そこに、英雄はいない――大岩名村地域振興2係の長い午後――

文字数 23,474文字

◎ そこに、英雄はいない――大岩名村地域振興2係の長い午後――


 神代タツヤは若干、緊張していた。これまでの28年の人生で、回らない寿司店に行くのは何度あっただろう? いやなかった、とカウンターの向こうで鮮やかな手さばきを見せる職人の姿を見ながら思っていた。

 なぜそんなことになったのか? その日の午後、昼食も終わり、新プロジェクトの草案を書きだした時に、突然部長から呼び出しを受け、誘われたのだ。普段滅多に部長とは飲みに行かないのに、今日に限って、しかも銀座で寿司とは。これは何かあるな、転勤か部署の移動か。それにしても俺何かしたっけ? 身に覚えがないな、とタツヤは警戒していた。
「じゃあ、適当に握ってよ」
 隣の席の部長の声で、タツヤの目の前に次々と寿司が置かれていく。
「ほら、遠慮なくやってよ」
 これはますます怪しい、と思ったが、艶やかで、新鮮な輝きを放つネタを前にして、誘惑には勝てず、いつしか食欲の赴くまま口に運んでいた。
「ン……美味いです」
「だろだろ? この店はこの辺でも、いや東京中でも一番なんだよ、なぁ、大将?」
 カウンターの中で、大将が謙遜するように軽く手を振り、再び寿司を握り始めた。
「ほらほら、こっちもやってよ、神代クゥン。最近頑張ってるって、評判だよぉ」
 甘えるような口調で部長がコップにビールを注ぐ。まさか上司が酌をしてくれるなんて、やはり何かある、とタツヤはさらに警戒を強めた。
 
 だが、その一時間後。酔いが回って出来上がってしまったタツヤはすっかり警戒を解いてしまい、部長に『次はお姉ちゃんのいる店、お願いしますよー』と懇願しながら、ビールで上トロを胃袋に流し込んでいた。
「で」
 赤ら顔の部長が、タツヤを見た。
「まあ、君一人をこんな場所に連れてくるのは、それなりの事情がある……君も薄々勘付いていたとは思うんだけど」
 その言葉に、タツヤはほんの少し、酔いが醒めた。しまった、罠だった。分かっていたはずなのに、バカみたいに飲み食いしてしまった……。タツヤは、ゴクリと生唾を飲み、部長の次の言葉を待った。
「……実はうちで進んでいたプロジェクトが一つ、オジャンになってね」
「ああ、例の極秘プロジェクトですか」
「そうそう、それな。なら話が早い。あれをなかったことにしたい。で、ついてはすでに出来上がった商品サンプルを処分してほしい。やってくれるかな?」
「それだけですか? 左遷とか異動とか……」
「それだったら、辞令一つで済むことだよ。普段からの君の働きぶりを知ってるからこそ、お願いしてるんだ」
「なんだ、それだけですか……サンプルってのは?」
「全部で5ケース。な、大したことないだろ?」
「それだったら、お安い御用です!」 
 任せろ、とばかりにタツヤは胸を軽く叩いた。
「本当かね、さすが神代クンだ。これ、手数料というか交通費というか……」
 部長は上着の内ポケットから、封筒を取り出し、タツヤに手渡した。触って分かるぐらいのかなりの厚みだった。
「分かるよね?」
 この寿司を含めて、ヤバいことなんだろうな、その口止め料的なもんなのか、と酔った頭でタツヤは考え、大きくうなずいた。
「大丈夫ですよぉ、シ―ってことで。大将、ウニちょうだい! なんだぁ、そんなことならもっと早く言ってくださいよぉ」
 ニヤニヤとしながら、タツヤは封筒をしまい込んだ。

 東京から3時間ほど離れた場所にある、大岩名村。南北に長い地形で、その中央部に背骨のように国道が走っており、周囲を山に囲まれミカンの栽培や農業が盛んな自然に恵まれた、簡単にいえば田舎の村。最寄りのコンビニまでは村を出て30分ほど車で行かなければならず、買い物するには村の中心近くにある、ガソリンスタンドも兼ねた道の駅、とは名ばかりの小さな土産物屋があるぐらい。

 若い働き手は村を離れていくので少子高齢化と過疎化が進み、ついに小中学校が統合された、これといった名産品も名物もない、日本のどこにでもありそうな山村。
 その県道を屋根にスピーカーをつけた白い軽自動車が、トロトロとゆっくりと走っていた。車体には『地域振興2係、何でもやります!』と青字で大きく、そして小さく『大岩名村出張役場スグデル号』と小さく書かれている。
「ええと、次はどこだっけ? 川名さんのお迎え?」
 助手席の榊アンが運転席の三田村ソウタに声を掛ける。
「川名さんは3時からで、その前に大岩田三丁目の……裏山のゴミを見てきてくれと。それから、二岡さんの畑が荒らされてるとか。動物の糞もひどいらしいです」
 ソウタは、前を見たまま答えた。
「ゴミ? 糞? ねえ、それうちらの仕事?」
 ソウタがちらと見ると、メガネに無造作に髪を後ろに束ねた、不満そうなアンの顔が見えた。
「まずは状況を見てきて報告せよ、と。処理までしなくていいそうです」
「パシリじゃん、それ。ま、そんなんばっかだけどさー」
 さらに不満げに、アンが口を開く。
 二人ともそろいの青い作業着で、首から身分証をぶら下げている。退屈そうにあくびをすると、アンは胸ポケットから煙草を取り出したが『あ』と、すぐにしまった。
「ここ、禁煙車だったよね」
「です。そもそも灰皿ありませんから」
 軽く舌打ちをして、アンは窓の外を見た。どこまでも畑、その向こうに山……極端に人気が無い。
「……今まで何もしてこなかったくせに『村興し』とかできるわけないのにね」
 呟くように、アンが言った。
「ですよね。でも、やるしかないんじゃないですか? そのための僕らなんだから」
「『地域に優しい、どこでも誰でも何でもする2係!』ってコピーは立派だけど、体のいい外回り、てかパシリよねー。結局役場の面倒ごとなんでも押し付けてるんだから。ゴミの見回りに、お年寄りの送迎……部署が違うっての!」
「まあまあ。僕、結構この仕事楽しいですよ」
 三田村ソウタは大卒で、昨年の春『自然の中で働きたい』という理由でこの村にやってきた、アン曰く『変わり者』だった。
「三田村君は楽しいだろうけど……私は」
 アンは再び胸ポケットに手をやりそうになった。
「ねえ」
「はい?」
「吸っちゃダメ?」
「ダメです。せっかくの新車なんだから」
「ダメぇ? 空き缶に入れるから」
 アンは、ドリンクホルダーに置いた缶コーヒーをつまんで軽く振った。
「ダメですよ。それ、まだ飲んでないでしょ」
「ケチ。本っ当、余計なところにお金かけるよね、ここも」
 地域振興2係とは、役場に行かずともこちらから出向こう、というコンセプトの元に作られた部署で、専用車両と制服を支給されていた。が、アンが言うように面倒ごとを押し付けられる使い走りポジションの感も否めなくはなかった。 

