今日からお前がオレな

文字数 4,738文字

30歳の誕生日だ。

今日は佐々木さんが家に来てお祝いしてくれる予定だ。
佐々木さんは何度かオレの恋人だったらしい。妻だったこともある。でも今はまだ友達だ。
まだと言うのだから今後進展する可能性があるのかと言えば、それは無いと思う。たぶんこのまま友達のままでお別れだ。何と言ってもあと一日しかないのだから。明日、オレは新しいオレになる。次のオレに期待しよう。

時刻は夕方6時過ぎ。
居間で本を読みながら佐々木さんを待っている。小説だ。孤独な男の小説。孤独に生きて孤独に死んだ男の小説。何度も読んだ小説だ。この男に比べればオレはだいぶマシだと思える。孤独な男を気取っているが、オレの孤独レベルはずいぶん低い。だから小説の中の男が羨ましくもあった。オレもこの男の孤独を味わってみたいと思った。でもダメだ。

他人との接触は極力避ける。面倒くさいからだ。でも孤立することもできない。怖いからだ。孤立することへの恐怖。どうやら人間の本能として備わっているものらしい。オレはそれを超えられない。

性欲もある。数ある欲求の中で唯一、他者を求める欲求。こいつもオレの孤独を阻む。佐々木さんの提案を断れなかったのは、おそらくコイツのせいだ。もう不要になったものだ。テクノロジーが完全に性欲を不要にした。でも結局、人はテクノロジーほど進化しなかった。テクノロジーだけ進化して人が進化しなかった結果が今の社会だ。

ピンポーンと家のチャイムが鳴った。
オレは訪問者を確認しないまま玄関のドアを開けた。
「やっほ〜、こんばんわ」
佐々木さんだ。手には大きな買い物袋を持っている。
「いらっしゃい」
なるべく嬉しくなさそうに言った後、彼女の手にある買い物袋を奪った。
「松谷くんにしては気が利くな~」
佐々木さんはそう言いながら笑顔を作る。
この笑顔に今までのオレは打ちのめされてきたのだろう。そして、これからも打ちのめされていくのだろう。

「さあて、やりますか~」
佐々木さんは部屋に入るなり、上着を脱いでエプロンをつけてキッチンに立った。
黄色いニットに灰色のスカート。上半身は少しタイトで体のラインを強調している。スカートはゆったり拡がっていて可愛らしさを訴える。顔の造形と相まって、孤独を是とする一匹狼にはなかなか辛い。オレはなるべく佐々木さんを見ないようにする。それでも佐々木さんと何度も目が合ってしまう。

野菜を切るリズリカルな音が部屋に響く。この部屋には縁遠い音だ。オレは料理はしない。出来ないのではなく、しないだけだ。自分で料理をするよりも外で食べた方が手間がかからない。経済も潤うし、自分の時間も節約できる。総合的に判断すれば、外食一択のはずだ。
「私は自分で作りたいな~」
佐々木さんの言葉を思い出した。いつの言葉だったかは分からない。
「自分で作るのも楽しいし、自分の料理を誰かが食べてるところを見るのも楽しいからね」
佐々木さんは天井を見つめながら話す。
「なんていうか自分自身がその人の中に入っていく気がするの。自分の分身が相手の中に入っていって、その人が生きるのを手伝う。そんな風に考えるとさ、大切な人には自分の料理を食べて欲しいなって思うの」
いつも明るいトーンで話す佐々木さんの声音が、少し低くなっていることに気づく。オレは返事を考えたが、なかなかまとまらなかった。
「ちょっと気持ち悪いかな?」
オレの反応を見て、佐々木さんは少し不安げにこちらを見つめた。
「いや、そんなことないよ」
オレは簡単に答えた。その答えを聞いて佐々木さんは少しホッとした表情をした。
「幸せ者だと思うよ。佐々木さんに毎日、料理を作ってもらえる奴はさ」
オレは率直な感想を述べた。佐々木さんがいつもより暗い雰囲気なので、いつものような捻くれたことが言えなかった。言ったあとで失敗したかもと思い、佐々木さんの方をそっと振り向く。佐々木さんと目があった。佐々木さんの大きな瞳の中に、自分の顔が映っているのが見えた。その瞳に一瞬、心を奪われたが、佐々木さんがすぐに顔をそむけた。珍しいことだった。顔をそむけるのはいつもオレだった。その後もずっと佐々木さんはオレと目を合わせなかった。

