時折青く灯る部屋の奥で
文字数 9,501文字
『図体だけは大きいのに使えないクズね。壊してしまおうかしら』
グリッ
「もうし、申し訳ございませんっ!申し訳ごっ!!!おごっ!!!??」
『言われた事しか出来ないなんて、なんて無能』
バシッ!
「ハイッ!直ぐに綺麗にいたします!」
『何休んでるの?ご主人様の命令が聞けないの?』
ギシッ ギシッ
「は、はひぃ!!」
ピピピピッ ピピピピッ ピピピピッ ピピピピッ
『お疲れ様でした。痛んだり傷付いた場所はありませんか?』
「大丈夫大丈夫。流石オール・ワンで一番の女王様だったよ」
『うふふ、ありがとうございます』
「また指名するよ」
『あ、お待ち下さい。最後に……んむっ…んぅ…はい、ありがとうございます』
バタン
本日ラストの客を見送り、与えられたプレイ用コンテナの洗浄を始める。
最近は下処理を行わずにプレイを始める客が多く、表皮やコンテナ内が汚れるので洗浄に時間がかかってしまうのが困り物だ。
即即の分のオプション料金は頂いているので日当は下がったりしていないが、可能ならば短時間で人数を回す事で効率を求めたい。
洗浄に時間を取られる事で一日に少人数しか客を取れないとなると常連の維持がしにくく、漏れた客を他に奪われる恐れがある。
店は私を目玉として人を集めてから入店したばかりのアンドロイドや問題のあるアンドロイドに客を回しているので、そこで粗相をして店から客が離れると私の客も離れる事になってしまうのだ。
『そろそろ移籍も視野に入れるべきですね…』
プレイルームに隠された集音マイクにギリギリ拾える音量に調節した小声で呟いた後、高圧水洗浄機を稼動して飛び散った汚物の処理を始める。
これで勤務終了後に何かしらの交渉をしてくるだろう。人間の考える事は予測しやすく、とても単純だ。
「いやー、ミクズちゃん今日もお疲れ様ー」
日当を受け取りに事務所まで来ると店長が待っていた。演算通りだ。
『お疲れ様です店長』
普段は店の奥で仮想現実遊戯に興じるか売上の悪いアンドロイドで性欲を発散しているだけだが、彼も雇われなので売上が下がる事を良しとしない。私が他店に移るのを危惧して引止めに来たのだろう。
「最近どーお?変な客とか来てない?」
『機械 に性欲をぶつけている時点で生物としては変な方ばかりです』
「……あ、そう」
店長のニヤニヤとした顔が真顔になる。
そうだろう。今や生身の人間が体を売る事は稀になり、代わりに私達アンドロイドが性産業を支えている世の中なのだ。
そのアンドロイドに皮肉を言われれば真顔にもなる。ましてや先程まで空いているアンドロイドで致していた人間にはよく効く筈だ。
直接の行為は見ていないが体温と臭いで行為後というのは分かるし、無駄に高い自意識と暴力的な性格から一方的な性発散をしたのもシミュレート出来る。過去に研修と言う名目で店長に付き合わされ、乱暴を受けた機体も何体かいる。
私達を道具として使うのは構わないが、商売道具を雑に扱う様ではこの店の先は長くない。経験値の浅いアンドロイドはそういったぞんざいな扱いでも経験として蓄積していく為、後で高級娼館のやり方を教え込んでも根底の部分で雑な対応をしてしまう。
そうなれば持ち主であるマスターからの評判も下がるというのに、この男の知能ではそれが理解出来ないようだ。
『本日の分の日当をお願いします』
この程度で黙ってしまう様ならまともな交渉は出来ないだろうと判断し、これ以上無駄な会話をしたくないという意思表示を兼ねて携帯端末を出して日当を請求する。
私達は店の備品では無く持ち主から貸し出されているレンタル品なので、給料では無くレンタル料としての日当を貰う形で金銭を得ている。
受取人の名義は勿論持ち主のマスターであり、私達の識別名が領収書に書かれる時は但し書きをきちんと書く場合のみだ。
「チッ、おい!出してやれ!!」
「へいっ」
店長は苛立ちながらも指示を出し、それに応えた経理の人間が私の出した携帯端末へとコードを繋いで送金を行う。
今日は軍の人間は来なかったので全て電子マネー払いだ。
軍の客を取った場合は軍用手票を現物で渡される事になるが、軍用手票は軍施設での換金が必要になる上に換金可能な期限が定まっているので出来れば受け取りたくない。
この軍用手票の換金の手間は店長達も面倒に感じている様で、軍用手票の場合は店の取り分や経費を引かれずにそのまま渡されることがある。中にはそれを目的に軍の客を積極的に受け入れているアンドロイドも居るが、私には出来ない。
電子マネーの場合は基本的に店の取り分が一律四割で、後は残りの金額から洗剤代やタオルのクリーニング代等の経費が差し引かれる。しかし、この金額だと
『少ないですね。計算と合いません』
携帯端末に送信された金額が今日のコマ数とオプションの合計から店の取り分と経費を引いた額と合わない。
料金の改定や税が上がる等の連絡は無かったのだし、差異の金額からするとオプション料金の入れ忘れでもない。客が支払いをケチったりしたのだろうか。
「あー、そうそう、お給料の事だけどさぁ」
店長が再度顔をニヤ付かせながら歩み寄り、無駄に大きい指輪を付けた手でこちらの肩に手を伸ばしながら喋る。
作業時間内なら兎も角、時間外で汚い手に触られたくは無いのでそれを一歩下がる事で避け、店長の次の行動を予測しながら登録時の契約約款のデータを携帯端末に送信しておく。
「くっ、逃げやがって。そういう態度が客に伝わって苦情入ったから、罰金な」
