第2話 座高位置と要辛抱

文字数 3,662文字

「重い、疲れた……」

 まだ一日の始まる前から、ショウタはぐったりと机に伏せていた。ちら、と顔をあげれば、アキは他の女子と楽しそうに話している。どうせ大方昨日見たテレビとか雑誌の話とか、ネットの噂とか、そんな他愛のない内容だろう。

「しかし、今日のはやけに重かった気がする。あれは……」
 スピードアップを図るために余計なパーツが増えたのだろう。アキにとっては早く移動できれば便利なことこの上ないが、それを押すショウタにとっては重荷が増えるだけの話だった。

 しかし、なぜこんなことになったのだろうか? 話は2か月ほど前にさかのぼる。
「新学期早々なんだけど、このクラスに転校生が来ますっ」
 担任の霧野サエ(20代後半・独身)がホームルーム開始早々、嬉しそうに声を上げた。転校生と聞いて、クラスの誰もがざわめきだした。そりゃそうだ、転校生というのは学校生活において、卒業まであるかどうかもわからないレアイベント。男子は美少女を、女子は美少年がドアの向こうで待機している様子を想像し、その姿が見えるまで、胸をときめかせるものである。しかし、実際にはごくごく平均的な学生がおどおどしながら顔を見せるものであり、間違っても魔法少女であったり、宇宙人であったり、現世に召還された異世界の勇者などといううラノベにありがちな転校生が来ることはないし、もちろん全国制覇を目指す番長、という線もない。だがこの時は違った。サエ先生の呼び声から一拍置いて、姿を見せたのは黒髪の美少女だった。女子はほんの少し落胆し、男子は飢えたケダモノのような唸り声をあげたのだった。

「男子ー、吼えない吼えない! それにそのリアクション、ここの女の子たちと、特に私に対して失礼ってもんじゃないの?」
 もちろん、ショウタもその飢えた群れの中にいた。やってきた転校生はおとなしそうに、伏し目がちにサエ先生の隣まで来て、ぺこりと頭を下げた。ただ、ちょっと違ったところは、その転校生が電動車椅子に乗っていたことだけであった。
「一瀬アキさん。もし彼女が困ってるようだったら、その時はみんな助けてあげてね」
 サエ先生の言葉にクラスのみんなが元気よく返事をする、そのナチュラルなリアクションによる統率力の高さは、まるで幼稚園児のようだった。年齢も10歳ぐらいしか違わないサエ先生とショウタのクラスの学生たちは、まるで年の離れた友達のような感覚だった。

「一瀬です。よろしくお願いします」
 小さな声で、アキがもう一度、頭を下げる。
「じゃあ席はここ……そうだ、三上、あんたボランティア部だったでしょ?」
 いきなり名前を呼ばれ、ショウタが驚いたように顔をあげる。
「確かにそうだけど、一応部活に入らなきゃと思って適当に選んだ部だし、2年になってからはろくに活動してないし。そもそも部活自体が廃部寸前の幽霊部だけど」
「幽霊でもゾンビでも何でもいいわよ、一瀬さん、あそこにいる残念なイケメン、何かあったら彼に頼んでね。割となんというか、そのバリアフリーなことに関しては詳しいから。それとも男子じゃダメかしら?」
「いいえ、私は……大丈夫です」
「じゃあ決まり! そういうことで三上、一瀬さんの事よろしくね」
「ふぇーい」
 しまらない返事をしてしまったが、ショウタは内心喜んでいた。あんなかわいい子が何かあれば自分を頼ってきてくれる、かもしれないのだ。実際のところ、ボランティア部とはいっても近所の老人ホームに数回訪問に行っただけだし、サエ先生の言うバリアフリー的なこと、つまりは介護関係の知識はまるでなかった。でも、相手があの一瀬さんなら問題ないと思っていた、その時は。

「あの……校内を案内してもらえますか?」
 さっそくアキがショウタに声をかけてきたのはその日の昼休みだった。周りの男子生徒の羨望の眼差しを一身に受けながら、ショウタは意気揚々と学校を案内した。それからも何かあればアキはショウタに声をかけてきた。そしていつしか、二人は登下校を共にするようになり、その関係はさらに深いものに……ならなかった。