机の上にどんどん料理が増えていく。
サラダ、ゴボウの炒めもの、ロールキャベツ、ご飯、味噌汁。
いつも見ている机が全く違って見える。ここが自分の家であることを疑ってしまう。

コップにお茶を注ぎ終わると、佐々木さんはオレの隣の椅子に座った。向かいの椅子に座ると思っていたオレは少し動揺してしまった。
「人は向かい合って座ると対立関係になっちゃうらしいよ」
オレの反応を見て、佐々木さんは解説を入れた。
「ふ~ん」
なんとも思っていないことを示すために、適当な返事をする。
「はい、食べて食べて」
「じゃあ、いただきます」
「召し上がれ〜」
オレは箸をとった後、少し迷ってからロールキャベツに箸をのばした。ロールキャベツを箸で一口大に切り分けて口に運ぶ。
「うまい」
何のひねりもなくオレは言った。正直な感想であり、お世辞でも何でもなかった。
「よかった〜」
佐々木さんは嬉しそうに言った。
「いつも外食してるでしょ?だから私の料理じゃ、駄目かもって思ってたの」
「外食してるって言っても、チェーン店ばかりだよ。ロールキャベツなんて食べたの久しぶりだよ」
「そっか〜、それはよかった」
佐々木さんも箸を手にとって料理を食べ始めた。
料理を食べながら、いつも通りくだらない話をした。

粗方食べ終えて少し沈黙の時間が訪れた。

「最後だから聞くけどさ、松谷くんは私とのこと、どれくらい覚えてたの?」
また少し声のトーンが低くなっている。真面目に話したがっていることをオレは察知した。
「最初からぼんやりとした記憶はあったよ。それと佐々木さんと会う内に思い出したこともある」
「そっか」
聞きたかったことはそれではない、という感じの返事だ。分かっていた。
「佐々木さんはどうなの?」
自分のことを聞かれるのは嫌なので、佐々木さんに話を返す。
「私ははっきり覚えてるよ。もちろん数世代前のことまでだけどね。それより前のことはほとんど忘れちゃった」

クローンを作るときに必要な設定は3つ。
 どの年齢にするか。
 どの程度、記憶を引き継ぐか。
 いつ代わるのか。
この3つは個人が自由に設定できる。0歳から人生をやり直すこともできるが問題が複数ある。
 育ててくれる人がいないこと。
 記憶の混濁を生むこと。
だから、たいていは成人年齢を選ぶ。オレもそうだし、佐々木さんもそうだ。
記憶の引き継ぎについてはみんなバラバラだ。同じ人でも世代によって変わることもある。あと、個人差もあるのだが、100%を引き継ぐ設定にしたとしても実際に思い出せるのは数世代前までの記憶のみである場合が多い。加えて、記憶の混濁もひどくなる。世代間の記憶が混ざるのだ。

記憶を引き継ぐとき特定の記憶のみを引き継ぐといったことはできない。海馬の階層ランクを1~5まで指定する。1が最下層にある記憶。言語や体の使い方など無意識レベルの記憶。2〜5までは思い出と呼ばれる代物だ。忘れがたい思い出ほど下層に記憶される。人格に影響を与えているのは2層までと言われる。

オレはたぶんずっと2までにしている。証拠は無いけど、なんとなくそう思う。オレはそういう人間だと思うから。佐々木さんは5まで引き継いでいるのだろう。

いつ代わるのかも人それぞれだ。その世代の人生に依存するところも大きい。幸せと思える人生なら永く続けたい。不幸と思うなら、この世代には早く見切りをつけて次の世代に繋げたい。たいていそう考える。

オレはたぶんずっと30歳に決めている。つまり20歳から30歳の10年間をずっと繰り返している。これも証拠はないけど、前の世代のオレはおそらく30歳くらいだった。そしてオレも30歳で代わることを選んだ。何故かは分からないけど、オレの中に変わらない基準があるのだと思う。

