天使の嘆き

文字数 2,967文字

「君は天使を信じるかい?」

 少女と見間違うかのような顔立ちに透明な白い肌、そして、さらりとした淡い栗色の髪の”天野 玲 《あまの れい》”は、不意に隣の席の僕にそんな問いかけをした。
「天使?」
一瞬何を聞かれたのか分からなかったので、きっと少し間抜けな顔をしていただろう。
「そう……天使だよ」
玲は深く濃い黒い瞳で僕を見つめ、再度”天使”と口にした。
「天使……そりゃ、想像上の存在としては知っているけど……」
僕は左手を顎先に沿えて答える。

 教室には自分と玲の二人しか居ないとは言え、急に何を真剣な表情で問うのか少し困惑した。
玲は少し前に転校して来たばかりでまだ期間は短いが、隣の席ということもあり、学校のことやこの町” 御影町(みかげ)”のことを教えたりと、会話をしたり、一緒の時間を過ごす中で、玲があまり冗談を言う性格ではないことは分かっている。

「天使はね、本当に居るんだよ」
玲はなおも続ける。
「今夜、見に来ないかい?」
その問いにハッとした瞬間、教室の窓から吹き込んだ風が薄黄色のカーテンを揺らした。

 その日はもう、どうやって学校から帰って来たかあまり覚えていない。
恐らく玲の言葉に、怖い物見たさのような好奇心と同時に恐怖心をくすぐられ、心が大きく揺さぶられたからだと思う。

――夜22時頃に来て――と、玲との約束が頭にこびりついて離れず過ごしていたので、晩御飯を食べてるときに両親にそれを悟られないように振る舞うのが大変だった。
食事もそこそこにお風呂に入り、いつも通り自室に戻った僕は、ベッドで仰向けになり、天井を眺めながら枕元の目覚まし時計が刻む音と共に、その時が来るのを静かに待った。

――夜22時――
 約束の時間になったので、ベッドから出てそっと部屋のドアを開ける。
そのまま廊下の右奥にある両親の部屋の様子を伺うが、話し声なども聞こえなかった。
意を決して、自分の部屋の前にある1階に降りる階段を1歩1歩、足音を立てないように降りていく。階段の途中から玄関に繋がる、廊下横のリビングでは電気が点いていないことを確認し、玄関からそっと家を出た。

 初夏になろうかというのに、夜はまだひんやりとした風が肌を撫でていく。その風が自転車を漕いで熱くなった身体に丁度気持ち良い。
自宅から町はずれの森に囲まれた玲の家までの20分間を、僕は罪悪感や恐怖心、それらと同じくらい大きくなった好奇心と共に、夢中で自転車を漕いだ。

――天野宅――
 町はずれの大きく深い森に囲まれた道路を走っていくと、開けた場所に1件の洋館が建っていた。2階建ての洋館の白い木壁はところどころツタで覆われていて、洋館の横にあるガレージは、扉が開いたまま朽ちた自動車が置いてあった。本当に人が住んでいるのか疑問に思いつつ、僕は玄関の扉の前に行き自転車を降りた。
チカッチカッと玄関の柱の電灯が瞬いていて、小さな羽虫がその周りを飛んでるのを見た僕は、ゴクッと喉を鳴らしながらドアノッカーで扉を叩いた。
乾いた音が周囲に響く。

 2回ほど鳴らしたところで扉が開き、玲が迎えてくれた。

「やぁ、時間通りだね。いらっしゃい。どうぞ入って」
促さるままに入る。
「おじゃまします」
怯えているのが伝わったのか、玲はクスっと微笑んだ。
和ましてくれようとしたのか、この館は代々天野家が所有しており、一度は玲の父親が若い頃に家を出て離れたが、仕事の関係で少し前に戻ってきたこと。幼少期にここで過ごしたこと、転勤先でのことなどを教えてくれた。

