第2話 契約成立

文字数 2,173文字

 少年の顔が驚きに染まった。だがすぐに表情を消すと少年は俺につかみかかろうとした。俺はそれをかわし少年の背中を背負い籠ごと蹴り飛ばした。少年は藪の中へ派手に倒れ、背負い籠の一部が裂けて中身がのぞいた。
 毒々しい橙色のキノコだ。それは太く棒状で、藪にぶちまけられた他のキノコと違い、油でも塗ったかのような光沢がある。長さは30センチ程で、それがいくつか少年の背中から突き出している。思った通りヒトタケだ。
 ヒトタケは胞子を吸い込んだ人間の肺に寄生する菌類で、やがては宿主の意識も乗っ取り、成熟すると背中から子実体を伸ばして繁殖する。失踪者の多い地域にはヒトタケのが潜んでいることがある。依頼主から北の山は人食い山だと聞かされた時からこんなことだろうとは思っていた。
 少年はふらりと立ち上がった。少年の大きな茶色の目はガラス玉でもはめ込んだように感情がなかった。
「落ち着け。まずは話を――」
 俺の言葉を無視して少年は無言で殴りかかってきた。少年はヒトタケに養分を吸われ、枯れ枝のようになった手足で、俺に素早く拳と蹴りを繰り出してくる。手足が短い分リーチはないが、攻撃をいなした時、俺の手に伝わってくる力は強い。傾斜があり藪に覆われた足場にもかかわらず、子供の体でよくここまで動けるものだ。
 しかし商談のことも考えれば、これ以上遊んではいられない。
 俺は殴りかかる少年の拳をつかんで外にひねり、体重をかけた。少年は無理に逃れようとするが人体の構造上できない。そのまま少年をうつ伏せに倒し、腕をひねり上げ、俺は籠の上に跨がった。なおも少年は暴れ、手に間接や骨の軋みが伝わってくるようだった。
「暴れるな。余計な傷が付いたらどうする」
 俺が言うと少年は横目でぎょろりと俺を見上げた。
「忌々しい人間め。お前もこの子供のように苗床になりたいか」
 地を這うような声はすでに少年のものではなかった。
「できもしないことを脅しに使うな。お前はまだ熟しきっていないだろう。橙の色がまだ薄い」
 俺の指摘に少年は歪んだ嘲笑を浮かべた。
「子が産めぬ訳ではない」
「止めろ。未熟な胞子の発芽率は低いんだ。勿体ない」
 少年の顔に困惑の色が過った。やっと話を聞かせる余地が生まれた。
「俺はお前の子に用がある。がわはついでの依頼だ、傷物にされても困るがな」
「我が子を得てなんとする」
 少年は警戒心も露に言った。無理もない。だがこれも想定内だ。
「繁殖させたい奴に売る。暗殺、栽培、怪しい儀式――使う場面は客によるが、結果は同じだ」
「戯れ言を。同族を苗床として売るも同然ぞ」
「それは俺の領分じゃない。俺は商人。商品を客に仲介するのが仕事だ。それに、お前が考えるより人間は一枚岩じゃない。人間は同族に死んでもらいたい時もある」
 少年は訝しげな眼差しを俺に向ける。だが暴れることは止め、俺の真意を探るようでもあった。
「お前にとっても悪くない話のはずだ。この山に同胞は何株いる? どうせ10株もいないだろう。そのがわの親も北山では今もたまに人が消えると言っていた」
 俺の問いに少年は答えない。俺は話を続けた。
「よくある話だ。人食い山だの沼だのと伝説が根付き、人が滅多に近寄らなくなる。時々そのがわみたいな間抜けがいるが、安定して子を遺せる程の数はない。そうしてお前たちは、伝説だけ遺して滅んでいく」
「我らを侮辱するか、人間」
 少年は凄んだ。おおよそその見た目で放てる威圧感ではない。俺は空いた手を振ってみせる。
「怒るな。あくまで全体の傾向だ。大事なのは、北の山にお前とお前の子の未来はないという点だ」
 俺は少年の腕を放し、上から退いた。もう拘束はいらないだろう。少年は体を起こし立て膝になった。
「俺に子を預けろ。山の外じゃ、お前の仲間たちが新しい道に踏み出しつつある」
「どのような道だ」
「一番需要が高いのは軍事だな。実際20年前、南北の小国同士の戦争で、南側がお前たちの胞子を風船で飛ばして撒いた。5年も経たずにお前たちの仲間は北の国を我が物にした」
「詳しいな」
「そこで育ったからな」
 少年は俺の言葉に片眉を上げた。
「世界を故郷の二の舞にする腹積もりか」
「身近な例として挙げただけだ。他意はない」
「故郷を滅ぼされれば悔しかろう」
「悔しくはある。折角の一大産地を南の連中に独占されているからな」
 少年は数秒間を置き、笑った。陰に籠った風でない、腹からの笑いだった。
「よくもまあするすると動く口だ。人でなしは皆そうなのか」
「口先も仕事道具でな」
「だろうとも。子を預けてお前は死ね! それが悪くない話とは! この子どもの親も、とんだ相手の手を買ったものよ」
 笑う少年に俺は眉根を寄せる。
「胞子を出せば遠くない内に枯れるだろう。枯れるまで待つのはがわの劣化の関係上譲れない」
「そうであろう。さしもの親も子が干物では分かるまい」
 少年はくつくつと肩を震わせ、楽しそうに俺を見上げる。
「いいだろう。我は子さえ遺ればそれでいい。先の短い一生が一瞬になるだけのこと。後のことはお前の好きにせよ」
 そう言って少年はふっと笑みを消した。
「しかし忘れるな。子を預けるのは子を残すため。必ず売り切り、子らに生きる道を与えよ」
 俺は「当然だ」と少年に手を伸ばした。
「売れなければ俺も死ぬ」
 少年は俺の手を取って立ち上がった。
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