死ぬほど美味いラーメン
文字数 1,998文字
俺はラーメン愛好家だ。嘘だと思うなら腹を見ろ。小学生の甥っ子に「ヒロおじちゃん、ここに赤ちゃん二人いるの?」なんて言われて、小さな手で優しく撫でられた腹だ。美味いラーメンがあるのなら、まず俺の舌と腹で確かめねばならない。そういうわけで、俺は廃トンネルの前にいる。
「しっかしこれは……」
入口周辺には蔦が這い、足元のコンクリートはひび割れていた。そもそも、料理を出すのに適した場所とは到底思えない。
もう一度、スマホでレビューサイトを見た。平均評価は驚きの星五。感想欄には「死ぬほど美味いラーメン」とまで書いてある。だが、顔を上げた先にあるのは、この古ぼけたトンネルだけ。
そしていっとう不気味なのが、ありえないほどの暗さである。いっそ黒さと言い換えてもいい。照明がないにしても、入口から三メートルくらいは外の光が差し込むはずだ。なのに、内側のほんの一部ですらも視認できない。確かに今は日が高いが、それにしたって何かおかしい。
最近、心なしか通気性が良くなってきた頭頂部を、湿った風が撫でていく。俺は深呼吸をし、人差し指を暗闇の中に突っ込んだ。
指を抜く。当然だが、痛くも痒くもない。シャツの胸元を掴み、バッサバッサと動かして変な汗を乾かす。今度は腕を丸ごと突っ込んでみる。ふと視線をずらすと、蔦の上を歩く蟻が滑り落ちていった。
やはり、こんなところでラーメンは食えない。そう思って、腕を抜こうとしたその時だった。
暗闇の向こうで、誰かが俺の手首を握った。
「ひいぃっ」
喉が引き攣って上手く声が出ない。俺の手首を掴む手は、俺以上に大きく、ゴツゴツしていて力も強い。その上、いくつものたこがあり、剥けて硬くなった皮がチリリと擦れた。さらに、もう一つの手が俺の太い腕を鷲掴みにする。地面が抜けたような感覚に襲われ、ヘソの下が冷たくなった。踏ん張る間もなく引きずり込まれ、俺は気を失った。
「お客さん、あの、お客さん。ご注文は」
誰かに体を揺すられている。目を開くと、高校生くらいの少年が注文を待っていた。周りを見渡す。トンネルには違いないが、多くの蝋燭 や行燈 が置かれている。どういうわけか、俺はそんな場所のテーブル席で眠っていたようだった。
いや、戸惑っていても仕方がない。腹の虫と、辺りに漂う旨みの染み出した香りの方が、今の俺には重要だった。レビューサイトの画面を出し、その少年に見せる。
「キミ、ここはこのラーメン屋か」
「はい。オススメは豚骨醤油ラーメンです」
「じゃあそれを」
彼は慣れた手つきで注文を取り、キッチンカーの方へと向かった。あの中に大将がいるようだ。
やっと肩の力が抜けて、お冷 をあおった。客は俺だけだったが、冷房でもついているような塩梅で居心地も悪くない。ほどなくして、少年が注文の品を持ってきた。
「ごゆっくり」
「どうも」
惜しみなく注がれたスープに、太めの麺。肉厚の焼豚が二枚、大きめの焼き海苔、半熟の煮卵などなど。この物価高に、なかなかの大盤振る舞いだ。箸に麺を取り、絡むスープごと豪快に啜り上げた。
「……うん、うんっ」
次は煮卵を割って口に入れ、黄身がほろほろ崩れる中に麺を啜り込む。いや、美味い。これはいい。メンマの歯応えを楽しみ、焼き海苔ごと麺を取ってはまた啜る。柔らかい焼豚に思いっきりかぶりつくと、じゅわりとした肉の味わいが口いっぱいに広がった。
「宏和 さん。お冷のおかわり、サービスのお漬け物です」
「おぉ」
なんてこった、こんな名店があったとは。漬け物で舌をさっぱりさせ、残りの麺を啜る。場所は少々、いやかなり変わっているが、ラーメンには王道の風格があり、接客も申し分ない。今度は大盛りを頼もう、と心に決めて箸を置いた。
少年を呼び、さて会計、とポケットに手を伸ばす。
「あ、お金は要りませんよ」
「は?」
腹が満ちたことで、置き去りにした疑問が戻ってくる。どうして名前を知っているのか。誰が俺を引き込んだのか。どちらに進めば出口があるのか。
「ここのラーメンは、地獄から取った炎で鬼が作っているものです。それを食べた貴方は、言わば仮死状態。右に抜けて地獄巡りをしてください。それがお代です」
曰く、最近は罪人が増えすぎて、新たな取り組みの必要性が叫ばれているのだとか。これは試みの一つで、訪れた人間を鬼が引き込み、地獄を見学させているらしい。そして、帰った後は地獄での様子を世間に広めてくれと。
空いた口が塞がらなかった。
