第1話

文字数 1,939文字

 世界でパンデミックが起き、外出時にはマスクが必須になった。不要不急の用事は控え、密閉、密集、密接はドラマとアニメの中だけ。家に籠もる生活が続き、SNSのハッシュタグに翻弄され、スマートフォンの活用時間が10時間を越えた日もある。スマートフォンから情報を探る私の日課となったのは『Day to Day』を読むことだ。その中で私は、#私に呼応する感情 を探す。
 有数の作家が連ねる言葉は、私が探していた何かを代弁しているようだった。例えば、「神の手を離れて」(川越宗一)は、私の中で #求めてた安堵 がついた。コロナ禍でどうしようもない怒りを言葉やビラや張り紙で、誰かに攻撃するニュースが連日流れた。その被害を受けた人の心の傷を思うと、どうにもやるせなくなる。悪意ある言葉は、心にこびりつきなかなかとれない。どうか、この物語のように温かい手で悪意を取り払ってくれる人もいますように。この物語と出会えて、私はどうしようもなく安心した。
 誰かを責めたくなってしまう気持ちはわかる。そうしないとやっていられないから。この感情を代弁してくれたのは、〈4月25日〉(我孫子武丸)だ。夫が病で死に、妻は誰のせい?と悲しみにくれ、夫を蝕んだウイルスを吸い込み、同じ病になる物語。罹患した妻は「これでいい」と言った。「これで責任者のところへ行ける」と。この物語を読んで私は膝を打った。そうだ。今のこの状況が、誰がどうしてこうなったのかわからなくて、ニュースに釘付けになる日もあったが、それは無駄なことだ。なぜなら、責任者なんてこの世のどこにもいない。#存在しない責任 が私の胸の中にストンと落ちた。
 SNSを見ることをやめられないのは、情報収集と寂しさを紛らわせたいからだと思う。けれども、誰かの生々しい怒りや悲しみが鋭利な言葉となり、たまに疲れてしまうこともある。その点、物語は静かだ。どこかの誰かのなりゆきを定点カメラや食卓上の塩ごとく、ただ真っ直ぐに聞くことができる。
 ずっとなりゆきを見ていきたいと思ったのは、「ありがとう、コーヒーをどうぞ」(米澤穂信)だ。妻がリモートワークになってしまった手前、これまで秘密にしていた出勤するふりして自宅の書斎に戻ることに緊迫感が帯びた。夫の職業は作家らしいが、何故か仕事を打ち明けられないらしい。在宅しているため、妻が不在の時は家事を秘密裏に手伝う。まるで妖精のようだ。お互いに思いやりを持ち、ふたりの優しい絆を感じることができる。そのうち夫がボロを出して、慌てて言い訳をする様や仕事を打ち明けられた妻の反応などを見たいと思う。まさに #観葉植物になりたい だ。
 世界は確かに変わってしまった。それに伴い、変わったことはたくさんあるけど、その全てが変化した世界のせいじゃない。〈4月22日〉(黒澤いづみ)の夫婦は一定の距離がある。そのソーシャルディスタンスは、“いつものこと”だ。今年は結婚記念日の節目だが、妻はぼんやりとテレビを眺めているだけ。空気のような夫婦間に夫は危機感を持った。遅い。遅すぎると腹が立つ。きっとこの夫婦に距離ができたのは、今に始まったことじゃないだろう。その距離に、コロナ禍による狭い箱庭によってやっと夫は気づいた。それまで、知らない振りをしていただけではないかと勝手に勘ぐる。ニュースでコロナ離婚という言葉があったが、何でもコロナのせいにするのもいかがなものか。きっとこの夫婦間は、夫が思うように崩壊するだろう。それは、決して #コロナのせいではない 。
 SNSにおいて、ハッシュタグは便利だ。自分が気になるハッシュタグから様々な情報を、あるいは感情を、得ることができる。だが、全てのハッシュタグが私の寂しさを埋めてくれるわけではない。時には、私の感情をむやみにひっかくものもある。これまで私が勝手に作ったハッシュタグの一部を紹介させていただいたが、これらはSNS上にあったとしてもきっと私の感情に呼応するものではない。物語は、私の中の私だけの感情を呼び起こし、寄り添ってくれる。そして、この「Day to Day」から、私は確かにこのコロナ禍による複雑な感情の代弁を見つけ、共感することができた。それがフィクションであろうとも、そこにある感情の本質は事実だ。
 この書評を書くにあたり、私はもう一度全100話を読み返した。1話につき大体登場人物が2人だとすると、私は200人とすれ違ったことになる。小学生に主婦、医療関係者、刑事、オリンピック選手、ストーカー、悪魔…。多くの感情の波にもまれ、自分の持っていた感情に気づき色がついた。そして、私の私による私のための絶対的なハッシュタグにより、寂しさがぱったりと消えたのである。
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