第1話

文字数 3,478文字

 目が合った瞬間に、魅入られていた。完全・完璧な一目惚れ。
 ここは地元から電車に乗って行くショッピングモールだから、たぶん、知り合いはいないはず。クラスの誰かに見られたら、とんでもない。
 それでもぼくは慎重に回りを窺いながら、ターゲットにゆっくりと近づいていく。
 値札を見る。
 大丈夫、買える。
 こないだ、一緒に病院に行ったときに、おばあちゃんから500円、お小遣いを貰った。お母さんは嫌がるし、別にぼくも小遣い目当てでおばあちゃんに付き添うわけでは決してないけれど、でも、時々貰える臨時収入はありがたい。
 無駄遣いはしない。しっかり貯めておいて、こういう時に使う。
 ぼくはそれで、その愛らしいアザラシのあかちゃんのぬいぐるみを手に取った。
 まさにその瞬間だった。
「あ、高瀬え!」
 ぼくを呼ぶ、聞き覚えのある女子の声がした。
「ひ!」
 ぼくは、ぬいぐるみを元に戻すことも出来ずに凍り付いた。
「なになに? 何見てるの?」
 ぐいぐい近づいてきて、覗き込む。
 村尾さんだ。同じクラスの村尾里奈。
 陸上部で、短距離も長距離も一番という、化け物みたいな女子で、それはつまり、短距離も長距離も下から一番のぼくとは対極にある女子で。
 なぜ、こんなところにいるんだよ。
 ぼくがなおも凍り付き、言葉を発せられずにいるのを見て、村尾さんはやっと察してくれたみたいだった。
「あ、もしかして、見られたくなかった?」
 ぼくは、やっとのことで頷く。
「中2男子がぬいぐるみ持って、ニコニコしてたから?」
 うんうん。
「そっかー」
 それで、ちょっと腕組みして考えて。
「ね、高瀬。あたしと高瀬だったらさ、どっちがぬいぐるみ愛好会っていうふうに見えるかな」
「え? そりゃ、村尾さんでしょ」
「えー、ホント? ありがとう。でもねー、みんな、男子たちは、そんなふうにあたしを見ないよねー」
「そんなことないよ」
「あるある、あたしは、あんまし女子扱いされない。別にま、良いんだけど、でも、あたしもぬいぐるみ、好きだよ」
 それで、村尾さんは、ぼくが手にしたままのアザラシとペアになっていて、一回りだけ大きい、お兄さんアザラシに触れる。
 ぬいぐるみの白と、村尾さんの日焼けした手の綺麗な褐色。肩にかけているのはスポーツ・バッグ。短い髪。そういう外見のことを意識しているのだろうか? でもぼくは彼女が思いやりのある素敵な女子だって知ってるし、男子だって大抵は分かっていると思うし。
「あたし、枕だって、でかい犬のぬいぐるみの抱き枕だし」
「それって、可愛いと思う」
 つい、言葉に出してしまってから、ぼくは真っ赤になった。「可愛い」が、村尾さんのことだったからだ。
 でも村尾さんはそうは取らなかったみたいで、
「そう、可愛いんだよ、抱き枕。あたしより、きっと、高瀬が持ってた方が似合うよ」
 と言い、けたけたと笑った。
 その無邪気そうな笑顔を見ていたら、山ちゃんのことが自然と思い出された。
 山ちゃん、山崎祥太は、他人から「あいつらBLなんじゃね?」などと言われても、ドンくさいぼくを鬱陶しがらずにいつも一緒にいてくれる、小1からの大切な友だちだ。ぼくより賢いし、世渡り上手でもある。
 実は、村尾さんは山ちゃんのいとこだ。小学校の時に、山ちゃんの家に村尾さんが来ていて、3人で遊んだことだって何回かある。村尾さんは、あの頃から異常に運動が出来た。ぼくはもちろん、山ちゃんでも全然かなわなかった。村尾さんとは小学校は別の学区だったけれど、中学で一緒になった。山ちゃんと村尾さんがいとこ同士だってことは、特別隠している感じではないのだけれど、学校で二人が話しているところはほとんど見ないし、たぶん、クラスではぼく以外は知らないんじゃないかと思う。
 そしてぼくは。
「ねえ、村尾さん」
 ぼくは言った。
「ぬいぐるみのこと、山ちゃんには言わないで」
 それで村尾さんは笑うのを止めた。止めて、両目がクエスチョンマークになった。
「何で?」
「え、いや、だから、恥ずかしいから」
「だから何で? 祥ちゃん、それで高瀬のこと、バカにしたりする? あ、あいつ、意外と、ってか見た目の通り、ちょっと陰険なとこあるから、するかも」
 村尾さんは、山ちゃんのことを下の名前、祥太、から祥ちゃんと呼ぶ。村尾さんは勝手な想像の世界から脱すると決然としてぼくに宣言した。
