魔術師ミハイルの苦悩

文字数 4,813文字

 あるとき、この国の運命を大きく動かすことになる二人の魔法使いが、別々の場所に、ほぼ同時に誕生した。そのひとりは俺だ。むかしは物静かな本好きの少年だったが、あるとき魔法使いの才能を見出され、宮廷で暮らすことになった。めきめきと実力をつけ、やがて炎のアレイスターか、幻影のミハイルかといわれる時代になった。アトラス王国の二大魔術師と言えば、ここ10年くらいずっと不動だ。お互いいつでも挑戦者を受け入れていて、特に春の聖闘祭には国中からよりすぐられた猛者たちが参加して俺たちと戦う、それでもいまだに誰一人としてその座を奪った者はいないのだ。
 ところが、俺たちには根本から大きな違いがあった。つまり、わが儕輩(せいはい)であり宿敵でもあるアレイスターは、炎のアレイスターと云われるだけあって、火炎魔術を第一の得意技とし、四大元素の攻撃魔術と剣術どちらも長けている。極めて高度なレベルでふたつの技術、魔術と剣術が調和しているのだ。
 ところがこの俺は、幻影のミハイルと云われるだけあって、精神操作の魔術を専門としていた。相手に幻覚を見せる、相手の精神にとりいる、そういった魔術のことを精神魔術といった。俺にはほとんどこれしかできない。もちろん、この国で俺の右に出る術者はいない、それはもう、圧倒的に。だけど俺が悩んだのは、俺のやってることがあまりにも勝負とは程遠いことだった。
 俺のもとに挑戦者たちが次々来て、ずこずこと帰っていくうちに悟った。俺にとっての絶望的な、不運ってやつを。だって、アレイスターは相手と全力でぶつかり合って勝負し、その力で相手を負かす。相手のパワーを全力を受け止めるのだから、勝った方も負けた方もすっきりする。清々する。充足感に包まれる。その経験が己の成長にもなる。
 ところが俺の術法は「相手に全力を出させない」ためのものなのだ。剣を構えた相手に対して催眠術をかけ、たちまち無防備な直立姿勢にして、ゆっくりと歩いて近づき、彼の剣をとってそっと喉元にかざす。俺が勝っても、俺は何も成長しないし、残るものは何もない。ただ相手が催眠術にかかって眠り呆けていただけだ。力の比較なんて、つまりは相手が術にかかってくれるかどうかによる。相手がたまたま催眠術の利かない相手か相応の対策をしていたら俺の負けで、それ以外なら俺の勝ち。そして生憎、催眠術の利かない相手なんてこれまで出会ったこともなかった。
 これが魂のぶつかり合いだっていってる者もいるけど、俺に云わせれば、こんなのつまらないじゃないか。例えるなら、あらかじめ返却された答案用紙があって、その試験の点数を他人と見せあいこして、どちらが良い点を取っているか勝負するみたいなもんだ。俺はその試験で90点かもしれないし、100点かもしれない。でも点数はあらかじめ決まっている。俺は勝負のたびに相手にその答案を差し出す、その時点ではもう「勝負」は終っているんだ。俺にとっての人生最高の「決闘」でさえ(高名な僧と行われた)、相手が90点以上をとってるかもしれない(術が効かないかもしれない)なんて不安にちょこっと苛まれただけだった。
 俺の気持ちが理解できるか? そりゃ、初めは嬉しかったさ。感謝した。自分が最強だってことに。最強の魔術師として名誉を勝ち取り、その気になれば何だってできた。アレイスターができないこと、たとえば酒場での支払いをちょろまかしたり、そうと望まない女を抱くことだってできた。でも、充実は得られなかった。決して。

