第1話
文字数 1,980文字
20XX年2月22日 XX冬季オリンピック フィギュアスケート女子シングル ショートプログラム
キミの名前が会場にコールされる。世界で最もつかみ取るのが難しいと言われる日本女子の代表として。
観客席からの声援と、他競技から応援に駆けつけた日本選手たちが振る日の丸のはためきに応え、キミは両手を上げて笑顔でリンクを一周する。その表情は自信に満ちている。
ひとときの歓声が止むと、リンクは静寂に包まれる。そしてキミはリンクの中央で刃を止め、ポーズを取る。
マライア・キャリーの「HERO」が流れる。数あるマライアの名盤の中でも、特に優れたアルバムと称される「MUSIC BOX」に収められている名曲だ。ワタシとキミのコーチがマライアのファンだったこともあり、この曲を使ってよく滑っていたものだ。
ピアノのメロディーに合わせてキミは動き出す。白いリンクに白いレースとスパンコールで誂えたキミの衣装が映える。
加速したキミは最初の一小節の終わりに離陸した。高く、鋭く、キミは回る。
ワタシはシニョンにしているためあらわになったキミのうなじを見つめ、掌を握った。
シュッ、という快音とともに、キミは舞い降りてきた。
場内が沸いた。キミがトリプルアクセルに成功したからだ。
キミと出会ったのは5歳の時。母親が入れたスケートクラブでのことだった。同じ年だったワタシとキミは同じクラスに入れられ、同じコーチからスケートを教わった。
だからワタシとキミはすぐに仲良くなった。リンクにいる時はよくじゃれ合った。おしゃべりもいっぱいした。
小さい頃から覚えの速かったキミは、うまく習得できないワタシによくコツを教えてくれた。ワタシはそれがすごく嬉しかった。
小学生になると、キミとワタシの差はますます顕著になった。キミは2年生になると、3回転を全種類マスターしていた。対してワタシは2回転もままならない日々が続いた。
同じリンクで、同じコーチから教わっているのに、どうして?
ワタシは何度そう思ったことだろう。
そんなワタシをよそに、キミはどんどん飛躍していく。ノービスの地区大会で優勝し、全国大会へと駒を進めていった。そこでも上位に入賞し、中学生になるとスケート連盟から強化選手に指定を受けるまでに至った。
ワタシもキミに近づきたい一心で、必死に練習を頑張った。でもワタシには才能がなくて、その差は埋まることがなかった。
いつもワタシの隣で、手を取り合って、声を掛け合って、一緒に練習していたのに。
キミはいつしかワタシから遠く離れて行ってしまった。
たまに廊下ですれ違って、挨拶を交わすだけの関係性になってしまった。
ジュニアの国際大会で成績を残して注目を浴びるようになったキミと、大会にも出場できずにくすぶっているワタシ。
次第にワタシはリンクから足が遠ざかるようになった。そして高校入学を機に、ワタシは引退を決めた。
対してキミは世界へと羽ばたいていった。グランプリシリーズや世界選手権で表彰台に乗り、スポーツ紙の一面を飾ったりもしていた。テレビにもよく出演している。オリンピックでメダルをとりたいと公言しているのも見かけた。
今、ワタシは看護学校に通っている。メディアを通してしか見聞きできなくなったかつての友を気にかけながら...。
演技は基礎点が1.1倍となる後半へ入った。そこへもってきてキミはトリプルルッツ、トリプルループの2連続ジャンプを綺麗に決めてみせた。世界で数人しか成功者のいない、高何度のジャンプコンビネーションだ。
続くトリプルフリップは、両手を上げながら高さと幅のある跳躍を見せた。
ジャンプはすべて成功。すべて加点のつくような素晴らしい出来だ。
もちろんそれだけではない。細かくスピーディーな足裁きで魅せるステップも秀逸だし、柔軟性を存分に発揮したビールマンスピンは軸がぶれずに美しい。
ワタシは知っている。
キミが今日ここで舞うためにしていた努力の数々を。
毎朝、始発電車でリンクに向かい、学校の時間を挟んで、終電まで滑っていたことを。
たまにあるオフの日も、バレエや体幹トレーニングにあてていたことを。
満足のいかないシーズンを過ごした経験もあると聞いた。でもそれも、この大舞台で夢を叶えるための布石に過ぎなかったのであろう。
曲が終わり、キミは再びリンクの中央に戻る。天を仰ぐような最後のポーズを取る。
観客は一斉に立ち上がった。キミに客席からは割れんばかりの賞賛の鳴動と、リンクサイドからは花束の雨が降り注いだ。
蒸気した頬をキミは両手の平で挟んで、ホッとしたように白い歯をのぞかせた。
気づくと、ワタシも拍手をしていた。
間違いない。
この後、キミにはかなりの高得点が与えられるだろう。
五輪のフリーで最後に滑る六人の中の一人に入るだろう。