「ここまで来る人は、大抵ブログかSNSをやってるし、筆も立つので助かります。あ、でも店と地獄巡りのことは分けて書いてくださいね」
ちなみに撮影禁止ですよ、という少年の声に背中を蹴られつつ、ふらふらと右に向かった。分けて書けとは言われたが、許される範囲で伝えなければ。レビューサイトを開き、震える指で文字列を打つ。
評価、星五。
死ぬほど美味いラーメン。
「しっかしこれは……」
入口周辺には蔦が這い、足元のコンクリートはひび割れていた。そもそも、料理を出すのに適した場所とは到底思えない。
もう一度、スマホでレビューサイトを見た。平均評価は驚きの星五。感想欄には「死ぬほど美味いラーメン」とまで書いてある。だが、顔を上げた先にあるのは、この古ぼけたトンネルだけ。
そしていっとう不気味なのが、ありえないほどの暗さである。いっそ黒さと言い換えてもいい。照明がないにしても、入口から三メートルくらいは外の光が差し込むはずだ。なのに、内側のほんの一部ですらも視認できない。確かに今は日が高いが、それにしたって何かおかしい。
最近、心なしか通気性が良くなってきた頭頂部を、湿った風が撫でていく。俺は深呼吸をし、人差し指を暗闇の中に突っ込んだ。
指を抜く。当然だが、痛くも痒くもない。シャツの胸元を掴み、バッサバッサと動かして変な汗を乾かす。今度は腕を丸ごと突っ込んでみる。ふと視線をずらすと、蔦の上を歩く蟻が滑り落ちていった。
やはり、こんなところでラーメンは食えない。そう思って、腕を抜こうとしたその時だった。
暗闇の向こうで、誰かが俺の手首を握った。
「ひいぃっ」
喉が引き攣って上手く声が出ない。俺の手首を掴む手は、俺以上に大きく、ゴツゴツしていて力も強い。その上、いくつものたこがあり、剥けて硬くなった皮がチリリと擦れた。さらに、もう一つの手が俺の太い腕を鷲掴みにする。地面が抜けたような感覚に襲われ、ヘソの下が冷たくなった。踏ん張る間もなく引きずり込まれ、俺は気を失った。
「お客さん、あの、お客さん。ご注文は」
誰かに体を揺すられている。目を開くと、高校生くらいの少年が注文を待っていた。周りを見渡す。トンネルには違いないが、多くの
いや、戸惑っていても仕方がない。腹の虫と、辺りに漂う旨みの染み出した香りの方が、今の俺には重要だった。レビューサイトの画面を出し、その少年に見せる。
「キミ、ここはこのラーメン屋か」
「はい。オススメは豚骨醤油ラーメンです」
「じゃあそれを」
彼は慣れた手つきで注文を取り、キッチンカーの方へと向かった。あの中に大将がいるようだ。
やっと肩の力が抜けて、お
「ごゆっくり」
「どうも」
惜しみなく注がれたスープに、太めの麺。肉厚の焼豚が二枚、大きめの焼き海苔、半熟の煮卵などなど。この物価高に、なかなかの大盤振る舞いだ。箸に麺を取り、絡むスープごと豪快に啜り上げた。
「……うん、うんっ」
次は煮卵を割って口に入れ、黄身がほろほろ崩れる中に麺を啜り込む。いや、美味い。これはいい。メンマの歯応えを楽しみ、焼き海苔ごと麺を取ってはまた啜る。柔らかい焼豚に思いっきりかぶりつくと、じゅわりとした肉の味わいが口いっぱいに広がった。
「
「おぉ」
なんてこった、こんな名店があったとは。漬け物で舌をさっぱりさせ、残りの麺を啜る。場所は少々、いやかなり変わっているが、ラーメンには王道の風格があり、接客も申し分ない。今度は大盛りを頼もう、と心に決めて箸を置いた。
少年を呼び、さて会計、とポケットに手を伸ばす。
「あ、お金は要りませんよ」
「は?」
腹が満ちたことで、置き去りにした疑問が戻ってくる。どうして名前を知っているのか。誰が俺を引き込んだのか。どちらに進めば出口があるのか。
「ここのラーメンは、地獄から取った炎で鬼が作っているものです。それを食べた貴方は、言わば仮死状態。右に抜けて地獄巡りをしてください。それがお代です」
曰く、最近は罪人が増えすぎて、新たな取り組みの必要性が叫ばれているのだとか。これは試みの一つで、訪れた人間を鬼が引き込み、地獄を見学させているらしい。そして、帰った後は地獄での様子を世間に広めてくれと。
空いた口が塞がらなかった。
「ここまで来る人は、大抵ブログかSNSをやってるし、筆も立つので助かります。あ、でも店と地獄巡りのことは分けて書いてくださいね」
ちなみに撮影禁止ですよ、という少年の声に背中を蹴られつつ、ふらふらと右に向かった。分けて書けとは言われたが、許される範囲で伝えなければ。レビューサイトを開き、震える指で文字列を打つ。
評価、星五。
死ぬほど美味いラーメン。