 俺とアレイスターは気づいた時にはもう、どちらも最強の魔術師として国内で有名だった。同じ王宮に雇われる魔術師だから、お互いに尊敬し合わなければならない。そのどちらが勝っても負けた方の名誉が大きく傷つくので、王宮は俺たちをけっして戦わせなかった。俺に云わせれば、俺とアレイスターを戦わせ、どちらが真の意味で最強かを決めようなんて提案する輩は、軽蔑すべきだ。
 俺は負けるとも思ってないし、勝てるとも思ってない、どっちでもない。だが、俺と戦わせるなんてアレイスターへの侮辱だ。どっちが強いかって? 真の意味で戦い、信念のある強さを誇っている者というのなら、アレイスターだし、極限の勝負を切り抜けてきた勝負師という意味でならそれもアレイスターだ。俺は何の努力も成長もない。精神魔術の基力というのはただ純粋な才能によってのみ決まるものだ(これは俺が完成させた理論でもある)。

 ところが世間は本質をまるで見抜かず、ひたすら俺たちを決闘させたがったばかりか、俺たち二大魔術師に寄せられる声援はつねに同じくらいだった。品行に一点の欠点もないアレイスターより、どこか影のある俺が好ましいと言ってくれるひねくれ者さえたくさんいた。おまえら、ほんとうは俺みたいに楽したいだけじゃないのか?
 春の聖闘祭では、我こそはと名乗りをあげた10人の挑戦者たちを、誤認識魔術で互いに争わせ、決着がつくまで仲間割れさせるのが俺のお決まりの手段だった。この物珍しい乱闘を見て観衆たちはきまって大歓声をあげた。乱闘が面白いからだ。俺は聖闘祭が心底嫌いだった。こんなやり方は忠義に反している。にも関わらず、こうしてやるだけで観客からはある程度うけるから、ずっとこの調子でやっていた。

 そうして俺は恥ずかしいことに、グレていた。やはり人の心を自由に操れたりすると、まっすぐ健やかに育つことなんてできないものだ。常日頃からおのずと人間の汚い所、曲がったところばかりが見えて嫌になる。そういう俺も、ひん曲がった、偏屈な、意地汚い人間のひとりだったが。
 まともな人間は俺に心を覗かれるのを恐れ、近づこうともしない。やってくるのは、邪悪な頼み事を胸に秘めた人間ばかり。意中の人の心を覗きたいとか、大金持ちの心を操ってくれだとか。そんな屑どもの中にも、どこか自分と似た面影があるのに気づいてうんざりする。帰ってほしい、俺は金が欲しいわけでもないし、さらなる地位を望むわけでもない、俺はただ、この世を呪っていたいだけなんだ!

 そんなある日、宮居の門をたたく若者がいた。挑戦者だ。道場破りってやつか。剣を背中にななめに背負って、いかにも希望に満ち溢れた眼差しをしている。近衛兵に大きな、妙にかしこまった口調で用件を告げ、礼儀正しくもどこか落ち着きなく、周囲に一礼する。正午のランチタイムになる前にと、すぐにでも決闘場に通された。彼は魔法剣士だという。姿勢が良くて、ずいぶん若い。
 精神統一、瞑想修行、梵我一如の境地。あらゆる誘惑と催眠にうち勝つ訓練を積んでいることだろう、やつも。他の魔法使いたちのように。無駄なことだ――剣の振りの速さも関係ない。ごくごく簡単な手順で暗示をかければ筋肉を麻痺させてしまえるのだ。その暗示は動物的なまでに強力で、抗うことはできない。それからゆっくりと催眠をかければ同じこと。今まで倒してきたやつらと全然変わらない獲物だった。
 しかし、この日の俺はひとつの意地悪な思いつきをした。彼に竜と戦う幻を見せて、その戦いぶりを坐って鑑賞しようというのだ。これはまた大いな出し物になるはずだった。なんせ、この若き剣士が、存在しない竜に向けて必死で剣を振っている様が、間近で見られるのだから。あるいは彼は逃げ出すかもしれないぞ、なんて考えながらあくびした。
 それで昼飯をもってこさせて、それをゆっくりと味わいながら、鑑賞することにした。彼は想像の中でなにやら竜と戦っているらしく、上方を向けて剣をぶんぶん振り回していたっけ。しかし様子が変なのだ。気づいたのは10分後だったか、若者はまだ戦っている。汗だくで。どうやら想像の中の竜と決着がついていないようだった。そうして一人芝居の剣舞を眺めていると、30分後、かれはやっと龍を倒したようだった。それもかなりの苦戦の末に、ぎりぎりで。現実の世界に引き戻されたへとへとの汗だくの彼は、すべてが想像だったことを悟り、この幻術の前にまんまと敗れ去ったことを絶望する、はずだった。
 ところが若者はこの上もなく満足そうな笑みを浮かべて、敗北のあかしの平身低頭な一礼を俺にしてから、真っ直ぐ街のほうへ去って行った。