どうしてこうも人間は非生産的で非効率的な事をするのか。理解が難しい。
『分かりました。この件は貴店とマスターの結んだ契約約款の第3条"備品のレンタル料金"の4項"備品による損害の罰則・罰金は甲乙話し合いの上で制定"するの違反になります。直ちにオーナーに違反の通告をさせていただきます』
「はっ?おま、ふざけんな!オーナーは関係ないだろ!!」
この様な人間にも何が問題かを分かりやすく説明する為にわざわざ携帯端末のディスプレイに契約約款を表示し、該当場所を拡大・赤色で表示しながら説明したのだが、全く理解して貰えない様だ。
店の責任者が契約を破ったのだから、オーナーへ通告するのは当然だ。
最も、この男が罰金という言葉を使った時に既にオーナーへ契約が破棄になったというメールを送っているし、この違反は契約約款の第8条"期間終了以外の契約の解除"の2項"甲乙どちらかがこの契約で取り決めた内容を反故にした場合に期間終了を待たずに契約を解除する事が出来る"に該当するので、私はもうこの店の備品では無くなっている。なので、関係ないといえば確かにもう関係ないでしょう。
勿論、この第8条も携帯端末のディスプレイの一番下に表示してある。しかし、彼等はそこまで見ていないだろう。
「おい!クソロボット!清ました顔してんじゃねーぞ!!」
清ました顔と言われても、この表情は基本待機パターンの一つである。苦情はメーカーに言って頂きたい。
この男は大声で恫喝をすれば相手が自分の指示通りに従うと想定しているのだろうが、それは生物では無い私達には効果が無い。
私達を自分の思うがままにしたい場合はマスター登録をするべきだ。
「折角持ち主が死んだら俺が買い取ってやろうと思っていたのによお!でかいケガしてんだろ!あぁ!?ゲートの受付に聞いてんだぞ!!お前も持ち主から酷い扱いされてるってなぁ!?」
……………………………いけない。
論理判定にエラーの表示が出る所だった。
この店に登録するに当たって作成した書類にはマスターが重症を負ったという事は記載していない。
この男がそれを知っている事について何処から情報が漏れたのかを聞きだす必要があると判断したのだが、直ぐ情報元を言ってくれたので助かった。
確かにマスターは遺跡の調査中に肉体を損傷し、生命の危機に瀕していた。
だが、今はもう安定していて問題無い。
何より、私がマスターのお世話をしているのだから、今この男が言ったような事には絶対にならない。
そのマスターの世話を酷い扱いをされていると称するのは勘違いも甚だしい。
そもそもこんな物に買い取られる私ではない。
そうなる場合は事前に自身を破壊するだろう。
これ以上ここに居て無駄な情報を記録したくないので、なにやら叫んでいる生命体と余計な事は喋らないようによく訓練された会計を尻目に店を出る。
もうこの店に来る事は無いだろう。
地図データから情報を削除する。
そしてゲートの受付が個人情報を漏らした事について役所へメールを出す。
マスターが危険に晒される可能性はどんな僅かな数値でも0にしなくてはならない。
それが私の役目なのだから。
ッカ ッカ ッカ ッカ
人間が履くには難しい20cmのヒールを鳴らしながら帰路を歩く。
私達は衣服を身に付けたり靴を履く必要は無いのだが、人間に性的奉仕する業務は技術以上に外見が重要視され、特殊な業務を行う専門店でなければ生体部品が多い躯体程客が付き易い。
しかし、生体部品が一定以上の躯体はみだらに露出をしないように市から指導をされているので何らかの衣服を見に付けるのが必要であり、特に股間部分は性器ユニットが付いていなくても隠す必要がある。
それとは別に、性的な業務を行う場合は身に付ける衣服や装飾品に価値がある物を使用する事で客から選んで貰える率が高まり、業務の時の興奮度も上がるというデータがある。
業務時は専用のコスチュームに着替えたり衣服を身に付けずに行うのだが、普段の姿が富裕層に見える程ボンテージや革製品が似合うのだと週に三回予約を入れる客が言っていた。
だからこそ、私も売上の維持の為に布地が少ない華美なドレスや天然製品の下着や銀や宝石のアクセサリー等を購入しては自らを着飾り、それらや自身の生体部品を洗浄する洗剤や油の臭いを消す為の香水も品質の良い物を使っている。
自身の価値を高める事が高収入に繋がるのはどの職種も同じだ。前の躯体では装甲と火器を増やす事が求められ、この躯体では見映えが求められている。
一部界隈では生体部品を使用した胸部装甲を火力と呼ぶ事もあるそうなので、そういう意味では前の私も今の私も高火力の躯体だろう。
「きれいなお姉さん、何か買っていかない?」
帰路の途中、歓楽街を抜けた高架下で少年に声をかけられた。
ここは歓楽街と住宅街の境であり、その間を繋ぐ様に防衛用道路の高架橋が架かっている。
普通の人間ならば地域間の移動には高架橋の上を走る循環バスを利用し、この様な場所に近寄る事はまず無い。あるとすればバスに乗れない市民権を得ていない者か、マスターと離れて単独行動をしているアンドロイドだけだ。
その為、この様な場所は彼等の様な市民権で保護されていない者達や、非合法な事を行っている者達の住処となっている事が多い。
「どれも良質で後遺症は残らない純正品だよ」
少年はそう言いながら、道に敷いた布の上にある液体の入った瓶と注射器に手をかざす。違法薬物だろう。
