それは美味なるカタンのスープ

文字数 4,918文字

明日、単身で遠方へと嫁いでいくモラが妙にあらたまった様子の母親から渡されようとしているもの、それは――村でもっとも高価な布に包まれた茶色い〈人骨〉だった。
(見るからに汚らしいのにほんのりと良い香りがただよってくるのが何ともおぞましい)

[モラの母]

モラ。これは村のみなからあなたへの贈り物です

[モラの母]

これから嫁ぐ女が由来ごと受け継ぎ、引き継いでゆく、いわばヘチ村の共有財産。ゆめゆめ失くしたり口外しないように

[モラ]

…………

母の口調はいつになく厳しい。それほどまでに重要な代物なのか。「こんなのいーらない」ととてもポイできそうにない雰囲気だ。

何に使うかもまったくわからないまま、禁止事項にそむかないことをくり返し約束させられる。

何せ、村の外に嫁ぐのはこのモラがはじめてなのだ。遠く離れてしまっては、娘の口から何が飛び出すかわかったものではない。念には念を入れなければと母は慎重になっていた。
[モラの母]

――いいこと? 嫁入り先の台所をまかされるようになったら、これを焼き物のナベかツボの底にそっと忍ばせて、スープをたっぷりこさえなさい

十回以上も約束を復唱(リピート)させられ、ひとまず満足した母がやっと使い道を教えてくれる。
(内容は芳香から予想できたとおり、吐き気をもよおすほどにおぞましいものだった)

[モラの母]

ただし十回までよ。それ以上やると骨の旨味が薄まってしまうわ。そうなると次代の花嫁たちが困ることになる
[モラの母]

だから、回数はちゃんと守ってちょうだいね

[モラ]

…………

娘が黙っているのを不安のあらわれとでも勘違いしたのか、母は軽やかなウィンクを寄こしてくる。

[モラの母]

心配しなくても大丈夫よ! 十回も同じ焼き物で作っていれば旨味がしみ込んで、骨なしでもそれなりに美味しいスープが作れるようになるから

モラの無言は吐き気をこらえるのに必死だったためだ。

(母ご自慢のスープは常に美味であり、わが家にある煮物用の大ナベは陶製。つまりはそういうことだ)
(この骨でダシをとったナベで作ったスープを、母の愛情の味だと信じきってガブガブ飲んでいたわけだ)
ヘチの既婚女たちが総じてスープ作りの名人であるのも、まさか人骨のおかげだったとは。
ではその正体が何かといえば、のちにヘチ村の開祖となる人物が立ち寄った険しい未開地のとある集落に端を発しているという。
(旅路の途中に道を見失い、餓死寸前でやっとこさそこへたどり着いた開祖を迎え入れてくれたのは、集落のはずれに住むカタンという名の気の好い男)
(言葉こそ通じなかったものの、ボディランゲージでじゅうぶんに対話はできたし、たがいの名前を知ることもできた)
(カタンはやせ衰えた開祖に自分の粗末な家を明け渡し、ありったけの水と食料をも提供した)
(それでもまだまだ栄養が足りずに回復する兆しの見られない開祖を案じたカタンは、一瞬たりとも迷わず手斧を取り出すと、よく砥がれた刃先でおのれの左手首を切り落とした)
(グラグラに沸いた湯に手首とさまざまな薬草、臭み消しの香辛料等をほうり込み、三日三晩かけて丁寧に煮込んだとっておきのシチューをさぁ召しあがれと勧めてみると、直前まであきらかな瀕死人だった開祖はみるみる復活し、大ナベいっぱいにあった残りをすべて飲みほしたうえに、骨の髄までしゃぶりつくしてしまった)
(こちらのほうがよほど死にかけでありながら、それでも破顔して開祖の超回復を祝うカタン)
(開祖は地に額をすりつけて号泣し、わが身の一部を捧げてくれた究極の善行に深く深く感謝した)
――で終わっていればうるわしき美談として後世まで伝わったのだろうが、結末は最悪に近い形を迎えることとなる。

(カタンに宿る美味しさを知ってしまった開祖は寝ても覚めてもそれしか考えられなくなり、またしても衰弱し始めた)

