第1話
文字数 3,436文字
もう頭にきた。とことん頭にきた!
いままでガキのすることだと思って大目に見てきたけれども、今度ばかりは我慢の限界である。俺の怒りをわかってもらうためには、まずは俺が直面している許されざる現状を理解してもらわねばならない。それは図1の通りである。
図1 満員電車の封鎖艦隊
席席席席席席席入口席席席席席席席
席席席席席席席人人席席席席席席席
人人人人人人人人俺奴 人人人
人人人人人人人人人人人人人人人人
席席席席席席席人人席席席席席席席
席席席席席席席入口席席席席席席席
座席は進行方向に二列並んだタイプの電車であり、そのあいだに背中合わせでぎりぎり人が二人ずつ入れると思ってもらいたい。この手の電車の場合、地獄のすし詰め状態を回避するためにはとにかく奥へ奥へと詰めてもらわねばならない。
ところがまるでメトロノームみたいに毎朝毎朝、座席の入り口付近をかたくなに死守し(あろうことか気取ったポーズで席に寄りかかってさえいる)、どれだけ混雑していても奥へ詰めないカントン包茎みたいな頭をした大学生がいる。
野郎はなにか学生のあいだで流行っている北顔とかいう角ばった「街ゆきの」ザックを背負い(そもそも街ゆきのザックとはなんだ? 俺にとっちゃザックとは登山用途しか考えられないわけだが)、男のくせに耳に安ピカの輪っかをぶら下げ(あれを勢いよく引きちぎったらさぞ快感だろう)、あげくに髪の色は気ちがいじみた菫色ときている(予言してやろう、野郎は三十代で禿げる)。
この阿呆が通路の入り口を封鎖艦隊よろしく毎朝ご苦労さまにもふさぐものだから、図1で示した通りデッドスペースができてしまっているのだ。満員電車での余剰スペースは東京の一等地以上の価値がある。ほんの数マイクロメートルでもとなりの乗客がずれてくれただけで、驚くほど快適性が向上するという経験は誰しもあるだろう。
図1ではこのガキのせいで三人ぶんのスペースが犠牲になっている。これは軍法会議並みの略式裁判で即縛り首にされても文句の言えない重罪である。
このような犯罪を俺は今日まで黙認してきた。これは俺が口ばっかりの臆病者であることを必ずしも意味しない。登山で気ちがいみたいに鍛えている俺にとって、栄養失調の境界領域にいるような大学生なんぞはなんの問題にもならない。戦闘になれば百パーセント勝てるだろう。とはいえ一人前の社会人というのはそうやたらにけんか騒ぎを起こしたりしないものだ。
ただしあまりにも道義に悖る相手がいる場合はべつだ。やつはいよいよ俺の忍耐を試すことに決めたらしい。なんと今日はあろうことかこの俺に尻を向け、例の街ゆきザックとやらの鋭く尖った角を電車の揺れに合わせてぼこぼこ当ててくるのである。
もはや故意かそうでないかは関係ない。いまこそ膺懲の鉄槌を阿呆ガキに振り下ろすときなのだ!