 その翌日、同じ若者がまた門を叩いてきた。この魔法剣士はいよいよ変人だ。やつは昨日どう考えても俺に完敗したのに、一ミリも勝ち目なんてなかったのにもかかわらず、もう一戦交えたいという。俺は昨日の通り巨大な化物の幻覚を見せてやつと闘わせた。だが、今度は絶対に勝てないような強さにする。果たせるかな彼は負けた。彼は残念そうな顔をしていたが、「よし、今度はあいつを倒してやるぞ」なんて気概のある真剣な顔つきにすぐ変化して、また同じように街の方へ去っていく。明日も来るのだろうか? あまり関係ないことだった、俺にとって、一ヶ月ひたすらこの幻術をかけ続けようが苦のないこと、朝飯前というものだから。

 そして現実はほんとうにその通りになった。やつは毎日来て、俺に幻術をかけられた。強大な竜と戦い、敗れていった。こんなことに何の意味もないなんて考えを改めさせられることになったのは、やつが初めて強大なドラゴンに(想像上で)うち勝った日のことだ。ドラゴンの強さは毎日まったく変えていないから、やつの剣と魔法の技術が向上したに違いない。おれは次にこれより少し強い化物を幻で召喚して、その若者と闘わせるということを翌日以降もつづけた。なんというか、俺の心がそうしなければならないと俺に告げていた。来る日も来る日も、俺は決闘場でこの若者の相手をした。やつに幻を見せ、やつが勝手にそれと全力で死闘を繰り広げ、やつが目の前の敵に勝てるようになったら、少し強い敵を召喚してやるようにする、これを繰返した。

 ときには何週間も同じ敵を前にして進展がないときもあった。ちょっと強い魔物をつくりすぎたかなと俺は本気で心配して、手加減しようと疼く心を必死で我慢しなければならなかった。とうとうやつがそれを打ち破った時には、奇しくも心を震わせた。これは他人の成長を見守る日々だ、俺自身はちっとも成長できないけれど。
 やがて、想像にも限界が来た。どんな強大な幻をつくってやっても、あいつはそれを一日で倒してしまう。難なく苦難を越えられるようになる。俺はとっかえひっかえとっておきの強敵をぶつけ、四天王、七皇帝、三大魔王といったキャラクターをデザインしてはそのイメージ通りの強力な必殺技を与えて徹夜で構想したが、それも全部無駄たった。どんな敵をぶつけてもやつは一日でそれを倒してしまう。このごろなどは、一瞬睥睨しただけで幻を看破してしまう有様だ。これは俺の術がついに効かなくなったことを意味している。ある日、究極殺戮大地獄魔王神だかを倒されたときに、俺はこう言った。

「生きてこの方、俺は他人との勝負で勝ってほんとうの意味で嬉しいと感じたことなんてない。一度たりともだ。だから勝負に負けても悔しいと思うこともない。違うか?」

対峙する男は答えた。

「いまの私をつくったのはあなたです。あなたのつくったこの私があなたの術を破った、あなたはじつに自分に打ち克ったのです。なんと素晴らしいことでしょうか」

なんてことだ、俺は負け、そして自分に勝ったのだ。他人を成長させること、それに可能性を見出した。涙を流しながら、俺は自分にこんな道があったのかと悟った。
気がつくと、若者はふっと眼の前から姿を消していた。
そのとき気がついた。幻だったのだ。俺が若者だと思ってたものは。なんで、今まで気が付かなかったんだろう。じゃあ誰が? だれがこの幻をつくった?

気がつくとアレイスターが隣に立っていた。記憶する限り、誰に見せたこともない暗い微笑みを(たた)えながら、そっと呟いた。

「なあミハイル、最強なんてつまらないのさ」



FIN
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