市に無許可で薬物を販売するのは違法であり処罰の対象だ。市警に通報すれば市から報酬としてなんらかの賞与が出るかもしれない。
しかし、そうなると私ではなく所有者であるマスターが事情聴取に立たされる事になるので、迂闊に通報する訳にはいかない。それに丁度良い所だった。
『そうね、少し見せてくださる?』
「おう、見てってくれ」
布の前まで近付き、しゃがんで商品を見る。
瓶の上からでは成分までは分からないが、沈殿物や瓶の汚れ具合から見て確実に粗悪品だろう。それに後遺症の残らない薬という物は無い。
何かを得た場合でも失った場合でも以前と同じ状態にはならない物だ。それは全てに当て嵌まる。
「お姉さんこういうのを探していたんだろう?この楽しくなる薬がオススメさ」
どうやら少年は私の事を快楽の為に禁制品を探しに来た富裕層の人間と勘違いしている様だ。服装からそう判断したのだろう。
基本的に富裕層の人間が繁華街や住宅街に来る事は無いそうだが、私の所にもそういった“危険を冒す事”を目的として富裕層の人間が来た事がある。
その時はオプション料金を沢山付けてもらったものの、実際に行おうとすると尻込みををして結局は説明をするだけで時間が終わった。尻だけにだ。
少年はその金払いの良さに期待して声をかけたのだろう。
『じゃあ、この幸せになれるってのを頂けるかしら?』
「あいよ!お姉さんきれいだし、注射器を付けて5万でいいぜ!」
少年は売買用の端末を操作して世辞を言いながら価格を言う。
一般的な相場の3倍以上高いが、わざとだろう。
『あら、そんなにするの。ちょっと手持ちじゃ足らないわね…』
「そんな事言ったってまけたりはしないぜ?それに買うって言ったんだからキャンセルは受け付けないからな!」
少年が笑いながら言うと、柱の影から何人かの人間がぞろぞろと出てきた。
彼等はそれぞれが鉄の棒や小さな刃物を持っており、ニヤニヤとした目付きで私を見ている。人間が自らの快楽の為に暴力を振るう時の、あの目付きだ。
「おねーさんさぁ、まさか大人なのに契約を破ったりしないよねぇ?」
「お金持ちなんでしょ?これぐらい払ってよ」
「あー、なんか素振りしたくなってきちゃったなー」
それぞれ脅し文句を言いながらゆっくりと近付いてくる少年達。
ここを通りがかった時から周囲の生体反応は把握していたので、こうなるのは演算済みである。やはり人間の考える事は予測しやすく、とても単純だ。
『そうね…、それじゃあこの端末を買い取っていただけないかしら?それならどう?今これしか持ってないの、お願い…』
「ほーう、金じゃなくて物と交換か。ちょっと貸しな」
表情のパターンに怯えと困惑を加え、露出している肩を小刻みに震わせながら携帯端末を差し出す。
少年はそれを乱暴にひったくると柱の影から出てきた人間の一人に渡し、その人間が携帯端末にケーブルを挿して中身を調べ始めた。
『ね、それを渡すから交換で許してもらえない?中のお金もそのまま渡すわ。お願い…』
「ちょっと待ってなってお姉さん。………どうだ?」
「ほとんどまっさらですよこれ。高く売れますさ」
「いいじゃないか。よし、お姉さん、これはちゃんとした取引だからな?後で市警や軍に言うんじゃないぞ?」
携帯端末の価値に納得したらしく、少年は敷物に並んでいた瓶のうちの一つと注射器をこちらへ投げて寄越した。
私はそれを拾い、息を荒げて髪のセットを崩しながら駆け足で離れる。
手際とタイミングの良さから推測するに、少年達は同じ方法で他にもちゃんとした取引というのを成立させてきたのだろう。その経験が慢心になっている様に見える。
私がアンドロイドな事に気付いていなかった上、20cmのヒールを履いた人間が小走りに去っても違和感を覚えていないのだ。
あの様子では
慣れは注意力を減らし、場合によっては生命を危機に晒す。
それは街の外でも街の中でも変わらないというのに。
住宅街に入ったらランダムに組んだパターンで集合住宅の角を曲がり、音響センサーと振動波センサーで周囲の動きを確認しながら住宅街の外れにあるコンテナ型の集合住宅の一つに入り、物理錠と電子錠を三つずつかける。
コンテナに入ったら一定のパターンで歩き回るおもちゃの電源を入れ、今晩はリビングで2時間待機した後にシャワールームに入り、そのまま寝室に行くプログラムを入力する。
そして中央の部屋に置いてある500kgの重さの円卓を持ち上げてずらし、下にある通路へ音が出ないようにゆっくりと入り、円卓を戻して蓋をする。
穴は現在使われていない下水道に繋がっており、そこから30km歩く事で街の外の前時代の地下街へと繋がる。
地下街は崩れている部分が多く、入口はここしかない上に通路は半ば迷路化している。私が仕掛けた罠も相まって低級の遺跡漁り では攻略できない筈だ。
ただ、それでも何かの拍子に他の遺跡と繋がったり地上への穴が開く恐れがあるので、この先に掃除ロボットを改造して銃器を取り付けた物を何体か配置してある。中型の警備ロボットでは力が強すぎて道が崩れかねないので妥協策だ。
最後に警備室の奥にある地下へのエレベーターシャフトを飛び降り、底までの途中にある排気口に偽装されたシェルターの緊急用通路を開閉して中へ入る。
エレベーターシャフトから繋がるシェルターへの正規の道は私がガレキを落として封鎖した。この狭い通路を通らなければ中には入れない。
『ただ今戻りました。マスター』
シェルターの中に居るのは私のマスター。
マスターの脳と脊髄を搭載した、私の以前の躯体。
