第1話
文字数 1,997文字
「マネージャー、バイト面接の女子高生、もう来てますよ」
そういうことは、早く言ってよね。
俺は、シャツのボタンを外し始めていた手を止めた。
時間外労働は確定だが、タイムカードは押してしまっている。まあ、どうせ残業手当はつかない。俺が働いているのは、家族経営の庶民派洋食店から成り上がったファミレスチェーン。俺はその一支店のフロアマネージャーだ。よそのチェーン店が配膳ロボットの導入を行っている中、うちの経営陣は未だに、人材の育成を通して社会に貢献を、などと抜かし高校生らを最低賃金で働かせようとしている。そんな奴らが残業手当を出すわけがない。
俺はそんな不満を抱えながら、休憩室とは名ばかりの狭苦しい部屋のドアを開けた。
女子高生は長机を前に、ちょこんと座っていた。俺を見てお辞儀をしようとするが、部屋が狭すぎて椅子を引いて立つこともできず、ふらつきながら中腰で、ぺこりと頭を下げた。そして椅子に着席する。緊張しているのか、なんだか視線が定まらず、天井を見上げたり壁を見つめたりと落ち着かない。
そのキョロキョロした仕草が、なんだか水族館のペンギンを連想させた。
着ているのは学校の制服だろう。白と黒のセーラー服で胸元には黄色のスカーフ。それもまたペンギンぽい。
黒髪ショートと、飲食業としては理想的な清潔感のある髪型だが、くせっ毛なのか、頭の両サイドの毛束がぴょこぴょこと飛び出ていて、それがさらにイワトビペンギンを思わせる。
以上の印象から、俺は彼女に、ペンギンと、あだ名をつけていた。心の中で。
「それでは面接を始めますよっと」
そう言い、腰を下ろすと机上にあった履歴書を手に取った。氏名生年月日、住所に学校名と、順番に目を通し、記入漏れはないか確認する。書類に不備でもあれば、この時点でふるい落とすつもりだ。
だが履歴書を眺めているうちに、特技の欄に目がとまった。
「あの、ここに『念力』って書かれてるけど、どういう特技?」
「え、そんなこと書いてません」
「いや、ここに書いてあるじゃない、ほら」
俺は履歴書の特技欄を指さす。
「あ、これ、念力じゃないです」
「え?」
「念カです、『ネンカ』。力じゃなくてカタカナのカ」
「ねん……か?」
聞き慣れない言葉だったが、彼女は常識ですよ、と言わんばかりの表情である。
「それって、具体的にはどういうことができるの?」
「カっているじゃないですか。夏になると飛んでて、血を吸ったりする」
「もしかして、蚊のこと? 虫の?」
「それですそれです。私って、強く念じると、そのカを出せるんですよね」
「まだちょっとわからないんだけど、どういうこと?」
「えっと……時間いいですか?」
「まあ三分ぐらいなら」
「あ、そんなにかからないです。十秒ぐらいで。その間は黙りますけど、別に反抗的な態度をとってるわけじゃないですから」
「うん、わかるよ」
「じゃ、いきますね」
言うなり彼女は大きく口を開け空気を吸い込んだ。息を止めると頬を膨らませ、んっと息んで顔を真っ赤にさせる。十秒ほどそのままだったが、やがて長く細い息を吐いた。
「どうですか?」
息を切らしてそうたずねる。顔は赤いままだ。心なしか髪の毛が、さっきよりもはね上がっているようだった。
「え、なにが?」
「飛んでません? カ?」
俺は周囲に耳を澄ませた。すると、かすかにブーンという音が聞こえてきた。そして一度聴き取ってしまうと耳鳴りのように、こびりついて離れなくなった。たしかに蚊の羽音だ。それが近づいたかと思えば遠ざかり、聞こえなくなったかと思えばまた耳元で鳴り始める。実に鬱陶しい。音の方向を目で追うが、姿は見えない。
「もしかして、これが、念カってこと?」
「はい。けっこうウザくないですか?」
「うん、すごいウザい。止めてもらえる?」
「あ、それはちょっと、自分では無理っていうか……」
「ええ……困るよ」
と、ちょうど頬のあたりに音が近づいたので、反射的に手で叩いてしまう。
パン! と破裂音が響いたが、それでも音は止まない。
「あ、念で生み出したカだから、実体はないんです。血は吸わないので、安心して下さい」
「うーん……」
俺は思案していた。彼女の、せっかくの能力を、なんとか業務に活かせないものか。そうだ、ドリンクバーで長居をしている客に念カとやらを使えば、鬱陶しくなってさっさと出て行くのでは。
そんなことを考えていると、羽音をずっと聞いていたせいか腕に痒みを感じ始めた。
気のせいか、いや、痒い。実際痒い。
見れば右の前腕に、ぽつりと小さな赤い腫れがある。
「あのさ、君の念カって、血を吸わないんだよね」
「はい」
「じゃあ、これ、なんだろう。すごく痒いんだけど」
俺は蚊に刺されたと思しき箇所を見せる。
彼女は顔を近づけてじっと見つめると、こう言った。
「ああ、さっき本物も飛んでいましたから」