とはいえやみくもにバカガキを懲らしめるのでは分別のある大人とは言いがたい。ここはゲーム理論を使って分析してみるべきだ。まずはゲームの内容をまとめておこう。
◎満員電車のジレンマ
ゲーム背景 奥へ詰めないことで電車内に死荷重を作っている阿呆ガキにわからせてやるため、俺は野郎を腕力で懲らしめるべきか、それともいつも通り耐え忍ぶべきか。
プレイヤー人数 2人(俺、阿呆ガキ)
ゲーム戦略 俺(ぶん殴る、耐え忍ぶ)、大学生(ぶん殴る、耐え忍ぶ)
利得 利得は下記のような行列で表される。俺の戦略は行(横)で、ガキの戦略は列(縦)で表現される。
図2 利得行列
ヒョロガキ ぶん殴る 耐え忍ぶ
俺さま ぶん殴る -5, -5 5, -10
耐え忍ぶ -10, 5 1, 1
利得行列の読みかたはいいな。小学校で習っているはずだとは思うが念のため説明する。大前提として、①利得は数値が大きければ大きいほどいい、②選択肢は二人同時に選ぶものとする、③敵はもっとも高い利得を得ようとする合理的ゲームプレイヤー。
一例を示そう。俺がいままさにそうであるように忍耐の限界に達して野郎に踊りかかった場合、ぶん殴るを選択することになる。するとやつの選択肢は、
ヒョロガキ ぶん殴る 耐え忍ぶ
俺さま ぶん殴る -5,
耐え忍ぶ -10, 5 1, 1
イタリック体で示したどちらかとなる。合理的プレイヤーなら当然-10より-5のほうがましだと判断するので、ガキは応戦してくるだろう。この場合狭苦しい電車内で血みどろの決闘が始まり、双方ダメージを受けて-5の利得を得る。まあ痛み分けというところだろう(実際は俺の目にも止まらぬ右ストレートが炸裂してガキの鼻っ柱をへし折るわけだが、ここでは百歩譲っておのおの互角の力量を持つものとする)。
次に(まったくありそうもないことだが)俺が日和見をして、やつの蛮行を見逃したとしよう。その場合ガキの選択肢は、
ヒョロガキ ぶん殴る 耐え忍ぶ
俺さま ぶん殴る -5, -5 5, -10
耐え忍ぶ -10,
となる。俺が亀みたいに身をすくめているのなら、やつはそれをいいことに俺をメタメタにしたほうが高得点になる。1点より5点を選んだほうがいいに決まっているからだ。
以上のことからやつの支配戦略は、
ヒョロガキ ぶん殴る 耐え忍ぶ
俺さま ぶん殴る -5,
耐え忍ぶ -10,
になるわけだ。これは要するに、俺がどっちを選ぼうともガキが殴りかかってくるという意味だ。ゲーム理論ではこのように、まず相手の出かたを合理的に計算するのが肝要である。それがわかればあとはこちらの最適戦略を組み立てられる。すなわち、
ヒョロガキ ぶん殴る 耐え忍ぶ
俺さま ぶん殴る
耐え忍ぶ -10, 5 1, 1
ガキが必ず襲いかかってくるのなら、俺はチキンよろしく耐え忍んでいてはいけない。-10の最低点をたたき出してしまうからだ。いっぽうガキがビビって攻撃してこないなら、こっちも遠慮して寛容に見逃すなんて手はない。それではたったの1点しか得られないからだ。以上のことから導き出される結論は、
である。それが双方の支配戦略である以上(=ナッシュ均衡)、もはや戦いは避けられない。さあぶちのめすぞ。俺は可能な限り眉間にしわを寄せ、目を開きっぱなしにして血走らせ、奥歯も折れよとばかりに歯ぎしりしながら大学生の肩に手を置こうとした。
いや待て、ちょっと待て!
なにか大切なことを見逃していないだろうか。このまま戦闘に突入した場合、俺たちはともに-5点というちんけな点数を稼ぎ出して終わる。もう一度よく図2を見てほしい――と言ってもどうせスクロールするのを面倒くさがるだろうから、再掲しよう。
図2 利得行列
ヒョロガキ ぶん殴る 耐え忍ぶ