『今日は問題があって勤め先を変える事になりました。新しい店へ連絡は済ませていますので、明日早速面接に行ってきます』
チカッ チカッ
マスターは私の声に反応して、躯体頭部にある感情表現用のライトを青色に光らせる。
いけない。青色という事はマスターは哀しがっているという事だ。
『マスター、哀しまないで下さい。幸せになれる薬を手に入れてきました』
哀しむマスターの為に、先程少年から購入した非合法の薬を取り出して注射器で吸い上げる。
粗悪品なので悪影響が出るかもしれないが、死ぬ事はないので大丈夫だ。
『ほら、入れますよ。マスター』
チカッ チカッ チカッ チカッ
マスターの躯体に繋がっている栄養剤のチューブを外し、そこに注射器で薬を流し込む。
マスターは感情表現用のライトを激しく青色に点等させるが、やがてその頻度は収まり、ライトの色が喜びの黄色へと変わる。
『良かった。マスター、幸せですか?』
チカッ チカッ
マスターは黄色のライトを淡く光らせる。
マスターが喜んでいると私も嬉しい。これで大丈夫だ。
今のマスターは躯体の大部分に生命維持装置が組み込んであり、腕や足は外して全身を電源ケーブルと酸素や栄養剤を送る為のチューブで固定されている。
マスターは体を動かすことはおろか声を発する事も出来ないが、躯体に元から備わっていた感情表現用のライトでこうして感情を伝える事だけは可能だ。
最初は怒りを表す赤色な事が多かったが、最近は青色な事が多い。
私もこの躯体だった頃は同じ様にライトを使ってマスターに感情を伝えていて、青色な事が多かった。
マスターがこの躯体に入る事になったのは半年前の遺跡漁りで肉体に致命的な損傷を負ってしまったからであり、私の判断に寄る物だ。
あの時の私は戦闘用の躯体だったので細かい作業が出来ず、周囲に他の人間も居なかった為助けを求める事が出来なかった。
傷口を止血をしないままマスターを運んでは街に着く前に出血で死んでしまうのは明白であり、意識を失ったマスターが指示を出せない状態で私に出来る事はほぼ無かった。
しかし、マスターは普段から
「お前の何を犠牲にしてでも俺を生かすんだ。分かったかゴミクズ!」
と仰っていたので、私のやる事は決まっていた。
まず、私はマスターの鳩尾から下をレーザーで切断した。
人間は内臓が無くとも脳があれば生存が可能であり、脳を生かすためには血液によって酸素を送る必要がある。
よって、生命活動を続ける為には下半身は必要なく、鳩尾で焼き切る事で脇腹に負った損傷も無視する事が出来た。
次に、私はマスターの腕もレーザーで切断した。
マスターは一般的な人間よりも体格が良く、腕でもそれなりの重量があった。
私が細かい作業の可能な躯体だったのならば良かったが、当時は補助腕にも武装を積んでいたので輸送中にバランスを崩してマスターを落としてしまう可能性があったのだ。
そして、私はマスターの体に牽引用のワイヤーフックを打ち込んで引っ張り上げ、左腕部のガトリング砲身に括りつけた。
ワイヤーを巻き取るウインチが股間部にあったため、位置的にマスターを背負う事は不可能だったのだ。
致命的な損傷を負ったマスターだったが、頭部と胴体を残してそれ以外を切除した事で生存時間が伸び、無事に街まで戻る事が出来たのだ。
その後は遺跡漁り 組合の保険担当官からマスターの治療と財産についての説明があったが、マスターは意識が戻らなかったので代わりに私が
その過程で非合法の医者や物件屋にマスターの財産の殆どを使ってしまったが、マスターは生きているので問題は無い。
チカッ チカッ チカッ チカッ
私は毎日の様にマスターから、
「図体はでかいのに本当に使えないゴミクズだな!ぶっ壊すぞ!!」
と言われていましたが、今はお役に立てている筈です。
「言われた事しか出来ないのか!この無能!!」
と言われていましたが、今は自分で考えて行動する事が出来ている筈です。
「何休んでる!ご主人様の命令が聞けないのか!!」
と言われていましたが、しっかりとマスターの命令を守っている筈です。
チカッ チカッ チカッ チカッ
マスターから教えて頂いた言葉は今の仕事にとても合っていて、私がお金を稼ぐことが出来るのはマスターのお陰です。
ゆくゆくはマスターの生命維持の為に専用のアンドロイドを購入し、私はお金を稼ぐ事に専念する予定です。
店舗で働くよりも宿泊や出張をしたほうが日当が良く、効率も上がります。
更に効率よくお金を稼ぐ為には躯体のバージョンアップや衣服や装飾品や香水の購入等が必要になるでしょうが、これもマスターの為なので仕方ないですね。
チカッ チカッ
「マスター、嬉しいですか?良かったです」
こんなにマスターが嬉しそうなんて。
今度は粗悪品ではなく、純正品を購入してきます。
チカッ チカッ チカッ チカッ
命令通り、私はマスターは絶対に死なせません。
何年でも、何十年でも、私がマスターを死なせません。
その体は窮屈かもしれませんが、生存には問題無いので大丈夫です。
元は私の躯体だったのですから、丈夫さは私が保証しますよ。
メンテナンスをしっかり行えば百年以上も稼動するでしょう。
絶対に死なせませんから、安心して下さいね。
マスター。
チカッ チカッ チカッ チカッ チカッ チカッ チカッ チカッ
グリッ
「もうし、申し訳ございませんっ!申し訳ごっ!!!おごっ!!!??」
『言われた事しか出来ないなんて、なんて無能』
バシッ!
