信長の道具

文字数 1,752文字

 京の屋敷、その一室。
 俺は縛られたまま、目の前の男を睨みつける。
 すまし顔で俺を見つめる、老境に近い男――明智光秀。
 こいつを殺してやりたかった。

「まるで不倶戴天の敵を見るような目だな」

 無表情で俺に言う明智。まるで空を見て、明日の天気を窺うようだった。
 俺は歯を剥き出して「知っているぞ、その言葉」とたどたどしい日の本言葉で返す。

「乱丸が、教えてくれた。この前、滅んだ武田を意味していた」
「そうだったな。お前も上様に付き従っていた」
「それはお前も一緒。味方だと思っていた」

 明智は表情一つ変えずに「考えてみれば、お前は哀れな存在だ」と俺を見下した。
 全身の血が熱くなる。怒りで心が支配される。

「俺を見下すな! 裏切り者のくせに!」
「裏切り者、か。お前からそのような言葉が出るとは」

 明智の声が癪に障る。その理由は俺を人と見ていないと分かるからだ。

「お前と一緒の者は、この日の本にはいない。そうだろう? たった一人の崑崙奴よ」

 明智の言う崑崙奴とは、俺のような肌の黒い人間を指す日の本言葉だ。
 目を逸らして「俺の名は弥助だ」と短く否定する。

「ノブから貰った、大事な名だ」
「……裏切り者と言えば、荒木殿も弥助だったな」

 訳の分からないことを呟く明智。
 それから俺に「それでは弥助殿」と改まった。

「先ほどの件、すまなかったな」
「なっ!?」

 すっと頭を下げる明智に戸惑う俺。

「お前を獣扱いしてしまったこと、深くお詫び申す」

 そう。俺が捕らえられたとき、家臣に「こやつは動物と等しい。また日の本の民でもないため、命を奪うな」と酷いことを言ったのだ。

「ああ言わなければ、お前の首を刎ねる他なかった。許せ」
「……何の『心変わり』があったのだ?」
「皮肉を言えるとはたいしたものだ」

 明智はふと表情を緩めて「お前を南蛮寺に送り届けよう」と考えもしなかったことを言った。口ではああ言ったが、いずれ俺を殺すと思っていたからだ。

「宣教師に頼んで、遠い故郷に戻れるように手配しよう。お前は自由だ」
「馬鹿な。そんなことして、利はあるのか?」
「お前は嫌がると思うが……私とお前は上様の道具だった」

 それは否定しない。宣教師の贈答品の品目に、俺のことが書かれていた。
 つまり、俺は宣教師の献上品――道具と同じ、立場だった。
 しかし、明智もまた道具だと?

「私は上様が望む物を獲るための道具だ。火中の栗を拾う木の枝と一緒である。上様が望む国や富、名声を手に入れる道具……」

 そこで無表情だった明智の表情がとても疲れたものになった。
 重荷を背負い続けた男の表情だ。俺も宣教師の奴隷をしていたから分かる。

「それが嫌で、上様殺したのか?」
「まさか。それが理由ではない」
「ならなんで……?」

 明智は疲れきった表情で「唐入りの話は聞いたか?」と俺に訊ねる。
 唐入り……簡単に言えば海外に攻め入る話。
 よく宣教師とノブが話していた。

「私の官位は日向守。今は近江国と丹波国を治めているが、いずれ国替えされて九州の一大名になる。そうなれば尖兵として明に攻め入るだろう……」

 明智は俺に近づき、縄を解き始めた。

「私は日の本を泰平に導くために、戦ってきた。多くの戦をしてきたのも、武田を滅ぼしたのも、そのためだった。だがな、弥助殿。上様は日の本だけではなく、明までも手に入れようとしていた。ならば私は――」

 俺の縛めを解いた明智は俺の肩を両手で掴んで、目と目を合わせた。

「私は、いつまで戦をすればいい? 私の子供や孫も戦い続けなければいけないのか? そう考えたら、疲れたんだよ……」

 俺は明智をよく知らない。ノブの家臣で家中でも屈指の重臣であることしか知らない。
 しかし、今目の前に居るのは、ノブを討った、天下人に近いはずの男ではない。
 戦に疲れ、務めに疲れた、孤独な老人だった。

「南蛮寺はすぐそこだ。お前は自由になった。さっさと行ってくれ」

 俺は殺そうと思った相手を哀れに感じた――その気持ちがさっき俺を哀れんだ明智と似ていることに気づかされた。
 俺と明智は一緒――ノブの道具だった。

 俺は明智から背を向けた。
 ノブのことは好きだったし、恩義もあった。
 でも、明智は殺すことはできなかった。
 明智が俺に情けをかけたように、俺も明智に情けをかけたのだった。
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