「この辺ね……」
「ですね。もう少し奥だそうです」
 県道から外れ、車一台が通れるぐらいの未舗装の農道をしばらく進むと、うっそうとした草むらが見えてきた。
「しかし、どこの誰がこんなところまでゴミ捨てに来るのかな」
「粗大ごみ処分するにもお金かかりますからね」
「だからって、こんな田舎にまで……」
 車を停めると、アンとソウタは後部座席からカメラとゴミ袋を取り出すと、草むらの中にできたけもの道に足を踏み入れた。
 180センチあるソウタの後ろを、アンがちょこちょことついていく。身長差はあるが、年齢はアンの方が5つ年上だった。
「三田村君さ、いつもどこで散髪してるの?」
 学生時代ラグビーをやっていたというソウタの広い背中に、アンは声を掛けた。
「へ、いきなりなんですか?」
「いや、少し気になって。彼女にやってもらってるとか?」
 ソウタが、ちらっと振り返った。
「いえいえ、そんな。普通に町まで出て、そこの美容室で」
「町って、稲田の方?」
「いえ、その先の岩崎町で」
「へえ、それでおしゃれなのか」
「単に切り揃えてるだけですよ。でもなんです、いきなり」
 ソウタの言うとおり、それほど凝った髪型をしているわけでもない。前髪をそろえ、あとは短く刈っているだけだった。
「いやぁ、『ひまわり』かと思って。あそこのお母さん、上手いなあって。なるほど岩崎までね」
 『ひまわり』は村に唯一の美容室のことだ。村民のほとんどはそこでカットしてもらっていた。
「しかしいかんなぁ、三田村君。地域振興の尖兵たるもの、率先して村でやってもらわないと」
「はあ、次からやってもらいます。じゃあ榊さんもそこで?」
「ううん、私は稲田で。伸びたらね」
 後ろで結った髪に手をやりながら、アンが答えた。
「なんだ、榊さんだって……」
「だって、あそこのおばちゃんに丸刈りにされかけたから」
「小学校のころでしょ、それ。榊さんずっとこの村なんですよね」
「中学までね。高校は隣町、大学は東京よ。仕事も最初は」
 ソウタの足が止まり、アンはその広い背中にぶつかりそうになった。
「これか……」
「どれどれ……」
 ソウタの後ろからアンが顔を覗かせる。
「ありゃりゃ……」
 けもの道の開けた空間に、いくつものゴミ袋が積まれている。生ごみも混じっているのか、羽根の羽音がブンブンと聞こえる。
「いつも以上ですね……」
 この場所にはよく他県から家庭ごみや粗大ごみを捨てに来ることがあり、不法投棄問題は村にとって悩みの種であった。しかも今回は量も多い。
「あれ……」
 アンは何かに気付き、ゴミの前にしゃがみこんだ。
「これ……変わった空き缶」
 アンは缶を拾い上げて、ソウタに見せた。ラベルも何もない、真っ白い缶だ。
「ジュースにしては変ですね、何も書いてないなんて」
 足元には白い缶が数十本散乱しており、そのどれもぐちゃぐちゃに潰されたり、穴が開いている。
「動物かな?」
「猿とか猪がジュース飲んだんですか?」
「ほら、あそこに段ボールがぐちゃぐちゃになってる。誰かがここに箱ごとジュースを捨てたのよ。でもなんのジュースだったんだろう?」 
 よく見ればほかのごみ袋も何者かに食い破られたあとがある。
「ひょっとしたら熊……ん?」
 アンが手招きした。
「なんですか?」
 アンの指さす先に、黒い円盤状の物体が落ちていた。厚みのあるマンホールの蓋、という感じだ。
「ひょっとして、犯人分かったかも」
「動物の糞……ですか? でもあんな形のものって」
「あれはアライグマよ。この辺の生態系のニューフェイスで厄介者。ニュースで見たことないかな?」
「バラエティで、お笑い芸人が捕獲して食べてましたね。かわいいのに」
「かわいいからって、好きにしていいってことはないわよ。かわいいペットも今じゃ農作物を食い荒らす害獣。駆除対象にもなってるし、飼育しちゃダメだったんじゃなかったっけ?」
「そうなんですか? なんだかかわいそうだな……」
「ルックスがかわいいと、同情されて得だよねー」
「なんすか、それ?」
 その時、二人の背後でガササっと音がした。
「あー、来てくれたんか。これよ、これ。困ったことするねえ」
 二人が振り返ると、小柄な高齢の女性がニコニコと立っている。
「あたしらが寝てる間に、ここ入ってボンボンゴミ捨てるんで、参ってたのよ」
「電話くれた松村さんですか? 今すぐに処分……は無理ですけど、写真撮って、それから業者呼びますからね」
「ありがとうね、あれえ」
 松村さんの視線が、アライグマの糞に止まった。
「またこんなところで……。しかし大きいね、いつもより大きいよ」
「大きい? 言われてみれば確かに……これも一応お願い」
「ウンコを写真に撮るんですか?」
「別にネットにあげたりしないし、これも大事な資料よ」
「はぁい」
 と、ソウタが近づいて写真を撮る。
「それとね、うちのじいさん知らん? 朝からおらんようになったの」
「は? 朝から」
「サルだかクマが畑ほじくるわ罠メチャクチャにするわ、我慢できん言うて、この辺に来てるはずなんだけどね」
「朝って……今何時よ?」
「13時……」
 アンはすぐに警察に連絡を入れた。それから二人は松村さんの荒らされた畑と、仕掛けた罠も一応参考までに、という事で見せてもらった。松村さんの畑はショベルカーで掘り返されたような穴がいくつも空いており、餌を仕掛けたケージ型の罠は針金のようにグニャグニャに丸められていた。
「アライグマ……?」
「いや、ゴリラでしょ、これ」
「この辺にはゴリラいないけど……ゾウかな?」
「ゾウもいませんよ、この村には」
「だよね……」
 やがて、原付に乗った村の駐在が来たので後を任せると、二人は次の現場に向かった。 
 二岡さんの畑も、散々たる有様だった。松村さんの畑と同様、そこら中が穴だらけで、巨大な糞が周辺にいくつか落ちていた。
「収穫した後だからよかったけど、クソバラまきやがって……」
 キャベツ農家の二岡さんは苦々しい顔で、畑を見ていた。
「これも、アライグマですか?」
「さっきと一緒よね……一応、これも写真に撮っておいて」
「一体役場は何してるんですか!」
 二岡さんが声を荒げた。
「申し訳ありません。来週、栃木から猟師さんに来てもらうことになってて、害獣対策の講演と、ジビエ料理のイベントをすることになってますので……」
「ならいいけど、早いとこ頼むよ」
 いくらか落ち着いた口調だったが、二岡さんはまだ怒りが収まらない様子だった。

 それから三日後の朝。大岩名小学校3年の田山ハルトは、早く学校についてボール遊びでもしようとグラウンドに出た時、異様なものが落ちていることに気が付いた。
 グラウンドのちょうど中央辺りに黒い物体が落ちていて、その周りにペンキがこぼれている。近付くにつれ、その正体がぼんやりとしてくる。何か得体のしれないものがある、怖いけど、それでも好奇心が勝って、ハルトはもっと近づいてみた。そして気付いた。あれはペンキではなく、血だ、動物の赤黒い血だ。よく見れば無数のハエがたかり、飛び交ってる。そして、そこにあるのは。
「うわあああク、クク、ク、マーーーーー! センセーーーーーー! クマークマー!」 
 ハルトの絶叫を聞いた3年生担当、野上ハルナがすぐに飛び出した。
「田山君、どうし……た……ぉお」
 ハルナも血だまりに置かれた熊の首を見て、思わず息をのみ、立ち尽くしてしまった。なぜこんなものがここにあるのかわからない。しかし、今は生徒の介抱が先だと、腰を抜かしたハルトを抱え、保健室へと運んだ。