「ハイッ!直ぐに綺麗にいたします!」
『何休んでるの?ご主人様の命令が聞けないの?』
ギシッ ギシッ
「は、はひぃ!!」
ピピピピッ ピピピピッ ピピピピッ ピピピピッ
『お疲れ様でした。痛んだり傷付いた場所はありませんか?』
「大丈夫大丈夫。流石オール・ワンで一番の女王様だったよ」
『うふふ、ありがとうございます』
「また指名するよ」
『あ、お待ち下さい。最後に……んむっ…んぅ…はい、ありがとうございます』
バタン
本日ラストの客を見送り、与えられたプレイ用コンテナの洗浄を始める。
最近は下処理を行わずにプレイを始める客が多く、表皮やコンテナ内が汚れるので洗浄に時間がかかってしまうのが困り物だ。
即即の分のオプション料金は頂いているので日当は下がったりしていないが、可能ならば短時間で人数を回す事で効率を求めたい。
洗浄に時間を取られる事で一日に少人数しか客を取れないとなると常連の維持がしにくく、漏れた客を他に奪われる恐れがある。
店は私を目玉として人を集めてから入店したばかりのアンドロイドや問題のあるアンドロイドに客を回しているので、そこで粗相をして店から客が離れると私の客も離れる事になってしまうのだ。
『そろそろ移籍も視野に入れるべきですね…』
プレイルームに隠された集音マイクにギリギリ拾える音量に調節した小声で呟いた後、高圧水洗浄機を稼動して飛び散った汚物の処理を始める。
これで勤務終了後に何かしらの交渉をしてくるだろう。人間の考える事は予測しやすく、とても単純だ。
「いやー、ミクズちゃん今日もお疲れ様ー」
日当を受け取りに事務所まで来ると店長が待っていた。演算通りだ。
『お疲れ様です店長』
普段は店の奥で仮想現実遊戯に興じるか売上の悪いアンドロイドで性欲を発散しているだけだが、彼も雇われなので売上が下がる事を良しとしない。私が他店に移るのを危惧して引止めに来たのだろう。
「最近どーお?変な客とか来てない?」
『
「……あ、そう」
店長のニヤニヤとした顔が真顔になる。
そうだろう。今や生身の人間が体を売る事は稀になり、代わりに私達アンドロイドが性産業を支えている世の中なのだ。
そのアンドロイドに皮肉を言われれば真顔にもなる。ましてや先程まで空いているアンドロイドで致していた人間にはよく効く筈だ。
直接の行為は見ていないが体温と臭いで行為後というのは分かるし、無駄に高い自意識と暴力的な性格から一方的な性発散をしたのもシミュレート出来る。過去に研修と言う名目で店長に付き合わされ、乱暴を受けた機体も何体かいる。
私達を道具として使うのは構わないが、商売道具を雑に扱う様ではこの店の先は長くない。経験値の浅いアンドロイドはそういったぞんざいな扱いでも経験として蓄積していく為、後で高級娼館のやり方を教え込んでも根底の部分で雑な対応をしてしまう。
そうなれば持ち主であるマスターからの評判も下がるというのに、この男の知能ではそれが理解出来ないようだ。
『本日の分の日当をお願いします』
この程度で黙ってしまう様ならまともな交渉は出来ないだろうと判断し、これ以上無駄な会話をしたくないという意思表示を兼ねて携帯端末を出して日当を請求する。
私達は店の備品では無く持ち主から貸し出されているレンタル品なので、給料では無くレンタル料としての日当を貰う形で金銭を得ている。
受取人の名義は勿論持ち主のマスターであり、私達の識別名が領収書に書かれる時は但し書きをきちんと書く場合のみだ。
「チッ、おい!出してやれ!!」
「へいっ」
店長は苛立ちながらも指示を出し、それに応えた経理の人間が私の出した携帯端末へとコードを繋いで送金を行う。
今日は軍の人間は来なかったので全て電子マネー払いだ。
軍の客を取った場合は軍用手票を現物で渡される事になるが、軍用手票は軍施設での換金が必要になる上に換金可能な期限が定まっているので出来れば受け取りたくない。
この軍用手票の換金の手間は店長達も面倒に感じている様で、軍用手票の場合は店の取り分や経費を引かれずにそのまま渡されることがある。中にはそれを目的に軍の客を積極的に受け入れているアンドロイドも居るが、私には出来ない。
電子マネーの場合は基本的に店の取り分が一律四割で、後は残りの金額から洗剤代やタオルのクリーニング代等の経費が差し引かれる。しかし、この金額だと
『少ないですね。計算と合いません』
携帯端末に送信された金額が今日のコマ数とオプションの合計から店の取り分と経費を引いた額と合わない。
料金の改定や税が上がる等の連絡は無かったのだし、差異の金額からするとオプション料金の入れ忘れでもない。客が支払いをケチったりしたのだろうか。
「あー、そうそう、お給料の事だけどさぁ」
店長が再度顔をニヤ付かせながら歩み寄り、無駄に大きい指輪を付けた手でこちらの肩に手を伸ばしながら喋る。
作業時間内なら兎も角、時間外で汚い手に触られたくは無いのでそれを一歩下がる事で避け、店長の次の行動を予測しながら登録時の契約約款のデータを携帯端末に送信しておく。
「くっ、逃げやがって。そういう態度が客に伝わって苦情入ったから、罰金な」
どうしてこうも人間は非生産的で非効率的な事をするのか。理解が難しい。
