第1話 矛と盾

文字数 1,023文字

 嘘――それはぼくの矛、マイコの盾。
 そして矛は盾に敗れた。そういう話。あなたがぼくを信じてくれるならだけど。

 恋なんてするんじゃなかった。そう思った時はいつだって後の祭りだ。恋は手馴れたスナイパーのように背後から近付いて、銀色の銃弾でぼくを撃ち抜く。ぼくが好きになったのは、ぼくの「彼女」で、彼女がぼくの「彼女」だったからこそ、ぼくの恋はついに実らなかった。つまりこれは辻褄の合わない恋の話である。だがそもそも辻褄の合う恋などあるのだろうか。
 マイコは学年でもトップ3に入る美人で、でも本人の言葉を借りれば「どこの高校にだって二人や三人はいるくらい」の美人だった。マイコが苗字なのか(神戸市に舞子という駅がある)、名前なのかによってイントネーションは変わってくるが、ぼくはそれをあなたたちには教えない。代わりにいくつか教えてあげよう。右目の下の小さな泣き黒子、好きな色は黄色。関西弁。

 「うち、神田くんのこと、好きやねん」

 マイコが話しかけて来たのは二学期が始まって間もなくの放課後で、その時ぼくは「八十日間世界一周」を誰もいない教室で読んでいた。作者のジュール・ヴェルヌはとびきりの嘘つきで、世界一周はおろか取材もろくにせず想像と文献調査でこの物語を書いたそうだ。

 「嬉しくないん?」

 自慢じゃないが(と言って自慢以外の話が始まった試しは天地開闢以来ないけど)ぼくは嘘をつくのが得意である。成績もスポーツもそこそこだが友達はわりと多く、それは「嘘をつく技術」のおかげだ。世渡りに必要なのは嘘をつく技術であるという賢明な金科玉条はブックオフで立ち読みした「デスノート」に学んだ、というのは嘘で、経験則。その技術の実践と成型、改善と習得に費やしてきた十七年だったと言えよう。
 そして嘘つきには他人の嘘がよく分かる。同じにおいがするからだ。マイコが「同類」だというのは随分前から気づいていて、駄弁る時も教室の対角線上にいるよう心がけるほどの距離を置いていたのだが、ぼくの側だけが気付いている道理などなく、この日ついに均衡が破れたのだった。ぼくが見つめ返すと、マイコの黒い瞳(西日のせいでこの時は茶色がかって見えた)がさざ波の立った湖のように微かに震えた。ぼくは嘘の告白に、嘘の言葉で答えることにした。

 「悪いけど、きみには興味がないんだ」

 マイコはにっこりした。そしてぼくたちは「彼氏と彼女」になった。


(続)
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