(もはや自分の手にはおえないと判断したカタンが、意を決して集落の者を呼び戻しにいこうとするのをあわてて引き止めると、彼の右手を指さした)

(その指を今度は、いやしいヨダレにまみれた自分の口元まで運んでみせる)

(カタンは合点のいった笑顔でうなずいた。例の手斧を開祖に渡して、いそいそと右手首を突き出す)

(善人カタンにとっては、おのれの痛みよりも他人が空腹でいるほうがよほど耐えられないのだろう)

(開祖は口の中で幾千もの謝罪の言葉を唱えながら手斧を振り上げ――)
[モラの母]

――開祖さまが目先の欲にまどわされず、干物にして持ち帰ったものがこれ

[モラの母]

当時はお肉もたっぷり付いていたそうなんだけど、たぐいまれなる美味をできるだけ長く堪能したくてスープのダシとして使っているうちにどんどん溶け出していって……骨になってもまだまだ良い旨味が出るのはさすがねぇ

何がさすがなのかよくわからない。モラが思いきりしかめ面をしているのを気にする風もなく、母の舌はじつによく回る。

[モラの母]

開祖さまがカタンの味をひそかに楽しむための場所を作ったつもりが、ふるまわれた人々がじょじょに集まってくるようになって、やがてはこんなに立派な村となったの

[モラの母]

母さんと父さんもここで出会ってすぐさま惹かれあったのよ

(言いながら骨包みを強引に押しつけてくる)

[モラの母]

けど、そろそろ外の血も欲しいからね。モラ、骨を十回使ったら必ず返しにいらっしゃい。その時は旨味のしみ込んだおナベも忘れずにね?

[モラの母]

あんたの旦那も絶対についてきたがるはずよ。なぜならその頃には、もうカタンのスープに病みつきになってるにちがいないもの

[モラの母]

ゆくゆくはふたりの子どもが生まれて、この村はさらに栄えていくでしょう

モラはよく知るはずの母親が別種の生物にでも生まれ変わってしまったような、何とも言いようのない気分を味わっていた。

母親だけではない。骨とその由来を引き継いできたくせしておくびにも出さない村人たちも、遡れば、片手を提供してくれた恩人に恩を返すどころか、もう片方をも望んだ開祖だって――。

みんなみんな理外の化け物としか思えない。

(外へ嫁ぐことが決まってつくづくよかったと心から安堵するモラであった)

翌日。朝早くに出発したため、馬車の荷台でうつらうつらしていたモラは不思議な夢を見る。

上半身はだかの男がぐったりと壁に寄りかかっている。左右の手には布がグルグルと巻かれ、どちらも手首から先がない。着ていたものは止血帯の代わりとして使われたようだ。

両足をだらしなく投げ出したさまはあまりに弱々しく、命の火が消えかけているのは明白だった。

手が使えなくなったせいで食材を集められず、食事も満足にとれなくなってしまった哀れな男――カタンは、誰にも看取られずにひっそりと死んでいく。

(モラには何もできない。何の力にもなれない。これは、遠い昔にすでに終わってしまった情景なのだから)

(カタンの体がくずおれた直後に場面が切り替わり、今度はどこかの山の深い谷間を俯瞰で見下ろしていた)

(開祖が手首を持って逃げる際にたらしたらしい点々とついた血の跡をたどるいくつもの黒い影)

(夢ならではの神の目を持つモラはこの者たちの正体も見抜く。()()()()()()()()()()()()()だ)

人間にしては巨大すぎたり、頭に角らしきものが生えていたりと、外見にさまざまなバリエーションがありすぎるように見えなくもないが、痛いほどに伝わってくる怒りや悲しみはモラにもなじみのあるごく人間的な感情だ。

彼らはカタンを心から慈しんでいたのだろう。灰色の喪失感がやがて、復讐の赤刃と化すのはそう遠い日ではないかもしれない――。

(そこでパッと目が覚める)

(そう長い時間眠っていたわけでもないだろうに、あたりの様子はガラリと様変わりしていた。まるで別世界のように)

(濃い霧がたち込める中、馬車はくっきりと浮かびあがった四つ辻の手前で停止していた。御者台に御者は見当たらず、馬の姿まで消えている)

[モラ]

……あら?