『分かりました。この件は貴店とマスターの結んだ契約約款の第3条"備品のレンタル料金"の4項"備品による損害の罰則・罰金は甲乙話し合いの上で制定"するの違反になります。直ちにオーナーに違反の通告をさせていただきます』
「はっ?おま、ふざけんな!オーナーは関係ないだろ!!」
この様な人間にも何が問題かを分かりやすく説明する為にわざわざ携帯端末のディスプレイに契約約款を表示し、該当場所を拡大・赤色で表示しながら説明したのだが、全く理解して貰えない様だ。
店の責任者が契約を破ったのだから、オーナーへ通告するのは当然だ。
最も、この男が罰金という言葉を使った時に既にオーナーへ契約が破棄になったというメールを送っているし、この違反は契約約款の第8条"期間終了以外の契約の解除"の2項"甲乙どちらかがこの契約で取り決めた内容を反故にした場合に期間終了を待たずに契約を解除する事が出来る"に該当するので、私はもうこの店の備品では無くなっている。なので、関係ないといえば確かにもう関係ないでしょう。
勿論、この第8条も携帯端末のディスプレイの一番下に表示してある。しかし、彼等はそこまで見ていないだろう。
「おい!クソロボット!清ました顔してんじゃねーぞ!!」
清ました顔と言われても、この表情は基本待機パターンの一つである。苦情はメーカーに言って頂きたい。
この男は大声で恫喝をすれば相手が自分の指示通りに従うと想定しているのだろうが、それは生物では無い私達には効果が無い。
私達を自分の思うがままにしたい場合はマスター登録をするべきだ。
「折角持ち主が死んだら俺が買い取ってやろうと思っていたのによお!でかいケガしてんだろ!あぁ!?ゲートの受付に聞いてんだぞ!!お前も持ち主から酷い扱いされてるってなぁ!?」
……………………………いけない。
論理判定にエラーの表示が出る所だった。
この店に登録するに当たって作成した書類にはマスターが重症を負ったという事は記載していない。
この男がそれを知っている事について何処から情報が漏れたのかを聞きだす必要があると判断したのだが、直ぐ情報元を言ってくれたので助かった。
確かにマスターは遺跡の調査中に肉体を損傷し、生命の危機に瀕していた。
だが、今はもう安定していて問題無い。
何より、私がマスターのお世話をしているのだから、今この男が言ったような事には絶対にならない。
そのマスターの世話を酷い扱いをされていると称するのは勘違いも甚だしい。
そもそもこんな物に買い取られる私ではない。
そうなる場合は事前に自身を破壊するだろう。
これ以上ここに居て無駄な情報を記録したくないので、なにやら叫んでいる生命体と余計な事は喋らないようによく訓練された会計を尻目に店を出る。
もうこの店に来る事は無いだろう。
地図データから情報を削除する。
そしてゲートの受付が個人情報を漏らした事について役所へメールを出す。
マスターが危険に晒される可能性はどんな僅かな数値でも0にしなくてはならない。
それが私の役目なのだから。
ッカ ッカ ッカ ッカ
人間が履くには難しい20cmのヒールを鳴らしながら帰路を歩く。
私達は衣服を身に付けたり靴を履く必要は無いのだが、人間に性的奉仕する業務は技術以上に外見が重要視され、特殊な業務を行う専門店でなければ生体部品が多い躯体程客が付き易い。
しかし、生体部品が一定以上の躯体はみだらに露出をしないように市から指導をされているので何らかの衣服を見に付けるのが必要であり、特に股間部分は性器ユニットが付いていなくても隠す必要がある。
それとは別に、性的な業務を行う場合は身に付ける衣服や装飾品に価値がある物を使用する事で客から選んで貰える率が高まり、業務の時の興奮度も上がるというデータがある。
業務時は専用のコスチュームに着替えたり衣服を身に付けずに行うのだが、普段の姿が富裕層に見える程ボンテージや革製品が似合うのだと週に三回予約を入れる客が言っていた。
だからこそ、私も売上の維持の為に布地が少ない華美なドレスや天然製品の下着や銀や宝石のアクセサリー等を購入しては自らを着飾り、それらや自身の生体部品を洗浄する洗剤や油の臭いを消す為の香水も品質の良い物を使っている。
自身の価値を高める事が高収入に繋がるのはどの職種も同じだ。前の躯体では装甲と火器を増やす事が求められ、この躯体では見映えが求められている。
一部界隈では生体部品を使用した胸部装甲を火力と呼ぶ事もあるそうなので、そういう意味では前の私も今の私も高火力の躯体だろう。
「きれいなお姉さん、何か買っていかない?」
帰路の途中、歓楽街を抜けた高架下で少年に声をかけられた。
ここは歓楽街と住宅街の境であり、その間を繋ぐ様に防衛用道路の高架橋が架かっている。
普通の人間ならば地域間の移動には高架橋の上を走る循環バスを利用し、この様な場所に近寄る事はまず無い。あるとすればバスに乗れない市民権を得ていない者か、マスターと離れて単独行動をしているアンドロイドだけだ。
その為、この様な場所は彼等の様な市民権で保護されていない者達や、非合法な事を行っている者達の住処となっている事が多い。
「どれも良質で後遺症は残らない純正品だよ」
少年はそう言いながら、道に敷いた布の上にある液体の入った瓶と注射器に手をかざす。違法薬物だろう。
市に無許可で薬物を販売するのは違法であり処罰の対象だ。市警に通報すれば市から報酬としてなんらかの賞与が出るかもしれない。
