第1話

文字数 1,829文字

「手書き」で文字を書くこと。
日常的にそのような機会があった学生時代とは異なり、社会人になってからはパソコンやスマートフォンに頼りきりになっている。

文明の利器に助けられている点はもちろんたくさんあるが、普段から自動変換の恩恵に預かっているせいか、特に漢字を忘れてしまう。
手書きした際に、どんな漢字だったかなと考え込んでしまうことも少なくない。
皆さんはそんな経験、ないだろうか?


昔からわたしは、文字を書くことが好きだ。
小学生の頃は実家の隣に住む、父方の祖母に毛筆と硬筆を習っていた。
弟や再従兄弟(はとこ)と一緒に、切磋琢磨していた。

通信のようなシステムで、毎月の課題提出に向けて練習した。
そして、その2ヶ月後の本誌に課題の合否が掲載される。

よくお名前を拝見する上位常連の方々を、勝手に目標にして練習に励んだ。
また審査員の先生方の中でも、好みの先生の字を研究するなど、小学生なりの楽しみ方を見出していた。

はね、はらい、とめなどは基本的なことではあるが、その字をいかに綺麗に、いかに読みやすく見せるか、という角度からも勉強できたのは、大きな収穫だった。

しかし当時は、なかなか昇級試験や昇段試験に合格できず、泣いてばかりだった。
それでも何とか中学2年生まで続けて、6段という段位をいただけた。
合格を目指して練習を続け、そして成果を出せたことは、わたしの自信となっている。

もちろん自分の力だけでは、ここまで到達できなかっただろう。
祖母が書道の師範代を持っており、教えてもらえる環境にあったこと。
その祖母に習わせようと考えた両親にも感謝である。


中学2年生まで習ったあとは、なかなか再開するタイミングもなく、ここまで来てしまった。
それでも年末年始に帰省したとき、弟と「今年も書いとく?」と顔を見合わせて祖母宅へ向かう。その勢いのまま書き初めを書くのも、また一興である。

今では、近所の子供たちが祖母宅で書道を習っているそうだ。
そう楽しそうに話してくれる祖母を見ることができて、わたしは嬉しくもあり、なんだか誇らしい気持ちにもなる。


大学3回生の就職活動のときに、字を褒められる機会がぐんと増えた。
わたしが就職活動をしていた頃は、手書きでエントリーシートや履歴書を書くことが多かったのだが、正直 面倒に感じたこともある。
Wordで書けばdeleteボタンですぐに消せるものも、手書きだと修正テープを使うわけにもいかず、結局は書き直しとなる。

しかし、とある企業の面接の際、人事担当の方に「今日の応募者の中で、あなたの字が1番綺麗で印象に残ったよ」と言っていただいたときには、思わず顔がほころんでしまった。

綺麗な字が書ける、というのは自分が想像している以上に、他者からの評価に直結すると認識した出来事だった。


昨今の通信講座や、書店に並んでいる本でも「ペン習字」や「字を綺麗に書く」ものが多く見られる。
冠婚葬祭の御祝儀袋など丁寧に字を書く機会があるためか、一定の需要があるということだろう。

わたしは年賀状を出すのも、文通をするのも好きなのだが、必ず相手の宛名面は手書きで書く。
年賀状ならば、パソコンで宛名面を印刷することも多いだろう。確かに、その方が早いし、ラクだとは思う。
それでも手書きで書く理由は、相手への気持ちを込めたいからだ。

その宛名を書く際にも、どのような書き方をすればこの字が整うのか? メリハリをつけるには、どの部分を強調するか? どうすれば美しく見せることができるのか? を考えながら書く。

少し大げさな言い方だが、こうやって手書きで書いていくうちに「文字の魅せ方」がわかってきた。
そして手書きで文字を書き、言葉を贈ることが相手へのプレゼントにもなりうるのかもしれない。


「手書き」の文字は、歩くことに似ているように感じる。
前者は、パソコンやスマートフォンといった文明の利器に出番を奪われてしまいつつある。
後者も、車や公共交通機関といった、わたしたちの生活から切り離せない便利な手段に、取って食われているように思う。

書くことも歩くことも、古くから親しんできたことであり、淘汰されることはまず無いだろうが、手書きで文字を書く機会が減っているのはなんだか悲しい。
ちょっとそこまで散歩に出掛けるのと同じように、まずは手帳や日記といった身近なもので、日々、手書きで文字を書くことを勧めたい。

自分の身体を使って、歩を進めること。
そういった能動的な営みが、なんだか尊いものに思えるのだ。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み