「さぁ、天使は地下に居るんだ。行こう」
玲と僕は屋敷の奥に進み、広い屋敷を歩き回り、ある廊下の突き当りの扉の前まで来た。
その扉を玲が鍵を使って開けると、その向こうにはどこまでも続きそうなくらい長く、暗い階段が現れる。
玲が壁のスイッチを操作し、階段の両壁の電灯がか細い灯りをともした。
そのまま玲に続いて階段を下りていく。

「……ここだよ」
階段を降り切ったところにある扉を、玲がゆっくりと開ける。
埃を舞わせながらギギギと鳴る扉を開けると、そこは薄暗い地下室になっていた。
玲が壁に掛けてあるランタンに火を灯しながら進んでいく。
ランタンに照らされた地下室の奥、そこには薄緑色の光を放つ、大きなガラスの容器のような物があった。

そして、その中に1人の天使が居た……

いや天使だったというべきか、その天使は既に生きてはいないのだから……

ガラスの容器の中を満たす液体の中に、少女の姿をした天使が入っている。
その表情は悲しげに泣きそうな顔をしていて、何かを言おうとしているかのように小さな口が開かれていた。
「こ……これって……」
震える声で僕は玲に尋ねる。
「……そう。これが天使だよ。綺麗だろ?」
玲はうっとりとした表情で天使の入ったガラス容器を撫でた。
「れ、玲……こ、この天使は、どうしてこんな姿……になっているの?」
恐怖と戸惑いの余り声が震えながら尋ねる。
「……どうしてって、この天使をずっと美しいこの姿のままで見ていたいからに決まっているじゃないか……」
玲はたまらなく愛しいものを見るような瞳で、天使を見つめながら答えた。

(何を……言っているの?)
玲から離れようと一歩後ろに後ずさると、足に何かが当たる感触があった。
恐る恐る足元を振り向くと、そこには身体の半分が白骨化した男性と女性の遺体があった。
「ーーーーっ」
玲が僕が戻してしまった音と息遣いに気づいた。
「……あぁ、それは父さんと母さんだよ。この子を逃がそうとするから、お仕置きをしたんだ」
「はぁはぁ、お仕置き?何を言って……」
この時に見た玲の顔は二度と忘れることはできない……
「僕とこの子の邪魔をするなら、お仕置きするのは当然じゃないか……うん?その目……まさか、君も僕の邪魔をするのかい?」
玲はゆっくりと、ガラスの容器からこちらへ近寄ってくる。
「うぁ、く、来るなぁぁぁぁ」
自然と声を発すると同時に、僕は右手で周りに落ちている物を片っ端から玲に投げつけた。
その内の一つが玲の持っているランタンに当たり、衝撃で玲はランタンを落とした。地面に落ちたランタンの火はすぐに玲の衣服に燃え移る。
「わぁ、ああ、ああああああ熱い、熱い、火があああぁぁぁぁ……」
玲のその姿を見て僕は夢中で地下室の出口に走った。

館を飛び出し、必死に自転車を漕いでいるのに、耳にはまだ玲の絶叫がこびり付いていた……

 翌日、ほとんど寝れなかったまま僕はリビングに降りた。
リビングのドアを開け入ると同時に、テレビから玲の館が火事で全焼したとのニュースが流れてきた。
ニュースでは玲と両親の3人が遺体として見つかったこと、その遺体に他殺のような傷があったことが報道されていた。
「あのお宅、人が住んでいたのね」
「そうみたいだな」
両親の会話の流れから自分に話題が振られるのが怖くなって、僕は食事もそこそこに家を飛び出した。

 息を切らしながらどこへともなく自転車を漕ぎ、大きな交差点で信号待ちで停車する。
すると、交差点の向こうに玲と天使の少女が立っている姿が目に飛び込んできた。
「ーーーーーっ」
思わず小さな悲鳴を上げる。
( そ、そんな、だって、玲は……彼女は……)
目の前を大きなトラックが通り過ぎた後、玲と天使の姿が先ほどの場所から消えていた……
その景色を最後に、僕の意識はすうっと薄れていった……

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