第1話

文字数 1,972文字

 学園と駅をつなぐ地下トンネルで、潮見ナギは桜木モモのあとをつけていた。まだ早朝なこともあってかトンネルにはナギとモモの二人しかいない。二人の少女の不揃いな靴音だけが、この通学路で響いていた。

 桜木さんは今日も可愛いわね! 今が話しかけるチャンスかも! いや、でもまだそんなに親しくもないし……。ナギは早足と遅足をくり返しながらモモに近づいていった。すると、ナギは不思議な音が聞こえることに気づいた。なんの音だろう? ナギはその音に聞き覚えがあったが、なんの音だか思い出せない。しばらくして、ナギの目にあるものが映ったとき、その音の正体はすぐに明らかになった。しかし、なぜそんな音が鳴っているのかは、ナギには理解できなかった。
 パチッ、パチッという音とともに泡が浮かんでは消えていく。シャボン玉? いや違う。目の前の光景にナギが戸惑っていると、今度はモモのまわりが激しく泡立ちはじめた。危ない!
「桜木さん!」
そう叫んだ瞬間、ナギの視界は青くぼやけた。からだのまわりは急に重くなり、飛び出た声はゴボゴボと泡になって消えていく。空っぽになったナギの口に冷たい液体が流れこむ。ナギは溺れていた。手足をばたつかせて、ナギは苦しみから逃れようともがく。やがてナギの目の前は暗くなり、ついに何も考えられなくなっていった……。

「……しっか……て、起き……」
声が……聞こえ……る? しだいに声は大きくなった。
「目を覚まして! ナギちゃん!」
桜木……さん? 桜木さん! モモの声でナギは意識を取り戻した。ナギが目を開けると、モモはしゃがんで介抱してくれていた。
「ケガはない! 桜木さん!」
「モモは大丈夫だけどナギちゃんのほうが心配だよ!」
しばらく沈黙したナギだったが、思わず笑ってしまっていた。
「なんで笑ってんのさ!」
「あはは、ごめんなさい。なんだか嬉しくて、つい」
ゆっくりとからだを起こすナギ。
「ほんとに心配したんだからね! ナギちゃん、いきなりモモのうしろで倒れたんだから!」
倒れた? そうだっけ? 自分の記憶とモモの言葉との微妙な食い違いにナギは戸惑った。
「……溺れた。ではなくて?」
ナギはモモのけげんな顔に耐えきれず、うつむいた。どうも状況が飲み込めない。あのとき、確かにナギは溺れていた。少なくともあの感覚はまだしっかりと残っている。ためしにナギは服を触ってみた。
「……かわいてる」
ナギが水中にいたという痕跡はどこにもない。
「本当に大丈夫? 今日はおやすみしたほうがいいんじゃない?」
モモの心配そうな声でナギは我に返った。
「あっ、ごめんなさい! 大丈夫! 全然元気だから!」
モモが不安に感じているのを察したナギはスッと立ち上がった。これ以上迷惑はかけられない。柄にもなくナギは明るく振る舞った。
「うーん。でもすごい音して倒れてたし……救急車とか呼んだほうが……」
桜木さんが本気で心配してる! でも、たしかに病院で検査をしたほうがいいのかも……?
しかし、ナギは大事にしたくはなかった。
「う、受け身をとったから大丈夫だと思うわ! たぶん!」
「ほんとかなぁ?」パチッ。
「ちゅ、中学のとき柔道やってたから!」
「ふーん?」パチッ。パチッ。
あっ、やばい。またあの音だ。
「ん? なにこれ!」
モモの驚き声をナギが聞いた時には、すでに二人は泡に包まれていた。
「息を止めて! 桜木さん!」
とっさにナギが叫んだときには、二人はすでに冷たい水の中に放り込まれていた。

 水中でナギが目を開けると、水面から光が差し込んでいるのが見えた。とにかく水面に向かってナギは泳いだ。光のほうへ、空気を求めて。けれども、いつまでたっても水面には届かない。……ああ、おわった。なぜだか、ナギはそう予感した。でも、なんとかしないと……! 残った息を使って、ナギは最後の賭けにでる。
 あがれ! うかべ! わたしのからだ……! 薄れていく意識の中で、必死に上へと泳ぐ。しかし、泳げば泳ぐほど、視野はどんどん狭くなり、からだに力が入らなくなる。……もう、だめ。
 水面に向かって手を伸ばしたそのとき、誰かにその手を掴まれた。そして、そのまま水中から水面に引き上げられ、やっと酸素を吸うことができた。
 
「大丈夫! ナギちゃん!」
「ゲホッ、ゴホッ! あ、ありがとう桜木さん」
「こちらこそナギちゃんのおかげで助かったよ! ありがとう!」
「お互い無事でよかったわ」
「なにが起きてるのかさっぱりわかんないけどね!」
「とりあえず出口を探しましょうか?」
「だね!」
「それにしても、ここはどこなのかしら?」
「わかんない。でもナギちゃんと一緒ならなんとかなる気がする!」
「……そうね!」

 どこかにつながる、水没した地下トンネルで、ナギはモモと一緒に泳いでいた。二人の少女の話し声と水音だけが、このトンネルの中で響いていた。
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