しかし、そうなると私ではなく所有者であるマスターが事情聴取に立たされる事になるので、迂闊に通報する訳にはいかない。それに丁度良い所だった。
『そうね、少し見せてくださる?』
「おう、見てってくれ」
布の前まで近付き、しゃがんで商品を見る。
瓶の上からでは成分までは分からないが、沈殿物や瓶の汚れ具合から見て確実に粗悪品だろう。それに後遺症の残らない薬という物は無い。
何かを得た場合でも失った場合でも以前と同じ状態にはならない物だ。それは全てに当て嵌まる。
「お姉さんこういうのを探していたんだろう?この楽しくなる薬がオススメさ」
どうやら少年は私の事を快楽の為に禁制品を探しに来た富裕層の人間と勘違いしている様だ。服装からそう判断したのだろう。
基本的に富裕層の人間が繁華街や住宅街に来る事は無いそうだが、私の所にもそういった“危険を冒す事”を目的として富裕層の人間が来た事がある。
その時はオプション料金を沢山付けてもらったものの、実際に行おうとすると尻込みををして結局は説明をするだけで時間が終わった。尻だけにだ。
少年はその金払いの良さに期待して声をかけたのだろう。
『じゃあ、この幸せになれるってのを頂けるかしら?』
「あいよ!お姉さんきれいだし、注射器を付けて5万でいいぜ!」
少年は売買用の端末を操作して世辞を言いながら価格を言う。
一般的な相場の3倍以上高いが、わざとだろう。
『あら、そんなにするの。ちょっと手持ちじゃ足らないわね…』
「そんな事言ったってまけたりはしないぜ?それに買うって言ったんだからキャンセルは受け付けないからな!」
少年が笑いながら言うと、柱の影から何人かの人間がぞろぞろと出てきた。
彼等はそれぞれが鉄の棒や小さな刃物を持っており、ニヤニヤとした目付きで私を見ている。人間が自らの快楽の為に暴力を振るう時の、あの目付きだ。
「おねーさんさぁ、まさか大人なのに契約を破ったりしないよねぇ?」
「お金持ちなんでしょ?これぐらい払ってよ」
「あー、なんか素振りしたくなってきちゃったなー」
それぞれ脅し文句を言いながらゆっくりと近付いてくる少年達。
ここを通りがかった時から周囲の生体反応は把握していたので、こうなるのは演算済みである。やはり人間の考える事は予測しやすく、とても単純だ。
『そうね…、それじゃあこの端末を買い取っていただけないかしら?それならどう?今これしか持ってないの、お願い…』
「ほーう、金じゃなくて物と交換か。ちょっと貸しな」
表情のパターンに怯えと困惑を加え、露出している肩を小刻みに震わせながら携帯端末を差し出す。
少年はそれを乱暴にひったくると柱の影から出てきた人間の一人に渡し、その人間が携帯端末にケーブルを挿して中身を調べ始めた。
『ね、それを渡すから交換で許してもらえない?中のお金もそのまま渡すわ。お願い…』
「ちょっと待ってなってお姉さん。………どうだ?」
「ほとんどまっさらですよこれ。高く売れますさ」
「いいじゃないか。よし、お姉さん、これはちゃんとした取引だからな?後で市警や軍に言うんじゃないぞ?」
携帯端末の価値に納得したらしく、少年は敷物に並んでいた瓶のうちの一つと注射器をこちらへ投げて寄越した。
私はそれを拾い、息を荒げて髪のセットを崩しながら駆け足で離れる。
手際とタイミングの良さから推測するに、少年達は同じ方法で他にもちゃんとした取引というのを成立させてきたのだろう。その経験が慢心になっている様に見える。
私がアンドロイドな事に気付いていなかった上、20cmのヒールを履いた人間が小走りに去っても違和感を覚えていないのだ。
あの様子では
先程日当を貰った時に携帯端末に仕掛けられたばかりの追跡プログラム
にも気付けないだろう。慣れは注意力を減らし、場合によっては生命を危機に晒す。
それは街の外でも街の中でも変わらないというのに。
住宅街に入ったらランダムに組んだパターンで集合住宅の角を曲がり、音響センサーと振動波センサーで周囲の動きを確認しながら住宅街の外れにあるコンテナ型の集合住宅の一つに入り、物理錠と電子錠を三つずつかける。
コンテナに入ったら一定のパターンで歩き回るおもちゃの電源を入れ、今晩はリビングで2時間待機した後にシャワールームに入り、そのまま寝室に行くプログラムを入力する。
そして中央の部屋に置いてある500kgの重さの円卓を持ち上げてずらし、下にある通路へ音が出ないようにゆっくりと入り、円卓を戻して蓋をする。
穴は現在使われていない下水道に繋がっており、そこから30km歩く事で街の外の前時代の地下街へと繋がる。
地下街は崩れている部分が多く、入口はここしかない上に通路は半ば迷路化している。私が仕掛けた罠も相まって低級の
ただ、それでも何かの拍子に他の遺跡と繋がったり地上への穴が開く恐れがあるので、この先に掃除ロボットを改造して銃器を取り付けた物を何体か配置してある。中型の警備ロボットでは力が強すぎて道が崩れかねないので妥協策だ。
最後に警備室の奥にある地下へのエレベーターシャフトを飛び降り、底までの途中にある排気口に偽装されたシェルターの緊急用通路を開閉して中へ入る。
エレベーターシャフトから繋がるシェルターへの正規の道は私がガレキを落として封鎖した。この狭い通路を通らなければ中には入れない。
『ただ今戻りました。マスター』