 学校からの連絡を受けた村役場と警察はすぐに現場に急行した。アンたちがその知らせを聞いたのはそれから少し後だった。
「あの……」
 スグデル号に乗り、いつもの村内パトロールという名の使い走り業務をこなしながら、ソウタはアンに尋ねた。
「熊を食べる生き物って何なんですかね」
「小学校のあれのこと? そうね……恐竜かな」
「真面目に聞いてるんですよ、さすがに恐竜はいないでしょ?」
「こっちも真面目に答えたのよ。だって、首を残してあとはムシャムシャ、裏山でそれらしい血痕とか肉片はあったみたいだけど。じゃあオオカミの群れ? ライオン? いやいや、やっぱり恐竜でしょ。それぐらい大きなものが熊を食べたんじゃないかな。あとは」「他にも何かいるんですか?」
「人間のいたずらとか。でもそれにしても度が過ぎるよね。例えば『クマ解体してみた件』とかいってあんなもの動画投稿しても、イイネ! とか『ウケるー』とか言われないよね、ドン引きされるのがオチよね」
「でも、恐竜っていうのも」
「だったら三田村君は何だと思うの、あれ?」 
「そうですねえ……怪獣とか」
「一緒じゃん」
「違いますよ、怪獣と恐竜は! その、人知を超えた得体のしれない怪物ってことですよ」
「怪物ねぇ。私が小学生の時、ツチノコ騒動が起きたんだけど、すぐに収まったな。だって誰も見てないし、役場で騒ぎをでっちあげようとしたんだって」
「いわゆるヤラセを、ですか」
「そう。ほら、福祉課の部長が昔提案したとかなんとか」
「福祉課って、榊さんが前にいた部署の」
「部長のやつ、給湯室で『ほら、俺のツチノコ見たくない?』とかとか、何度も何度も、あんまりしつこいから『録音しましたよ、出るとこ出ますよ』っていったら、商品券送ってきて……」
「完全にセクハラじゃないですか、それ。あの部長がね……」
「翌週、スグデル号と制服を支給されたってわけ。ここはハラスメントの墓場なのよ。正しいものが追い出されちゃうんだなー。三田村君は何しでかしたの?」
「いえ、僕は何も……」
「やめても他に行くところもなし、あのバカ部長、同じこと他の子にもやってるのよ、それを商品券で口封じってセコくない? バカじゃないの、いつかばらしてやる……」
 イライラしながら、アンは胸ポケットに手をやった。
「で、煙草吸っていい?」
「ダメです」
「ケチ。そういや、松村さんのおじいさん、まだ見つからないんだって」
「そういや、学校裏に住んでる木本さんは、旦那さんが仕事に出たまま帰ってこないとか。そっちも捜査中らしいですよ」 
「田舎に愛想つかしたのかな……」

 池袋にあるキャバクラ『グランドキング』。勤務して3年目のルカちゃんの太ももを軽くまさぐりながら、テツヤは上機嫌でグラスを空けていた。
「いいんすか、飲んでも?」
「もう飲んでるじゃないか、おうおう、もっといけ、もっと!」
 テツヤからキャバ嬢2人挟んだ隣には、同じく上機嫌の部長がいる。
「いいのかなあ……」
 とか言いつつ、テツヤはルカちゃんにお代わりを継いでもらい、それをすぐに空けてしまった。
「神代ぉ、飲んでるかぁ」
「飲んでますぅ、部長こそぉ」
「やってるよぉ」
 と言いながら部長は隣のキャバ嬢の胸をもみしだき、テツヤは太ももをまさぐる手が激しくなっていた。
「おさわりはダメですぅ」
 ルカちゃんが軽くたしなめるが、テツヤは言う事を聞かない。ルカちゃんも久々の上客に嫌な顔せず、接客に努めている。
「そういや、部長」
「なんだぁ?」
「こないだのあれ、結局何だったんスか?」
「あれって?」
「あれですよ、俺が捨てに行った……」
「あぁ……」
 部長が、隣のキャバ嬢の膝に乗っかるように体を倒した。それに合わせて、テツヤも顔を近づける。
「あれな、とってもきついエナジードリンクなんだよぉ。超強力エナジードリンク! 一本で二晩徹夜してから鉄人レースしてボクシングフルラウンドやっても大丈夫とか言っててさ。作ったけど、テストでアウト。国とか保健所とか何とかが調べる前にポイしたって話」
「へぇ、どうキツイんすか、どうヤバいんスか?」
 部長が、キャバ嬢の膝の上から『来い来い』と手招きするので、テツヤは顔をさらに近付けた。
「実験用のマウスが……」
「死んだんスか? よくある話じゃないスか」
「違うって、元気になりすぎてデカくなってな、職員が一人死んだ」
「?? よく話が見えないんですけど」
「だからぁ、ネズミが犬みたいにデカくなって、職員食い殺したの! ネズミ処分したり事件揉み消すのに上は大慌てよ。で、その後始末任されたのが俺らってこと」
「ははぁ、部長の金回りがよくなったのはそういう……」
「そ、そういうことだから、神代、他言無用な」
「ねえねえ、何の話よー、ネズミってなにー?」
 ルカちゃんが会話に混ぜろと、軽くタツヤの背中を叩いた。
「なんでもねえって、ささ、のものも、浦安のネズミの国、行く?」
「いくいくー!」
 はしゃいではいたが、テツヤの中で、何かが急激に醒めていった。

 山に囲まれた大岩名村に入るには南北の山を貫くトンネルをくぐらないといけない。トンネルで事故や工事があると、村民は外に出れなくなる、まさにライフラインだった。トンネルはそれぞれ北トンネル、南トンネルと呼ばれていた。
 ある夜。亀田次郎は、富山の倉庫に荷物を下ろし、東京へ戻る途中、抜け道である大岩名村を通るために北トンネルを走行していた。
「あれ?」
 オレンジ色の照明にてらされ、ぼんやりと反対車線から自動車が走ってくる。それが走行車線に移り、まっすぐ向かってくる。
「逆走じゃねえか、バカヤロ!」
 ジロウは何度もクラクションを鳴らしたが、相手は動じようとしない。と、おかしなことにジロウは気が付いた。ヘッドライトだと思っていたがどうも違う。目だ、巨大な黄色く光る眼が、こちらに向かってくる。自分が運転しているトラックぐらいの巨大な動物が猛スピードで迫ってくる! 
「ウソだろ、おい!」
 ギィイイー! と急ブレーキをかけ、ジロウはトラックを降り、走った。背後でグァアアアーオォオ、と動物が吼え、トラックを横倒しにする音が響いた。続いて前足でコンテナを引っ掻き、メリメリと金属が裂ける音がする。
「コンテナを引きちぎってる? まさか、そんな動物が……」
 次郎は恐怖で足がもつれそうになるのを何とか耐え、とにかくトンネルを出ようと思っていた。その時、あのコンテナにもし入っていれば、いくらかの足止めになったのに、とジロウは考えていた。ひょっとしてあいつはエサを探しているのか? なら……。
 走るジロウの前に、巨大な影が立ち塞がった。黄色い目をらんらんと輝かせた、巨大生物が目の前にいる。
「ウソだろ、なんで俺を追い抜く……あ」
 ジロウは顔を上げ、巨大生物がその巨体に見合わない身軽さで天井伝いに追い抜いた事に気付いた。  
「うわぁあああ!」 
 叫びながら、ジロウが逆方向へと駆け出した。完全にこいつは俺を狙ってる! だが、その行く手にはさっきまで自分が乗っていたトラックがトンネルを塞ぐように横倒しになっていた。
「は、あああ、あぁ」
 コンテナと運転席の連結部にわずかな隙間が見える。ここなら何とか抜けられる。ジロウは這いつくばってほふく前進の要領で、隙間に潜り込んだ。
 全力で走ったから体が言う事を聞かない。それでもジロウは両腕を交互に動かし、巨大生物から逃げようとした。オレンジ色の灯りがぼんやり見える。もうすぐだ……。と、その光が塞がれ、ジロウの体が何かに捕まれた。背中に鎌が刺さったような激痛が走る。そうだ、こいつ、先回りできるんだった。いずれにしても助からなかったことをいまさら思い知り、ジロウはなぜか笑顔になっていた。目の前には、巨大生物の濁った眼と大きく開かれた口から見える赤黒い口腔に、びっしりと並んだ牙が見えた。

