」
「さて、これで俺がここにいる理由がわかったか?」
「もしかして……私の魂、買って頂けるんですか?」
「『ワタシのタマシイ、買っていただけるんですかぁ?』……じゃねえよ!」
男は少女の額をペチッっと叩いた。
「あのなあ、ただでさえ地獄は魂がだだ余ってんだよ。密もいいとこだ。ダースで売りに出してもまだ余るくらいだ。そのうえ美味くも不味くもねえ」
「え? ……味、あるんですか?」
「何のために魂欲しがると思ってんだよ。美味しく頂くためだろうが。徳の高い奴の魂は極上、クズの魂はクセになる不味さだ。だがな、ホイホイ命を捨てる奴の魂はな、なーんの味もしねえ」
「そう……ですか…………そう……ですよね……」
「で、ここからが俺の仕事だ」
「え? でも、私の魂なんて」
少女の口から漏れかけた言葉を、男の唇が遮った。
一瞬とも数分間とも思える刻を終え、男の顔が離れる。
「……ななななななななんなんですかっ!」
「お前さんにいくつか魂を貸し付けた」
「はい?」
「言ったろ? 魂は売れ残るほど余ってるって。地獄の連中には無味無臭でも、お前さんたちには魂の強度を上げる妙薬になる。ちょっとした病気くらいじゃビクともしない程度には御利益があるぜ?」
「はあ」
今の少女には、言葉の意味を咀嚼できる余裕などなかった。
「さらに今なら豪華なオプション付きだ。あの運転席で突っ伏してるバカな、お前さんみたいな子を何人も好き放題してきたクズ野郎だ」
ミニバンの運転席には、小太りの男がハンドルを抱きかかえて伏していた。
「お前さんたちに飲ませた睡眠薬の成分を、あいつにそっくり移してやった。しばらく目覚めないだろ。お前さんが警察に通報して証言すれば、無事に逮捕されるだろうな」
男はポンポンと、少女の肩を叩いた。
「で、もうひとつオプションだ。後部座席にいる細い兄ちゃん。あれな、IT界隈じゃちょっとは名の知れた男でな。お前さんと同じで、ちょっとばかり心がカラッポになっただけだ。趣味は合うと思うぜ?」
「そんなの……私には関係ないです」
「まあ、そうだな」
そう言うと、男は大げさに両手を挙げた。
支えられていた体が放り出されて、少女の体が傾く。
あっ、と思った瞬間、男の両腕が彼女の体を抱き留めた。
「……だが、退屈はしないだろ?」
至近距離で、男が囁く。
まるで、悪魔のように。
「まあ、騙されたと思って、俺と契約しないか?」
「騙す気しかないじゃないですか」
「それもそうだな」
微笑む男に、少女の顔が少しだけ綻んだ。
「お前さんの魂に、もうちょっとだけ味を付けろ。そうしたら見合った価値で買い上げてやる」
「もし、続かなかったら?」
「その時は、もっと魅力的なオプションを提案させてもらうさ。もちろん、利子は高く付くぜ?」
「……バカみたい」
そう言って、少女は笑った。
……大粒の涙をこぼしながら。
「契約成立、だな」
男は少女を起こすと立ち上がり、翼を広げた。
「じゃ、元気でな」
男の体が宙に舞い上がり、闇夜に溶けて消えた。
男の姿が消えてからも、少女は闇を見上げ続けた。
男は大きく溜息をついた。
少女の目が届かない遙か上空から、男は少女を見下ろしていた。
翼を一度すくめて、勢いよく広げ直す。
翼を染めていた漆黒が振り払われ、艶やかな白い羽が月光に照らし出される。
――最近じゃ、悪魔の方が信頼されるってんだから、やってられねえな。
男は苦笑すると、彼方へ飛び去っていった。
頬をペチペチ叩かれながら呼びかけられて、少女は重たい瞼を持ち上げた。
「ん……あ、あの、ハロウィン……ですか?」
「は? まだ寝ぼけてんのか?」
男は不機嫌そうな顔で答えた。
「でも、それ……」
少女はゆっくりと、男の背中から生えている、一対の黒い翼を指さした。
「これか? コスプレじゃねえよ。ほら」
鼻で笑うと、男は少女を両腕で抱えたまま、翼をバサバサと羽ばたかせた。
少女は口を開け、目をまんまるに見開いた。