「今回は駄目だったか〜」
佐々木さんは頬杖をつきながらそう言った。
「何が駄目だったの?」
分かっていたけど分からない振りをした。
「あなたとのこと。友達止まりだったね」
率直に言われてしまった。
「一つ前はもっと早くから付き合ってたよ。その一つ前は結婚までしたよ」
「そうなんだね」
この会話を止めたかった。
「あなたはだんだん私から離れて行っちゃうのかな?」
オレは何も答えない。
「難しいね。同じ人なのに。こんなにも違うんだね」
責められていた。どう考えても。
それからまた沈黙が流れる。
オレはずっと気になっていたことを聞いた。
「佐々木さんは何でオレにこだわるの?」
返事がない。
オレは佐々木さんの方を振り向く。その瞬間、彼女はオレにキスをした。
「好きだからだよ」
佐々木さんはオレの瞳を見つめて言った。
「ずっとずっと、いつまで経っても好きのままだから」
また彼女はオレに唇を寄せる。
オレも彼女の身体を抱き寄せる。
もう止まれなかった。


ベッドに眠る彼女。
オレは隣でその寝顔を見つめていた。
結局、こうなった。
なんとなく分かっていた。彼女と結ばれた時の記憶がオレの中にあったから。たぶんそれは一つのはっきりした記憶ではなくて、たくさんのおぼろげな記憶の総和だ。幾世代前の記憶の総和が、オレを彼女へと引き込む。呪縛と言えるだろう。彼女の方もそうなんだろう。もう変わらないのだろうか?彼女は変わっていると言っていた。でもオレはそう思わない。この強固な呪縛から解かれようもない。記憶を全て消さない限りは。



面会時間だ。
新しいオレとの面会。
時間は5分だけ。
刑務所の面会部屋のようなスペースでオレはオレを待っていた。5分間の面会を終えたあと、オレはどうなるか?麻酔で眠らされて安楽死部屋に連れて行かられる。それだけだ。恐怖はない。その記憶は必ず与えられるからだ。オレは一度、ここに来たことがある。そして麻酔で眠らされたことがある。そして、また目覚めた。毎日寝るのが怖くはないだろう。次の朝が来る経験を重ねているからだ。それと同じ。目覚めた経験があるなら、眠るのは怖くない。

新しいオレが部屋に入ってきた。オレと同じ服を着ている。髪型は少し違うけど、顔はほぼ同じ。やはり若いな。でも別に羨ましくはない。このオレもいずれオレのようになる。さて、オレはオレに何を話そうか。
「人は有性生殖する機能を失ったんだ。世界規模の感染症のせいでな。卵子も精子も受精の機能を失った。だからこうして無性生殖で種を存続し続けている。お前はオレのクローンだ」
「お前もオレのクローンだ」
オレらしい回答だ。腹の立つ回答。でも面白いと思った。
「何を話そうかな?色々考えたけど何も話したいことがないんだ。なあ何か聞きたいことはあるか?」
少しの沈黙のあと、オレが答えた。
「オレに今日からどう生きて欲しい?」
オレは真っ直ぐにオレを見つめて、オレらしくない真っ直ぐな質問をした。
どう生きるか?ほとんど考えたことがなかった。毎日毎日、なんとなく生きてきた。それでなんとなく幸せだった。何かを変えたいと思うこともなかった。衣食住には事欠かなかった。仕事も不満はたくさんあったけど、辛いということもなかった。孤独になりがちではあったけど、ずっと佐々木さんが側にいてくれた。オレは満ち足りていた。
「オレはオレの人生に不満はない。オレの代わりにやって欲しいと思うこともない。だから、お前はオレに囚われずに生きてくれ。オレの記憶に囚われずに生きてくれ」

「そうか」

ピーッという音が響く。
面会時間が終わった。
オレは部屋を出ていく。
忘れていたセリフを思い出した。
10年前にオレに言われたセリフ。
オレもオレに言ってやる。

"佐々木さんに気をつけろ"

終わり

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