「なにこれ?」
 村役場の物置兼地域振興2係の部屋で、灰色のウレタンの塊を前に、アンは素っ頓狂な声をあげた。
「何って、これ今日のイベントに出るゆるキャラの『イワタ君』ですよ」
「それは分かるけど、これをどうするの?」
「着てくださいって」
「誰が?」
「俺、身長的に無理っす」
「じゃあ誰が?」
「そりゃ榊さんしかいないでしょ」
「いやよ、こんな汗臭い着ぐるみ! だって今日は、明日のイベントに来てくれる猟師さん迎えに行って、アライグマ使ったジビエ料理の準備もしないといけないのよ」
「出来立てのスーツなんでウレタンとボンドの匂いしかしませんよ。猟師さんのアテントは俺がしますから、日中は榊さんはぜひこれにって」
「いや、絶対いや、これもあのバカ部長の嫌がらせよね。そう思ったら、ますます腹が立つ、絶対着ない、着ない、着ないから!」

 道の駅で行われる、年に一回の村興しイベント『大岩名まつり』。村の物産品やちょっとした露店も出て、近隣の町からの客もあってそれなりに賑わっていた。その会場に、イワタ君はぽつんと立っていた。灰色のゴツゴツした岩の塊に手足の生えた、かわいげのないキャラクターだ。時々、子供らが物珍しそうにやってきてイワタ君を触ったり、叩いたりしていく。
「似合ってますよ」
 ニヤニヤとしながら、ソウタがイワタ君の頭部を撫でた。
「似合うも何もないでしょ、こんなもの。あとで味噌田楽二つ」
 イワタ君の中から、不機嫌そうなアンの声が聞こえた。
「はいはい、じゃあ僕は猟師さんを迎えに行ってきます。それと、愛想よくしてくださいね」
「ふぁい」
 ソウタが離れると、アンは努めて愛想よく振舞おうとじたばたと手足を動かしてはみたが、まるで岩のお化けが暴れているように見えるのか、とうとう小さな子供が泣きだした。
「……なんで私がこんな仕事を……そもそもこれ、仕事なの? ……あれ?」
 覗き穴から、懐かしい顔が見えた。スマホで珍しそうにこちらを撮ってる男、神代タツヤだ。ブルーのシャツにジーパンというラフな姿だが、学生服を着せても違和感のないほどに顔は昔のままだった。
「高校以来か……こっちに帰ってきたのかな? おおい!」
 アンは一生懸命手を振っていたが、もちろんタツヤは気づいていない。
「しかし、ぶっさいくなゆるキャラだなぁ。相変わらず、この村センスねえし」
 スマホを撮りつつ、近付いてくるタツヤの声が聞こえた。
「……なんだとぉ? ブサイクだと?」 
「どっちが顔だかわからねえよ、おい、こっち向け、向けよ、岩!」
 タツヤがイワタ君の頭部、らしき部分に手を置いた。
「気やすく触るなあ!」 
 短い手で振りほどき、イワタ君、いやアンは、思い切りタツヤにタックルをお見舞いした。
「何すんだ、岩!」
 ひっくり返りながら、タツヤがわめく。
「好き勝手言ってんじゃないよ、タツ!」
「あれ、その声……アン?」
 仰向けになったタツヤが驚いた顔になる。
「何やってんだよ、お前?」
「そっちこそ!」 

 イベント会場の隅にあるベンチに腰掛け、イワタ君を脱いだアンは、味噌田楽にかじりついていた。もちろん、タツヤのおごりだった。
「で、何しに来たの?」
「あ、俺? いや、お祭りがあるって聞いたから……」
 そう言ってタツヤは缶コーヒーをグイ、と飲んだ。
「うそ」
「は?」
「昔と変わってないよね、タツは嘘つくと鼻の穴が膨らむのよ。中学の時、私の教科書隠してシラ切った時も、カバみたいに鼻の穴広がってたし、みっちゃんのノートに落書きした時も」
「なんで祭り見に来ただけで、嘘つかなきゃならないんだよ!」
 そう言いながら、タツヤは鼻を右手で隠した。
「もう何年も帰ってきてない男が、何の用事もないのに来るはずないでしょ、それとあれ」
 会場の隅に、わずかに設けられた駐車スペースを指差した。新車らしいミニバンが一台止まってる。
「あれって結構いい車なんでしょ? よく知らないけど。それにナンバーが『品川』だった」
「いつの間に……」
「いい稼ぎしてるよね。この高級車で、ここで何するの、もうしたの?」
「あのな、一介の清涼飲料水メーカーの平社員が、こんなところで悪さするはずないだろ。車だって、ローンだし……って、ちょ、おい!」
 タツヤがそう言ってる間に、アンはツカツカと車に近寄り、中を覗き込んでいた。 
「おい、お前な……」
 それを止めようと、背後からタツヤが手を伸ばす。
「へえ、奇麗ね……あれ?」
 アンは、後部座席を注視した。そこに置かれていたのは、何も書かれていない無地の段ボール箱だった。
「これ、見たことあるわ……」
「そんなもん、どこにでもある段ボールだろ! ほら、汚すな、傷つけんなよ、買ったばかりなんだからよ!」 
「あ……裏山の不法投棄ゴミ!」 
 くるりとアンは振り返り、タツヤを睨んだ。
「あんた、前にも、先週も来てるでしょ、ここに!」
「来るわけねえだろ、こんなところ!」
「あの箱の中には白い缶ジュースが入ってるんじゃない?」
「いっ、いや、バカ、仕事の資料だよ」
 タツヤの鼻がひくひく、と動いた。
「さっきさ、清涼飲料水メーカーに勤めてるとかなんとか言ってなかった?」
 アンがグイ、と踏み出すと、タツヤはその分、鼻をひくひくさせ退く。
「えっと、俺の部署は、そのどっちかといえば……営業だから」
 鼻のひくひくが止まらない。
「いいから、正直に、何をしたのか教えなさい!」
 アンは持っていた味噌田楽の串を、タツヤの喉元に突き立てた。
「あんたも、あの不法ゴミの中に叩き込んでやろうか?」
 アンはグイ、と串を握る手に力を込めた。
 