「言っておくが、俺はコスプレでも吸血鬼でもないからな。悪魔ってやつだ」
「あくま……?」
「おう」
「えっと……何かご用でしょうか?」
きょとんとする少女に見せるかのように、男は大きな溜息をついて項垂れた。
「お前さん、自分がどうなるところか忘れたのか? ほら、あれ見てみ?」
男が顎で指し示した先には、助手席のドアが開け放たれたミニバンが鎮座していた。ドアの縁には、目張りの役目を終えたガムテープがベロンと垂れ下がっている。
「あっ……」
「さて、これで俺がここにいる理由がわかったか?」
「もしかして……私の魂、買って頂けるんですか?」
「『ワタシのタマシイ、買っていただけるんですかぁ?』……じゃねえよ!」
男は少女の額をペチッっと叩いた。
「あのなあ、ただでさえ地獄は魂がだだ余ってんだよ。密もいいとこだ。ダースで売りに出してもまだ余るくらいだ。そのうえ美味くも不味くもねえ」
「え? ……味、あるんですか?」
「何のために魂欲しがると思ってんだよ。美味しく頂くためだろうが。徳の高い奴の魂は極上、クズの魂はクセになる不味さだ。だがな、ホイホイ命を捨てる奴の魂はな、なーんの味もしねえ」
「そう……ですか…………そう……ですよね……」
「で、ここからが俺の仕事だ」
「え? でも、私の魂なんて」
少女の口から漏れかけた言葉を、男の唇が遮った。
一瞬とも数分間とも思える刻を終え、男の顔が離れる。
「……ななななななななんなんですかっ!」
「お前さんにいくつか魂を貸し付けた」
「はい?」
「言ったろ? 魂は売れ残るほど余ってるって。地獄の連中には無味無臭でも、お前さんたちには魂の強度を上げる妙薬になる。ちょっとした病気くらいじゃビクともしない程度には御利益があるぜ?」
「はあ」
今の少女には、言葉の意味を咀嚼できる余裕などなかった。
「さらに今なら豪華なオプション付きだ。あの運転席で突っ伏してるバカな、お前さんみたいな子を何人も好き放題してきたクズ野郎だ」
ミニバンの運転席には、小太りの男がハンドルを抱きかかえて伏していた。
「お前さんたちに飲ませた睡眠薬の成分を、あいつにそっくり移してやった。しばらく目覚めないだろ。お前さんが警察に通報して証言すれば、無事に逮捕されるだろうな」
男はポンポンと、少女の肩を叩いた。
「で、もうひとつオプションだ。後部座席にいる細い兄ちゃん。あれな、IT界隈じゃちょっとは名の知れた男でな。お前さんと同じで、ちょっとばかり心がカラッポになっただけだ。趣味は合うと思うぜ?」
「そんなの……私には関係ないです」
「まあ、そうだな」
そう言うと、男は大げさに両手を挙げた。
支えられていた体が放り出されて、少女の体が傾く。
あっ、と思った瞬間、男の両腕が彼女の体を抱き留めた。
「……だが、退屈はしないだろ?」
至近距離で、男が囁く。
まるで、悪魔のように。
「まあ、騙されたと思って、俺と契約しないか?」
「騙す気しかないじゃないですか」
「それもそうだな」
微笑む男に、少女の顔が少しだけ綻んだ。
「お前さんの魂に、もうちょっとだけ味を付けろ。そうしたら見合った価値で買い上げてやる」
「もし、続かなかったら?」
「その時は、もっと魅力的なオプションを提案させてもらうさ。もちろん、利子は高く付くぜ?」
「……バカみたい」
そう言って、少女は笑った。
……大粒の涙をこぼしながら。
「契約成立、だな」
男は少女を起こすと立ち上がり、翼を広げた。
「じゃ、元気でな」
男の体が宙に舞い上がり、闇夜に溶けて消えた。
男の姿が消えてからも、少女は闇を見上げ続けた。
男は大きく溜息をついた。
少女の目が届かない遙か上空から、男は少女を見下ろしていた。
翼を一度すくめて、勢いよく広げ直す。
翼を染めていた漆黒が振り払われ、艶やかな白い羽が月光に照らし出される。
――最近じゃ、悪魔の方が信頼されるってんだから、やってられねえな。
男は苦笑すると、彼方へ飛び去っていった。