俺さま ぶん殴る -5, -5 5, -10
耐え忍ぶ -10, 5
さあこれだ。右下のセルを見れば即座にわかる通り、二人ともお互いの存在に我慢すれば利得1を得られるのである。俺たちは合理的プレイヤーであるがために、-10点という屈辱的なスコアだけは容認できない。けれどもここで合理性を放棄し、相手がおとなしくしている可能性に賭ければ6点も改善されるのである。それももめごとはいっさいなしにだ。
ゲーム理論は確かに有効な分析ツールではある。だがときには合理性を脇へ置いておき、人情というファジーな要素を考慮してもいいのではなかろうか。
俺は眉間によせていたしわを戻し、歯ぎしりをやめ、鬼の形相から一変、菩薩のような笑顔になった。ガキの肩に優しく手を置き、「すまん、もうちょっと奥へ詰めてくれないかな」
「ああ?」手を振り払われた。「うぜえんだよ、ばーか」
なるほど。どうやらゲーム理論が正しかったようだ。
俺は拳を握りしめた。
いままでガキのすることだと思って大目に見てきたけれども、今度ばかりは我慢の限界である。俺の怒りをわかってもらうためには、まずは俺が直面している許されざる現状を理解してもらわねばならない。それは図1の通りである。
図1 満員電車の封鎖艦隊
席席席席席席席入口席席席席席席席
席席席席席席席人人席席席席席席席
人人人人人人人人俺奴 人人人
人人人人人人人人人人人人人人人人
席席席席席席席人人席席席席席席席
席席席席席席席入口席席席席席席席
座席は進行方向に二列並んだタイプの電車であり、そのあいだに背中合わせでぎりぎり人が二人ずつ入れると思ってもらいたい。この手の電車の場合、地獄のすし詰め状態を回避するためにはとにかく奥へ奥へと詰めてもらわねばならない。
ところがまるでメトロノームみたいに毎朝毎朝、座席の入り口付近をかたくなに死守し(あろうことか気取ったポーズで席に寄りかかってさえいる)、どれだけ混雑していても奥へ詰めないカントン包茎みたいな頭をした大学生がいる。
野郎はなにか学生のあいだで流行っている北顔とかいう角ばった「街ゆきの」ザックを背負い(そもそも街ゆきのザックとはなんだ? 俺にとっちゃザックとは登山用途しか考えられないわけだが)、男のくせに耳に安ピカの輪っかをぶら下げ(あれを勢いよく引きちぎったらさぞ快感だろう)、あげくに髪の色は気ちがいじみた菫色ときている(予言してやろう、野郎は三十代で禿げる)。
この阿呆が通路の入り口を封鎖艦隊よろしく毎朝ご苦労さまにもふさぐものだから、図1で示した通りデッドスペースができてしまっているのだ。満員電車での余剰スペースは東京の一等地以上の価値がある。ほんの数マイクロメートルでもとなりの乗客がずれてくれただけで、驚くほど快適性が向上するという経験は誰しもあるだろう。
図1ではこのガキのせいで三人ぶんのスペースが犠牲になっている。これは軍法会議並みの略式裁判で即縛り首にされても文句の言えない重罪である。
このような犯罪を俺は今日まで黙認してきた。これは俺が口ばっかりの臆病者であることを必ずしも意味しない。登山で気ちがいみたいに鍛えている俺にとって、栄養失調の境界領域にいるような大学生なんぞはなんの問題にもならない。戦闘になれば百パーセント勝てるだろう。とはいえ一人前の社会人というのはそうやたらにけんか騒ぎを起こしたりしないものだ。
ただしあまりにも道義に悖る相手がいる場合はべつだ。やつはいよいよ俺の忍耐を試すことに決めたらしい。なんと今日はあろうことかこの俺に尻を向け、例の街ゆきザックとやらの鋭く尖った角を電車の揺れに合わせてぼこぼこ当ててくるのである。
もはや故意かそうでないかは関係ない。いまこそ膺懲の鉄槌を阿呆ガキに振り下ろすときなのだ!