 大岩名村から最寄りの駅といえば、車で小一時間ほどかかる岩崎町にある『いさな駅』だった。ソウタはそこまでスグデル号を走らせ、栃木から来る猟師にして調理師の木俣マチゾウを待っていた。
「お待たせしたかな?」
 マチゾウは、キャップに迷彩シャツ、その上にポケットが左右に四つついたオレンジのジャケットを着た、いかにもな姿だった。背中にはグリーンのバックパック、そして右手には猟銃が入ってると思しきケースを持っていた。
「いえ、今来たところですから」
 なんだかデートの定番台詞みたいだ、と思いながら、ソウタはマチゾウを笑顔で迎えた。

「へぁ? マンホールほどの糞?」
 スグデル号の車内、とりとめのない世間話から、先週見つかったアライグマの話になると、マチゾウの声のトーンが高くなったのだ。その声に、ソウタは思わずブレーキを踏みそうになった。
「そりゃあ、ゾウでしょ? でもなぁ、ゾウはまだ撃ったことねえけど……」
「いえ、アライグマです。それに、いくらなんでもゾウはいませんよ」
「でもなぁ。ね、いっぺんそこ案内してくれねえ?」
「今からですか? まずは村の宿舎へ」
「いや、今がええ。なんか、俺の勘がうずくのよ」
 ソウタはハンドルを切り、先日不法ゴミを発見した裏山に向かった。

「ふん……すげえ、けものの気配がするよ」
 マチゾウはケースからライフルを取り出し、慣れた手つきで照準器を取り付けた。
「ちょっと行ってくるよ……なに、明日のイベントに使えるぐらい、たくさん獲ってきてやっから」
「気を付けて……」
 けもの道に入ると、たちまちマチゾウの姿が見えなくなった。さすがプロの猟師だ、初めての場所でも迷わず進めるなんて、とソウタは感心してしまった。

 ターン、ターン! 

 しばらくして、遠くで銃声が聞こえた。
「ぎゃああー!」 
 続けて、マチゾウの悲鳴がこだました。
「木俣さーん!」
 ソウタの声に答えるように、何かがビュン、と飛んできてソウタのをかすめた。
「何?」 
 振り返った先に落ちていたのは、マチゾウのライフルだった。
「え、ええ? なに、何があったんです?」
 ガササ、と草をかき分ける音がする。辺りを生臭い臭いが立ち込めだした。
 と、めりめりと近くの木が倒れ、巨大な影が現れた。
「え? ええ?」
 ソウタが見上げると、マチゾウがはるか頭上に浮いていた。厳密にいえば、マチゾウは巨大な動物の前足に捕まれていたのだ。
「た、助け……」
 ソウタの姿を見つけ、マチゾウはふり絞るように声をあげた。その胴体には三本の巨大な爪が食い込んでいて、血がどくどくと流れ、ぼたぼたと落ちている。
「恐竜? 違う……」

 ところどころ黒い毛の生えた、ごつごつとした岩のような突起があちらこちについた灰色の胴体、長い尻尾に小さな前足、太い後ろ足で直立した姿は、恐竜を思わせた。しかし、その逆三角形の頭部には角のような耳がぴんと立っており、濁った灰色の瞳に、鼻先には鞭のようなヒゲが左右2本ずつ伸びている。大きさは20メートルぐらいあるだろうか。

「怪獣……」
「あぐぅ……」
 息を漏らすような声を出し、マチゾウの体が軟体動物のようにぐにゃりとなった。
 怪物は、マチゾウを掴んだまま、黄色く濁った瞳のない眼で、じっとソウタを見つめている。
「あ、あぁああ……」
 ソウタは駆け出し、ライフルを拾い上げて、スグデル号に飛び込んだ。
 グルル……ガァア!
 怪物が吼えるのと同時にエンジンをかけ、バックさせる。それと同時にズン、と怪物の足がフロントをかすめた。

「……あんたね。どうすんのよ?」
「わーってますよ、すみませんでした」
 タツヤから事の顛末を聞かされたアンは脱力し、肩を落としていた。
「処分に困って、よりにもよって実家の山に捨てたけど、世に出ていないレアもののエナジードリンクだから、一箱くすねて売ってやろうと思った。でもその効き目がヤバすぎたので、怖くなってまた捨てに来たと?」
「……はい。仰る通りです」
「あんた、考えたらすぐわかるような話だけどさ、寿司とかキャバクラとか臨時ボーナスとかあの車とか昇進とか、全部口封じじゃない? 待遇よくして外に漏れないようにしたいだけ。私と一緒じゃないの。何でこんなに差があるかな……あとおっパブだっけ? 何よそれ」
「おっパブっていうのは……女の子のおっぱ」
「もういい」
 はあ、と大きく息を吐いて、アンはスマホを取り出した。
「あ、ちょ、ちょっと待って、警察には……」
「違うわよ! これからのイベントの段取りのことよ。私またあの着ぐるみきないといけないんだから。……でないな、三田村君。おーい、おーい!」
 と、猛烈な勢いでスグデル号が会場に飛び込んできた。
「逃げてくださーい!」 
 エンジンをかけたまま、ソウタが飛び出した。
「逃げて逃げて、イベント中止!」
「どうしたの? え、これもイベントの演出? 聞いてないよ?」
「違う! マジもんの怪獣! 出たんですよ!」
「ああ、怪獣ショーか。またダセえことすんな、この村」
「ちげえよぉ! 本物だよぉ、本物!」
 のんきなタツヤに、ソウタがキれたように声をあげる。
 ただならぬソウタの雰囲気に、周りもざわつき始めた。
「とにかく、このイベントは中止です、皆さん避難して、ええと、家に帰ってー!」
 ギョァアオーー!
 ソウタの言葉を裏付けるように、巨大な動物の叫び声が響き、イベント会場にいた客たちが慌て始めた。
「行きましょう!」
 グイ、とソウタがアンの手を引いた。
「ど、どこへ? 私たちも逃げないと……」
「住民の避難指示、警察、救急への連絡! 僕ら2係ですよ?」
「2係っても、やれることとやれないことが」
「色々やってきたじゃないですか。さあ」
 アンは、ソウタに引っ張られるようにスグデル号に乗り込んだ。
「ちょい待て、俺も」
 と、タツヤが後部座席に入り込んだ。