 ある日、アキが昼食のパンを買って来てほしいと言ってきたので、ショウタは喜んで購買まで買いに行った。それが数日続いたときに、ショウタはあることに気付いたのだ。

「ひょっとして、これ、パシリ?」
 そういえば、そのころから、アキは電動車椅子のスイッチをオフにして、ショウタに押してほしいと頼むことが多くなっていった。なんでもバッテリーの節約だそうだが、その頻度が日に日に多くなってくる。最後には登下校時はバス停の送迎まで要求されてきた。
「だって先生はあなたを頼れって言ったからよ、こういうこと好きなんでしょ?」
「好きじゃねえし、俺、車椅子専門じゃねえんだぞ!」
 アキが転校してきた1月後には、お互いの口調も随分と変わっていった。アキは黙っていれば申し分ないのだが、とにかく人使いが荒い。一度だけ、ボイコットしたこともあったが、その時はサエ先生をはじめ、クラスのみんなから猛烈な非難を受ける羽目となってしまった。
「いえ、私が無理を言ってしまったから。三上君、ごめんなさい」
 それに輪をかけるように、アキがしおらしくそんなことを言ってしまったものだから、非難の声はさらに強くなっていった。だがそれもアキの巧妙な演技であることはショウタは見抜いていた。

『あいつ、ネコ被ってやがった……ネコの中身はトラ、それもシベリアトラだよ』
 ショウタはいつしか、アキのペースにまんまと乗せられていたのだ。

「よ、お疲れぃ。毎朝大変だねぇ!」
 パンパンと背中を叩かれ、ショウタが顔を上げると、同級生の筒井ミカが笑顔で立っている。
 ショートカットに眼鏡のミカも、どちらかといえば『かわいい』部類である。そういや、このクラスの女子はどれも平均点高いよな、とショウタはいらぬことを考えていた。
「励ましてくれてどうもありがとな……でも、たまには代わってくれよ」
「そりゃ代わってあげたいし、女子同士の方が何かと融通が効くこともあると思うけど、だってしゃあないじゃん、一瀬さんのご指名なんだから」
「指名っていうか、まあ……いや、違うぞ。サエ先生に押し付けられて、それをあいつがいいように利用してるだけだ」
「そうだったっけ? はた目には一瀬さんに気に入られてるみたいだけど」

 ミカとは中学も一緒で、二年間同じクラスだったから話しやすいのだが、異性としてあまり意識したことはなかった。しかし、アキの要求にこたえる毎日の中では、そんなミカでも、後光が眩しい救いの女神のように見える。
「そんなことはない、あいつは言うこと聞いてくれれば誰でもいいんだよ。ああ、損な役回りだよ」
「でも、休みの日も押してるんでしょ?」
「は? 休みにわざわざ会ったりしないぞ」
「へ? いやいや、そうじゃなくて、ほら、一緒に出掛けたり、電車のったりさ。あれ大変だよね、ホームの上り下りとか。駅員さんにほら、専用の板持ってきてもらったり」
 ショウタが訝しげにミカを見た。
「お前、猛烈に勘違いしてないか? 俺らはその……」
「付き合ってるんじゃないの? え、え、そうなの? ほぼ毎日一緒にいるのに?」
「そ、そう思ってたのかよ?」
 うん、とミカが大きくうなずく。
「そんなんじゃねえよ!」
「何だあ、てっきり二人は……だからさ、その、三上がさ、その、一瀬さんの上にまたがるように……してるんじゃ……ないかな、とかさ……」
「あぁ? 朝っぱらからお前なに言ってるんだよ! バカヤロ、誰があんなドS恐竜戦車と……あ、ちょっと想像しちゃったじゃないかよ!
「じゃなくて、キスの時よ。って言わせんなよそんなこと! もう、このエロ、変態介護士!」
 ミカはさっきよりも強くショウタの背中をバシバシと叩いた。見れば顔が真っ赤だ。中学の時からミカは先走って妄想にふけり、自爆することがよくあった。
「ィテテ、なに一人で盛り上がってんだよ」
「そっか、そうじゃないんだ……ふうん……そっか。あ、そろそろ授業だよ」
「わかりゃあいいんだよ。俺はあくまでもあいつの奴隷みたいなもんだ」
 ミカはくるりと背を向け、自分の席に戻っていく。その時、
「でも……だったら、そんなボランティア活動、イヤならきちんと言って辞めればいいのに」
 ぽつり、とショウタに聞こえるか聞こえないか、ぐらいの声でつぶやく声が聞こえた。
「だな、だよな。別に俺、一瀬の言うこと聞く義務なんてない……でも なあ」
 そして、ショウタも一人、つぶやきで返す。もちろん、ミカの耳には届いていない。

 やめてもいいんだよな、授業中、そんなことをぼんやりショウタは考えていた。授業が耳に入らないどころか、現国の時間なのに数学の教科書を出していたことにも全く気づいてはおらず、あとでサエ先生に大目玉を食らうことになった。
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