「だいじょうぶ、もし祥ちゃんがバカにするようなこと言ったら、あたしに言って。あたしが祥ちゃんを引っ叩いて、意見してやるから」
「いやいやいや、そうじゃないよ、そうじゃなくて」
 ぼくは今にも祥ちゃんを叩きに行きそうな村尾さんを押し止めた。
「そういうんじゃなくて。……何て言うのかな、ぼくはいつも、山ちゃんに面倒を見てもらってばかりで、山ちゃん、『しょうがねえなあ』って言いながら、結局、ぼくのミスや忘れ物とかをカバーしてくれて、それはとってもありがたいけどでも、ぼくとしても、このままじゃいけないっていう気持ちはいつもあって、山ちゃんに、『おっ、やるじゃん』て言われたい気持ちがあって。それなのに、いまだに、ぬいぐるみから離れられないって、なんだかあまりにカッコ悪いというか、情けないというか」
「そうかな。ぬいぐるみ好きって、カッコ悪いかな、情けない?」
「だって、男だよ、中2の」
「うーん、そんなの、関係なくない?」
「でも、山ちゃんは、ぬいぐるみなんか、もう買わないでしょ?」
「それはさ、あいつがぬいぐるみいらないのは、きっと、高瀬がいるからだよ。高瀬に癒されているからじゃない?」
「ぼくが?」
「うん。高瀬は癒し系だと思うよ。高瀬はドンくさいし、鈍くて祥ちゃんのこと、分かってないところもたくさんあると思うけど」
 ひどい言われようだ。
「でも、なんつーか、いるだけで何となく人を癒す」
 で、ぼくは、つい1週間ほど前のことを思い出す。
 ぼくに同じことを、ぼくが山ちゃんを癒していると言ってくれた人がいた。
「ついこの間、男子から同じこと言われた」
 と、ぼくは呟いていた。
「男子?そんなこと、分かってるヤツいるのかな」
 言ってもいいかなと、ちょっとだけ躊躇した。彼はいわゆるウェイ系で、普段、クラスではぼくなんかとは関わり合うことがない人だから。ぼくとの関わりを誰かに言われるのは嫌かなと一瞬考えた。でも、彼は、そんなことで嫌がったりはしないなと、すぐに考え直した。だから僕は言った。
「上村くん」
「え?」
 すると。
 村尾さん、息が止まったみたいになった。それから、ほわってものすごく暖かな嬉しそうな表情になって、で次にすぐに何だか妙に慌て初めて、それと同時に、どんどん赤面していった。
 あれ? とぼくは思った。もしかして村尾さん、上村くんのことが……。
「好きなの?」
 前の部分を全部省略して、それだけ言ったのに、普通に通じたみたいだった。村尾さんは下を向いて、ただボソっと、
「絶対、誰にも言わないで」
 と。低い声で、でも村尾さんらしくなくドスの効いていない声でぼくに頼んだのだ。
「言わない」
 ぼくは約束した。
「絶対、言わない」
 それから思い付いて、
「ぼくも言わないし、村尾さんもぼくのぬいぐるみのことは言わない。これであいこだね」
「うん、ま、あいこ、ってことで」
 村尾さんは触れていた、お兄さんアザラシのぬいぐるみをむんずと掴み、ぼくの胸に、どんと押し付けた。
 見ると、村尾さんもぼくを見ていた。
 目が合ったら何だかおかしくなった。ぼくたちは、おかしさがじんわり零れ出してくる感じで、しばらくの間、笑いあった。
「約束の証に高瀬にアイスでもおごってあげよう。いつものあれでしょ、かき氷メロン」
 コンビニとかで目撃されているので、ぼくの好みがすっかりバレている。でも、ぼくだけおごってもらうわけにはいかない。お小遣いはちょっと厳しいけれど……。
「じゃ、ぼくも何かおごる。何アイスがいいの?」
「あたしは高いヤツだから、おごらなくていいよ」
「何? どんなアイス?」
「アイスじゃなくて。プラム・アンド・キウイ・フローズン・ドリンク」
 結構早口で、ちゃんと聞き取れなかった。
「何? プラムなんとかドリンク?」
「男子はすぐに、そういう呼び方をするね」
 村尾さんはそれでまた笑顔になった。のだけれど、何か、さっきとはちょっと違う感じの笑顔なのだった。それはそれは、やっぱり可愛い笑顔で、でも、もしかして「男子はみんな」というのは上村くんのことを指しているのかななんて考えると、どこかちょっとだけ悔しい感じもしたのだった。
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