誰かに呼ばれた気がして、そろそろと荷台から下りてみる。手は無意識のうちにカタンの骨包みをにぎりしめていた。

“ ――こっちへこい”

やはり呼ばれている。声ではなく、頭の中に直接響いてくる感じだ。モラは何の疑いも持たずにフラフラと怪しい四つ辻へ入っていった。

四つの道が交差する地点に差しかかった時、謎の声がふたたび聞こえてくる。

“そこにほねをおいて”

“きさまは――いね”

もちろんそのとおりにする。

(とたんに濃霧の向こうからおおぜいの足音が聞こえてきた。どれだけの大人数なのか、振動で地面が波うっている)

“やぁれやれ”

“――ながかった!”

ゲラゲラゲラゲラ!

男女どちらの性も感じさせない不気味な声色と不快きわまりない哄笑。聞かされている側の気が狂いそうな不調和の音たち。

“ながかったのぅ”

“やっとやっと”

“×××がやっとわれらのもとへもどってきた!”

“ここまでたどりつくにはだいぶかかったが”

“とぎれとぎれのちをなめなめ”
“ちがきえたらにおいをかぎかぎ”
“ついにここまできた”
“さぁ、これからがわれらのほんばん”
“ふくしゅうのときはきたれり”
“きたれり”
ゲラゲラゲラゲラ!
ゲラゲラゲラゲラゲラゲラ!!

霧の向こうから現れるものたちの姿をけして間近で見てはいけない! モラはとっさに目をつむり、来た道をかけ戻った。

どうかどうか。次にまぶたを開いた時にはどうか悪夢の霧が晴れていますように。強く念じながら必死に足を動かす。
[モラ]

あっ!?

つま先が引っかかってバランスを崩してしまう。――落ちる! なぜだかそう思った。

次にくる痛みと衝撃にそなえて身がまえたものの、いつまで待っても痛みはこず、そもそも転倒すらしていない。
(小刻みな揺れにつられておそるおそるまぶたを開いてみると、そこは元の荷台の上。御者台からはのんきな鼻歌が聞こえてくる)
(旅立ちにふさわしい燦々たる陽光の下、不穏な四つ辻など現実のどこにも存在しなかった)

ただし、あれがただの悪夢ではなかった証拠に、骨包みはしっかり消えていたけれど。

(モラはため息をつき、二度と同じ目に遭わないためにも、故郷には極力関わるまいと心に決めた)
(忘れよう。四つ辻もカタンの骨も何もかも――)
…………

(――モラが故郷から遠く離れた街に嫁いではや十年。スープを作らなくても義家族との仲はいたって良好だ)

(その間に一度も里帰りはしていないが、向こうから骨を返せとせっついてきたことはなく、かといって村の異変を(しら)せる早馬がきたこともない)

だがしかし、カタンの集落の住人たちによる復讐はすでに完了しているような気がしてならない。

村は現在どうなっているのだろう。骨を返す役目を果たしたことにより、呪われたスープを口にしていても自分だけは許されたのだろうか。

疑問はあれど、確認しにいく勇気はなく、ほじくり返すつもりも毛頭ない。

(ただ、ふとした拍子に思い返してしまうのだ)

(くずおれるカタンの背中に一瞬だけ見えた左右対称の大きな傷痕は、もしかすると()()()()()()()()()()ではなかったのだろうか――と)

(だとすると、カタンが並外れた善人であり、その肉にすさまじい回復力があったことも、住人たちが彼をこよなく慈しみ、気も遠くなるような年月をかけて恨みを晴らしにきた理由も何となくわかる)

(何らかの事情によって地上に下りたところを捕らえられ、翼を切られ、いつか食われる前提で大事にされてきた〈天の御使い〉は、何を思って日々を過ごしていたのだろうか?)

それとも、人外たちの口にむざむざ入るくらいならいっそ、少しでも人間に役に立ってから天上に還りたいと望んだのかも?
(むろん、そんなのはたんなる想像にすぎず、ごくふつうの人間であり、平凡な主婦でしかないモラはいつもこのへんで考えるのをやめて、夕食の献立のほうへと頭を移行させる)

[モラ]

さてと、今夜は何を作ろうかな。もちろんスープ以外で、ね
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