そういうことは、早く言ってよね。
そういうことは、早く言ってよね。
俺は、シャツのボタンを外し始めていた手を止めた。
時間外労働は確定だが、タイムカードは押してしまっている。まあ、どうせ残業手当はつかない。俺が働いているのは、家族経営の庶民派洋食店から成り上がったファミレスチェーン。俺はその一支店のフロアマネージャーだ。よそのチェーン店が配膳ロボットの導入を行っている中、うちの経営陣は未だに、人材の育成を通して社会に貢献を、などと抜かし高校生らを最低賃金で働かせようとしている。そんな奴らが残業手当を出すわけがない。
俺はそんな不満を抱えながら、休憩室とは名ばかりの狭苦しい部屋のドアを開けた。
女子高生は長机を前に、ちょこんと座っていた。俺を見てお辞儀をしようとするが、部屋が狭すぎて椅子を引いて立つこともできず、ふらつきながら中腰で、ぺこりと頭を下げた。そして椅子に着席する。緊張しているのか、なんだか視線が定まらず、天井を見上げたり壁を見つめたりと落ち着かない。
そのキョロキョロした仕草が、なんだか水族館のペンギンを連想させた。
着ているのは学校の制服だろう。白と黒のセーラー服で胸元には黄色のスカーフ。それもまたペンギンぽい。
黒髪ショートと、飲食業としては理想的な清潔感のある髪型だが、くせっ毛なのか、頭の両サイドの毛束がぴょこぴょこと飛び出ていて、それがさらにイワトビペンギンを思わせる。
以上の印象から、俺は彼女に、ペンギンと、あだ名をつけていた。心の中で。
「それでは面接を始めますよっと」
そう言い、腰を下ろすと机上にあった履歴書を手に取った。氏名生年月日、住所に学校名と、順番に目を通し、記入漏れはないか確認する。書類に不備でもあれば、この時点でふるい落とすつもりだ。
だが履歴書を眺めているうちに、特技の欄に目がとまった。
「あの、ここに『念力』って書かれてるけど、どういう特技?」
「え、そんなこと書いてません」
「いや、ここに書いてあるじゃない、ほら」
俺は履歴書の特技欄を指さす。
「あ、これ、念力じゃないです」
「え?」
「念カです、『ネンカ』。力じゃなくてカタカナのカ」
「ねん……か?」
聞き慣れない言葉だったが、彼女は常識ですよ、と言わんばかりの表情である。
「それって、具体的にはどういうことができるの?」
「カっているじゃないですか。夏になると飛んでて、血を吸ったりする」
「もしかして、蚊のこと? 虫の?」
「それですそれです。私って、強く念じると、そのカを出せるんですよね」
「まだちょっとわからないんだけど、どういうこと?」
「えっと……時間いいですか?」
「まあ三分ぐらいなら」
「あ、そんなにかからないです。十秒ぐらいで。その間は黙りますけど、別に反抗的な態度をとってるわけじゃないですから」
「うん、わかるよ」
「じゃ、いきますね」
言うなり彼女は大きく口を開け空気を吸い込んだ。息を止めると頬を膨らませ、んっと息んで顔を真っ赤にさせる。十秒ほどそのままだったが、やがて長く細い息を吐いた。
「どうですか?」
息を切らしてそうたずねる。顔は赤いままだ。心なしか髪の毛が、さっきよりもはね上がっているようだった。
「え、なにが?」
「飛んでません? カ?」
俺は周囲に耳を澄ませた。すると、かすかにブーンという音が聞こえてきた。そして一度聴き取ってしまうと耳鳴りのように、こびりついて離れなくなった。たしかに蚊の羽音だ。それが近づいたかと思えば遠ざかり、聞こえなくなったかと思えばまた耳元で鳴り始める。実に鬱陶しい。音の方向を目で追うが、姿は見えない。
「もしかして、これが、念カってこと?」
「はい。けっこうウザくないですか?」
「うん、すごいウザい。止めてもらえる?」
「あ、それはちょっと、自分では無理っていうか……」
「ええ……困るよ」
と、ちょうど頬のあたりに音が近づいたので、反射的に手で叩いてしまう。
パン! と破裂音が響いたが、それでも音は止まない。
「あ、念で生み出したカだから、実体はないんです。血は吸わないので、安心して下さい」
「うーん……」
俺は思案していた。彼女の、せっかくの能力を、なんとか業務に活かせないものか。そうだ、ドリンクバーで長居をしている客に念カとやらを使えば、鬱陶しくなってさっさと出て行くのでは。
そんなことを考えていると、羽音をずっと聞いていたせいか腕に痒みを感じ始めた。
気のせいか、いや、痒い。実際痒い。
見れば右の前腕に、ぽつりと小さな赤い腫れがある。
「あのさ、君の念カって、血を吸わないんだよね」
「はい」
「じゃあ、これ、なんだろう。すごく痒いんだけど」
俺は蚊に刺されたと思しき箇所を見せる。
彼女は顔を近づけてじっと見つめると、こう言った。
「ああ、さっき本物も飛んでいましたから」
そういうことは、早く言ってよね。