「なんであんたも? さっさと逃げたら?」
「いや、その……さっき言ってなかったんだけど……その、実験用のネズミがさ……デカくなったって……」
「はぁ? 聞いてないわよ!」
「そりゃ言ってなかったから……」
「なんすかそれ?」
 ハンドルを握り、いつになく必至な形相でソウタが尋ねる。
「仔細は省くけど、ほら、こないだの不法ゴミの変な缶ジュース。あれ、相当ヤバいものだったみたい。それを飲んでネズミが大きくなったって……」
 と、ソウタはブレーキを踏んだ。
「どうしたのよ」
「あれ……」
 ソウタが指差した先、小学校の校門がぐしゃりと潰れていた。
「あれも、その怪獣が?」
「たぶん……ちょっと見てきます」
「危ないんじゃないの? いや危ないって!」
「そうだよ、逃げようぜ!」 
「でももし、誰かがいたら?」
 二人の制止を振り切るようにスグデル号を降りたソウタは、辺りを見回しながら恐る恐る校庭へ入っていった。それに続くように、アンとタツヤも車を降りた。
 じゃぶじゃぶと、水の音がする。
「プールですかね」
 アンたちは校庭の一角にあるプールを見た。倒れたフェンスの向こうに、まばらな体毛と岩のような突起物のある巨大な背を向けて、怪物が屈みこんでいる。
「あいつです……」
 小声で、ソウタが指差す。
「! え、あれ……」
「あれ、何だよ?」
「だから、怪獣ですよ。あんな生き物見たことないし、デカすぎます」
 怪物はプールに何かを浸し、ゴシゴシと揉んでいるようだった。そのたびにじゃぶじゃぶと音がする。
「……何やってんの?」
「洗ってんですよ、たぶん」
「だから何を?」
「……今日のゲストの木俣さん。それか、別の人」
「なんで人間を洗う……あ? あ!」
 巨大な糞、行方不明者、トンネル事故……外来種。アンの中で、ここ最近の出来事が猛烈な勢いで流れ、そして一つの形になっていった。 
「アライグマ……あれ、アライグマの怪獣?」
「あれが? 全然違うじゃねえか」
「だからぁ、あんたの捨てたジュース飲んだのよ、デカくなったり形が変わったんじゃないの、アライグマが!」 
 アンは怒気を含んだ声で、テツヤの胸倉を掴んだ。
「餌を洗う習慣だけは残ったけど、それ以外は全く別物の怪獣……アライグドンと言ったところですね」
「名前はいいから、どうするの?」 
「見たところ、学校には人はいなさそうですね。とにかく、村中にこのことを教えて、避難誘導をしましょう」
 よく見ると、プールが赤く染まっていた。
 怪物――アライグドン――の頭部が上下し、バリバリと固いものを砕く音が聞こえだした。 
「食ってる……骨ごと」
「とにかく、ここは危険です。警察には連絡したので、本庁から応援が来ると思います」「でも、先日の事故で北トンネルふさがってるんでしょ?」
「あ……」
 ソウタの顔が血の気が引いたように、青ざめだした。
「じゃあ、南トンネルから逃げてもらいましょう。こいつでみんなに知らせるんですよ」 ソウタはスグデル号のスピーカーを指差した。

『大岩名小学校にアライグ……大きな生き物が出ました、決して学校に近付かず、次の指示が出るまで自宅で待機してください!』

 イベント会場に戻ると、まだ客がまばらに残っていた。
「逃げてください、とにかく家に戻って!」
「怪獣ですよ、怪獣!」
 スマホで撮ったアライグドンの写真を見せながら、アンとソウタは必死に訴え続けた。「んじゃあ、俺はこれで」
 そんな二人を気にせず、タツヤが車のキーをくるくると回した。 
「はぁ? あんた手伝ってくれるんじゃないの?」
「避難した方がいいんだろ、それに俺、ここの人間じゃないし」
「薄情者! あんたいつもいつも、文化祭の準備の時も……」
「はいはい、あとは自衛隊かナントカマンの仕事だろ? 一般市民は逃げるに限る」
 タツヤはそそくさと自分の車に乗り込み、逃げるように出ていった。

 ソウタの通報で、ウーウーとサイレンが鳴り響く中、会場には誰もいなくなっていた。「南トンネルしか使えないとなると、町から応援が来るのって……」
 アンが、呟く。
「とにかく逃げてもらうしかないですよ。家にいても、あいつからしたら、餌の入った箱みたいなものでしょうし」
「怪獣専用のお弁当箱ね。行きましょ、トンネルが混雑しないよう、避難のお手伝いとか、できることをやるんでしょ、2係は」
 ソウタは黙ってうなずいた。

 タツヤは焦っていた。自分のせいでこんな大事になるとは思っていなかったし、それから一刻も早く逃げ出したかったからだ。幸い、村と外部を繋ぐ南トンネル周辺はまだ混雑していない。タツヤは、いつもよりも強くアクセルを踏んでいた。
「ん?」
 トンネルに差し掛かる直前、フロントガラスに砂塵が舞った。
「わぁっ!」
 続いて、土砂がタツヤのバンの上に降り注いだ。ハンドルを勢い良く切ったところに
車輪が砂で滑り、バンは横転してしまった。エアバッグに挟まれながら、タツヤの体は激しく上下し、シートベルトが体に食い込んだ。フロントとサイドのガラスが割れ、土砂が勢いよく入ってくる。
「ぐぅ……」
 なんとかベルトを外し、土砂をかき分けながら、タツヤは車を出た。石で打ったのか額が割れて血が流れ、視界が赤くにじんで見えた。その赤くぼやけた風景の中に、アライグドンが巨大な赤い影のように、立っていた。
 アライグドンは、トンネルの入り口を切り崩そうと、ひっかくように激しく前足を動かしているように見えた。そのたびに、土砂がタツヤの上に降り注いでくる。
「ここをふさぐつもりか……賢いな、お前」
 タツヤはそう呟いて、その場に崩れてしまった。

「え、南トンネルが?」 
 いったん役場に来たアンとソウタは、イベントの準備で残っていた職員から、トンネル崩落の一報を受けた。
「逃げ場なし……ですか」
 黙ってアンが頷く。
「南北のトンネルを塞いで逃げ場をなくし、ここを餌場にでもするつもりよ」
「じゃあ、けもの道を抜けて山越えするしかないか」
「そうよね。でも……高齢者の多い村で、どれだけの人が山道を抜けれるかしら?」
 ソウタはぐっと唇をかみしめた。
「じゃあ、どうすれば……応援も来れないじゃないですか」
 うーん、とアンは天上を見上げた。
「ねえ、三田村君。こんな大ピンチ! って時にウルトラマンがいないとなると、どうすればいいかな?」
「は? 何言ってんですかこんな時に」
「割と真面目よ」
 そう言って、アンは眼鏡を指でくい、と上げた。
「……ウルトラマンがいないなら、人間がなんとか」
「やっぱそうなるよね」
「まさか、あいつと戦うんですか? いつもやる気なさそうに働いてる榊さんが?」
「『やる気なさそうに働いてる』は余計だけど、ちょっとだけ本気。逃げられないなら、やるしかないのかなって」
「ムチャですよ。スグデル号に木俣さんのライフルはありますけど、あの大きさじゃあ。せめて爆弾でもあれば……」
「爆弾ね……さすがに役場には……ある、あるよ!」
「へ? どこにですか?」
「道の駅! 確かあそこに冷凍肉あったよね? もし今日木俣さんが何も狩れなかった時のための」
「あぁ、猪の肉が……あと、カレー用に牛肉も」
 アンは、にやりと笑った。
「こうなったらやろう、村のためでしょ! 私たち、なんでもやる2係でしょ? やってやろうじゃないの! 映画だったら、今、音楽が大きく盛り上がるところよねー」
 ニッとアンが微笑んだ。

 暗い……。目が潰れてしまったのか、夜なのか……。意識が徐々にはっきりすると同時に激しい痛みが全身を襲う。口の中は砂と血が入り混じり、吐き出そうにも力が出ない。激しい痛みの中、意識を集中させても下半身の感覚がない。
「う、うぅうう」
 タツヤは、暗闇の中で体を動かそうとした。脳から体の各部位に信号を送っても、どこも反応しない。もうこのまま、土砂に埋もれて死んでしまうのか。もし生きて帰れたら、あんな会社辞めてやろう。いや、辞める前にあいつらのやったことを洗いざらいゲロしてやる……。体は動かないのに、意識だけははっきりしている。こんな中途半端な形で生きながらえるなら、いっそ殺してくれ。と、右手がもぞもぞと動いた。
「あ、あぁ」
 呻きながらタツヤはうんと右手を伸ばしてみた。砂利や小石に触れる感覚が脳に伝わる。自分がどれだけ埋もれているかわからない。このまま手を動かすことができるなら、土砂をかき分け、生還できるかも……。痛みをこらえながら、タツヤはもそもそと右手を動かし、ゆっくりと伸ばす。すると、何か固いものに触れた。周りの砂を指で掘り、それを握ってみる。硬い。でも握ればつぶれそうな柔らかさ……アルミ缶だ。あの時、車内に置いていたエナジードリンクのサンプルだ。それが、あの時の衝撃で、車外に飛び出してしまったのだろう。そもそもこんなものを作るから、俺がこんな目に……。