とはいえやみくもにバカガキを懲らしめるのでは分別のある大人とは言いがたい。ここはゲーム理論を使って分析してみるべきだ。まずはゲームの内容をまとめておこう。
◎満員電車のジレンマ
ゲーム背景 奥へ詰めないことで電車内に死荷重を作っている阿呆ガキにわからせてやるため、俺は野郎を腕力で懲らしめるべきか、それともいつも通り耐え忍ぶべきか。
プレイヤー人数 2人(俺、阿呆ガキ)
ゲーム戦略 俺(ぶん殴る、耐え忍ぶ)、大学生(ぶん殴る、耐え忍ぶ)
利得 利得は下記のような行列で表される。俺の戦略は行(横)で、ガキの戦略は列(縦)で表現される。
図2 利得行列
ヒョロガキ ぶん殴る 耐え忍ぶ
俺さま ぶん殴る -5, -5 5, -10
耐え忍ぶ -10, 5 1, 1
利得行列の読みかたはいいな。小学校で習っているはずだとは思うが念のため説明する。大前提として、①利得は数値が大きければ大きいほどいい、②選択肢は二人同時に選ぶものとする、③敵はもっとも高い利得を得ようとする合理的ゲームプレイヤー。
一例を示そう。俺がいままさにそうであるように忍耐の限界に達して野郎に踊りかかった場合、ぶん殴るを選択することになる。するとやつの選択肢は、
ヒョロガキ ぶん殴る 耐え忍ぶ
俺さま ぶん殴る -5,
-5
5,-10
耐え忍ぶ -10, 5 1, 1
イタリック体で示したどちらかとなる。合理的プレイヤーなら当然-10より-5のほうがましだと判断するので、ガキは応戦してくるだろう。この場合狭苦しい電車内で血みどろの決闘が始まり、双方ダメージを受けて-5の利得を得る。まあ痛み分けというところだろう(実際は俺の目にも止まらぬ右ストレートが炸裂してガキの鼻っ柱をへし折るわけだが、ここでは百歩譲っておのおの互角の力量を持つものとする)。
次に(まったくありそうもないことだが)俺が日和見をして、やつの蛮行を見逃したとしよう。その場合ガキの選択肢は、
ヒョロガキ ぶん殴る 耐え忍ぶ
俺さま ぶん殴る -5, -5 5, -10
耐え忍ぶ -10,
5
1,1
となる。俺が亀みたいに身をすくめているのなら、やつはそれをいいことに俺をメタメタにしたほうが高得点になる。1点より5点を選んだほうがいいに決まっているからだ。
以上のことからやつの支配戦略は、
ヒョロガキ ぶん殴る 耐え忍ぶ
俺さま ぶん殴る -5,
-5
5, -10耐え忍ぶ -10,
5
1, 1になるわけだ。これは要するに、俺がどっちを選ぼうともガキが殴りかかってくるという意味だ。ゲーム理論ではこのように、まず相手の出かたを合理的に計算するのが肝要である。それがわかればあとはこちらの最適戦略を組み立てられる。すなわち、
ヒョロガキ ぶん殴る 耐え忍ぶ
俺さま ぶん殴る
-5
, -55
, -10耐え忍ぶ -10, 5 1, 1
ガキが必ず襲いかかってくるのなら、俺はチキンよろしく耐え忍んでいてはいけない。-10の最低点をたたき出してしまうからだ。いっぽうガキがビビって攻撃してこないなら、こっちも遠慮して寛容に見逃すなんて手はない。それではたったの1点しか得られないからだ。以上のことから導き出される結論は、
ともかくガキをぶん殴れ
!である。それが双方の支配戦略である以上(=ナッシュ均衡)、もはや戦いは避けられない。さあぶちのめすぞ。俺は可能な限り眉間にしわを寄せ、目を開きっぱなしにして血走らせ、奥歯も折れよとばかりに歯ぎしりしながら大学生の肩に手を置こうとした。
いや待て、ちょっと待て!
なにか大切なことを見逃していないだろうか。このまま戦闘に突入した場合、俺たちはともに-5点というちんけな点数を稼ぎ出して終わる。もう一度よく図2を見てほしい――と言ってもどうせスクロールするのを面倒くさがるだろうから、再掲しよう。
図2 利得行列
ヒョロガキ ぶん殴る 耐え忍ぶ
俺さま ぶん殴る -5, -5 5, -10
耐え忍ぶ -10, 5
1
,1
さあこれだ。右下のセルを見れば即座にわかる通り、二人ともお互いの存在に我慢すれば利得1を得られるのである。俺たちは合理的プレイヤーであるがために、-10点という屈辱的なスコアだけは容認できない。けれどもここで合理性を放棄し、相手がおとなしくしている可能性に賭ければ6点も改善されるのである。それももめごとはいっさいなしにだ。
ゲーム理論は確かに有効な分析ツールではある。だがときには合理性を脇へ置いておき、人情というファジーな要素を考慮してもいいのではなかろうか。
俺は眉間によせていたしわを戻し、歯ぎしりをやめ、鬼の形相から一変、菩薩のような笑顔になった。ガキの肩に優しく手を置き、「すまん、もうちょっと奥へ詰めてくれないかな」
「ああ?」手を振り払われた。「うぜえんだよ、ばーか」
なるほど。どうやらゲーム理論が正しかったようだ。
俺は拳を握りしめた。