第1話

文字数 2,403文字

 怒りについて。
 最近、イライラすることが多く、時には突発的に怒ってしまうこともある。大学に入るまでは、怒りという感情がわからないというほどの穏やかな性格だったのだが、やっぱり、社会に触れる中でちょっとずつ擦れていってしまったのかもしれない。
 最近も、やってしまった。ある就職説明会に参加した時、ある企業の偉い人が話していたのだが、そこでキレてしまった。まず、説明会の前からイライラしていた。それは本当に些細なことで、先生に出した書類に一週間経ってもサインしてくれないとか、ネットにあげたエッセイのプレビュー数が増えないとか、先日行った飲み会で女の子につれない態度を取られたとか、そういうことである。ひとつひとつは大したことないが、重なると、「ぼくのことなんて誰も興味がないんだ」などと卑屈果汁100%の世界に飛んでしまうのは、ぼくの悪い癖である。また、説明会の話の内容もよくなかった。「まず、自分に興味のあることを見つけましょう」「興味があることは、なんでも挑戦していきましょう」「自らの人生のキャリアを考えながら行動しましょう」などと言われ、ぼくのイライラは頂点に達した。ぼくは、あまりに正しいことを言われるとイライラするという珍妙な性癖を持っている。頭が破裂しそうなくらいにイライラしていたその時、イベントの司会者が、ぼくに感想はないかと聞いてきたのである。なんでこうもタイミングが重なるのだ。しかしもうぼくは、自分を抑えられなかった。「話を聞いていると、あまりに正しいことをおっしゃるので、腹が立ってしまいました。『正しいことばっかり言うんじゃねえよ』と思ってしまいましたね」言った瞬間、しまったと思ったが、もう遅い。会場はどえらい空気になった。参加者みんなが、ぼくの方を「何言ってんだこいつ?」という目で見ていた。どうしていいかわからず、ぼくは鯉みたいに口をぱくぱくするだけであった。司会者の方が、すぐに他の話題に写してくれたのでなんとか助かったが、ぼくはもう恥ずかしくてたまらなかった。もう、あの企業の説明会には行けないし、あの就活サイト主催のイベントにも行けない。ただただ自分を呪うだけであった。
 その説明会の帰り道、どうしてあんなことになったのかをずっと考えていた。まず、そもそもイライラした状態で説明会に行ったのがよくなかった。オードリー の若林さんが『しくじり先生』という番組でおっしゃっていたのだが、人がしくじる時のパターンとして、心がしくじっているというのがあるらしい。しくじる人というのは、そのずっと前から心に問題があって、いつしくじってもおかしくない状態になっていることが多い。それがある出来事で具現化されるだけで、問題はその人の心にあるというのである。今日のぼくは確実に、心がしくじっていた。もちろん、「今日は心がしくじっているので説明会には行きません」ということはできないが、心のしくじりを自分で自覚して、行動を自制していれば、あんな風になることはなかったのだ。
 また、ぼくは何が引き金になったのかも考えた。ぼくは、正しいことばかり言われると腹が立つという癖がある。なんでこんな癖がついたかというと、やはり小さい頃の経験が元になっていると思うのである。「こんなことやりたくないなあ」と思いながらも友達に合わせなくちゃならなかったり、親のいうことを聞かなきゃいけなかったりした経験が、ぼくの天邪鬼な性分を作り上げたのだと思う。だから、ぼくは言われたことに怒っているというよりも、それによって想起された、過去の閉塞的な空気とか、同調圧力のようなものに対して怒っているのである。もちろん、あの企業の偉い人は、そんなこととは何の関係もない。本当に申し訳ないと思う。
 小さい頃、親や先生が突発的に怒るのを見て、「なんで急に怒るんだろう?」と疑問に思っていたが、もしかしたら、みんな過去の嫌な思い出を想起していたのかもしれない。例えば、高校の頃の先生で、遅刻や宿題忘れに関しては寛容だったのに、あだ名で呼ぶとめちゃくちゃ怒った人がいる。「なんであだ名だけ許してくれないんだろう?」と疑問に思っていたが、もしかすると、小さい頃、あだ名を付けていじめられた経験があったのかもしれない。そう考えると、なんだか申し訳ない気分になる。
 余談だが、小中高の先生は本当に怒りっぽい人が多かった。怒るのが仕事だということはあったかもしれないけれど、実際、先生ほど怒りっぽい職業はないんじゃないかと思う。
 ぼくが一番怒られて怖かったのは、小学校の頃である。英会話の授業があって、マイクというアメリカ出身の先生が来てくれた。先生は英語しか喋れないが、ゆっくり教えてくれるので不思議と内容もわかりやすかった。しかし、英会話の授業はえてして騒がしいものになる。先生が「Be quiet」と言っているのに、騒ぎがおさまらない。そんな状態が10分ほど続いた時、先生がバンと机と思い切り叩くと、「ちょっとさ、君ら本当になんなの?」と流暢な日本語でキレ出したのである。あれは怖かったし、ショックだった。
 逆に、怒るのが下手な先生もいた。いつもニコニコしていて優しいのだが、どこか生徒に舐められている先生。そういう人は、授業が騒がしくなっても止める術がない。時々、思いついたように怒るのだが、明らかに「ビジネス怒り」であって、2、3回もすれば効果がなくなってしまう。十分も二十分も騒ぐ教室で、先生が寂しそうな目をしていたのを思い出す。怒りたい時に怒れないというのも、惨めなものだ。
 ぼくも、せっかく怒る素質のある人なのだから、説明会などでキレずに、ちゃんと怒るべきところで怒れる人になりたいと思う。例えば、娘がいじめられていて、その相手の親のところに乗り込んで行く時などである。ずいぶん先だなあ。それまで我慢できるかな?
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