 タツヤは缶を引き寄せ、人差し指を使ってプルトップを空けた。どうせ死ぬなら、こいつがどんなものか飲んでやろうじゃないか。ゆっくりと缶を口にもっていき、すするように飲んだ。味なんかわからないが、冷たい感触が喉を通り越し、しばらくすると、ぽっと胸の中が熱く燃えるような感覚がやってきた。
「あ、ああう……」
 そして、タツヤはゆっくりとそれを飲み干した。
 
 学校のプールで食事を終えたアライグドンは、鼻をひくひくと鳴らしながら、次のエサを探しに出た。学校を出ると、足元でタン、タンと音がした。警官が一人、体を震わせながら発砲している。アライグドンは、身をかがめ、威嚇のために大きく吼えると、それにひるんで、身動きが取れなくなった警官をがぶりと咥えた。

「あ、あそこ!」
 スグデル号のフロントガラスに、口から紺色の帯、いやズボンを垂らしたアライグドンが見えた。 
「あれ、おまわりさん……」
「さっき鉄砲の音がしたと思ったら……」
 助手席のアンは、軽く手を合わせ、そしてマイクを掴んだ。
『オラーッ! こっちよ怪獣! こっち来いー!』
 アンのがなり声に、アライグドンの耳がヒクヒクと反応した。
「お、聞いてるわよ、あいつ」
『ホラー、エサ持って来たわよー! こっちおいで!』
 スグデル号のボンネット、屋根には牛肉ブロックがいくつも括り付けられていた。
 アライグドンは低く喉を鳴らし、急ぐように警官を咀嚼し、飲み込んだ。
「こっちに来そうですよ」
「よし、このまま道の駅へ! あとは打ち合わせ通りね!」
 そう言いながら、アンはスマホを操作し始めた。
「何やってるんですか、こんな時に?」
「だって、ライフルの操作法覚えないといけないから……動画ないかな?」
 スグデル号とアライグドンの距離は徐々に縮まった。新たにエサが向こうから来た、とアライグドンは前傾姿勢で身構えだした。
「よし!」 
「はい」
 あと数十メートル、というところでスグデル号はUターンした。エサが逃げ出したので、アライグドンは吼え、そしてすぐにスグデル号を追い始めた。
「どう?」
「来てますよ、なんだか、以前見た恐竜映画みたいです」
 ルームミラーを見ながらソウタが言った。
 アライグドンは徐々に加速しながらスグデル号を追ってきている。
「ここで追いつかれちゃまずいわよ、もうお巡りさんいないんだから、思い切り飛ばして!」
「了解!」 
 ソウタがアクセルをグン、と踏み込んだ。 

 なんとかアライグドンの追跡を振り切り、道の駅に戻ってくると、アンとソウタは、冷凍庫から出した肉類をすべて、用意していたビニールシートの上に並べた。
「運転、大丈夫ですか?」
「へいきへいき、実はペーパードライバーだから」
「じゃあ、たまには運転変わってくださいよ」
「もし、スグデル2号がきたらねー」
 そう言って、アンはスグデル号に乗り込み、のろのろと発進した。
「大丈夫かな」
 見送るソウタの耳に、ノシ、ノシという足音が聞こえてきた。

「ええと、弾は込めたから、ボルトを引いて……」
 道の駅から数百メートル離れた、国道の脇にスグデル号を止め、アンは、慣れない手つきでライフルを操作していた。陽が落ちかかり、辺りはそろそろと暗くなってきていた。「で、狙いを定める……構えはこれでいいのかな」 
 ライフルを構え、スコープを覗き込むと、道の駅で、アライグドンが前足で器用に肉をつまんで食べている様子が見えた。
「よし、まずは作戦第一号は成功か。これからよ……」
 そこに、スマホが鳴った。
『そろそろいいですか?こっちは準備オーケーです!』
 囁くように話すソウタの声が聞こえた。
『了解、今から出ます!』
 後部座席からイワタ君の着ぐるみを取り出し、すっぽりとかぶる。あれだけ嫌だったのに、ウレタン製の着ぐるみがちょっとしたプロテクターがわりになるとは思ってもいなかった。イワタ君の頭頂部に当たる部分はくりぬかれており、そこからアンは頭を出し、さらに防災用ヘルメットをかぶった。イワタ君の頭頂部は小さく切って、段ボールと張り合わせて肘と膝に縛り付けた。なんとも不格好だが、これから起こることを考えれば、それでも心細い装備だ。
「……人間、追い込まれると大胆になるものね、なるものなのよ!」
 バックミラーに写った自分の姿を見て小さく笑うと、アンは、給油口の蓋を開け、ライフルの台座を勢いよく打ち付けて外すと、キャップを開けた。後部座席にはポリタンクが四つ置かれていて、強烈なガソリン臭がする。
 アンは、ポリタンクの蓋も全て外し、大きく深呼吸するとスグデル号に乗り込み、アクセルを思いきり踏み込んだ。
 
 アライグドンが肉を食べている間、ソウタは気づかれないようにありったけのポリタンクにガソリンを入れ、待機していた。今ガソリンをまいてしまえば臭いで気づかれるかもしれない。ぎりぎりまで粘って、アンの合図で火をつけて逃げる。そのためには元ラグビー部のソウタの方が適任だった。
「まだかな……」
 給油機の影から、アンが来るのを待っていた。早くしないと、アライグドンが肉を全部食い尽くしてしまう。
 と、その時、遠くで自動車のエンジン音が聞こえた。
 
「そろそろかな……」
 スピード計の針は100キロ近くで揺れている。アライグドンまで、あと数百メートルだ。緩やかなカーブを曲がり、そこからは直線がしばらく続く。アンは、ソウタに言われたとおり、足元に転がしていた漬物石をアクセルに乗せ、減速しないように防犯用ハンドルロックを取り付けた。このまままっすぐ走れば、その先にはアライグドンのいる道の駅だ。
「え、このスピードで飛び降りるのか……できる、できる、たぶん! ええい! うわわわわわわぁあ!」
 アンは、わめきながら運転席のドアを開け、目をつぶり、体を丸めて飛び降りた。
 イワタ君の着ぐるみがクッションになり、アンは一度大きくバウンドしてからゴロゴロとアスファルトの上を転げ回った。
「いたいたたたた……」
 ずきずきと全身が痛むが、アンはよろけるように立ち上がり、持っていたライフルをゆっくり構えた。スコープを覗くと、スグデル号がまっすぐアライグドンに向かているのが見えた。アンは震える手で、狙いを給油口に定めた。

 給油機から様子をうかがいながら、ソウタは放射状に置かれたポリタンクの蓋を開け始めた。もうすぐガソリンを満載したスグデル号が来る。アライグドンに激突し、そこをアンがライフルで狙い撃つ。その間にソウタはアライグドンが逃げられないように、ポリタンクに火をつける。計画通りに行けば、前後を火の海にしてアライグドンを焼き殺すことができる。

