第1話

文字数 1,753文字

『溺愛』--盲目的に愛すること--

 "溺愛"と調べてみたら、そうスマートホンから返ってきた。そうであるならば、僕のこの愛も溺愛と呼ぶべきなのかもしれない。僕は一人暗い部屋の中のベッドに腰掛けて、スマートホンを耳に当てていた。

 近年では、インフルエンサーやvtuberなどの言葉に代表される、動画配信サイトやSNSを通して、ライブ配信することが流行っている。僕も今そう言ったライブ配信の類を聞いていた。

「それでね、この前言ったカフェあるじゃない?あの、家の近くにもう少しでオープンしそうだって言っていたあのカフェ。そこにね、今日行ってみたの。それがさ、すごいオシャレでさ…」

 耳のスピーカーから、柔らかく楽し気な"彼女"の声が聞こえ、僕はそれに「うん」とか「へえ」とか独り言のように一言二言呟く。彼女は話好きでいつも沢山の話を聞かせてくれた。彼女の楽し気な声を聞くのが好きで、僕は毎日のように夜更けになるとスマートホンを耳に当てた。あるときはこんな日常の話、あるときはゲームの実況。僕はゲームをやらないけれど、彼女の実況を聞いているととても面白そうに思えた。今まで外で出歩くことをなるべく避けて、人付き合いの薄い、毎日を灰色に過ごしてきた僕には、スマートホンを通して聴こえる彼女の話は刺激的で、こんな僕の毎日すらも明るくなったように感じられ、この日常が愛おしくてたまらなくなった。
 そんな彼女の日々がどうかこれからも続きますように、僕は日々そう思うように変わっていった。そして、それが愛なんだろうと知った。僕は彼女の全てを知っている訳じゃない。僕は彼女の"声"しか知らない。僕は彼女を見たことがない。そう、ネットを通してたまたま出会った彼女の、ライブ配信の一聴衆でしかなかった。それでも彼女の事を大事に思え、それが愛なんじゃないかと思った。

「コーヒーがね運ばれてきたんだけど、その店員のお姉さんも可愛くて!マスターはダンディなんだけど。だから、すごくいい雰囲気だったの。それで、いざお味見させていただこうと思って、カップを持ったら…」

 僕は「ふふっ」なんて時々笑いながら、彼女の話を聞き続けた。彼女は一人語りを楽し気に続ける。そして、夜は更けていった。

「あっ、もうこんな時間だ。そろそろ、バイバイだね」

 彼女のライブ配信が今終わろうとしている。僕は名残惜しく、少し寂し気に「そうだね」と相槌を打った。

「あ〜あ、もうちょっと話したい気もするけど、明日起きれなくなるからなあ。うん、やっぱじゃあバイバイしよ!」

 彼女が姿勢を変えたガサガサという音が届く。僕はそれを受けて、寂しさからなのだろう、思い出したように「あっ、ちょっと待って」と呼び掛けた。大衆へ向けたライブ配信。そうであれば、この声は虚空に消えるだけだろう。

 しかし、この声が届くことを僕は知っている。少し間が空いた。

「どうしたの?」

 僕はホッと一息吐き、安心しながらゆっくり話してみた。

「うん、今度さ、君に会いに東京に行こうと思っているんだけれど、どうかな?」
「本当!?やった!嬉しい!でも、大丈夫?」
「ああ、流石に知らない土地は、点字ブロックがあるかも分からないし、姉に案内してもらうことにしたんだ」
「へえー!お姉ちゃんも来るんだ!少し緊張」
「ははっ、会うときはどっか行っててもらうよ」

 そんな雑談を交わして、彼女の"僕一人に向けた"ライブ配信は終わりを迎えることになった。また明日聞ける。それでも、その間の寂しさを思い出して、僕は少し悲しくなる。
 彼女とは彼女のライブ配信を通して出会った。少ない聴衆ではあったけれど、"ただのリスナー"だった僕は、交流を通して、彼女の"彼氏"に変わった。そして、今彼女は僕だけに向けて、"通話"というライブ配信をするようになった。
 盲目の僕に、彼女の姿は見えない。彼女もそれは知っている。僕と彼女の住む場所はすごく遠くに離れていて、僕は彼女の姿も彼女の住む所の街並みも、何も知らない。僕は話も上手く返せないし、ただ彼女の話を聞いていることが多いけれど、それでも僕は愛しているのだ。
 そうであれば、盲目な僕の彼女への静かな愛し方も溺愛と言えるのじゃないかと僕は一人静かになった部屋の中で、スマートホンに問い掛けた。
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