闇夜の国から

文字数 1,248文字

 あの世とこの世が繋がる場所がある。
 空が白んで朝日が山の端に顔を出す間際に、死んだ想い人と会うことができる場所。
 誰もがみな行きたがるが、行ってきた人をみたことがない。

 夜行列車が行きついた駅で、ローカル線の始発に乗り換えた。純也の他に乗客は一人もいない。まだ陽が昇らない真っ暗な山間部を、列車は静かに走り抜ける。まるで起こしてはならない何かが暗闇の中にいるかのように。
 終着駅に着いた。一人ホームに降り、無人の改札を抜けると、目の前に一本の道が真っ直ぐに伸びていた。か弱い明かりの外灯がぽつりぽつりと道に沿って立ち並び、闇の中に白い道を浮かび上がらせる。首の周りにまとわりつく湿った空気を手で払うと、純也は導かれるように白い道へと足を踏み出した。
 消えてしまいそうな外灯の明かりを頼りに、純也は闇の奥へ奥へと進んだ。
 どれくらい歩いただろう。やがて川のせせらぎが、純也の耳に聞こえてきた。進むにつれて水の音は大きくなり、やがて目の前に一本の古い橋が現れた。暗い足元を確かめながら、純也は静かに橋の上に歩を進めた。
 目の前の暗闇の奥に、ぼんやりと白いものが浮かんで見えた。一歩、二歩と近づくと、白地に青いストライプのワンピースが目に入った。
「……!」
 純也は息を呑んだ。車にはねられて死んだあの日に、瞳子が着ていた服だ。
 もう一歩、二歩と近づく。頭を深く下げているため女の顔は見えないが、肩の下でふわりと巻いた黒髪は瞳子に間違いない。
「瞳子!」
 純也の声に、女の肩がびくりと動いた。
「駄目! 来ないで!」
 ワンピースの裾を揺らして、慌てたように女は後ろを向いた。見覚えのある瞳子の細い肩だ。純也はこらえきれずに駆けだして、背中から女を抱きしめた。
「どうして……来ちゃ駄目なのに……」
 女の背中が震えていた。回した腕に力を込めて、純也は女の後ろ頭に顔をうずめた。クレマチスのような甘い香りが鼻孔に広がる。
「瞳子、会いたかった……」
 純也は女の正面に回り込み、さらにきつく抱きしめた。折れそうな細い体。柔らかな胸の膨らみ。うつむいたままの女の顔は見えないが、すべて純也の愛した瞳子だ。
 純也は瞼を閉じた。声も香りも髪も体も、すべてが懐かしく愛おしい。純也の閉じた瞼に涙が浮かぶ。抱き合えることが当たり前だと思っていた日々が、こんなに尊いものだったなんて。
 薄目を開けると、空が白んで周囲が明るくなり始めていた。
「駄目、見ないで……お願い……」
 か細い声で女が囁いた。髪の隙間からちらりと見えた女の赤い唇に、純也の胸は熱くなった。
「瞳子、愛してる」
 純也は女を抱く腕を離すと、両手で女の髪をかき分けて、その顔を覗き込んだ。
「……!」

 朝日に照らされて川面が輝く朝。駅の改札から橋へと真っ直ぐに続く足跡は、橋の真ん中で途切れていた。

 あの世とこの世が繋がる場所がある。
 空が白んで朝日が山の端に顔を出す間際に、死んだ想い人と会うことができる場所。
 誰もがみな行きたがるが、行ってきた人をみたことがない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み