 が、スグデル号はアライグドンの数十メートル手前で減速、そして止まってしまった。
「へえぇ?」
 スコープで覗いていたアンが、素っ頓狂な声をあげた。それと同時にソウタから着信が入る。
『あの、今どこです?』
「ライフル持って狙ってるわよ! なんで止まったのよ?」
『あ……ひょっとして……』
「何?」
『自動制御装置かな? ほら、事故防止の、障害物に近付くと減速する……』
「なんでそんな余計なものつけたのよ、アライグドン、気付いてないじゃない!」
『ン……予定変更です、合図するから撃ってくださいね!』
 
 アライグドンが、肉を食べ終え、次のエサを探すように頭を左右に振った。
「うわあああああああ! エサだぞー!」 
 大声を張り上げ、ポリタンクを抱えたソウタが道の駅から飛び出して、アライグドンの脇をすり抜けた。
「ちょ、何やってるのよ、三田村……」
 スコープで覗くと、ソウタは上半身裸で、かかえたポリタンクからガソリンがどくどくと流れている。
「こっちだ、来いー!」
 スグデル号の前に来ると、ソウタは大げさに体を揺らし、アライグドンを呼んだ。
 それに答えるように、アライグドンがずんずんと向かってくる。
「三田村君、逃げなさい!」
 ライフルを構え、アンが叫んだ。徐々にアライグドンとスグデル号の距離が縮まってくる。
「ほらほらー!」 
 スグデル号の屋根に上り、ソウタは空になったポリタンクをアライグドンにぶつけた。 
 グアァァオォオー!

 天高くアライグドンが吼えた、そのすきにソウタはスグデル号から飛び降りた。
「今です!」
 その声を合図に、アンは引き金を引いた。
 
 ターン! 

 銃弾はスグデル号の左後輪に当たり、ぶしゅっと空気が漏れた。
「え、失敗? ちょ、ちょっと待ってよ……」
 アライグドンは、ソウタを探すように辺りをきょろきょろと見まわしていたが、ふと頭を上げ、じっとその先のアンを見つめていた。
「こ、こっち見てる? ちょっと三田村君!」
 ガチャガチャと慌てながら、アンは次弾を装填し、ボルトを引いた。
 グルルル……。
 アライグドンは喉を鳴らし、尖った鼻をアンに向けてひくひく鳴らしている。
「当たれ、当たれ……」
 アンがスコープを覗き込み、汗ばむ指を引き金に掛ける。
 スコープ越しに、アライグドンと目が合った、その瞬間。

 ターン! 

 ボンッという大きな音に続き、スグデル号の屋根が炎に押し上げられるように吹っ飛び、アンの目の前がオレンジ色に染まった。
「当たった……の?」
 スグデル号に搭載されたポリタンクが爆発し、アライグドンの体を炎が包み込んだ。さらにソウタがまいたガソリンにも引火し、導火線のように道の駅のポリタンクへと走った。

 ぐわわ、ぐわわあああああ! 

 辺り一面を炎に包まれ黒く巨大な影がのたうち回る。ガソリン臭に混じって肉と毛が焦げる嫌な臭いがあたりに立ち込めた。

 ぐああ、ぐあああ!
 
 アライグドンはもがくように倒れ、手足をじたばたと動かしている。
「危ないですよ」
 グイ、とアンは後ろに引っ張られた。
「あれ、三田村君、いつの間に?」
 振り返ると、いつの間にか、ソウタが立っていた。
「スグデル号の下に隠れてたんですよ」 
「もう、私が狙われるところだったじゃない。じゃあ、私の華麗な狙撃、見てなかったんだ」
「ああ、あれですか。ひょっとしたら外すんじゃないかなと思って、僕がライターを車内に放り込んで、すぐに離れたんです。なにせラグビーで鍛えてましたから」
 さわやかな笑顔でソウタが微笑んだ。
「なんだ、そうだったのか……だってライフル重いし、狙いつけられなかったよ」
「最初っからこうすればよかったですね」
「そうね。それより、何か着なさいよ」
 アライグドンにはもう吼える気力も抵抗する力もなく、倒れたまま、じっと動かない。「やった……のね」
「みたい、ですね。映画ならここでやったー! ってハグしたりするんですけど、どうします?」
「やめとくわ、こんな格好だし……」
 イワタ君を脱ぎ捨て、アンは胸ポケットからくしゃくしゃになったタバコを取り出し、火をつけた。
「ふぅ、やっと人間に戻れた、気がするわ」
「よくまあ、あんなにボンボン燃えてる前で吸えますよね」
 アンは吸いながら、その場にペタリ、と座り込んだ。
「終わった……明日は有給とるから」
「僕もです……」
 ソウタもアンの隣に腰を下ろし、大きく伸びをして、仰向けに寝転がった。
「ふう……」
 とにかく脅威は去った。あとはこの火を消してトンネルの復旧があって……それはその道の専門家に任せよう、とにかく疲れた、それに体が痛い、とアンがふうと紫煙を吐き出した。
 グルルル……。
 ハッと、アンが顔を上げた。
「三田村君、何か言った?」
「いいえ、僕は何も……早く風呂入りたいなー」
 グルルル……。
 ん? とソウタも顔を上げた。
「今の……」
 炎の向こうに巨大な影が立っている。目を爛々とさせたアライグドンが、それも3匹。「え……」
「そうか、アライグマは基本夜行性でした」
「いやいや、そういう問題じゃなくって。増えてるよ?」
「繁殖してたんですね……外来種はその繁殖力の高さも問題だって聞いた事あります」  後ずさりながら、ソウタが言った。
「どうするの、これから? もう、あの手は使えないし……」
「逃げるしかないようです。もう、2係の仕事は……」
 伸ばしたソウタの手が、アンに触れた。
「このまま、あいつらのエサになるのね……」
 アンは、ソウタの手を強く握った。
「はい、残念ですが、ここまで……」
 ソウタも握り返し、引き寄せようとした。
 
 うおぉおおおおおおお! 
 
 その声に、二人は手を放した。
 ぶううんと黒い塊が飛んできて、アライグドンの頭部を直撃する。
 グワァァァォオ!
 怒ったアライグドンが、固まりを蹴飛ばすと、それは大きな金属音を立て、アンたちの前に転がってきた。紙屑のようにグシャグシャに丸まっているが、それは自動車のようにも見えた。
「これ……」
「車ですね」
「いえ、これってあいつの、タツの……」
「タツってあの?」
 アンが頷く。
 うおぉおおおおおお! 
 三匹のアライグドンの前に、巨大な影が立った。
「またアライグドン?」
「違いますよ、あれ!」
 驚いた顔で、ソウタが指差した。 
 新たな影は、アライグドンとは全く違った姿をしていた。全身が青白く発光し、尻尾のない直立した姿。浮き出た血管はまるで歌舞伎の隈取のように、全身に鮮やかなラインを浮き立たせていた。それが叫びながら、腰を落とし、両手を前に出して構えている。
「巨人、光る巨人……ですね」
「まるで、ウルトラ……」

 うぉおお! 
 グワァアオォ!
 巨人が躍りかかった。三匹のアライグドンも威嚇しながら素早く動き回る。
「タツ……あれ、飲んだのね」
「え?」

 炎をバックに巨人対怪獣の激闘が始まろうとしている。
 
 アンはなぜかふっと笑みを浮かべ、小さな声で『がんばれよー』と呟くと、二本目の煙草に火をつけた。
 
 終
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