そして二日後に行われるフリーでも、非の打ちどころのない演技をするだろう...。
キミの名前が会場にコールされる。世界で最もつかみ取るのが難しいと言われる日本女子の代表として。
観客席からの声援と、他競技から応援に駆けつけた日本選手たちが振る日の丸のはためきに応え、キミは両手を上げて笑顔でリンクを一周する。その表情は自信に満ちている。
ひとときの歓声が止むと、リンクは静寂に包まれる。そしてキミはリンクの中央で刃を止め、ポーズを取る。
マライア・キャリーの「HERO」が流れる。数あるマライアの名盤の中でも、特に優れたアルバムと称される「MUSIC BOX」に収められている名曲だ。ワタシとキミのコーチがマライアのファンだったこともあり、この曲を使ってよく滑っていたものだ。
ピアノのメロディーに合わせてキミは動き出す。白いリンクに白いレースとスパンコールで誂えたキミの衣装が映える。
加速したキミは最初の一小節の終わりに離陸した。高く、鋭く、キミは回る。
ワタシはシニョンにしているためあらわになったキミのうなじを見つめ、掌を握った。
シュッ、という快音とともに、キミは舞い降りてきた。
場内が沸いた。キミがトリプルアクセルに成功したからだ。
キミと出会ったのは5歳の時。母親が入れたスケートクラブでのことだった。同じ年だったワタシとキミは同じクラスに入れられ、同じコーチからスケートを教わった。
だからワタシとキミはすぐに仲良くなった。リンクにいる時はよくじゃれ合った。おしゃべりもいっぱいした。
小さい頃から覚えの速かったキミは、うまく習得できないワタシによくコツを教えてくれた。ワタシはそれがすごく嬉しかった。
小学生になると、キミとワタシの差はますます顕著になった。キミは2年生になると、3回転を全種類マスターしていた。対してワタシは2回転もままならない日々が続いた。
同じリンクで、同じコーチから教わっているのに、どうして?
ワタシは何度そう思ったことだろう。
そんなワタシをよそに、キミはどんどん飛躍していく。ノービスの地区大会で優勝し、全国大会へと駒を進めていった。そこでも上位に入賞し、中学生になるとスケート連盟から強化選手に指定を受けるまでに至った。
ワタシもキミに近づきたい一心で、必死に練習を頑張った。でもワタシには才能がなくて、その差は埋まることがなかった。
いつもワタシの隣で、手を取り合って、声を掛け合って、一緒に練習していたのに。
キミはいつしかワタシから遠く離れて行ってしまった。
たまに廊下ですれ違って、挨拶を交わすだけの関係性になってしまった。
ジュニアの国際大会で成績を残して注目を浴びるようになったキミと、大会にも出場できずにくすぶっているワタシ。
次第にワタシはリンクから足が遠ざかるようになった。そして高校入学を機に、ワタシは引退を決めた。
対してキミは世界へと羽ばたいていった。グランプリシリーズや世界選手権で表彰台に乗り、スポーツ紙の一面を飾ったりもしていた。テレビにもよく出演している。オリンピックでメダルをとりたいと公言しているのも見かけた。
今、ワタシは看護学校に通っている。メディアを通してしか見聞きできなくなったかつての友を気にかけながら...。
演技は基礎点が1.1倍となる後半へ入った。そこへもってきてキミはトリプルルッツ、トリプルループの2連続ジャンプを綺麗に決めてみせた。世界で数人しか成功者のいない、高何度のジャンプコンビネーションだ。
続くトリプルフリップは、両手を上げながら高さと幅のある跳躍を見せた。
ジャンプはすべて成功。すべて加点のつくような素晴らしい出来だ。
もちろんそれだけではない。細かくスピーディーな足裁きで魅せるステップも秀逸だし、柔軟性を存分に発揮したビールマンスピンは軸がぶれずに美しい。
ワタシは知っている。
キミが今日ここで舞うためにしていた努力の数々を。
毎朝、始発電車でリンクに向かい、学校の時間を挟んで、終電まで滑っていたことを。
たまにあるオフの日も、バレエや体幹トレーニングにあてていたことを。
満足のいかないシーズンを過ごした経験もあると聞いた。でもそれも、この大舞台で夢を叶えるための布石に過ぎなかったのであろう。
曲が終わり、キミは再びリンクの中央に戻る。天を仰ぐような最後のポーズを取る。
観客は一斉に立ち上がった。キミに客席からは割れんばかりの賞賛の鳴動と、リンクサイドからは花束の雨が降り注いだ。
蒸気した頬をキミは両手の平で挟んで、ホッとしたように白い歯をのぞかせた。
気づくと、ワタシも拍手をしていた。
間違いない。
この後、キミにはかなりの高得点が与えられるだろう。
五輪のフリーで最後に滑る六人の中の一人に入るだろう。
そして二日後に行われるフリーでも、非の打ちどころのない演技をするだろう...。