シェルターの中に居るのは私のマスター。
マスターの脳と脊髄を搭載した、私の以前の躯体。
『今日は問題があって勤め先を変える事になりました。新しい店へ連絡は済ませていますので、明日早速面接に行ってきます』
チカッ チカッ
マスターは私の声に反応して、躯体頭部にある感情表現用のライトを青色に光らせる。
いけない。青色という事はマスターは哀しがっているという事だ。
『マスター、哀しまないで下さい。幸せになれる薬を手に入れてきました』
哀しむマスターの為に、先程少年から購入した非合法の薬を取り出して注射器で吸い上げる。
粗悪品なので悪影響が出るかもしれないが、死ぬ事はないので大丈夫だ。
『ほら、入れますよ。マスター』
チカッ チカッ チカッ チカッ
マスターの躯体に繋がっている栄養剤のチューブを外し、そこに注射器で薬を流し込む。
マスターは感情表現用のライトを激しく青色に点等させるが、やがてその頻度は収まり、ライトの色が喜びの黄色へと変わる。
『良かった。マスター、幸せですか?』
チカッ チカッ
マスターは黄色のライトを淡く光らせる。
マスターが喜んでいると私も嬉しい。これで大丈夫だ。
今のマスターは躯体の大部分に生命維持装置が組み込んであり、腕や足は外して全身を電源ケーブルと酸素や栄養剤を送る為のチューブで固定されている。
マスターは体を動かすことはおろか声を発する事も出来ないが、躯体に元から備わっていた感情表現用のライトでこうして感情を伝える事だけは可能だ。
最初は怒りを表す赤色な事が多かったが、最近は青色な事が多い。
私もこの躯体だった頃は同じ様にライトを使ってマスターに感情を伝えていて、青色な事が多かった。
マスターがこの躯体に入る事になったのは半年前の遺跡漁りで肉体に致命的な損傷を負ってしまったからであり、私の判断に寄る物だ。
あの時の私は戦闘用の躯体だったので細かい作業が出来ず、周囲に他の人間も居なかった為助けを求める事が出来なかった。
傷口を止血をしないままマスターを運んでは街に着く前に出血で死んでしまうのは明白であり、意識を失ったマスターが指示を出せない状態で私に出来る事はほぼ無かった。
しかし、マスターは普段から
「お前の何を犠牲にしてでも俺を生かすんだ。分かったかゴミクズ!」
と仰っていたので、私のやる事は決まっていた。
まず、私はマスターの鳩尾から下をレーザーで切断した。
人間は内臓が無くとも脳があれば生存が可能であり、脳を生かすためには血液によって酸素を送る必要がある。
よって、生命活動を続ける為には下半身は必要なく、鳩尾で焼き切る事で脇腹に負った損傷も無視する事が出来た。
次に、私はマスターの腕もレーザーで切断した。
マスターは一般的な人間よりも体格が良く、腕でもそれなりの重量があった。
私が細かい作業の可能な躯体だったのならば良かったが、当時は補助腕にも武装を積んでいたので輸送中にバランスを崩してマスターを落としてしまう可能性があったのだ。
そして、私はマスターの体に牽引用のワイヤーフックを打ち込んで引っ張り上げ、左腕部のガトリング砲身に括りつけた。
ワイヤーを巻き取るウインチが股間部にあったため、位置的にマスターを背負う事は不可能だったのだ。
致命的な損傷を負ったマスターだったが、頭部と胴体を残してそれ以外を切除した事で生存時間が伸び、無事に街まで戻る事が出来たのだ。
その後は
マスターの命だけを最優先
にする様に手続きをした。その過程で非合法の医者や物件屋にマスターの財産の殆どを使ってしまったが、マスターは生きているので問題は無い。
チカッ チカッ チカッ チカッ
私は毎日の様にマスターから、
「図体はでかいのに本当に使えないゴミクズだな!ぶっ壊すぞ!!」
と言われていましたが、今はお役に立てている筈です。
「言われた事しか出来ないのか!この無能!!」
と言われていましたが、今は自分で考えて行動する事が出来ている筈です。
「何休んでる!ご主人様の命令が聞けないのか!!」
と言われていましたが、しっかりとマスターの命令を守っている筈です。
チカッ チカッ チカッ チカッ
マスターから教えて頂いた言葉は今の仕事にとても合っていて、私がお金を稼ぐことが出来るのはマスターのお陰です。
ゆくゆくはマスターの生命維持の為に専用のアンドロイドを購入し、私はお金を稼ぐ事に専念する予定です。
店舗で働くよりも宿泊や出張をしたほうが日当が良く、効率も上がります。
更に効率よくお金を稼ぐ為には躯体のバージョンアップや衣服や装飾品や香水の購入等が必要になるでしょうが、これもマスターの為なので仕方ないですね。
チカッ チカッ
「マスター、嬉しいですか?良かったです」
こんなにマスターが嬉しそうなんて。
今度は粗悪品ではなく、純正品を購入してきます。
チカッ チカッ チカッ チカッ
命令通り、私はマスターは絶対に死なせません。
何年でも、何十年でも、私がマスターを死なせません。
その体は窮屈かもしれませんが、生存には問題無いので大丈夫です。
元は私の躯体だったのですから、丈夫さは私が保証しますよ。
メンテナンスをしっかり行えば百年以上も稼動するでしょう。
絶対に死なせませんから、安心して下さいね。
マスター。
チカッ チカッ チカッ チカッ チカッ チカッ チカッ チカッ